上皇と内親王
麗子とかんなが、黒いワンボックスに乗り込もうとする直前、高速で回転するエンジン音が聞こえた。一瞬、ギアが変わったようにエンジン音が低くなるが、強く踏み込まれているようにすぐにエンジンは高い音を奏でる。
二人が音がする方向を見ると、グレーのホンダ車『インテグラ』が姿を現した。
「気をつけろ!」
黒いスーツの男が周囲に警告する。
確かに車は凄いスピードで、道に置かれた発煙筒をギリギリ掠めるように通過していく。
「!」
麗子はドライバーの顔を見てしまった。
「上皇様!」
かんなは麗子の腕にしがみついてきた。
インテグラは砂煙を上げながら、黒いワンボックス車の横を通過する。
黒いスーツの男達は全員体を屈め、車の影に隠れていた。
「い、今の上皇様ですよね」
「他言無用です」
「もっと安全運転しているイメージでした……」
黒いスーツの男はいう。
「いいですか。忘れてください。そして、このことを二度と口にしないでください」
三角表示板をしまうと、黒いスーツの男達は素早く黒いワンボックスに乗り込んだ。
「お二人とも、早くシートベルトして」
「モタモタしていると、追いつかれるぞ」
「急げ!」
黒いワンボックは素早く発進すると、内親王が暮らす借り住まいへと向かう分岐を曲がった。
「とりあえず、こっちに曲がれば大丈夫」
麗子は後ろから迫るエンジン音を聞いて後ろを振り返る。
「もう追いついてきた!」
上皇のインテグラは、麗子達の車が曲がった道をまっすぐ進み、走り去っていった。
「この話を外で話したら…… いいですか?」
「口が裂けても言わないんだケド」
麗子もゆっくりそして深く頷いた。
どういう理由があって御所内をグルグル周回しているのか分からないが、お年の割に上皇は運転が上手いということは言えた。
車がしばらく進むと、内親王が一人暮らししているという仮住まいについた。
「これが噂の」
「ですから、そういう外での下世話な話を内親王の耳に入れないようにお願いします」
「ご本人だってエゴサーチぐらいするんじゃない?」
黒いスーツの男はサングラスを外して睨む。
「自分で目にするのと、直接言葉で聞くのは違います。くれぐれもご無礼のないようおねがします」
かんなは、ヤレヤレ、と言わんばかり両手を広げてみせる。
麗子は黙って頷いた。
「では降りてください」
二人が車からおりると、内親王自ら家を出て二人を迎えにやってきた。
「ようこそ」
「お招きいただきありがとうございます」
「めんどくさいから、普通に話しましょう」
内親王は笑いながら、そう言った。
いたって普通の女性だ。麗子はそう感じた。
だが、国の神事をこなす立場の者だ。本人が出そうとしてなくても、強い霊圧を感じる。
「今日は泊まっていくのよね」
「えっ?」
「あれっ!? 聞いてなかった?」
黒いスーツの男達は麗子達に向けて『紙に書いてあるでしょ』というジェスチャーをする。
「あ、まさかここに泊まるとは思ってなくて」
「わざわざ寝る為だけに宮内庁の施設まで戻るのは大変だし、準備も出来てるから遠慮しないで」
黒いスーツの男達が、内親王の前に並ぶ。
「何かございましたら、お呼びつけいただければ、すぐに参りますので」
「ええ、分かりました。今日は下がっていただいて結構よ」
「承知いたしました」
黒いスーツの男達は頭を深く下げると、黒いワンボックスへ整然と乗り込んでいった。
内親王は家の扉を開くと、二人に入るよう促した。
麗子達は自分たちのバッグを持って、家に入った。
麗子は受け取った紙に素早く目を通した。
どうやら、各々の部屋割りも決まっているようだった。
「部屋は紙に書いているから、わかるわよね。荷物を置いたらリビングに来て頂戴。待ってるから」
「はい」
内親王が住む何億の家というが、城のように大きいわけではない。
トップユーチューバーの方が何倍か凄い家に住んでいると麗子は思った。
割り当てられた部屋に荷物を置き、ベッド腰掛けると指示が書かれた紙に軽く目を通す。
一息つくと、麗子は制服を整え、部屋を出た。
「かんな、あれ、もう行ったの?」
リビングに行きかけた時、扉が開いた。
「……か、完全に眠りかけてたんだケド」
「あんな一瞬で?」
「寝るには十分なんだケド」
麗子はフラフラしている橋口の肩に、叩くように手を置いた。
「しっかりしてよ」
二人がリビングにつくと、内親王は笑顔で迎えてくれた。
その微笑みを見ると、駆け落ち同然で結婚した姉より、人気があるのもわかる気がする。
「せっかくのお泊まりなので、三人で料理バトルしましょう!」
「えっ、イヤなんだケド」
「ダメよ、今日、料理人は呼んでないし、ここには材料しかない。だから、今から私たちで作るしかないの」
だからといって『料理バトル』というのはなんなのか?
どんなことをするのか、説明も何もないままやることだけが決まってしまう。
麗子は急にこの妹がなかなか結婚しない理由がわかった気がした。
あまりに唐突で自分勝手だ。
彼氏になった人はこのペースに振り回されて、疲れてしまうのかもしれない。
「大丈夫、自分が食べたいとか好きな料理、あるいは、得意な料理を一人分作るでしょ。三人がそれぞれ一人分を作ったら、三人前になるじゃない。それを互いに味見して、最高だった料理に投票するの。コンロは四つあるし、食材はたくさん用意してあるから安心して」
「さっきから言っている通り、拒否するんだケド」
「例の件を調査する前に、これくらいの楽しみがあってもいいでしょ。拒否できないから」
内親王はやはり譲らない。
「どんなものを作ってもいいんですか?」
「ええ、そうよ。好きなものを作って」
「麗子はやる気でも、私は拒否するんだケド」
内親王は笑いながら橋口の肩をだき、笑顔のままキッチンに連れていく。
「さあ、やりましょう。時間制限は一時間ね」
そのまま、なし崩しにタイマーが動き出し、三人の料理バトルが始まった。
内親王はこの家で一人暮らしをしているからか、かなり手慣れた様子で煮物や味噌汁、ご飯に焼き魚を作っていく。
麗子は包丁の握りからして怪しく、内親王が三品ほど作ったころ、ようやく、切りすぎてぐちゃぐちゃになったトマトがのった、奇怪なサラダを仕上げていた。
橋口は、肉を焼いたり、切って炒めるようなことを繰り返し、酒のつまみのような皿がいくつか出来上がっていった。
「拒否してた割にはやるじゃない」
「私は自分のために拒否してたんじゃないんだケド」
内親王は麗子の方をチラリと見て頷いた。
「友達思いなのね」
三十分を残して内親王と橋口は、一人前の食事を作り終えた。
麗子は柵になっている魚の身を、切って刺身にしようとしていたが、手にした包丁が大きな中華包丁であり、橋口が慌てて止めに入った。
「麗子、刺身にするなら、こっちの包丁と取り替えるんだケド」
「えっ、そうなの?」
「そんなのでやったら身が潰れてしまうんだケド」
橋口が柄を麗子に向けて、包丁を交換しようとすると、麗子は刃の方を向けてきた。
「怖い怖い」
橋口はそう言いながらも麗子と包丁を交換した。
刺身包丁を使ったが、慣れていないものを使うのは無理があった。
美味しそうには見えないものの刺身らしきものが出来上がり、レモンを手で絞ったよくわらかないタレができたところで時間が来た。
麗子はやり切ったような表情で、額の汗をハンカチで拭った。
料理バトルの勝者は麗子の一票が入った内親王の勝ちだった。
謎のタレで食べる刺身と、奇怪なサラダは食べ慣れない味ではあったが、不味くて食べれないものであっただけ救われ気がした。
橋口は内親王にだけ聞こえるように言った。
「やっぱりいろんな意味で拒否すれば良かったんだケド」
内親王も麗子に聞こえないよう、小さい声で橋口に言う。
「誰でも一つや二つ得意料理があると思っていた過去の自分に、間違いだったと言ってやりたいわ」
「何かいった?」
内親王は橋口と声を揃えて言った。
『別に(なんだケド)』