外伝第5話:その名を刻む者 ―参謀カイゼル、帝国を設計す―
帝国歴815年――
中尉から“特命参謀”へ。
カイゼルはついに、帝国軍の中枢において“設計者”としての責務を担い始める。
各戦線への補給網の見直し、
階級別人事の再編成、
敵国動向を踏まえた新戦略立案――
彼が携わった作戦は、全て“数字と結果”で証明された。
そして彼の“名”は、ついに軍のすべての階級で囁かれるようになる。
「この国の未来を、あの男が図面にしている」
「カイゼル。名もなき孤児が、帝国を設計しているらしい」
だがその裏で、帝都では新たな影が動き出していた。
“カイゼルという存在”を疎む者。
“その名”を奪おうとする者。
帝国を設計する者が、その名を奪われるとき――
守るべき“意志”が、再び試される。
帝都・軍本部 戦略局――
静寂のなか、重々しい扉が開く音が響いた。
参謀たちが囲む巨大な軍図。その中心に立つのは、まだ二十歳にも満たぬ若き男――
帝国軍特命参謀、中尉カイゼル。
「北方戦線、第三方面軍の物資補給率が想定の72%以下で推移。
理由は“地形の影響”と報告されていますが、実態は……」
彼は、戦略図の一角に印を打った。
「……補給隊長が一度も現地に足を運んでいない。
地図と報告だけで“無理だ”と判断した結果です」
「では代案は?」
「ここを通す。かつて私が伝令で走った“細道”です。
通常の補給馬車は通れませんが、“二輪手引き”なら、三日以内に再補給が可能です」
重臣たちが静まり返る中、参謀長のひとりが低く呟いた。
「君は……軍図の上に、記憶を刻んでいるのか」
カイゼルは応えた。
「私は“地図を見る者”ではありません。“地図を歩いた者”です」
その言葉が帝都に広がったのは、わずか一週間後だった。
《軍図を歩く参謀》
《名なき者、帝国を設計す》
各地の将兵たちは、その名を口にしながら戦った。
「カイゼルの線が引かれてる。なら、負ける気はしない」
「歩いた道で設計された戦術なら、俺たちが生きて帰れる」
名もなき孤児が、帝国の“未来の道筋”を描き始めていた。
帝都・貴族議会内諮問室――
「また名のない男が軍を動かしていると?」
「だがあれは、諜報局も戦略局も後押ししている。容易には外せん」
「……だからこそ問題だ。“家”を持たぬ者が国を設計していいはずがない」
帝国貴族評議会の一部では、すでにカイゼルの存在が“秩序を乱すもの”と見なされ始めていた。
その噂は、やがてひとつの動きへと結実する。
・“カイゼルの出生記録”の精査
・称号の剥奪提案
・出目を持たぬ者は中尉相当官職に就けないという“慣例の再確認”
「中尉カイゼル殿、帝国軍法第十八条第七項――
“氏族名の未登録者は、上官指令権を有しない”という旧法に照らせば、
貴殿の権限には疑義が生じる恐れがあります」
参謀室で読み上げられた言葉に、周囲がざわついた。
だがカイゼルは静かに、ただ一言だけ返した。
「……名が、なければ戦術は届かないのですか?」
その問いに、誰も答えられなかった。
その日の夜、カイゼルは軍法資料室の端にある小さな戸棚を開いた。
そこには、旧法の注釈が記された一冊の本が残されていた。
《名は“地位”ではない。“責務を刻む印”である》
その一文に、彼はそっと手を伸ばした。
*
翌朝、彼の机には一通の私信が置かれていた。
差出人――帝国軍最高司令官、アリステア・フォン・バルネロス。
その中には、こう書かれていた。
《そなたの名は、もうこの帝国の歴史に刻まれている。
――名を持たぬ者が、名を築く。私は、それを誇りとする》
“名を持たぬ者”が、“名を持つ責任”を受け入れる朝だった。
帝都郊外・戦略演習場――
春の霞が薄く揺れる早朝、
カイゼルは軍本部の演習地で、小規模な指揮訓練を行っていた。
「この経路を選んだ理由は?」
「敵が見落とす“当たり前”を使うためです。
誰もが通らない場所は、最も強固な通路になります」
彼の言葉に、若い士官たちは頷きながら地図を見つめていた。
その時――ひとりの軍吏が、息を切らして駆け込んできた。
「中尉殿……帝都で、名を騙った“偽カイゼル”が現れました」
「……どういうことですか?」
「帝国補給庁の記録に、“カイゼル”名義で補給命令が出されています。
内容は、帝国東部への軍資流用。しかも承認印付きです」
「誰が……?」
「現場では“中尉カイゼル・エントリウス”と名乗っているとのこと。
既にその命令に従い、物資が東部へ輸送され始めています」
その瞬間、カイゼルは立ち上がっていた。
*
帝都・補給庁――
その日の午後、カイゼルは直属の兵を連れて庁舎に踏み込んだ。
「記録調査だ。“カイゼル・エントリウス”という名義は、誰が認可した?」
「そ、それは……命令書に、正規の印が……!」
「偽造です。俺の印は“存在しない”。なぜなら、俺は“名を持たぬ者”だ」
机に並ぶ軍吏たちは沈黙した。
「名を騙るというのは、“責任のすり替え”だ」
彼は地図を広げ、指を一カ所に滑らせた。
「この物資の流れの先にあるのは……“再編された東部派兵”。
つまり――俺の名で、次の戦争が始まろうとしている」
その場にいた全員が、初めて気づいた。
“名”とは、栄光ではない。
それは、“刃”にも“火種”にもなり得る。
そして今、カイゼルは“名”を守るための戦いに身を投じようとしていた。
帝都・中央戦略監査室――
数日後、“偽名義”事件の調査会議が開かれた。
部屋には監査官、将軍職、そして帝国軍司令部からの監察吏が居並ぶ。
その中央に、カイゼルが立っていた。
「今回の不正命令は、補給庁内の文官と、東部駐屯軍の一部指揮官が連携したものと見られます」
「目的は?」
「“次の戦場”を私的に誘導すること。
そして、その責任を私“カイゼル”の名に押しつけることです」
「では、君の名が悪用された――」
「違います。“私が”名を守れなかった。
私が名を持つと決めた以上、その責任は、私自身にあります」
一瞬、場が静まり返った。
その時、アリステアが口を開く。
「……では、君に聞こう。
これから、名をどう使う?」
カイゼルは短く息を吐き、はっきりと言った。
「誰かの盾になるために。
名とは、意志です。私はそれを、誰かが前に進むための“地図”にします」
その言葉に、誰もが心を打たれた。
会議後、カイゼルは正式に“参謀長付き補佐官”として任命される。
同時に、帝国議会は一つの法案を可決した。
《氏族登録を問わず、帝国に尽くした者に“名”を与える》
その制度は“カイゼル条項”と呼ばれることになる。
その夜、カイゼルはひとりで旧戦略図を開いた。
かつて伝令として駆け抜けた山道に、自らの“名”を記しながら呟く。
「歩いてきた道が、名を作る。
ならば――俺は、この国の“名”になってみせる」




