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白虹(四)

 風花と桜の密通事件は、すぐに御所中の者の知るところとなった。

 朝議に参集した重臣たちは、ひそひそと語り合った。


「帝の喪も明けないうちに、あのようなことをなさるとは」

「潔斎中の斎王さまと通じるなど、神をもおそれぬことだ。とても東宮さまのなさることではない」

「静かに。東宮のお成りだ」


 東宮である風花は、朝議のいちばん上座に座る。御簾の向こうに座るべき帝はいないのだが、几帳面に下ろされたままになっていた。


「さて、今日の議題だが……」


 言いかけた風花の言葉をさえぎるように、正面に座した安濃が声を上げた。


「東宮、事件について説明を頂きたい」

「安濃兄上。公の朝議の席で、私事を論じるのはよろしくない。話しがあるのなら、後で聞こう」

「もはや、私事で済ませられるものではありませんぞ、東宮。」


 安濃は、引き下がらなかった。初瀬が、隣で苦い顔をしている。安濃が、菜香皇太后や群臣に担ぎ上げられたことが、手に取るようにわかった。


「実の妹、しかも神に仕える身である斎王との密通など、正気とは思えぬ。一度目は、亡き帝の寛恕があったが、私は認めぬ。そのような人が、国政を与るにふさわしいのだろうか」


 群臣の間に、ひそひそと何かをささやく声がしはじめた。

 このまま議論になるのは、拙い展開だ。風花は、事態の収拾に動くしかなかった。


「皆、静まれ。先ほども話したとおり、私事と公事は区別せねばならぬ。聞きたいことがあるのなら、朝議の後で私の居所に来るがよい」


 畏れながら、と右大臣が口を開く。


「安濃親王さまの疑問は、我らの疑問でもあります。どうか、ことの真偽だけでもここでお話し頂けませぬか。我らも、このように思いが乱れていては、まともな議論などできませぬ」


 群臣たちから、そうだそうだ、と声が上がる。どうやら、ほとんどの者が示し合わせているようだ。

 発言を禁じられているのか、初瀬だけは渋面のままで何も語らない。そのことが、事態の深刻さを如実に表していた。

 白を切りとおすこともできただろうが、それは一時しのぎにしかならない。


 やむを得ないか。

 意を決して、風花は席を立つ。

 沈黙が場を支配し、皆がいっせいに風花を見た。

 その眼差しは様々だった。すでに非難の色を帯びているもの、何か哀願するようにおどおどとしたものなど、それぞれの立場や思いがにじみ出ていた。

 風花は、中央に進み出ると、ひとつ呼吸をしてから言い放った。


「私と衣通桜内親王のことだが、おおむね事実である」


 いっせいに、どよめきが起きた。


「皆に、余計な心配をかけたことは詫びる。だが、これはあくまでも身内のこと。これ以上の詮索は無用である」


 風花は、強引に話を打ち切ろうとしたが、異を唱えるものがあった。安濃だ。


「東宮、ご自分のしたことがおわかりか」


 何人かの重臣が、大仰にうなずく。

 だが、それに同調しない者もいたことが、風花にはすこし意外だった。


「うむ、わかっている。だが、それは父母から責められることではあっても、国政を揺るがすことであるとは思っておらぬ」


 風花は、なおも何かを言いたそうにしている安濃を制するように言葉を続ける。


「そなたらが、このような些事で混乱するようでは、なるほどまともな朝議はできぬな。今日は、これで散会とする。明日からは、正常に議論ができるよう、左右大臣は臣下をまとめておくように」


 そう言い残して、足早に正殿を後にする風花を、群臣は黙して見送った。



 朝議の後、安濃は右大臣の私邸に招かれた。

 酒肴で安濃をもてなした後、右大臣は人払いをして、ある計略を打ち明けた。


「今回の事件は、東宮殿下の政治生命を絶つ絶好の機会です。東宮殿下に従っていた者たちも、ああなっては擁護できないでしょう。ここであなた様がお立ちになれば、一気に逆転できまする」

「それで、東宮を追い落とすことができるというのだな」


 安濃の確かめるような問いに、右大臣が自信ありげにうなずいた。

 秋月帝の薫陶を受けた風花東宮は、天皇親政を標榜する姿勢を見せており、臣下から見れば扱いにくい主君になるだろうことが明白だった。今回のことは、彼を排除する千載一遇の機会なのだ。

 安濃は、腕組みをして黙り込んでいる。

 右大臣は、手ごたえを感じていた。


「万事、我らにお任せ下さい。親王さまは、我らが担ぐ神輿に御乗りいただくだけで、なにもかも手に入れることができましょう」


 右大臣の言葉に、安濃の表情が緩む。


「上手くいけば、さ、さく……いや、あれも私のものになるかのう」


 言葉に詰まりながらも、それとなく自分の望みを口にする不器用な安濃に、右大臣は柔らかな笑みでうなずきながら、止めの言葉を告げた。


「無論でございます。なにもかも、御意のままに……」


 安濃は、杯を手に取り、中身を乱暴にあおった。


「ふっ、ふははは。ようやく、この時が来たか」


 ゆがんだ笑いを浮かべたその口から、酒の雫がだらしなく滴り落ちた。



 右大臣の動きは素早く、しかも老練で巧妙だった。

 朝議の度に、風花に釈明を求め、追いつめていった。東宮はその地位を安濃親王に譲るべし、という雰囲気が醸成されるなかで、秋月帝の急死は斎王との姦淫への神罰であり、賀茂大神の怒りを解くには東宮の命を捧げるしかないという過激な結論を言い出す者まで現れた。そういった者たちを、表向きには抑えているように見せて背後で煽る。

 すべて、右大臣の策謀であった。


 事件の発覚から半月ほど過ぎた日の深夜、風花の許を初瀬が密かに訪れた。その口から告げられたのは、風花自身も呆気にとられるような、事実無根な話だった。

 東宮は不利な形勢を逆転するために安濃親王の暗殺を企て、安濃親王はからくも暗殺犯から逃れて右大臣に助けを求めた、というのである。


「兄上の舎人の一人が、東宮から安濃親王の暗殺を命じられた、と証言し、そのまま自害したらしい。安濃兄上は右大臣とともに、今夜にも風花兄上を討つために挙兵するようだ。これは橘花からの情報だ。間違いないだろう」


 几帳を照らす燈火の灯りが、頼りなさげに揺れた。

 空いた口が塞がらないような話だが、橘花は右大臣の孫娘だから信憑性は極めて高い。

 風花は、もはや抜き差しならない状況に陥れられたことを悟った。


「安濃兄上、担ぎ上げられたな。これで、あやつらの思う壺だ」

「兄上、どうなされる。このままでは……」

「初瀬、礼を言っておく。今夜はこのまま、何も聞かずに帰ってくれ。それから……」


 風花は、そこで初瀬に頭を下げた。


「もしものことがあれば、桜を頼む。それと、橘花にすまなかったと伝えてくれ」

「待ってくれ、兄上。まさか、早まったことを考えているのではなかろうな」


 気色ばむ初瀬を、風花は笑顔で宥めた。


「これからは、私の独断でやることだ。そなたにも何も話せぬ。だが、私とて無用の争いは好まぬ。それはわかっておいてくれ」


 なおも追求を続けようとする初瀬に、風花は静かに宣告した。


「こんなところに長居されては、そなたまで巻き込むことになる。今すぐに帰ってくれ」


 有無を言わせない言葉に、初瀬は従うしかなかった。



 その夜半、安濃と右大臣の軍勢は清涼殿を囲んだが、東宮の寝所はもぬけの空だった。

 翌日の朝議に風花東宮は出席しなかった。それどころか、御所のどこにもその姿はなかった。

 風花東宮が大津宮で戦の準備をしている、という消息が知れたのは、その日の夕刻のことだった。


「これで東宮の企ては明らかとなった。この私を討つというのなら、私も身を守らねばならない。ただちに、大津宮の東宮を討伐せよ」

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