けんと
学食の喧騒の中、僕、日向ケントは額の汗をハンカチで押さえながら、彼女の席へと急いだ。 トレーの上には、みおが「飲みたい」と呟いていた限定のタピオカミルクティー。僕の巨体は狭い通路を通るだけで周囲に圧迫感を与えるらしく、すれ違う学生が露骨に顔をしかめるのが見えた。でも、そんなことはどうでもいい。
「みおちゃん、これ。さっき言ってたやつ」 息を切らしてテーブルに置く。 スマホをいじっていた三浦みおは、顔も上げずにそれを受け取った。 「あ、ありがと。置いておいて」 「うん。……あ、あと、課題のプリントもまとめておいたから」 「助かるー」
彼女の視線はスマホから動かない。愛想笑いすら浮かべないその態度を、僕は好意的に解釈していた。 (みおちゃんはシャイだからな。僕に甘えてくれている証拠だ) 周囲からは「パシリにされてるだけじゃん」と陰口を叩かれているのは知っていた。だが、僕は自分のこの体型――100キロを超える巨体――が、彼女にとっての「安心感」や「包容力」として機能していると信じ込んでいたのだ。
僕が隣に座ろうとすると、みおはサッと鞄を置いてそのスペースを潰した。 「あ、ごめんケント。今日、これから他の子来るから」 「そ、そっか。じゃあ、僕はこれで」
去り際、背後から「やっと行ったわ……暑苦し」という小さな声が聞こえた気がした。だが、僕はそれを空耳だと決めつけ、自分の都合の良い妄想の世界へと逃げ込んだ。
その夜。 僕はいつものように、ベッドの上でスナック菓子を貪りながら、スマホを握りしめていた。 今日、彼女にミルクティーを渡した時の「ありがと」という言葉。あれはきっと、脈ありのサインだ。これまでの献身的なサポートが、ついに実を結ぼうとしている。
自信があったわけではない。ただ、この曖昧な関係に名前を付けたかった。 「優しいクマさん」というポジションから、「彼氏」へと昇格するために。
指についたスナックの粉を舐めとり、僕はLINEのトーク画面を開いた。
『みおちゃん、今日もお疲れ様。あのさ、大事な話があるんだ』
送信。 心臓が脂ぎった胸の中で暴れる。 数分後、既読がついた。
『なに?』
素っ気ない返事。緊張で指が震える。僕は深呼吸をして、何度もシミュレーションした言葉を打ち込んだ。
『ずっと前から好きでした。僕のみおちゃんへの気持ちは誰にも負けないと思う。もしよかったら、付き合ってください』
送信完了。 やった。言ってやった。 僕はスマホを胸に抱き、天井を見上げた。彼女ならきっと、「驚いたけど嬉しい」と言ってくれるはずだ。もしかしたら、「私も待ってたよ」なんて返ってくるかもしれない。
通知音が鳴る。 僕は弾かれたように画面を見た。
そこには、想像していた長文の返信も、照れているスタンプもなかった。 表示されたのは、たった二行の、氷のように冷たい文字列だった。
『は? 無理なんだけど』 『正直ずっと迷惑だったし、身の程知らずすぎ。きも』
思考が停止した。 「きも」。 その二文字が、網膜に焼き付いて離れない。
迷惑だった? 身の程知らず? 意味が理解できないまま、呆然としていると、追撃の通知が来た。
『てかさ、いつも汗かいてて生理的に無理だし、パシリに使ってただけなのに勘違いしないでくれる? ブロックするね』
その直後、トーク画面の彼女のアイコンがデフォルトの人型に変わった。 「メンバーがいません」という無機質な表示。
ブロックされた。 拒絶された。 いや、それ以前に、僕は最初から人間としてカウントされていなかったのだ。
「……あ」
喉から乾いた音が漏れた。 「癒やし系」でも「テディベア」でもなかった。 僕はただの、便利で、そして「気持ち悪いデブ」だったのだ。
彼女が部室で見せていたあの笑顔は? あれは、ただの嘲笑だったのか。 僕が貢いだお菓子やジュースは? ただの集金システムだったのか。
「きも」
その言葉が、頭の中でリフレインする。 鏡に映った自分を見る。そこには、ただ太って汗ばんだ、醜い男が一人。彼女の言う通りだ。こんなのが彼氏面をして告白してくるなんて、ホラー以外の何物でもないだろう。
熱かったはずの身体が、急速に冷えていくのを感じた。 手の中のスマホが、鉛のように重かった。 僕はその場に崩れ落ち、二度と届かない画面に向かって、声にならない嗚咽を漏らし続けた。




