預り屋Ⅰ
光はない。ただ、闇が広がるばかり。
人は、いま目にしているものだけでなく、世の中の大概は闇に充ちていると、往々にして知る。
一つの捉え方として、「栄枯盛衰」を挙げよう。娑羅双樹の花の色…で始まる平家の歴史を思い出す。栄えるものが、衰えるのは世の常。光ではなく、闇に焦点を当てた言葉だと思っている。
こういう例もあっていいだろう。
自分の同期あるいはクラスメイトで、すごく感じが良くて、頭もきれる。さらには美男または美女で年上からも年下からも受けがいい。そんな光に包まれてるような人が、聞こえるか聞こえないか位の音で舌打ちしたとき、更には裏ではいじめのグループのドンだったりとかするとき、闇を感じる。
人それぞれ、世の中の闇を体験する方法は異なるが、世界は闇で満たされてることを知る。
何だか虚しい気分にはなるが、普通に生きている分には問題ないはず。今日は運が悪かったな、とか世の中にはああいう人もいるよな、とかその程度で済むから思い悩むこともない。結局、闇といっても日常に蔓延る程度なら気にするまでもない、ということになる。
そう、それは日常程度なら、の話だ。
世の中はある一定の人間が集まる層に、緩やかにだが分離されている。「富裕層」や「裏社会」と言われるものがそれだ。そしてそのそれぞれに、文化や慣習、価値観、そして言葉の差異があり、各々が形成する社会形体にも差異を生じる。つまり、一般社会から見れば悪だと判断されるものが、日常的な闇として潜んでいる世界もある、ということである。
そこでの闇は、あっさりと片付けていいものじゃない。それを看過することは、人の生死や社会の動揺に繋がる。
そして今、自分はその深い層の闇に対峙している。
今までの哲学めいた思考は、この状況を打開するのに全く役に立たない。光の議論から始まっただけに昼行灯といったところか。
両目には眼帯のようなものがつけられ、手足は固く縄で縛られてる。猿轡もはめられていて、布のしょっぱさが不味い。手が当たる壁はコンクリートだろうか。どうやら地面もそうらしい。
辺りはひんやりとしているが震える程の寒さはない。意識を戻してから一分半から二分、都会の喧騒はなく、トンネルに吹くような風の音だけがしてる。その風に沿って、湿った土と金属の臭いが鼻腔に入り込む。
五感が復活したところで、この闇は俗に言う監禁というやつだ、と佐助は悟った。
「よう、兄ちゃん。やっと起きたかい。とりあえず洗いざらい話して貰おうか。」
腐れ切った、定番とでもいうような台詞が聞こえた。






