清冽な力、溢るるところ
皇居内のお堀に近い場所で、柴田はゾンビの出現を待っていた。
「今度こそ、出所を抑えてやる」
「けど、この前みたいに襲ってきたらどうするんですか?」
若手の警官も、霊能課に所属するにも柴田に霊感や霊力がないことは知っていた。
「心配するな。適切な相手に対しては『銀の弾丸』の発砲許可はもらっている」
柴田は銃を抜き、マガジン内の『銀の弾丸』を確認する。
「宮内庁がよく許可しましたね」
「適切な相手に撃ったという証明のためにも、しっかり録画しておけよ」
若手警官は「はい」と返事をした。
「ライブ配信が始まりました」
タブレットから音が小さく漏れ出た。
『……という公園にやってまいりました』
「一箇所をじっと撮るんじゃない。こう、広い範囲をなでるように」
しばらくすると、そのライブ配信からの音が言う。
『あ、今、何か光りました!』
「何か見えるか?」
「確かに『どこかで』光ったようにも思いますが、今は何も……」
柴田と若い警官らは、必死に周囲を見回す。
柴田は、塹壕のように土が抉られたところに沿って視線を動かしていくと、光を吸い込むような黒い影に気がついた。
「……」
彼に霊感はないが、その黒い影が危険なものだということはわかった。
「あそこ! あれを」
柴田の声にカメラが、そして全員の視線が集まった。
暗い闇のなかにある黒い影。
初めははっきり意識出来ないでいたが、その影がライブ配信の内容と同じく、光を放ち始めると、全員が声を上げた。
『ゾンビが出た!』
それはライブと同期していた。
麗子と橋口は御所の中で内親王が目撃したというゾンビを確かめに来ていた。
アリス刑事がメッセージを送ってきた通り『ユキネェ』のライブ配信と同期するようにゾンビが現れたのだった。
そこは日中、麗子が御所内でゾンビらしき影を見た場所と同じ森の中だった。
「一体だけ!?」
「いや、よく見て、その後ろに真っ黒な影、人型の影が見えるんだケド」
『二体、二体になりました!』
ライブ配信の声がそう言った。
すると、まるでプロジェクトマッピングしているかのように正確に影が光り、ゾンビへと姿を変えた。
麗子は、アリスにメッセージを入れていた。
『なぜこのライブと同じことがここで起きるんですか?』
アリスがこのライブ配信と御所でのゾンビ出現が同調するはずだと言っていたからだ。
何も根拠がないわけがない。
『まだ、はっきりとはわからないわ。ついでの情報だけど、柴田のところにも出たようよ』
アリスは続けた。
『あまり先入観をつけたくはないのだけど…… 筒。筒状のものに注意して』
麗子はそれを読むと、日中に撮影した筒状のものをアップした。
『似てる。これ、どこにあったの?』
『御所の森の中です。昼間、かんなが足を引っ掛けて見つけたの』
『それ、しっかり見ておいて。私もライブ配信している公園を特定したから、今からそこに向かう』
後退りする橋口の肩が麗子に当たった。
「かんな?」
「な、内親王を早く逃して、数が多すぎるんだケド」
「えっ!?」
麗子は慌てて周囲を確認する。
ついさっき『二体になった』程度の認識だった。
多すぎる、と言う表現とは差がありすぎる。
「か、囲まれてる」
十数体、いや、すぐに数を把握することが出来ないくらい増えている。
内親王は微笑むと、言った。
「映画のように刺激的ですね」
「そんな呑気な状況ではありません」
麗子は一番可能性がある方向に向けて、指を向けた。
「さっき言ってた、霊弾を撃つのですか」
麗子は気持ちを集中させ、指先の光を解き放った。
光は進む方向にいた複数のゾンビの体を貫いた。
動きが止まったゾンビは、元の『モヤ』のようになり、風に飛ばされるように消えてしまった。
「こっちです」
ゾンビが消えた場所を選び、麗子が走りながら内親王を導いた。
襲ってきそうなゾンビには、霊弾を放ち、囲ってきたゾンビの外へと逃げ出した。
「かんな!?」
しんがりをしっかり守っていたと思っていた橋口の姿が見えない。
麗子はゾンビの群れが自分達に向かってこないまま、ゾンビの輪が閉じていく。
内親王が言う。
「彼女、このゾンビの中心にいるわ」
背の低い橋口はこのゾンビの群れが壁になり、見えないはずだ。今は神器もない。
内親王の血統がもたらす力で、ゾンビの群れを見透しているのだ。
「かんな!!」
「心配いらないんだケド」
ゾンビの輪の中心で、バラ鞭を振り上げる手が見えた。
全ての鞭の先端が光ると、そこから枝分かれし、光の触手が全てのゾンビに向かって伸びていく。
「まさか……」
橋口の鞭は、触れている対象から霊力を抜き取る力がある。
だが。
この数のゾンビの霊力を抜き取れるのだろうか。
それは橋口の体に入る霊力の容量に関わる。
完全に抜き取れなければ、そのまま襲われてしまうだろう。
もし抜き取れたとして、次の問題がある。
ゾンビを突き動かしているのは『不浄な力』だ。
麗子や橋口、除霊士になろうと言う者が扱う力は清冽な力であって、相反するものだ。
霊力は霊力で、まぜこぜになって使える者もいるが、少なくとも麗子と橋口にそんな能力はない。
ではどうするか。
体に満ちた不浄な力を、自らがもつ清冽な力で打ち消すのだ。
例えるなら、自らの器いっぱいに入れた酸を、元からあったアルカリで中和する。
身体中の霊力全てが中性を示し、力を失ったとしたら……
橋口のバラ鞭で霊力を抜き取られたゾンビと同じことが、橋口に起きてしまう。
「やめて!」
私が少しでもゾンビを減らせばあるいは……
麗子が指を構えた時には、ゾンビの群れ全てが光り始めていた。
「かんな待って!」
麗子の指先に霊光が光り始めた時には、ゾンビは全て消え去っていた。
もう、新しいゾンビは出てこない。
「えっ!? どうなっちゃったの?」
心配そうに訊ねる内親王に、冷静に答えることが出来ない。
麗子は橋口に向かって走り出していた。
「かんな!!」
橋口は目を見開いたまま、焦点の合わない目が少し上の方を向いている。
両手は力なく、だらりと下がってギリギリ鞭が小指に引っかかっているようだった。
何かを言いかけたかのように、ゆっくりと口が動く。
麗子は倒れそうな橋口を抱き止めようと、両手を開いて近づく。
「!」
抱きしめようと腕を閉じる寸前だった。
麗子は強い霊気を感じた。
抱きしめようとした橋口は、周囲から集まる風で吹き上げられたかのように、宙に浮いた。
橋口が一瞬で浮き上がった為、麗子は何もない空間を抱きしめていた。
「かんな!」
真下にいた麗子は少し下がって、橋口の表情を見た。
『危険だぞ』
麗子は自分の中にいる狐の声を聞いた。
狐は麗子の精神にある曼荼羅を埋める霊であり一つの人格というか霊格と呼ぶべきものを形成している『白い狐』だった。
『彼女は自分を見失ってる』
確かに橋口の目はどこか遠くを見ているようだし、麗子の声も聞こえないようだ。
「どうすれば……」
『まずは状況を把握することだ』
麗子は頷くと、橋口に向かって走った。
「かんな!」
そして制服のスカートから出ている、彼女の生足に抱きついた。
「かんな、そんなところにいないで、おりてきて」
麗子が足にしがみついていると、宙に浮いていた橋口が少し下がってきた。
『ドケ!』
橋口の体を使っているものの、それは彼女のものとは全く違う声だった。
口や喉、全ての筋肉の使い方がまるで違う。
麗子が足を抱きしめたままでいると、橋口は宙に浮いたままの状態で、右足を前に蹴り出した。
麗子は、その強い力で蹴り飛ばされた。
空中で体勢を整えると、麗子は両足で着地し、倒れないように踏ん張った。
体はまだ流れている為、制服のローファーは地面を強く擦り、土煙が上がる。
ようやく止まると、内親王が近づいてきて言った。
「彼女、この御所にある『無尽蔵』の霊力を吸い上げている」
「えっ?」
「さっき、彼女がゾンビを倒した方法から推測すると、穢れた力を清冽なる力で打ち消したのでしょう? ただそれだけなら、彼女が持っている限界の霊力が消費され、瀕死のはず」
麗子は橋口に強く蹴られた為か、口内に血が溢れてきて、吐き捨てた。
「だ、大丈夫なの!?」
そう言って内親王が麗子の体に触れると、彼女は急に痛みが引いていくのを感じた。
「す、すみません……」
「ソンビから霊力を抜き取る勢いで、この御所を満たす霊力を吸ってしまったのだわ。だからあれだけの量の穢れた力を打ち消しているのに、死ぬどころか、自らの許容量を超えた強い霊力を得て、精神も体も浮き上がったような状態にいるのよ」
どこかで聞いたことがある、と麗子は思った。
自分の許容量を超えた霊力をドライブしてしまう状況。
これはハイパー化と呼ばれる状態だ。
「じゃ、かんなは、どうしたら助かるんですか?」
内親王は、少し考えるように自らのほおに手を当てた。
「霊力を吸い込むことをやめさせること。体に集中している霊力を消費するなどしてはき出させ、適正量まで減らすこと。吸い込むのをやめるのは、多分、勝手に止まると思うわ。問題は溢れた霊力をどうやって使わせるか、ね。今何か言っても、彼女には理解できないでしょうから……」
ハイパー化したまま放置すると、溢れる霊力で自我と世界の境界を失い死に至るという。
では体に入った大量の霊力を消費させるには……
橋口の様子を見ながら必死に考えを巡らせていた。