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白虹(二)

 風花が帝に呼び出されたのは、その日の夜だった。

 面会の場には、父と子の他に誰もいなかった。


「風花、正直に答えよ。そなた、桜とはどうなっておるのだ」


 予期していない詰問だった。

 風花は、驚いて父の顔を見た。怒っているわけではなかった。それより、むしろ……。


「ある者が、そなたと桜が密通していると訴えてきた。桜は、すでに御所に呼んである。あれから事情を聞きだすのは容易いが、吾はそなたの口から答えを聞きたいのだ」


 そこまで言う以上、すべて露見していることは想像に難くない。風花は覚悟を決める。


「私は、桜をひとりの女として愛しています」


 父の表情に陰りが差した。


「それがどういうことか、わかっておるのか。あれは、そなたの……」

「わかっています。実の妹です。ですが、それは誹られることではあっても、悪事ではないと思っています」


 息子の返事に、父は深いため息を落とした。


「なにもわかっておらぬ。実妹であるだけでなく、あれは賀茂斎王だぞ。このようなことが世間に知られれば、人心をどれだけ動揺させるか。通報者の口をふさぐためには、そなたの謝罪は絶対に必要なことだ。わかるな」


 今後の出方によっては処罰しない、と父は暗に言っていた。

 だが、風花は引くつもりはなかった。


「誰に対して謝罪せよというのですか」

「なにっ」

「私と桜は比翼連理、本来ひとつの魂と身体を持つべき者だったのです。それが、この世ではふたつに引き裂かれているから、お互いを求め合うのです」


 父の表情が、一瞬で凍りついた。


「そなた、どこまで知って……」


 そのつぶやきの意味は気になったが、風花は構わずに言葉を続けた。


「兄と妹が、なぜ愛し合ってはいけないのですか。私たちは、誰からも何も奪っていないし、誰も傷つけていません。愛し合う者どうしが、お互いに求め合い与え合っているだけです。それが、何の罪だというのですか。だれに謝罪せよというのですか」


 風花は、あらためて父を見た。その表情は、すでに平静を取り戻しているように見えた。


「たとえ、そなたの言に理があろうとも、上に立つものが不義を働けば国の乱れのもとになるのだ。ゆえに、不問に付すわけにはいかぬ。悪事を認めて皆に詫びよ。そうすれば、吾は寛大な処置ができる」

「悪事と認めてしまえば、私たちの恋が汚されてしまいます。いっそ、共に死ねと言ってください。たとえこの世で結ばれずとも、千代に生まれ変わっても、私と桜はお互いを求め合い、そして結ばれるでしょう」

「愚か者。この程度のことで、東宮や内親王を死罪になどしたら、臣民が恐れ慄いて国が沈むわ。そなたは罰さぬと決めた。その代わりに、桜を伊勢斎宮に下向させる」


 桜に罪が及ぶということに、風花はこのときはじめて思いが至った。自分が罰せられることは覚悟していたが、桜だけが罰を受けるということは考えていなかった。しかも、伊勢斎宮に送られるということは、桜には二度と会えないと宣告されたのと同じことだった。


「父上、それはあまりなご処置です。なぜ、桜が罰を受けねばならないのですか。私は、花宴の夜、知らぬこととはいえ桜に関係を無理強いしました。あまつさえ、名を告げず別れようとしていた桜を捜し求めたのも私です。罰を受けねばならないのは、私の方だ」


 風花の嘆願を、父は醒めた顔で聞いていた。


「ならば、そなたが桜の代わりに流罪となるのか。そなたひとりが罪を被るのであれば、桜は罰さぬと言ったらいかにする」


 試すような父の問いに、風花は即答する。


「わが身ひとつで、桜が救われるのであれば、私が……」


 その直後、風花の頬が痺れるように熱くなった。見上げると、怒りをあらわにした父の顔があった。


「たわけがっ。そなたは、それでも吾の息子かっ」

「父上……」

「腑抜けるのも、いい加減にしろ。桜が欲しくば、なにゆえ腰の剣で吾に打ちかかってこぬ。その覚悟もできぬ者が、桜を守れるものか。口先に綺麗ごとを並べるよりも、誰からも桜を守れるだけの力を得よ。欲しいものを得るためには、大事なものを守るためには、手を汚すことを恐れるな、泥をすすることを厭うな。それができる者だけが、王者たりうるのだ」


 そう諭して、父は息子に背を向けた。

 なんて大きくて、力強い背中だろうと風花は思った。


「桜は、一両日中に野宮に戻し、七日後には伊勢に向かわせる。そなたは謹慎して頭を冷やしておれ」


 風花は、「はい」と短く答えた。

 そして、もう、あの背中が自分を守ってくれることはないのだと、はっきりと自覚した。




 秋月帝薨去の急報が、御所に激震をもたらせた。

 前兆は、ほとんどなかった。わずかな人々が、帝の表情に疲労の様子を見出したくらいだった。

 それにも関わらず、帝が胸を押さえて苦しみだしてからは、早かった。

 薬師が枕元に着いたときには、もうその死亡を確認することしかできなかった。


 その知らせを、風花は禁所で聞いた。すぐには、信じられなかった。

 父に叱られたのは、昨夜のことだ。風花は、父のところに行かせて欲しいと訴えたが、混乱の中でそれを許可できる者は誰もいなかった。


 いたずらに時だけが過ぎ、いつの間にか夜の帳が降りていた。

 これからいったい、どうなるのか。そんな不安感が、風花を苛む。

 目を閉じると、桜の姿が浮かぶ。同じ御所にいるのに、ふたりの間には絶望的な距離があった。


 庇から、さらさらという衣擦れの音がした。女だ。今ごろ、誰だろう。

 足音は、風花の部屋の前で止まった。謹慎中である自分のもとに人目を忍んで通ってくるなど、普通ではない。

 あるかなきかの夜風にのって、閉め切られた吊り戸の隙間から、ほのかな甘い匂いが風花のもとに届いた。


 まさか。

 風花の胸が、どくんと鼓動を打つ。


「桜っ」


 呼びかけた声は、驚くほど大きかった。

 戸の向こうから、ささやくような咎め声がした。


「どうかお静かに。人の耳に入ってはいけません」


 桜の声だと思ったが、その言葉遣いは、遠い記憶のなかの人と重なった。


「……母上」

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