不発弾の処理
蝶の姿をした式神は麗子たちと同じタイミングで建屋に入った。
そして室内のカメラに対しても同様に近づいて、二人の行動が記録に残らないよう、死角を作るように動いている。
施設の廊下を歩いていると、麗子は奥から聞こえてくる声に気づいた。
雪音たちの声に違いない。
麗子が橋口の方を向くと、彼女にも聞こえていたようで頷いた。
二人は素早く廊下を進み、奥にある声が漏れてくる扉を確認する。
扉が少し開いていて、麗子は体を低くし、慎重に中を覗き込んだ。
「……」
何かある。
この張り詰めた重い空気。
麗子はゆっくりと扉を押しながら、さらに中の様子をみるために踏み入れた。
彼女を追うように、蝶がヒラヒラと部屋に滑り込んでいくと、突然、天井付近で紙切れに戻ってしまった。
「しまった!」
気づいた時には扉を強引に引っ張られ、麗子は部屋の入り口で倒れていた。
「罠よ、かんな逃げて!」
扉を引っ張った男が、麗子の手首を強く握って体を引き上げる。
そのまま腕を捩じ上げられ、麗子の顔が苦痛に歪む。
部屋に雪音たちはいない。
テーブルの上にノートPCと小さなスピーカーが置いてあるだけだった。
雪音たちの声だと思ったのは、このPCで再生していた動画だ。
「その通り。罠だよ。こんなところまで式神の侵入を許すわけないだろう」
「まさか蛇の式神も」
「君たちが興味を引くところまで泳がせていた訳さ」
廊下から橋口の叫ぶ声が聞こえる。
「残念ながらお友達も捕まったようだ」
すると扉には、喉元にナイフを突きつけられた橋口が現れた。
「うちら捕まえてどうするつもりなんだケド」
橋口の喉にナイフを突きつけている男が言った。
「人間って色々な使い道があるの知ってるか? 切り売りも出来るし、丸ごと欲しがる者もいる。船に乗せて国の外に出してしまえばおしまいなのさ」
男は顔を隠すための黒いマスクとサングラスをしている。
麗子の腕を捻り上げている男も、形は違うが同じようにマスクとサングラスをしていた。
「まあ捌くルートは色々あるってことだ」
都下から川を渡って他県にでる橋の周辺で、大規模な交通規制が行われていた。
それは河川敷で不発弾処理をする影響だった。
大きな橋が通行止めになるため、迂回する車が直近の橋に集中し、平時でさえ混雑する川の周辺は車がベタ止まりになるほど酷い渋滞が起こっていた。
通行止めにされ車も人も通らない四車線の道路を、水色のワンピースに白いエプロンをつけた『不思議の国のアリス』のような女性が歩いていた。
「アリス、マダ着カナイノデスカ?」
アリスがさす日傘の下を歩いている女性が、たどたどしい日本語でそうたずねた。
「もう少しですから我慢してください」
「今カラデモ、車ヲ用意シテモラエナイノデスカ?」
有栖刑事は、護衛を任されている彼女、エミリー・サンダースの一言でこの道を歩くことになったのを思い出し、イラッとした。
「一度車を断っていますからね、今更来てくれというのも虫のいい話ですから。それにもう橋は見えてますから、到着まで時間はかかりませんよ」
二人は河川敷で行われている不発弾処理に向かっていた。
エミリーは不発弾の外殻を求めて来日していた。
爆弾の外殻は信管を完全に取り去ってから、分解してエミリーに渡されることになっていた。したがってわざわざ現場に行って信管の抜きたてホヤホヤを見ずとも、良いはずだったのだ。しかし、エミリーの警護の為、近くにいたアリスの元に不発弾処理の情報が入ると、彼女が現場を見たいと騒ぎ始めてしまった。
近くまで電車で移動し、車を呼ぶかと言った時、『歩く』と選択したのもエミリーだった。
「日本ハ暑スギマス」
昨日来日した訳じゃない。彼女だってもう十分日本の気候を経験しているはずだった。
アリスは何も言い返さなかった。
「さあ、つきましたよ」
アリスは爆弾処理班と話をして、作業が予定通り終わったことを確認した。
「エミリーが不発弾の外殻を直に見たいと言っています」
処理班の担当がやってきて、アリスとエミリーを掘り返した河川敷まで案内してくれた。
爆弾は木枠の上に載り、これから、しっかりと固定されるところだった。
以前別の場所で不発弾を見たアリスも、改めてその図柄を確認した。
アリスは右手を近づけ、外殻から何か霊的なものを感じないか、指先に気持ちを集中させた。
「……」
何も感じない。
やはりこの図柄には霊的な意味はないのだ。
アリスは不発弾から離れ、川の流れをぼんやりと見ていた。
代わりにエミリーが不発弾を舐めるように顔を近づけ、じっくりと見始めた。
爆弾処理班は、後片付けも終わり、そろそろ爆弾を持ってこの場を去りたいという状況になっていた。
その時だった。
「アリス! バクダンガ、光ッタ!!」
エミリーのたどたどしいながらも、危険を感じさせる叫び声に、周囲の人間が一斉に爆弾の方を向いた。
「!」
爆弾が光っているというか、図柄が光ったのだ。
それを見たアリスは、瞬間的に何が起こるか判断し、叫んだ。
「逃げて!」
同時にポケットの中にあるトランプカードに手をかけた。
叫んだせいでよく聞き取れないのか、エミリーは爆弾から離れない。
「エミリー!」
爆弾の周囲に、黒い煙が発生し、人の形にまとまりつつあった。
これは『塹壕ゾンビ』だ。
以前見た不発弾の周囲で塹壕ゾンビを目撃した時も、同じことが起こったからだ。
「早く逃げて!」
アリスの言葉を理解したのか、感情を理解したのか、エミリは慌ててその場を離れようとする。
爆弾を掘り起こした時に出来た地面の傾斜に足を取られ、彼女は転んでしまった。
「アリス!」
黒い煙がゾンビの姿に変化し、黒が抜けて色がついていく。
エミリーは変わっていく黒い煙に気を取られてしまい、まともに立ち上がれない。
アリスはポケットのカードの箱を取り出し、蓋を開け、箱の中央を叩いた。
一枚のカードが飛び出すと、アリスは指でつまみ上げる。
「お願い!」
言いながらカードを投げた。
腕のプロネーションが効いて、手裏剣のように回転しながら飛んでいく。
カードは出来上がったばかりのゾンビの額に、見事に突き刺さっていた。
ゾンビは再び煙のような小さな粒子に戻ると、頭の先からどこかへ消えていった。
だが、不発弾の周りには、次々と黒煙が立ち上っていて、ゾンビが発生しつつある。
アリスはエミリーの両脇に手を差し入れると、窪んだ場所からすくい上げた。
「アリガトウ!」
「走れる?」
エミリーが頷くと、アリスは処理班の車を指さした。
彼女はアリスのいう方向へ走っていく。
アリスも時間を稼ぐために、車の方へと後ずさる。
すると、処理班がいる方から声が聞こえた。
「何、そっちにもゾンビが!?」
今日は同日に三ヶ所で不発弾処理をしている。
実際の装備や技術者の数を考えれば、倍の数は処理できるが、全員を都心に集めるのは危険だと判断された。
「三ヶ所ともゾンビが出ている」
「早く霊能課の人間を回せ」
アリスはトランプの箱を叩きながら、思った。
霊能課はあっても、霊能を操れる人間は限られている。
とにかく逃げて、周囲に人を近づけないことだ。
彼女の目の前、浮かびながら並んだトランプたちに命じた。
「ゾンビをやっつけて!」
トランプは礼をするように、一瞬曲がると、不発弾周辺に現れたゾンビに向かって飛んでいく。
ソンビの額に張り付くと、カード表に描かれた模様が光る。
ゾンビの動きは止まり、分解され、消え去っていく。
もっと早く。
アリスは思った。
この様子だと、他の不発弾の現場にも、アリスが回らなければならないとと考えたからだ。
小さな箱から飛び出してくるトランプたち。
アリスの指示を受けると、カードはすぐさま宙を飛びゾンビに立ち向かっていく。
振り回す手を、足をよけ、ゾンビの額に張り付く。
彼らは力を使い霊力で召喚されたゾンビを除霊していく。
「急いで」
不発弾処理のため、通行止めしているから、あちこちで渋滞が発生している。
サイレンを鳴らして走ったとしても、次の不発弾の場所に行くまで余計な時間がかかってしまう。万一、処理班が噛まれてゾンビ化したら、不発弾の囲っている柵の外にゾンビが出たら……
「アリス、ウシロニ、ゾンビ!」
エミリーの声に反応して、箱に指を突っ込み一枚のカードを取り出す。
カードに指示している時間はない。
間に合って、と思いながらアリスは振り向きざまにその手を伸ばす。
アリスの手は、ゾンビの開いた口に向かっていく。
彼女自身、気づいているが、勢いが止まらない。
完全にゾンビの口に彼女の指が入ってしまった。
このゾンビは霊体だが、噛まれた時の効果は『ゾンビ』と同じものだ。
このまま口が閉まって、指が噛まれたらアリスとてゾンビ化してしまうだろう。
アリスは絶望に目を閉じてしまった。
『大丈夫!』
何か、聞こえた気がした。
噛み砕かれてしまう、と思ったゾンビの口は一向に閉まってこない。
アリスは目を開けた。
ゾンビの口の中から光が溢れていて、閉じることが出来ない。
アリスは、慌てて手を引っ込める。
ゾンビの口の中にはカードが一枚、立っていた。
アリスが持っていたカードが、ゾンビの口を閉じさせないよう、中で突っ張っていたのだ。
「ジョーカー!?」
切り札が自ら判断して、アリスの危機を救った。
もし取り出したのが、普通のカードで、除霊し浄化しようとした場合、噛み付くことを妨害できず、アリスはゾンビ化していた。
アリスからすると無意識に箱に残っていたカードを取り出したに過ぎないが、それが最高位の切り札だった訳だ。
さらにカードが輝くと、そのゾンビの体を一瞬で分解した。
「ありがとう」
眩しい光に目を閉じ、再び開いた時には不発弾の周囲にいたゾンビは全て消え去っていた。
「アリス!」
彼女は車両の方に避難していた爆弾処理班から声をかけられ、現実に引き戻された。
不発弾は、後二ヶ所あるのだ。
「わかっています。急ぎましょう」
「いや……」
「早く車を」
処理班は携帯を切ると、言った。
「他の場所のゾンビも消え去ったと連絡があった」
「えっ!?」
ホッとすると同時に、ゾンビがなぜ消えたのかという疑問が残った。
アリスは振動に気付き携帯を取り出すと、画面に表示された相手の名を口に出した。
「永江所長……」