狐火の止んだ後で
麗子と狐が考えた作戦は完全に失敗していた。
狐火を橋口が直接霊力として取り込めないということは、つまり、麗子と内親王にとっても脅威となるのだ。
だから二人が十分影響を受けない状況で実行するべきだったのだが、麗子の中の狐は勇足が過ぎた。
橋口にもダメージが与えられたかもしれないが、狐火と橋口が落下してくることにより、立ち上がれないほどのダメージを受けてしまった。
狐火が止んだ時、橋口は体を覆っていた光る壁を解き、麗子を蹴って飛び、麗子と内親王から距離を取った。
状況を理解した内親王が、麗子の横に座り込む。
「麗子さん!」
と言いながら、内親王は目の前で倒れている麗子を揺すった。
「しっかりして」
麗子は目を閉じていて、反応がない。
頬を顔に近づけて呼吸を確認すると、少し安堵したように表情が柔らかくなった。
「!」
橋口が地面に落ちているバラ鞭を拾うと、麗子達を見て笑った。
『これでおしまいにしてやる』
それはまだ橋口本人の声には程遠いものだった。
過剰に体に入り込んだ霊力が、思ったより削れていない証拠だ。
橋口は鞭を振り上げた。
複数に分かれているふさの部分が、怪しく光りながら後ろに伸びた。
この長さなら、橋口は踏み込むことなく振り下ろすことで、鞭が届いてしまうだろう。
「麗子さん!!」
内親王は自らの力で、人を癒すことができる術を知っていた。
実際、公務でも気づかれないようにその力を使っている。
国はそれを分かった上で、皇室を外交に利用しているのだ。
さっき、傷ついた麗子を救ったのもその力だ。
だが、触れてみてわかる。今の麗子のダメージは大きすぎるのだ。
簡単には癒すことができない。
そんな今、橋口の鞭が届いたら……
「橋口さん、お願い! やめて!」
内親王は叫ぶと同時に、全霊力を使って橋口に命令した。
だが、振り上げた鞭は二人に向かって振り込まれた。
「えっ……」
寝ているように目を閉じていた麗子が、立ち上がり、内親王を守る盾となった。
異常に伸びたふさは、麗子の四肢に勢いよく当たり、さらに絡みつくようにスピードを増した先端部分が、麗子を全身を襲った。
内親王にはかすり傷すらつかなかった。
「ダメだよ…… そんなことしたら死んじゃうから……」
『麗子……』
発声方法はまだ本人のそれではなかったが、ハイパー化した橋口が初めて『麗子』を認識した。
すると橋口の表情が、いきなり崩れた。
『れいこ!!!』
バラ鞭の柄を手放すと、走って麗子に駆け寄ってきた。
バラ鞭の全てのふさが、体に巻き付いたまま、麗子の膝が脱力して曲がると、顔から崩れ落ちていく。
「麗子」
地面に倒れた、そう思った時、橋口が麗子を受け止め、支えていた。
橋口の目から涙が溢れたかと思うと、麗子の体に巻き付いているバラ鞭のふさが、光りながら消えていく。
だが、ふさが巻き付いた麗子の体は、赤く腫れ上がっている。
橋口は麗子の手を取って、自らの胸にあてる。
麗子が強引にでもしようとしていたことを、橋口の側から行ったのだ。
すると、麗子の体に変化が起こった。
激しく当たった鞭で切れた服は繋がり、赤く大きな腫れも引いていく。
内親王は、冷静に言った。
「橋口さんの力が、今は癒すことに使われているのね…… こんな早い回復って、ハイパー化するほどの霊力があるから出来ることなんだわ」
裏を返せば、それほどのダメージを受けているという事になる。
「麗子…… ごめん、勝手に変になっちゃって」
橋口の腕の中で、麗子は眠ったように両目を閉じていた。
時間が巻き戻るように傷が癒えていく麗子を見ながら、橋口は泣き続けた。
腹部に出来ていた大きな断裂が完全に塞がり、制服が完全に元通りになると、麗子の再生は終わったかに思えた。
しかし、麗子の意識が戻らない。
「麗子…… ねぇ、目を覚まして」
橋口の涙が、麗子の頬に落ちた。
彼女の顔が、麗子に吸い寄せられるように近づいていく。
「いけない!」
内親王は言うと同時に二人に向かっていた。
橋口の唇が、麗子の唇と重なりあった。
「だめ!」
内親王は、橋口の髪を引っ張り、強引に引き剥がした。
「橋口さん!」
橋口も目を閉じたまま、意識がなくなっていた。
二人は重なり合うように倒れてしまう。
「……」
どこかに落ちている橋口のスマホが、ライブ配信している動画を再生し続ける。
『消えちゃった。どこにもいません。事件の発覚を恐れた米軍の仕業に違いない』
画面の中で『ユキネェ』が顔をアップにして捲し立てていた。
「柴田さん!」
次々に発生してくるゾンビに、柴田は囲まれていた。
「お前達は早く逃げろ!」
「柴田さんこそ、銃を、銃を使ってください!」
思い出したように銃を抜く。
素早く安全装置を外して、引き金に指をかける。
撃つか、撃たないか。
撃ったとして…… どう考えても弾が足りない。
「早く!」
一番近くにいるゾンビに向けて、トリガーを引いた。
排莢とともに、燃えた火薬の匂いがする。
ゾンビは、着弾した辺りから赤黒い体液を飛び散らせ、固まったように立ち尽くした。
「やったか」
柴田はホッとため息をついた。
「柴田さん! どこ狙ってるんですか!? 撃って、噛みつかれますよ!」
完全に脳を撃ち抜いたはずゾンビが、そのままフラフラと柴田に向かって歩いてきた。
そんなはずはない。
柴田はもう一度狙いをつけて、引き金を絞り込む。
確実に額に当たり、二つ目の穴も開いている。
「これでどうだ」
粘着性の赤黒い体液が顔に垂れ、体の動きはピタリと止まっている。
しかし倒れたり、形が崩壊する様子はない。
ただ、固まったように動かないだけだ。
「うっ!」
周囲のゾンビがさらに近づいてくる。
額に二発の穴が開いたゾンビも動き出してしまった。
考えているうちに、彼は完全にゾンビの中心にいた。
逃げれない……
ゾンビが大きく口を開き、吸血鬼のような牙が見えた。
死ぬと覚悟した柴田は目を閉じてしまった。
「柴田さん! 柴田さん!」
ゾンビになって被害を広げる前に、自らを撃って死のう。
柴田は自らのあごに銃を当て、引き金に指をかけた。
「柴田さん! 目を開けて! ゾンビが消えました! 助かったんです!!」
柴田はゆっくりと目を開けると、ゾンビの姿は跡形もなく消えていた。
彼は恐る恐る銃を下ろした。
「どういうわけだ……」