VIPの来日
有栖アリスは、空港であてがわれた小さな打ち合わせ室で動画を見ていた。
動画にはブロンド髪の妙齢の女性が映っていた。
彼女の言語は英語で、下に簡単に翻訳された日本語が表示されている。
『私は曽祖父の描いた図柄が日本にあると聞いて訪日を決意しました』
その女性の映像から、今度は一転して、大戦時の空爆の映像に切り替わる。
年代物の映像は白黒で、フィルムで記録されたもののようだった。
今の時代、東京に空襲があったことを、どれくらいの人間がリアルに思い出せるのだろう。
再び現代の映像になり、その女性は言った。
『戦時下であり、兵器などの工場を狙っての空爆はやむを得ないものでした』
その上で、彼女は何かフリップに描かれた絵柄を見せた。
『戦争が終わり、平和な世界がくることを願って、曽祖父はその図柄を描いたのです』
どうやら、爆弾の外側に図柄を描いたということらしい。
映像は『ユキネェ』たちがやっているデモ行進の映像に切り替わる。
不発弾に対して米国の責任を問うプラカード。
再びブロンドの女性の映像に戻ると、彼女は言った。
『今、再び不発弾が東京で見つかっているということです。私は曽祖父の描いた不発弾を探し、引き取りにやってきたのです』
「……」
アリスは思った。
単純に曽祖父の絵柄を持ち帰りたいなどという理由から、わざわざ私財を投じて不発弾回収をしに日本へやってくるだろうか。
白土雪音の力でゾンビが出現するのではなく、そもそも投下された爆弾に描かれたこの図柄そのものに何か仕掛けがあって、あのゾンビが出てくるのかもしれない。
だとすると、この娘はその『ゾンビを呼び出す図柄』を回収しにきた可能性もある。
いずれにせよ白土雪音の起こした騒動をきっかけにして、このブロンド娘が日本に来るのだ。
打ち合わせ室のドアが開くと、スーツ姿の男が話しかけた。
「アリス巡査、そろそろ着陸時間です」
アリスはタブレットをバッグにしまうと、立ち上がった。
「私の警護する人、『エミリー・サンダース』であってる? やっぱり英語ができる人が警護に当たるべきだと思うのよね」
「これは霊能案件だという判断です。あとこれをつけてください」
アリスはスーツの警察官の後ろを歩きながら、ワイヤレス・イヤホンをつけ、スマホで専用のアプリを起動する。
彼女は懸念していることを話した。
「例えば会見場に不審者がきて、発砲された時、私が日本語で説明して、通訳が翻訳して…… とかしていると遅れてしまうでしょ」
「そのような危険の場合は、言葉を発している方が遅れます。そういう場面では、ちゃんと周辺の警官で取り囲みますから」
そうジェスチャーを加えながら説明した。
「じゃあ、本当にそういう部分は任せるわよ」
「ええ。アリスさんは霊能的な敵を処理してください。空から襲ってくる吸血鬼とか、地面から湧いてくるゾンビとか」
「確かにそういう敵もありえなくはないけれど……」
アリスは考える。
塹壕ゾンビは一定の場所でしか目撃されていない。
つまり空港や送り迎えの車は問題ない。このブロンド娘が不発弾を探そうと、候補に上げられた土地に踏み入れた時がポイントで、そこがアリスの出番なのだ。
とにかくついていろ、という指示だ。
さっさと『ユキネェ』を捕まえる令状を作って、確保してしまえばこんな回りくどい警護などしなくても良いのに。
アリスの片耳に入れているイヤホンから、連絡が入る。
エミリーの乗った飛行機の一般乗客は全て降り、機内に彼女一人が残っている状態になった。
「もう着きます」
アリスたちがボーディング・ブリッジを過ぎて飛行機に乗り込んだ時、エミリーは大声で捲し立ていた。
英語の分からないアリスは、表情を見た。おそらく自分がすぐに来なかったから怒っているのだろう。
エミリーは日本の蒸し暑さを知っているのか分からないが、シートで下は見えないが、上は薄手の白いブラウスを着ているのが見えた。
アリスの視線に気付いたのか、エミリーは立ち上がった。
エミリーとやりとりしていたスーツの男が、アリスの方に向き直ると言った。
「アリス刑事ですか? 飛行機は時刻通り到着したのに、来るのが遅いと言って怒っているところだ」
アリスはエミリーが見ているのに気づくと、スカートの裾をもちあげ、右足を斜め後ろへ引いてお辞儀をした。
エミリーが何か『アリス』と言っているようで、男が通訳した。
「なぜ刑事がアリスのコスプレしてるんだ?」
アリスは通訳の男を睨みつけた。
「いや、俺が言っているんじゃなくて……」
「名前がアリスだから、幼い頃からずっとこの格好をしている」
エミリーは通訳された後、遅れて冷笑すると、言った。
「そんなことを言ったら世界中がこのブルーのワンピースと白いエプロンで溢れかえってる」
アリスは通訳を睨んだ。
「いや、だから俺が言ってるんじゃないって」
「記者会見場の準備が出来たから行くぞ」
とアリスが言うと、エミリーは席を外れて通路に出てきた。
太ももがあらわになるような、短いピンクのスカートを履いていた。
通訳に対してあちこち指で指し示すと、アリスの横をすり抜けていく。
アリスはそれを追おうとしたが、通訳が言った。
「横の席にあるバッグと、上に入れたスーツケースを持ってついてこい。横の席のバッグは割れ物が入っているから慎重に扱え」
アリスは拳を握り込んで通訳を睨んだ。
「だから俺が言ってるんじゃない」
エミリーの主たる警護は、スーツを着た男達が行うのであって、アリスはあくまでも霊的な事案が起こった時の副担当に相当する。
エミリーはアリスの立場をわかっていて、アリスに荷物持ちをさせようとしているのだ。
「……」
無言のまま小さなバッグを肩にかけ、大きなスーツケースを両手で引っ張り出した。
『ユキネェ』たちの騒ぎがなければ、ここまでの警備をする娘じゃない。
そう思いながら、アリスはエミリーの警護の列、後方を歩いていった。
記者たちの数も十数人と言ったものだった。ユキネェたちの活動があるから一応、取材しようか、という程度なのだろう。
その人数から比較すると、会見場は大きかった。
ハリウッドスターの会見とかなら、ここを埋めることができるかもしれない。
ガランとした部屋の中心で、細々と始まる記者会見。
アリスはバッグとスーツケースがある為、会場の端から眺めていた。
するとイヤホンに指示が入る。
『絵面が寂しいから、アリスも端でいいから参加しろ』
アリスは絵面を理由に指示してくる、ここの警護の責任者に怒り、無視を決めた。
『聞いてるのか? アリス』
ただでさえエミリーが通訳を通じていじめてくるのに腹が立っていたところに、画面が寂しいから会見の映像に入りそうな位置に立てと言うバカな指示は受け入れられない。アリスはそう反論してやろうと思っていた。
この場にいる全員が一ヶ所に固まると、視点が偏ってしまい、警護に思わぬ穴が開くとも限らない。
「全員が一ヶ所に固まると敵の思うツボですよ」
『いいから、画面に映る場所まで移動しろ。どうせこの人数だ。紛れ込んでるなら、もう紛れ込んでる』
つまり敵がいるにしても、すでに部屋の中心にいるのではないかと言うことか。
アリスはスーツケースのキャスターが音を立てないよう、取っ手に両手を差し込むと持ち上げて移動した。
会見している側にむけているモニタを見ると、会見の途中なのに、アリスが映っているのが見えた。
エミリーも話すをやめて、アリスを睨みつける。
簡単な仕切りを任せられていた司会の者が言った。
「途中ですみません、あの、あなたは」
「大変すみません。警察のものです」
「警察? その格好って不思議の国の……」
エミリーがテーブルを叩いた。
全員がエミリーが話している途中であることを思い出した。
彼女が話しを続け、通訳がそれを日本語に訳して伝える。
司会が、記者達にたずねる。
「何かご質問は?」
誰も手をあげない。
エミリーの表情が厳しくなる。
それを見て通訳が「なんでもいいから質問してくれ」と言う。
「では質問です。もし爆弾を見つけた時の処理はどうなるのですか? 経費は日本に押し付けるのですか?」
エミリーは言う。
「私費を投じて行うのは探査までで、処理については日本の行政で行う約束です」
再び沈黙が会場を支配する。
司会がたまりかねて、終わりを宣言しようとするので、通訳が慌てて言う。
「もう一つぐらいありませんか?」
記者の一人がボソリと言う。
「そうは言っても、説明がしっかりしていたから聞き直すほどのことがないんだよ」
「写真も撮れたし」
「そうだ、その後ろにいる『不思議の国のアリス』の格好をしている人について質問してもいいですか?」
通訳は手で大きくバツの印を作った。
やり取りを見ていたエミリーが通訳に聞く。
『あの記者はなんと言ったの?』
『完全に無関係な質問です』
『そう。具体的にはなんと言ったの?』
通訳はなんというか悩んだ。
具体的ではあるが、なるべく彼女が傷つかないような言い回し。
『わかった。この女のことね。視線でわかるのよ』
そう言うとエミリーは立ち上がり、荷物を持って立っているアリスのところに進んだ。
『これは警護の下っ端で私の荷物持ちよ。これ以上質問したらそこのメディアは今後一切取材NGだから』
シャッターチャンスと考えたのか、取材陣が一斉に移動してエミリー越しにアリスが入る構図で写真を撮り始めた。
通訳は慌ててエミリーを追うと、彼女が言った内容を翻訳して、繰り返し説明した。
会見で事故はなかったが、混乱したまま終了した。