預り屋Ⅳ
都会の喧騒はまだ続いている。
それと壁を一つ挟んだ所で、俺はパソコンの小さな稼働音を聞いていた。静寂、ではないが、妙な密閉感があって酸素が薄い気がする。
あれから一通りの家事をこなし(俺は家事くらい、やろうと思えばできる。)、弟の皮肉に従って、ネットで依頼人がないか確認をしているところだった。
ただ、時間もあるので先に少しだけネットサーフィンをした。
その最後にニュースページを開いたが、特にこれといった大事は無かった。
なるほど、そうきたか。あれだけの事が起きておいて、3日も経つというのに、何一つ話題に上がってない。つまり、隠蔽されているということだ。いや、隠蔽してもらってるのか?と理解する。流石は桜田家。政治にも通じてるというから驚きである。しかし、今回の事故はかなり規模が大きかったから、目撃者や被害者がいてもおかしくないはず……なんとか手配したのだろう、本当に抜かりがない。
そのまま、自分で作った預り屋のサイトへと画面を移動させた。
…地味、というのが第一印象。自分では真面目に作ったつもりなのだが、その真面目さは徒になってしまったようだ。
アクセスカウンターを見てみる。
『あなたは 421人目 の訪問者です。』とある。このサイト、仕事を始めて2年間は大体2~3日に一度は訪れてる。
「…ってアクセスしてるの殆ど俺じゃねぇか」
普通に暮らしていれば、預り屋などいらない。妥当な結果である。
「まぁ、桜田家からの仕事でなんとかやっていけてる訳だし、大丈夫か」
そう呟きながら伸びをしてみる。丸2日間動いてなかったためか、筋繊維の伸びが心地良かった。
しかし、完全に伸びきる前に、驚きのあまり伸びを解いてしまった。
カウンターが1だけ上がったのである。
見間違えではない。421から422へと上がった。思わず「うぉ…」と素で驚く声がでる。
「ま、まぁこういうこともあるよな。あるよな。たまたま誰かが何かの間違いで、例えば、犬が関西弁喋っちゃうくらいの間違いで、このサイトをクリックしてしまったんだよきっと」
意味のわからない自己完結をして焦りながらも、暫く画面を見続けた。
それから10分間は、何の変動もなく、ただ地味な画面がチカチカしてるだけだった。
「さすがにもう来ない、か」
そう言ってネットを閉じ、パソコンも閉じた。
時計を見る。まだ11時30分だ。昼御飯を作るには早すぎるし、かといってすることもない。
どうしたものかな、と思案していると、唐突に家の呼鈴が鳴った。またもや驚かされて、早く打つ心臓を宥め、返答する。
「はい」
「セリカだけど」
即答だった。しかし明日来るはずの人の名前を聞いて、少々首を傾げていると、
「早く開けなさい!もう、お腹減って大変なんだから!」
論理の破綻した解錠命令が下された。しかし、なぜ彼女がここに来ているのだ?
疑問は次々に浮かぶが、ひとまず事情を聞かなければ。
「わーった、わーった。ちょっと待ってろ」
それに、機嫌の悪いセリカには逆らえない。
小さく駆けて玄関まで行き、鍵を開けた。
その開けた瞬間、いかにもお嬢様というオーラを放っている女子が、部屋に上がり込んできた。
「お、おい!靴くらい脱げよ!」
「うっさいわねー、家では脱がないのよ!」
ずかずかと廊下を進んでいく。ここはアパートの二階だから下の階の人に響くのが心配だ。それよりも
「いやだからここ俺ん家だって」
正当な意見をする。しかし
「俺ん家?何言ってんの?ワタシの家の会社から出たお金でワタシがあんたにあてがってる家じゃない。あんたの言い分なんて通んないわよ」
う、…痛いところを突く。
「事実だが、なんと言うか、それは酷い言い様だな」
「んー、なら言い方がまずかったのは謝る、けど良いでしょ、靴くらい。文化の違いよ文化の!ていうか早くご飯作りなさいよ」
やはりこいつの性格はキツいというか利己的というか。昔から変わってないな。仕方ない。やられっぱなしも癪だから、次はこちらが攻撃を仕掛けるか。
「あ、でも、仁は困るって言ってたなー。あいつ綺麗好きだからなぁー。俺が土だらけで帰ってきたら凄く嫌な顔するし、前なんかゴキブリ一匹出ただけでここ周辺300メートルくらいのゴキブリ全滅させてたからなー、セリカが土足で家に上がったとか言ったらセリカのこと嫌っちゃうかもなー…そんなことをあいつに言うのはお前が気の毒で俺も心が苦しいよ」
すると、今まで棘でも生えてたような顔から、悲しみと恥じらいの混じった哀愁の漂う顔に変わった。
「じ……仁君が…そ、そんなこと…い……言ったの?」
今にも泣き出しそうである。ただかなり頬を赤らめている。
「あぁ、言ってた言ってた。だからせめて靴は脱いでくれ。飯は作っから」
「…わかったわ。仁君が…仁君がそういうなら、その通りにする」
大変よろしい。
「ほれ、ならテキトーに掛けて待ってな。今から作っから」
そう促すとセリカは、むすっとした顔で荒々しくソファに身を投げた。
昼御飯を作りながら、今日の経緯等を聞いてみることにする。
「で、今日はどうしたんだ?仁なら部活で夕方まで帰って来ないぜ」
実は、セリカの訪問理由の九割は仁が目的で、残りのうち半分が飯、もう半分が仕事の話である。
「き、今日は仁君じゃないのよ。し、仕事の話なのよ」
『仁』と聞いただけで焦るセリカ。なかなかイジり甲斐がある。
それはさておき、仕事の話となればこちらも真剣にならなければ。
「仕事?また今回は間が短いな。あぁ、あれか、デューペンスの使いの件か」
「そう。恐らく警察とかも警戒するだろうけど、デューペンス相手だと多分人が足りないから」
確かに、中国を束ねてる大組織相手では、単に使いの者を送ってくるだけだといっても警戒レベルが段違いだ。
「そういうことか。なら構わないけど、俺一人増やしたとこで戦況に変化は無いと思うんだけど」
的を得た指摘だと思ったのだが、少し浅はかだった。溜め息混じりに返答される。
「あんたってやっぱり、ちょっと抜けてるのよねえ。もう3日前のこと忘れたの?あの時あんたは馥郁山のダムを、奴らの幹部を巻き込んで破壊してるのよ?あんた一人で充分な牽制になるわよ」
それに、とセリカは付け加える。
「あんたを交渉の材料にするかもしれない」
突然すぎて一瞬彼女が何を言ってるのかわからなかった。頭をフル回転させてみるが、困った顔でもしてたのだろうか。その間に、もう一度セリカは言った。
「だから、あんたを渡すことを交渉の条件にいれるかもしんないってこと」
正直、かなり驚いた。
しかし、それは自分が交渉材料にされることについてではない。頭を働かせる中で、自分である結論に辿り着いたからだ。
「お、おい、それって……まさか、もうその段階まで……」
「そう、こないだの状況を見て、研究部の佐伯さんが言ってたわ」
佐伯さんは、桜田が抱えてる特殊科学研究部の人で、勿論のことながら俺の能力も研究の一部になってる(言うまでもなく極秘に)。
結論にから言えば、恐らくは消失させるものの抽象度が一段階上がったということだろう。
つまり、
「今回の依頼は、実験的に組織破壊を遂行せよ、ってことだな」
と、そこで野菜を炒める快活な音を響かせる。ついでに油の香りも広がる。
「流石に自分の仕事のことになれば頭は回るみたいね。
それで、使いが来るのは一週間後。急で悪いけど、それまでに色々準備とかあるから安静日が終わる明後日から研究部に来て。とりあえずわたしは明日、コンタクト持って来るけど、何かいるものがあればその時にでも言って」
割と強火で炒めたのでざっと火は通っただろう。丁度いいくらいの塩胡椒を加減して、肉を投入する。
「おぅ、とりあえず了解した。諸々の心配はあるけど詳細は明後日に聞くことにするよ。でも、本当に大丈夫なのか、俺?
…あぁもうすぐできるからカウンターに座っといて」
そういいながら炒めの最終段階に差し掛かる。
セリカは素直に立ち上がり、そのまま歩いて席に座った。カウンターに肘を付いて彼女は言う。
「わたしにも分かんないわよ、そんなの。でも、あんたが今までより一層管理しなきゃいけない存在になったのは確実よ」
そして、
「ほい、できたぞ。ご飯よそうからちょっと待ってな」
そういって炊飯器の蓋を開ける。
「でもなんか悪いな、管理とか露払いとか任せてばっかりで」
「なにそれ、自意識過剰なんじゃない?わたしはただ家のモノを守りたいだけよ。断じてあんたのためじゃない。……少しは仁君のためだけど」
さいで。
「へぇへぇ。さ、召し上がれ。んで、食べたら早く帰るんだな。俺の分まで色々と準備してもらわなきゃいけないからな」
そういって盛り付けたご飯と野菜炒めを並べる。
「わかってるわよ。あ…あ、ありがとね、ご飯。いただきます」
いいよ、とジェスチャーで返す。
手を合わせ終わった彼女は物凄い勢いで、さながら掃除機の如く、昼御飯を掻き込んでいた。
「もっと女の子らしく食べろよな。それでも現役JKかよ」
セリカはコップの水を飲み干してから、鋭い目付きでこう返す。
「うっさいわね。家ではこんな風に思いっきり食べれないのよ。それにあんたのJK需要に答える筋合いはない」
こちらも対抗して、はいはいそうですか、と呆れ顔をする。
それから5分くらい、セリカはガツガツと食べ、ごちそうさまと言った。
食器をシンクに置いてから、玄関に向かうセリカ。洗いものは頼まれたみたいだ。
俺の言う通り、すぐに帰る支度をしている。
準備が整ったのか、ローファーを履く音がした。
靴を履いてる彼女にとりあえず挨拶だけしとく。
「ならよろしく。つっても明日も来るんだよな。あぁ、明日は仁もいるからお楽しみにー」
「も、もう、わかったわよ。ならわたしも用事あるから、じゃね」
彼女はそのまま軽々とドアを開け、またしても颯爽と出ていった。
「おぅ、気を付けてなー」
そんな彼女に手を振る俺は、デジャヴめいたものを感じていた。
現時刻は12時30分。
「さて、何すっかなー」
再び大きく伸びをして、俺は静かに玄関を閉めた。
「やばい、急がないと!」
現時刻は12時30分。
思った以上の時間、佐助たちの家にいてしまった。本当は仕事の話をするだけのつもりだったのたが、つい口走って昼御飯を要求してしまったのがいけなかった。
そんな反省はともかく、あと30分で研究部に戻らないと佐伯さんたちを待たせることになってしまう。
折角のミーティングに遅れてしまっては失礼だ。
よし、と意気込んだところで目の前に天使を見た。いや、見てしまった。
しかも猫付き。
その少女のあまりの可愛さに、進む足はそのままに、顔だけ向けてジロリと見てしまった。英語で言うとglance+stareくらいだった。
背は150くらいで、ホットパンツにTシャツ、ゆるふわ系の髪をふわふわさせながら、猫を抱いて歩いていた美少女。
恐らく中学生くらいだろう、と思った。
しかし、可愛い。あぁもっと見ていたい!
と、思ったが今は時間が優先。急がないと。よし、次こそ走るぞ!
……でもあの猫、どこかで見たような、見てないような……