第三話 「王妃、帝国会議を制す」
「帝国評議会に、皇妃が出席……?」
老宰相・バルデンが、いかにも信じられないといった顔で眉をひそめた。
「女が、だ。陛下。女がだぞ。たとえ皇妃であろうとも、この場に出るというのは……!」
「発言を慎め。彼女は帝国皇妃であり、政治家だ」
王座の上から、カイゼルが静かに告げる。
その声に、評議会の空気がわずかに揺れた。
だが、真に場を動かしたのは、次の瞬間だった。
扉が開き、銀糸を織り込んだ深紅のドレスを纏ったひとりの女性が、優雅に歩み出てきたのだ。
「グレイス家令嬢にして、セラフィア帝国皇妃、レティシア・フォン・グレイス。ご挨拶申し上げます」
会釈ひとつ。
その所作の一挙手一投足に、礼儀と格と才覚の全てが滲み出る。
ざわめきが広がる中、彼女はゆるやかに口を開いた。
「陛下のご厚意により、僭越ながら本日より評議会の末席に加えさせていただきます。とはいえ、私の役目は一つ――“帝国を前へ進める”こと。それだけですわ」
誰も返す言葉がなかった。
その場の全員が、一瞬で飲まれていた。
彼女はそのまま、自席へとついた。
カイゼルの隣。
皇帝の右手――宰相の席ですらなかった。
それは、「女だから」の拒絶を受け付けないという宣言だった。
会議が始まると、レティシアの実力が次々と明らかになる。
帝国北方の鉱山労働争議の話題が出たとき。
「北部鉱山組合に任せきりにするのは危険です。ストライキが頻発すれば、鉄の流通が滞り、軍備にも支障が出ます。ここは帝国が“公益調停機関”として間に入るべきです」
「しかし、そうなれば予算が……!」
「ならば、南方農地への水利整備予算を削ればよろしい。収穫率は昨年も平年並み。人員を一時転用すれば済む話です」
たたみかけるような分析と、数字に基づく提案。
老臣たちは徐々に口を閉ざし、カイゼルはただ、笑みを浮かべていた。
「やはり、君をここに呼んで正解だった」
その言葉に、レティシアはちらと目を向けた。
「お褒めいただくのは光栄ですが。……誰が聞いているかわからぬ場では、私情はお控えください」
「そっけないな」
「お仕事中ですので」
ただそれだけのやりとりなのに、侍従がなぜか赤面していた。
カイゼルは、無意識に甘くなっていた。
いつしか、彼女との距離が縮まっている気がして。
けれど、レティシアの表情は変わらない。
“この関係は、職務上のもの”
*
会議後。
レティシアは一人、中庭の東屋で風を受けていた。
「……なぜ、ああも見下してくるのかしら。女というだけで」
その手には、評議会資料が挟まれたままのフォルダ。
一枚一枚に、彼女の筆跡で注釈がびっしりと書き込まれている。
セリーヌが、控えめに声をかけた。
「お疲れでしょう。お茶でも――」
「要らない」
きっぱりと、拒絶。
けれどその声に、疲労がにじんでいた。
「……あなた、陛下に何か言われたの?」
「……とくには?」
「私は、ただ政を担いたいだけ。
それなのに、どうしてあの人は……“私のすべて”を欲しがるような目をするのかしら」
「わからないなら、無理してご理解なさらずとも」
レティシアは、眉をひそめた。
「理解できない事をそのままにできない性分なのよ」
「……あの方は、手に入れたいとは言っていませんよ。
ただ、“一緒に居たい”と、それだけを望んでらっしゃる」
レティシアは、応えなかった。
けれど、セリーヌには見えていた。
彼女の手が、ほんの少しだけ震えていたことを。
その夜。
カイゼルは寝室の窓辺で、書きかけの書状を前に悩んでいた。
「……この言葉で、足りるか?」
誰にともなくつぶやく。
“レティシア。君がもし、この国の未来に希望を抱けるなら、
俺はその道を、君が望む形で開いていきたい。
たとえその道に、俺の姿がなくとも”
そんな文面を、彼女に渡していいものか。
言葉は、時に暴力になる。
彼女が今、必死で戦っているのなら、
彼女が望むものは、ただの沈黙と、支えであるべきだ。
――余計な感情を、持ち込んではならない。
カイゼルは筆を置き、しばらく天を仰いだ。
「……神よ。私はこの国を利用してでも彼女の隣にいたい」
彼は、祈っていた。
愛が届くことをではなく、
“彼女の望む未来”が、叶えられることを。
その頃、レティシアは静かに、書斎の窓辺で本を閉じていた。
――“余計な感情を持ち込んではならない”
それは、彼女が自分に課していた信条だった。
けれど、彼の言葉や視線が、少しずつ、
その信条を緩ませていく。
“ 「俺は、君が王妃でい続けるために、存在している」”
その言葉だけが、いつまでも頭の奥に残っていた。