第八話 「二人の食卓、三人の沈黙」
王宮の夜は静かだった。
政務が一段落したこの日、カイゼルは珍しく、自ら晩餐の席を整えさせていた。
「……私と、セリーヌと、あなたの三人で?」
夕方、セリーヌからその話を聞いたレティシアは、目を細めた。
「この構図、どう考えても“修羅場”では?」
「私もそう思いましたわ。でも、陛下が“これでこそ意味がある”って」
「何の意味よ……」
「さあ?」
曖昧に笑って肩をすくめるセリーヌに、レティシアは深いため息をついた。
かくして、夕刻。
金と群青で彩られた晩餐室には、三人の姿があった。
カイゼルが中央に、右にレティシア、左にセリーヌ。
完璧に整えられた食器、香ばしい肉の香り、吟味されたワイン。
音楽はない。楽団もいない。
ただ、ナイフとフォークの音が静かに響いていた。
……気まずさの権化だった。
レティシアはサラダを一口。
セリーヌはワイングラスをくるくる。
カイゼルは、あえて空気を読まないフリでパンをちぎっていた。
「……これは、何の罰ですか?」
ついに堪らずレティシアが呟いた。
「晩餐会だよ」
「こんなに沈黙の続く晩餐会、聞いたことありません」
「君の政治的交渉相手の顔ぶれよりは、穏やかだと思うけど」
「セリーヌが“陛下の愛人”という状態で、穏やかとはとても……」
「じゃあ、やめる?」
セリーヌがふいに言った。
「この役目。もう降りてもいい?」
その声には、笑いも皮肉もなく、ただ、真摯な響きだけがあった。
レティシアは息を飲んだ。
カイゼルが、ゆっくりとセリーヌを見る。
「……それは、レティシアが決めることだ」
「違うでしょ」
セリーヌはワインを一口。
「最初に“この役をやれ”って言ったのはレティシア。
でも今、それを黙って見守ってたのはあなたよ、陛下」
「……」
「私はね、嫌じゃなかったのよ。
王妃の為になら、それでいいと思ってた。けどね――」
言葉が止まり、部屋に重い沈黙が落ちた。
その空白の中で、ようやくレティシアが口を開く。
「……ごめんなさい」
「え?」
「私は……あなたを利用した。
感情を遮るために、あなたを差し出した」
「……そんなふうに思ってたの?」
「2人に甘えていたのかもしれない」
セリーヌの手が止まる。
その瞳に、少しだけ涙のような光が差した。
「……ずるいわよ、レティシア」
「ええ。ずるいわね、私」
「2人とも私にとっては特別だから、なのに、本当にごめんなさい」
それは、初めての告白だった。
それも、恋ではない。
けれど、それ以上に深い“情”のようなもの。
カイゼルが静かに言う。
「セリーヌ。ありがとう」
「……言われたくなかったな、その言葉」
「なぜ?」
「その一言を言われたら、もう何も言えなくなるじゃない」
そして、セリーヌは椅子から立ち上がる。
「……私だって、陛下と同じくらいレティシア様が大切なのよ」
「……うん」
レティシアは、はじめて“表情”を緩めた。
「だから、レティシア様には陛下ときちんと向き合って欲しい、小賢しい事抜きでね。茶番には充分付き合ったんだから、あとは自分でどうにかしてくださいよ?」
セリーヌはそう笑うと踵を返し、「2人ともほんと手のかかる」と言って出て行った。
ドアが静かに閉まり、ふたりきりの空間が残された。
その静けさの中で、カイゼルが呟いた。
「君が少しずつ変わっていってるのを見るのも楽しいよ」
「……変化は、怖いものよ」
「俺にはご褒美だ」
「……少しくらいはね」
それは“告白”でも、“愛の言葉”でもない。
けれどカイゼルには、それで十分だった。
「ありがとう、レティシア」
彼女の名前を、まっすぐに呼ぶ声だけが――
その晩餐の最後を、優しく締めくくっていた。