外伝第3話:無敗の伝令、戦場を翔ける
帝国暦813年――
王都軍学校を卒業したカイゼルは、
そのまま現地戦線へ“伝令官補佐”として配属された。
階級はなし。俸禄も最低等級。
けれど、彼が選んだのは“第一線”だった。
彼は命令書の書式を読み込み、前線地図を手書きで複写し、
司令官の意図を正確に“戦場に届ける”ことに徹した。
「伝令一つで勝敗が変わることもある。間違えたら人が死ぬ」
誰よりも真面目で、誰よりも静かに働く少年は、
やがて**“全軍最速・誤伝達ゼロ”**の異名を得る。
それが、彼の“無敗”の始まりだった――
帝国東境・エンツェル平原前哨――
カイゼルの“初陣”は、いきなり実戦だった。
補給線を巡る小規模な戦闘、と言われていたが、
実際は国境侵犯を狙った敵軍の奇襲であり、現場は混乱の極みだった。
「伝令っ、伝令どこだ!」
「南西の丘、包囲されたって報告きたぞ! 司令に知らせろ!」
「伝令は全員出払ってる! おい、そこの見習い――お前行け!」
砂塵が巻き上がる戦場で、カイゼルは初めて“命を運ぶ”任務に出た。
馬も与えられず、徒歩で。
武器もなく、軍服の袖に「伝令布」を巻いただけ。
戦場の真ん中を、ひとり駆けた。
「……後退命令、南西丘陵。包囲解除が間に合わない。優先は……負傷者搬送……!」
必死で走りながら、脳内で命令文を反芻する。
声に出さなくても、意味と順序を誤らないよう、心に刻み込む。
「伝えるべき情報は三つ。順番に、正確に。余計な言葉は足さない」
それが、教官から叩き込まれた“伝令の掟”。
やがて丘陵が見えてくる。煙が上がっていた。
銃声。叫び声。破裂音。
「……行ける。遮蔽物は右の岩場、そこを使えば……!」
カイゼルは一気に斜面を駆け上がり、火線をすり抜けて、戦地の副司令のもとへ到達した。
「報告します――前線司令・第八書簡の伝令。
南西丘陵、包囲突破不可と判断。負傷者の後送が優先。
増援は後方より半刻以内に到着予定。丘の制圧は見送り、撤退を検討せよとのことです!」
副司令は息を呑んでカイゼルを見た。
「……よく来たな。生きて、ここまで」
「伝えるのが、仕事ですから」
それが、彼の初陣だった。
初めて“死地”を越え、言葉ひとつで人の命を救った瞬間。
その日の夜、軍の伝令官たちの間でひとつの噂が生まれた。
「徒歩で、あの火線を抜けた新人がいるらしい」
「一語も間違えず、正確に伝えたってさ。しかも、無傷だ」
それが、無敗の伝令・カイゼルの名が刻まれた最初の夜だった。
それからのカイゼルは、戦場の“鍵”を運ぶ存在として各地に派遣されるようになった。
彼の名は正式な記録にはまだ残っていなかったが、
現場の兵たちの間では「来たら勝てる」「来ないと不安」とさえ言われた。
ある日の作戦会議。
「……敵軍の動きが早すぎる。第二師団が分断されてる可能性がある」
「伝令が届いていない?」
「三度送ったが、二度が行方不明。一人は死体で戻った」
「…………」
沈黙ののち、前線司令がぽつりと口にした。
「カイゼルを呼べ。無理なら“彼に任せる”だけの判断に切り替えろ」
その言葉に、幕僚が苦笑交じりに言う。
「陛下の命令でもないのに、よくそんな言い方を」
「軍は、勝てる手を使うべきだ。それが伝令であろうと、子どもであろうとだ」
カイゼルの伝令スタイルは、常識を覆していた。
目的地までの経路を“地図”と“現地情報”で三案立てる
状況に応じて「話すべき情報」を順序づけ、話法まで設計する
必要なら敵地の中を通っても構わない――ただし**“絶対に伝える”**
その冷静さと速度は、指揮官たちからは「武器」として認識された。
「……最前線に、“武器としての伝令”がいる」
その言葉はやがて、高位軍将校の耳にも届くようになる。
その冬、カイゼルは正式に“伝令官”として帝国軍の名簿に登録される。
それでも階級はまだ最低位。だが彼自身は一言も不満を漏らさなかった。
「俺は、戦場でしか生きられない。
この身ひとつで、命令を運ぶなら、それでいい」
その声に、誰もが「命を預けられる」と感じた。
彼は、すでに“士”ではなかった。
その存在そのものが、“戦術”だった。
帝国歴813年、秋。
カイゼルの名は、ついに軍内報告書に**“通称付き”**で記録されるようになった。
《伝令官カイゼル・通称「無敗」》
《高精度・高速移動・即応型伝達兵》
《第二級軍勲推薦・現地状況判断力において特異性あり》
だが、当の本人は変わらなかった。
幕舎に寝泊まりし、兵と同じ食を摂り、夜明け前から地図と伝達式文を確認する日々。
ある日、将校の息子である士官候補生が、彼を見てこう言った。
「おい、おまえさ。なんで勲章もらってるのにその服なの?
せめて上官用の襟章くらいつければ?」
「俺は、騎士でも貴族でもない。
ただの伝令官です」
その言葉は、兵たちの間で密かに語られる**“名言”**となった。
だが、そんな彼にも試練は訪れる。
敵国からの強襲で後方通信が遮断され、軍の主力が包囲されるという“最悪の状況”。
司令官は顔を青ざめながら叫んだ。
「伝令を飛ばせ! ……だが、誰が行ける?」
「――俺が行きます」
声を上げたのは、カイゼルだった。
「馬も使えない。道もない。行けば死ぬぞ!」
「構いません。“伝えられれば”それでいい」
その覚悟に、誰もが言葉を失った。
その日、彼は三本の矢を受け、深手を負いながらも、主力部隊へと辿り着いた。
伝達は成功。包囲は突破され、戦線は持ちこたえた。
昏睡三日後、目を覚ましたカイゼルに、司令官は勲章を差し出した。
「これは帝国勲章第二位。もはや伝令の域ではない。
君を中尉に任ずる」
カイゼルは少しだけ間を置いて言った。
「では、報告書を書かせてください。……道順と、矢の位置、地形の死角も含めて」
彼の脳は、すでに次の戦のために動いていた。




