決着
巨大な柱が並び立つ空間。
周囲の全てはコンクリートで固められた巨大なトンネルだった。
麗子は、神殿のように見えるこの場所に見覚えがあった。
確か首都圏外殻放水路の中の調圧水槽、俗に地下神殿などと呼ばれて見学者が訪れる場所だ。
だが今は見学者も、流れ込む水もなく、ただ広くて暗い空間だった。
何故こんなところにいるのか。
彼女はこれまでの経緯を思い出していた。
二人は不発弾処理場にいたはずだった。
麗子は、雪音が作り出した泥人形に踏み潰されそうになった。
一般的なゴーレムとは違い、その額にあった歪な『土』という字に、麗子は縦線を追加して『止』とした。
そうすることにより泥人形は停止し、崩壊した。
だが、雪音も、麗子も、その崩れていく土砂に飲み込まれてしまった。
あの土砂の中に、もう一人、誰かいた?
はっきりとは覚えていないが、雪音ではない誰かが、落ちていく土と舞い上がる土煙りの間に見えた。
「……」
もしかすると、雪音もこの近くに飛ばされているかもしれない。
麗子はスマホのライトをつけて周囲を見回した。
広い空間の中ではスマホのライトで照らされる範囲はすぐ近くの小さな領域に限られる。
必死に腕を振りながら探し、歩いていると背後に気配を感じた。
「雪音!?」
口にしてから、その答えが間違っていることに気づく。
スマホを振り向けると、ライトに照らされた者の姿が見えた。
その者は見えている皮膚が全て爛れていた。
左肩が落ち、足を引きずっている。
そんな中、歯だけは異様に発達していて、牙まで生えていた。
「こんな中でも、ゾンビを作れるの?」
麗子は彼女たちがケースに入れて持ち運んでいた不発弾を使ってゾンビを作り出しているのだと思っていた。
「素材があればいくらでも作り出せるわ」
麗子は声がする方向にスマホのライトを向ける。
光は近くのゾンビに当たってしまい、奥までは届かない。
数体のゾンビが並び、さらに下のコンクリートからいくつかのゾンビが湧いて出てく流ところだった。
その後ろに、うっすらと雪音の姿が見えた。
作れるとは言ったが、作るのには彼女の『霊力』が必要だ。
ただ、彼女の霊力は麗子が扱うものとは異なり、不浄な力だ。
霊力は限られた清冽なものから、あちこちに散らばる不浄なものへと変わっていく。
それはまるでエントロピーと同じようだ。
不浄なものはそこここに存在する。
だから体の中で作られるのを待つだけでなく、周囲の力を集めて再利用することも容易い。
雪音もおそらくそういう力を使っているのだ。
この超人工的な空間においては、より不浄な力を集めやすい。
麗子は右手の指を使って銃のように組んだ。
その突き出した人差し指の先端に、霊光を集めた。
霊弾を撃とうというのである。
「!」
麗子が指を向けると、向けた方向のゾンビは散り散りに逃げていく。
「速い」
この様子だと当てれても数体だ。
霊弾を撃てる回数と、ゾンビの数を考えると麗子が圧倒的に不利だ。
雪音自身に撃てば良いが、もし雪音を狙えば逆に霊弾をゾンビが受けてしまうだろう。
そして次弾を用意する麗子に、近くにいたゾンビが襲いかかる。
そこまで考える間に、麗子は走り出していた。
とにかく逃げて、時間を稼がないと……
ゾンビの追いかける速度は遅いが、逃げれば逃げるだけ時間が経って数が増えてしまう。
迷わず雪音を撃っていた方が正解だったのかも。
麗子は巨大な柱の影に走りながら、自問自答する。
ゾンビの集団とは距離を取れたところで、暗闇を振り返る。
そこには巨大な地下空間の闇が広がっているだけ。
雪音の姿は見えない。
だが、いる場所はわかる。
空間の不浄な霊力が、彼女に集中していくからだ。
麗子にはそれが見えた。
「……」
雪音に勝つ方法の一つが頭に浮かんでいるのだが、それを実行しようという決断に踏み切れなかったのだ。
そのためにはこれ以上離れるわけにはいかない。
ゾンビは数を増やし迫ってくる。
直接麗子が見えなくなったゾンビ達。
奴らは柱を目の前にして、右にいくか、左にいくか悩んでいるようだった。
まずい……
麗子は柱の影から出た。
「ここよ!」
ゾンビたちは一斉に麗子の方を向いた。
やるしかない。
これだけの距離があると外れる可能性が高い。
麗子は指で銃の形を作り、人差し指の前に霊光を集めた。
噛まれる。
ゾンビとの距離はギリギリだった。
引きつけた上で、霊弾を放った。
一体、その後ろの一体、と順番に霊弾に倒れ、消え去っていくゾンビ。
だが、いつも撃ち出した時に失われているはずの霊光は、彼女の指先で灯ったままだ。
連続して撃っている、あるいは、細く長く撃ち出しているのだ。
霊弾は、ゾンビをなぞるように曲線を描き進んでいく。
麗子の表情が、険しく、つらそうに変わった。
おそらく、強い霊弾を一度に撃つのと、伸ばすように曲げて撃つ、ということが同じぐらいの霊力を必要とするのだろう。
いつの間にか麗子の左手が、撃っている右手を支えていた。
「まさか!?」
全てのゾンビを倒し切った霊弾が、そのまま雪音を目指して飛んでいく。
長く尾を引くように、霊光は麗子の指先まで繋がっている。
雪音は避けようと下がったが、足を引っ掛けて倒れてしまう。
両手を前に伸ばして、霊光を手で受けようとした。
霊光はその手に当たる。
雪音の中にある霊力が、霊弾の接近を打ち消していた。
だが、それにも限りがあった。
長い尾のような霊光が消えて、雪音の方へ集束してきた。
至近距離から、大型の霊弾が雪音に衝突した。
身体中の霊力がその霊弾に対抗する。
相当数のゾンビを作るのに消耗している彼女は、ついにその場で力尽きた。
うっすらと見える雪音の影が、倒れたことがわかると、麗子もその場に座り込んでしまった。
「勝った」
全てのゾンビを浄化し、曲がる霊弾を撃った。
そうやってギリギリまで霊力を使い果たした麗子もまた、力尽きていた。
アリスは救急隊員と共にある場所に急いでいた。
その場所は、地下に首都圏外殻放水路の調圧水槽だった。
不発弾処理の現場から、忽然と姿を消した二人を追って、アリスのトランプが示した場所だからだ。
あの二人の力に、空間移動が出来る能力はない。
処理場にもう一人、能力者がいたのだ。
橋口でもなく、雪音の仲間のカカシや、ブリキでもない誰か。
調圧水槽に立つと、ようやく上部についていたライトが点いた。
コンクリート製の地下神殿のようなこの場所に、人が倒れている。
救急隊とアリスは駆け寄った。
「麗子ちゃん!」
言葉に反応はないが、呼吸はしている。
すぐに救急隊員のもつストレッチャーに乗せられ、麗子と雪音が連れて行かれた。
この二人がかなり距離を開けて、倒れていた以外、この場所には何も残っていない。
この場に空間転送したと思われる者の気配も、何もない。
「……」
誰が、何の目的でこの場所に。
二人に決着をつけさせる気だったのか、それとも処理場から目を逸らすためか。
処理場にはまだ鑑識など、警察がいる。
だとすると、この場で二人が戦うのを見ている誰かがいたはずだ。
アリスはそのまま外殻放水路の管理事務所へ向かった。
監視カメラに何か第三の人物の手掛かりが映っていないかと調べるが、その場で見た限りは何も映っていなかった。
映像を提出するように伝えてアリスは事務所を後にした。