施設への侵入
白土雪音は左右分けたおさげ髪をして、白いシャツの上に青いギンガムチェックのドレスを着ていた。これはオズの魔法使いの『ドロシー』の格好であるが、実際の原作には細かい記載はないので、これが本当に『ドロシー』なのかと言われると疑問は残る。だが、大多数がこれを『ドロシー』の認識しているのだからそんな事は問題ではない。
彼女は講堂の一番前に座り、講義を熱心に聞いていた。
麗子と橋口はメモをとる振りを続け、目立たないよう一番後ろに座っている。
講義の内容は文化比較論で、今日のテーマは世界の『鬼』というタイトルだった。
西洋や東洋、日本と、さまざまな国の『鬼』を引き合いに出し、文化の違いを交えながら考察していくものだ。
この話は『異形』や『霊』の各国での捉え方の違いにも通じ、除霊士見習いである麗子と橋口にとってもタメになる内容だった。
講義を進める先生が、チラチラと時計を確認し始め、巻きがかかって講義内容を素早く喋り終えた瞬間、講義終了のベルが鳴った。
「では、来週の文化比較論は休みなので間違えないように」
生徒たちはバタバタとノートや本を閉じ、机に広げたものを各々のバッグにしまっていく。
白土も立ち上がって手早く荷物をまとめ始めた。
麗子たちはそれとなく視線を向けて、白土がどこの出口に向かうか観察している。
長髪で痩せ気味の男と、髪を短く切り揃えていて、体格がいい男が、雪音に近づいて言った。
「雪音、これから教会に行くだろ」
「ええ。宗と鉄葉も当然行くでしょう?」
「今なんて言った!」
と、髪の長い男が突然大声で怒鳴った。
「当然行くでしょう、って」
雪音がそう言うが、長髪の男は首を横に振る。
「違う、その前だ。カカシって言いやがっただろ。今、俺はカカシじゃない!」
「雪音はちゃんと『宗』って言ったよ。バカだな」
宗は、髪の短い男の襟をキツく絞めた。
「バカだと!? 俺はバカじゃねぇ」
「鉄葉!」
雪音は口の前に指を置いて鉄葉に『それを言ってはいけない』と諭した。
「バカを撤回しろ!」
「……すまん、俺が間違っていた」
「笑いながらそう言って、誰が信じる?」
宗がさらに力を入れて首を絞めるが、鉄葉にニヤけた顔は何も変わらない。苦しいとさえ感じないようだった。
鉄葉はそのままズレたメガネを整える為に、指でフレームを押し上げた。
「俺が笑ってる? 笑ってないよ」
「二人ともやめなさい」
雪音が宗の手に触れ、絞めるのをやめさせた。
「さあ。行きましょう」
宗はムッとしながらも雪音の言葉に従い、鉄葉は笑ったまま二人についていく。
橋口はその様子を見てから、小声で言った。
「あれがドロシーのお供の『ブリキ』と『カカシ』に違いないんだケド」
「どっちがカカシ?」
「長髪のおバカに決まってんだケド」
確かに長髪の方が手足が細くてそれっぽい。麗子はそう思った。
「とにかく追いかけよう」
二人は距離を保ちながら、雪音たちを追跡した。
雪音たちは、学内をモノレールの駅とは逆方向の山に進み、学内の端の通路に出ると今度は坂をひたすらおりはじめた。
坂をくだりはじめたあたりから、急に人気がなくなってしまい、麗子たちはさらに距離をとった。
「マジでここ、都下と思えないんだケド」
「聞こえるよ」
麗子も本気で言っている訳ではない。実際、虫の声、鳥のさえずり、木々の葉が擦れあう音などの方が大きくて、聞こえないだろう。
ただ、他に人の声はない。だから小さい声でも目立ってしまう、油断できない、ということが言いたいのだ。
目線を雪音に戻すと、彼女は突然立ち止まった。
気付かれたかと考え、麗子は橋口を腕で抑えるようにして隠れた。
「!」
見ると雪音は道の真ん中に落ちていたカラスの死体に手を合わせている。
そしてカラスの死骸を拾い上げると、踏まれないように端の草むらにそっと置いた。
短い髪の男が、雪音に言う。
「そんなもん、よく触れるな」
「だからお前はブリキだって言うんだよ」
ブリキと呼ばれた男は、長髪の男に掴み掛かった。
すぐに雪音が間に入ると、二人を別れさせた。
「ほら、二人とも手を合わせて」
三人は雪音が草むらに置いたカラスの死骸に手を合わせ、目を伏せた。
「さあ、行きましょう」
雪音は悪い人間ではない。警察は彼女たちが何らかの犯罪に加担していると見ている。
確かに霊力を使ってゾンビを作り出し、そのゾンビが他者の権利侵害したり、傷害事件を引き起こしたら、罪に問えるだろう。
ただ、彼女の本心からそれをやっているのではない、麗子にはそんな気がしていた。
しばらくの間、麗子と橋口は、三人から付かず離れず距離を保ちながら進んでいた。
「……あそこに行こうとしているんだわ」
麗子は小さい声でそう言った。
坂の下に公道が見える。
その道の反対側には広い駐車場。さらに奥には建物があった。
駐車場は綺麗に整っているが、車は止まっていない。
建物の入り口の上に、複数の丸を重ねたマークがついている。
マークから考えて教団の施設と思われた。
「……」
公道を三人が渡っていくのが見える。
入り口の大きなレール付きのゲートがスライドして開いていく。
乗り越えられない高さではないが、カメラやセンサーなど仕掛けがあったら入りずらい。
麗子と橋口は、三人の姿を追いかけがら、彼らに気が付かれないように坂を下っていく。
三人が建物の中に入っていった頃、麗子たちは公道の反対側についた。
レール付きのゲートはモーターでゆっくりと閉まっていく。
橋口が閉まる前に飛び込もうとしたのか、勢いよく公道に踏み出した。
「危ない!」
大きなクラクションが鳴らしながら、大型トラックが公道を下っていく。
麗子は橋口を抱きしめたまま、路肩の草むらに横たわっていた。
「周り見ないと……」
「ごめんなさい」
そう言って橋口は目を伏せた。
「今ので気付かれたら申し訳ないんだケド」
「映っていたかもしれないけどそんなに公道側の監視カメラを見ているかしらね」
「麗子は楽観的すぎるんだケド」
橋口はバッグから一枚、紙を取り出すと、何か書き記した。
人指し指と中指を伸ばし、呪文を切ると紙が蛇の形に姿を変えた。
「式神に偵察させるんだケド」
橋口は立ち上がり、公道の左右を見渡すと紙を変化させた蛇を投げた。
蛇は公道を飛び越えて着地し、ゲートの隙間を潜って中に入っていった。
「ここじゃ目立つから、ちょっと横に避けておこう」
麗子は橋口の肩を押して、教団施設のカメラの死角へと移動した。
橋口と触れているところから、式神が見ているものが伝わってくる。
建物の壁をつたい換気口に入っていく。
ファンの隙間をすり抜けると、換気フィルターの上に到達した。
フィルターを通して中の声が聞こえてくる。
『またゾンビのライブ配信しろってか!?』
『何かネタを考えないとね』
『他人事みたいにいうなよ。いつも俺とタカシに任せてばっかりいないで』
蛇はさらに動いて、部屋上部の換気口付近に止まった。
角度が微妙だが、白土たちが座っている机など、少し部屋の様子がうかがえる。
『とにかく準備しよう』
『全くこんなこと誰が考えたんだ』
雪音たちは一斉に同じ方へ動き出した。
式神である蛇は換気口を動くが、何かに引っかかって動けない。
『気をつけて持ち出すのよ』
『わかってる』
「麗子」
式神の見ている光景から、突然現実に引きもどされる。
「どうするんだケド」
「式神が動けなくなったよね」
「今、雪音たちは何かを運び出そうとしている。それをみるには潜入するしかないんだケド」
麗子は式神から流れてくる映像と音声を聞きながら、考えた。
「行こう!」
麗子は橋口のバッグに手を突っ込んだ。
「何すんだケド」
「式神を」
「麗子、いつから式神作れるようになったんだケド」
紙にさらさらと書き入れると、念を送るように指ではらった。
紙は羽を閉じた蝶に変化した。
「先回りして監視カメラを邪魔して」
鮮やかな黄色と黒の羽を動かし、ヒラヒラと目的のカメラに向かう。
「いくわよ」
「まだカメラをおさえられていないんだケド」
麗子は構わずにゲートを越えようとする。
「大丈夫、画角も考えて蝶は飛んでいるの。今、監視カメラには蝶しか映っていないわ」
「……」
不安げな顔をしたまま橋口は麗子の手に引き上げられ、ゲートを乗り越えた。
風に飛ばされそうな蝶の動き。
これでカメラの前を塞ぎ切れているのか不思議だった。
しかし、気づいた時には別のカメラの前に同じ蝶がいて、カメラと麗子たちの間を舞っていた。
「なかなかやるんだケド」
「鍵、開いてた」
麗子はそう言うと、スルッと建物に入ってしまう。
「警戒心が緩すぎるんだケド」
そう言いつつ、橋口も後を追って入っていった。