女として、王妃として
グレイス公爵邸・書斎――
夕暮れの光が窓から差し込む中、
レティシア・フォン・グレイスは書類の山を前に静かに立っていた。
貴族間の縁談。王族からの打診。隣国との政略婚。
そのどれもが“女である私”に許された、数少ない政治の入り口だった。
だが、レティシアは全てを断ってきた。
「どの結婚も、“夫の影”として名を残すだけ。
それで何が変わるの?」
そんな中、最後に届けられた一枚の文書。
《皇帝陛下・カイゼルより、政略婚の申し入れ。》
その名を見た瞬間、胸の奥が、静かに揺れた。
「貴族でも、王族でもない者が、帝国の“上”に立った」
「血統も家柄も超えて、“形を描いた者”が選ばれた――
ならば、“女”であることも超えられるはず」
彼の隣に立てば、私はただの“飾り”では終わらない。
“構造の中に、手を入れる権利”を得られる。
「お見合いは、すべて断られていましたよね、レティシア様……
なぜこの方だけ……?」
侍女の問いに、彼女は静かに微笑んだ。
「これは“結婚”じゃない。
帝国を変えるための、“侵入許可証”よ」
その夜、誰にも見られぬように閉じた日記に、こう書き記す。
「帝国は、“男の帝国”だった。
でも今は違う。名もなき男が王になったのなら――
女である私も、“構造そのもの”になる」
帝国歴820年・初秋――
王都では、皇帝と王妃が揃って“初めて”外交の席に現れるとあって、
政界は静かな緊張に包まれていた。
会場は帝都中央の迎賓宮。
列席するのは、他国からの特使、帝国議会の上層部、そして王家に近しい貴族たち。
だが、招待状には一言だけ添えられていた。
《この式典において、祝辞も挨拶も必要としない。
帝国は、姿をもって語る。》
式典当日――
カイゼルは白の軍装に、王印を模した銀の徽章。
レティシアは青銀のドレスに、王妃の証である緋色の肩飾りをまとい、
二人はほぼ同時に現れた。
口を開く者はいない。
ただ、空気が凍るほどの静寂の中、二人は壇上へと上がる。
「並んでください、陛下。これは“式”ではなく、“示す場”です」
「……理解している。君の意図も」
壇上に並び立ったその瞬間、
まるで帝国の“左右対称”が完成したかのような、異様な緊張が解けた。
他国の使節が思わずつぶやく。
「……あれが、新たな帝国の姿か。
かつては“王と影”だった。今は、“二つの核”だ」
式典終了後――
カイゼルとレティシアは同じ馬車に乗るが、言葉は交わさない。
ただ、窓の外を見つめながら、カイゼルがぽつりと呟いた。
「今日、君が王の隣にいたことを――
帝国の半分は救われたと思う者がいるだろう」
「それで、もう半分は?」
「……それをわからせるのは、これからだ」
レティシアは、微かに唇を歪めた。
「なら、証明して。
“王妃が必要”とあなたが本気で思っているのなら、
私を必要としない帝国の姿を、あなたが塗り替えてみせると」
カイゼルはその挑戦に、ただ一言返す。
「望むところだ。君が隣にいるなら、前方の構造は、誰より正確に描ける」
形式上の夫婦。
だが、背負う帝国の形は、ようやく“対を成す”。




