命令解除
麗子は目の前のゾンビに対して、霊弾を撃つ準備をした。
指先に霊力が集まり、光り始めた。
何体も出てくるゾンビを、全て片付けられるだろうか。
「しまった!」
余計なことに意識がいったせいか、後ろにゾンビがいることに気づくのが遅れた。
後ろを撃つために振り返っていたら、前のゾンビに噛みつかれてしまう。
「麗子!」
橋口の声で動揺した麗子は、足を滑らせて転んでしまった。
噛みつかれる……
そう思った時、前後のゾンビの動きが止まり、霧にもどると光りながら消えていった。
「どうして!?」
「アリスがやってくれたんだケド!」
アリスが? どこにもいないのに? 麗子は意味がわからなかった。
「ゾンビがシンクロしているんだケド」
とにかく、助かった。
麗子はたちがると、他のゾンビに囲まれる前にその場を離れた。
見ていると、ゾンビが現れては消え、現れては消えていた。
麗子は雪音から離れて、橋口に合流した。
「これ、どうなってるの?」
「不発弾の現場でもゾンビが出てるらしいんだケド」
「シンクロしてるから、シンクロしている先で浄化されると、こっちでも消えるということ?」
橋口はなんとなく頷いた。
「……と思うんだケド」
麗子と橋口が見つめる中、ローム大のキャンパス中央にある広場で、雪音は大きな筒の前に腰を下ろし呪文を唱え続けていた。
麗子は鉄葉を倒したものの、次々に現れるゾンビのせいで雪音に近づくことができず、術を止めることが出来なかった。
彼女の目の前にある筒の絵柄は、彼女の呪文の詠唱に応じて、光ったり消えたり、点滅して反応している。
目の前の『筒』は呪物で、雪音がその力を引き出してゾンビを作り出しているのだろう。
人ひとりの力で完全霊体を作ることは容易いことではないからだ。
「……」
ゾンビは生まれては消えていく。
彼女の中で、どれくらいの霊力があったのだろう。
橋口がハイパー化した時のような状況なのだろうか。
「雪音!」
と、広場にいた雪音の仲間の一人、カカシ役の案山が呼びかけた。
「もういい、これ以上やったら死んじまうぞ!」
麗子は雪音の様子に気づいた。
彼女の顔に血が流れている。
涙のように、目から血を流しているのだ。
「まずい」
麗子は雪音に近づこうとするが、ゾンビが出現してしまい、踏み込めない。
「雪音さん、無理です。あなた、体の限界が」
「……」
彼女にはカカシの声と同様、麗子の声も届かないようだった。
「雪音さん!」
麗子はゾンビやその元となる黒い霧を避けながら、雪音と筒の間に割り込んだ。
「危ないんだケド!」
麗子に噛みつこうとしたゾンビは、噛み付く寸前で、固まり、消えた。
麗子は彼女の額に手を触れると言った。
「命令、白土雪音、今この場で眠りなさい!」
そのまま仰向けに倒れ込む雪音。
麗子は彼女の体を受け止めて、ゆっくりとその場に寝かせる。
「雪音の様子がおかしいと思っていたが、お前の『命令』が入っていたのか!?」
案山は麗子の腕を捻りあげると、喉元にナイフをかざした。
「おとなしくじっとしていろ、でなければ刺す」
麗子は彼が本当に刺すとは思えなかったが、だからと言って、逆らうことも出来なかった。
「あなたたち、こんなことをしてただでで済むと思ってるの?」
「ただで済むとは思っていないさ。だが、この場で捕まらなければ逃げることはできる。証拠がないからな」
案山にひねられた腕を引っ張られ、麗子の顔が歪む。
雪音から十分離れると、案山は麗子の足を引っ掛けて倒した。
ロープを手にして、そのまま麗子におおいかぶさろうとする。
「ふざけんな! なんだケド!」
橋口は勢いよく突っ込んできて、姿勢を低くしていた案山の背中を蹴り飛ばした。
前傾姿勢だった彼は、ロープとナイフを捨て、勢いよく転がった。
「何しやがる」
言いながら、ヨロヨロ立ち上がった。
麗子を抱えて、起こしながら橋口は言った。
「それはこっちのセリフなんだケド」
「鉄葉、起きろ、起きて雪音の『命令』を解くんだ」
案山がそう言って頬を叩くと、鉄葉は頭を抱えながら起き上がる。
「……いてて」
「おい、鉄葉、聞いてたか? 雪音を頼む」
鉄葉は雪音の上に跨ると、胸骨を圧迫し始めた。
「おい!」
そして、気道を確保すると口を開けて息を吹き込んだ。
「麗子、今、キスしたんだケド」
「そんなんで私のオーダーを解けるの!?」
「……ツッコミどころが違うんだケド」
橋口は手のひらを上にして、肩をすくめた。
「鉄葉、お前!」
案山は鉄葉の首を腕で引っ掛けて、引きずり倒した。
「二人で雪音さんを取り合ってるようにしか見えないんだケド」
雪音は目を閉じたまま上体を起こすと、突然目を開いた。
「二人とも何やってるの! 早く筒をジュラルミンケースにしまって」
『雪音!』
二人は突然、正気に戻った雪音の指示に慌て、片付け始めた。
「逃がさない」
麗子が雪音に近づくと、鉄葉がスッと間に入る。
「さっきは何か憑きモノがいたみたいだが、今度は負けないぜ」
鉄葉は軽く拳を握ってファイテンングポーズをとった。
麗子は素早く距離をとる。
彼に麗子の中にいた狐が消え去っていることがバレている。
さっきのレベルで戦われたら、本来の麗子の能力では勝てないことが明白だった。
「そういう勘はいいみたいだな」
「こんなやつ、まともに相手しなくていいんだケド」
橋口は懐からバラ鞭を取り出した。
「武器があったって、使う人間の力量が大きく違うんだから勝機は俺に……」
言っている間に、橋口のバラ鞭のフサは伸びていき、鉄葉の肌に触れた。
「そこで眠るんだケド」
鉄葉は突然、震え始めた。
そして脱力して膝をついてしまう。
「な、何を……」
何かにすがるように宙に手を伸ばすが、何かを掴めるわけでもなく、うつ伏せに倒れてしまった。
案山が鉄葉を抱き抱えると言った。
「何をした!」
「立ってられないほど霊力奪っただけなんだケド」
どんな人間にも霊力はある。だが、その量は多くないし、橋口や麗子のような使い方ができないだけだ。その全てを失えば死んでしまうが、適切に奪い取れば行動を制限することができる。橋口はバラ鞭を使って、抵抗できない鉄葉からバラ鞭を通じ、彼の身体の中にある霊力を奪ったのだ。
「宗、放っておいて、逃げるわよ」
「わ、わかったよ」
雪音は走り出した。
それを追う案山は、ジュラルミンケースの取手を引き、ローラーで転がしながら逃げていく。
「待ちなさい!」
「そう言って待ってくれる人、見たことないんだケド」
橋口はそう言って、二人を追いかけた。
麗子も橋口の後ろについて走っていく。
「逃げるなら撃つわよ!」
麗子は右手の指を銃に見立てた形を作り、指先に霊光を集め始める。
橋口は雪音の進む方向に人影をみつけた。
「麗子、撃っちゃだめなんだケド」
「……」
麗子もその人かげに気づいた。
あれは……
「白土雪音さんね?」
短い黒髪を後ろに撫でつけ、サングラスをかけた背の低い女性。
麗子と橋口がよく知る人物だった。
「所長!」
雪音の前に立っているのは、永江除霊事務所の所長である永江リサだった。
「どけ!」
雪音が軽くかわして、所長の横をすり抜けようとした時だった。
腰の高さに目に見えないロープでも張ってあったかのように、体がくの字に曲がると、そのまま尻餅をついてしまった。
「今、何をしたの?」
雪音はそう言って永江の顔を見た。