初めての感情
「ヒーロー」に出てきた青敷詩と山川遥人のお話です。
最後の会話はちょっとしたおまけです。
俺の名前は青敷詩。普通の大学生。
「詩!」
俺の名前を呼びながら、すごい勢いで走ってくるのは山川遥人。俺の恋人だ。
遥人と付き合い始めたのは、高校三年生の文化祭からだけど、元々幼馴染で小さい頃からずっと一緒にいる。だから、遥人のことは何でも分かっているつもり。
俺と遥人は同じ大学に進学して、今は同棲している。遥人は相変わらず俺にべったりである。
(別に、嫌ではないけど)
「詩~帰ろ?」
「うん」
遥人にがっしり身体をホールドされて、そのまま駅へ向かう。大学の友達には自然と俺たちの関係がバレていて、知らない大学生達も俺たちを見ると、何かこそこそと言っているみたいだ。(特に女子達。)
俺は元々可愛い女の子が好きだったのに、なぜ今遥人と付き合っているのかというと、それは彼に告白されたからだ。正直遥人と恋人になりたいと言われた時は、ピンとこなくて戸惑っていたけれど、遥人から家族みたいになりたいと言われて腑に落ちた。俺も遥人から離れるなんて考えられないし、二つ返事でオッケーした。自分で言うのもなんだが、ラブラブ?だと思う。
そして、俺達の親友である槙谷悠佑と月城樹はカップルという点で先輩だ。二人のラブラブぶりは会うたびに増していく気がするけれど、それを言ったら悠佑に、「詩達も負けてないよ」と笑われた。そんなこんなでまあ、うまくやっている。
「「ただいま~」」
大学の隣の駅に、俺たちの家はある。お互いの親が家探しに積極的に協力してくれたおかげで、いい物件を見つけることができた。この家を俺はとても気に入っている。
「詩ぁぁぁ」
着いて早々遥人が俺の身体に寄り掛かってくる。身長も体格も、俺より全然大きい遥人に寄り掛かられるとすごく重い。俺は大分前から身長がほとんど止まっているのに、遥人は止まることを知らないかのようにぐんぐんと背が伸びていて、どんどん目線が上になっていくのが悔しい。
「あ~詩の匂い……」
俺の頭に顔をくっつけて、思いっきり吸い込んでいる。
「さっきも散々触ってたでしょ」
と呆れた声で言うと、
「全っ然!全然足りないから」
遥人が不貞腐れた顔で俺を見る。
「あ、そういえば俺、来週飲み会行くんだけど」
「えっまた?」
またというほど行っていないのだが、遥人は自分のいないところで俺が誰かと一緒にいるのが嫌らしい。大学で違う講義の時、俺が別の友達といると不機嫌そうにするし、こうやって飲み会に行こうとすると、すごく不満そうな顔をする。遥人は大学で、俺以外に話す人がいないようで俺にべったりだけど、俺は友達もいるし知り合いもそれなりに多い。
昔からそうだったが、遥人は人付き合いが下手である。俺を通じてしか友達ができないのだ。(というか作ろうとしない。)だから悠佑や樹、翼は遥人の数少ない友達だ。特に、樹と翼とはよく三人で食事に行っている。(その時は大抵、俺と悠佑が一緒にご飯を食べている。)遥人が俺以外の人と一緒にいるところを、大学ではまだ一度も見たことがない。
「ねえ、本当に行くの?ていうか飲み会って……。俺達まだ未成年じゃん」
俺を後ろから抱きしめながら、遥人が顔を覗き込んでくる。
「誘われたし、行くよ。お酒は飲まないって。…そんなに嫌なら遥人も来る?」
「そうじゃなくて…。そもそも行かないでほしいんだけど」
「……やきもち?」
俺の問いにコクリと遥人が頷く。遥人はこうしてしょっちゅうやきもちを焼く。だから飲み会や食事に誘われても、半分くらいは断るようにしている。でも友達のことを優先することもあっていいと、俺は思う。恋人だけが全てじゃない。ここは俺と遥人の価値観の違いなのかもしれない。そもそも俺は遥人にやきもちを焼いたことがない。から、どんな気持ちなのかも全然分からない。
「飲み会は行く。でもなるべく早く帰ってくるよ」
拗ねている子供をあやすように、俺より遥かに身長の高い彼の頭を撫でながら言った。俺の意思が固いことが伝わったのか、遥人は不満そうな顔をしながらも、それ以上は何も言わずに頷いた。
「じゃあ……迎えに行くから連絡してね」
「はいはい」
遥人が何をそんなに心配するのか、俺には分からない。でも、分からないからこそ理解はしようと努力しているつもりだ。
(今日は遥人とお昼を食べに行く)
それぞれの講義を終えて、待ち合わせ場所に向かう。角を曲がると、遥人の姿が少しだけ見えた。先に着いていたようだ。
「はる……」
声をかけようと手を挙げたが、俺の動きがぴたりと止まってしまった。遥人の全身が見えると同時に、違う人影も見えたからである。女の子が二人に、男の子が一人。どちらも遥人と距離が近い。俺は咄嗟に壁に隠れた。おかしい。いつもはこんなの、なんてことないはずなのに。普通に話しかければいいのに、なぜかその時の俺はそれができなかった。それに大学に入って、遥人が俺以外と話すのを初めて見た。隠れた壁から、遥人の顔を盗み見る。
(笑ってる……)
「なに、これ」
遥人の顔を見た時、俺の心臓辺りがギュッと掴まれたような感じがした。俺はどこか体の具合が悪いのかもしれない。自分にそう言い聞かせて、その場を静かに離れた。遥人には悪いけれど、とても一緒にお昼を食べる気分にはなれなかった。午後も講義があったが、友達に連絡して家に帰った。
ベッドで一人寝転んでいると、スマホが振動した。
(遥人…)
もちろん着信は遥人からだったが、俺は出ることができなかった。しばらくすると振動が鳴りやんだけれど、すぐにまた振動しだした。メッセージも何件も送られてくる。それも何分かすると鳴りやんだ。そしてそれからすぐに玄関の扉が開く音がした。
「えっ…」
廊下をドタドタと走る音と、床の振動が伝わってくる気がする。慌ただしく動く足音が寝室の前で止まると、勢いよく扉が開かれた。
「詩!」
俺はベッドに横になったまま、動けない。
「よかった、返事がないから…」
遥人の息が上がっているのが分かる。彼も講義があるはずなのに、急いで帰ってきたのだ。そう考えると、なぜか少しだけ心が落ち着く気がした。俺は身体を起こして、遥人に声をかける。
「…講義は?」
「そんなのどうでもいいよ、それよりどこか具合でも悪いの?今日、お昼食べる約束だったよね」
遥人がベッドに近づいて、俺の傍に膝をつく。彼の優しい低音ボイスが耳に響き、心底安心したような遥人の顔が見える。
「詩……」
遥人の手が俺の顔に近づいてくる。俺もそれを受け入れようと目を閉じた瞬間、俺の鼻に嗅いだことのない甘い香水の香りが入り込んできた。
「や、やだ」
気づいたら、そう口に出して俺は遥人を拒んでいた。その甘い香りは、さっきの遥人の様子を思い出させて再び胸の奥が苦しくなった。
「え…?」
(なんで、なんでこんな気持ちになるんだ?……もしかして俺、本当に病気?)
こんなこと、初めてだった。胸が痛くて、遥人の顔を見たくなくて、これ以上ここにいたくなかった。俺はベッドから立ち上がると、勢いよく寝室を出た。すぐに遥人が追いかけてきたけど、俺は玄関の前でこう言った。
「来ないで!追いかけてきたら、嫌いになるから!」
玄関を出る前に見えた、彼の傷ついた顔が頭から離れなかった。
「詩。はい、これ」
俺の目の前に置かれたマグカップから、落ち着く茶葉の香りがした。
「ありがとう……。悠佑」
どこに行こうか迷っていた俺が、最初に連絡したのは悠佑だった。悠佑と樹が同棲を始めたのは聞いていた。
悠佑は話していて落ち着くし、樹は高校時代、遥人と気まずかった時、相談相手になってくれたから頼りになる。樹は、今は少し不機嫌そうな顔をしているけれど、その理由も分かっている。俺が悠佑と樹の家に到着した時、二人から甘い雰囲気がしたから、きっといいタイミングで俺が着いてしまったのだろう。けれど電話した時、悠佑は快く俺を家に招いてくれたら俺は悪くない。
「それで……遥人と何かあった?」
俺の目の前に悠佑が、その隣に樹が座ってこちらに耳を傾ける。
「………」
黙りこむ俺を、悠佑は心配そうに眺めている。悠佑は自分のことより他人を優先する人で、それは樹も困ってしまうくらいだ。逆に樹の最優先は悠佑で、何よりもそれを大事にしている。だからこそ樹には申し訳ない気持ちはあるが、俺だって今はあの家に帰りたくない。でもどう説明したらいいのか分からない。
「樹、すごい着信来てるけど…」
さっきから樹のスマホが休む暇なく震えている。悠佑がそれを指摘すると、樹は呆れたように短くため息をつき、
「ん、ちょっと電話してくる」
と言って、悠佑の頭をポンポンして部屋を出ていった。悠佑は付き合いたてのカップルのように顔を真っ赤にして、俯いている。
「……悠佑」
「ん?」
しばらく時間が経った後、俺が名前を呼ぶと、悠佑は静かにほほ笑んだ。
「俺、病気かもしれなくて…」
「え⁉…ん?……えっと、どうしてそう思うの?病院には行った?」
「ううん。その、今日遥人とお昼ご飯を食べに行く約束をしてたんだけど、待ち合わせ場所に遥人と、二人の女の子と一人男の子がいて、なんかそれ見てたらこう、心臓のあたりがギュってして…」
「…ん?うん」
「それで、俺何も言わずに帰ってきちゃって。そしたら遥人も急いで帰ってきてくれたみたいで、それを知ったらちょっとだけ身体が軽くなって。でも、その後遥人の身体から甘い香水の匂いがして、それでまた胸が痛くなって…」
「うんうん」
「やっぱり…病院とか行ったほうがいいかな?」
「それ、ただのやきもちだろ」
部屋の扉が開いて、樹がスマホを片手に戻ってきて話に加わった。
「え?……やきもち?」
「うん」
「樹、思ったより早かったけど……もういいの?」
「うん。面倒くさかったから、俺たちの家にいるから平気って言って電話切った」
「えええ…」
俺は静かに樹と悠佑のやりとりを聞いていた。そして、胸の辺りをさすると、いつの間にか苦しさがなくなっていることに気づいた。
「これが……」
「詩…?」
「……悠佑と樹は、やきもちって焼いたことある?」
「当たり前だろ、死ぬほど焼いてるわ。悠佑は隙があるから心配で心配で」
樹が即答する。
「ええ、隙なんてないよ。……ぼ、僕もやきもち焼くよ、樹かっこいいしモテるし…」
悠佑が一生懸命話している横で、樹は満足そうに笑って頷いている。やきもちを焼かれるのが嬉しいのか。
「俺、初めてやきもち焼いた」
「え⁉」
俺の言葉に悠佑がとても驚く。
「まあ、遥人だからなぁ」
それとは対照的に、樹は呆れたように笑った。
「え…?」
「遥人ってほとんど友達いないじゃん。だからやきもち焼きようがないんじゃね?ある意味安心だよな。それに比べて詩は人付き合い多いし、遥人の方は全く安心できないよな(笑)」
樹が頷きながらそう言ったのを、俺は静かに聞いていた。
「そっか……」
今まで俺は、遥人が俺のことを心配していることに気づいていながら、それを軽く捉えていたことに気づいた。だって、やきもちがこんなに苦しいことだって知らなかった。遥人はいつもこんな苦しい気持ちに耐えながら、俺と接してくれていたのか。
「俺…帰る」
「うん、そろそろ来るかもね」
「「え…?」」
俺も悠佑も何のことか分からず聞き返すと、ちょうど玄関のチャイムが鳴った。
「詩、お迎え」
樹の言葉に俺は目を見開いた。三人で玄関に行き、扉を開けると遥人が立っていた。
「遥人……」
「詩」
お互いに数秒間見つめあっていると、俺と遥人の間に樹が入り、手をパンと叩いた。
「はい、お騒がせなカップルはもうお帰りください」
「樹…ありがとう」
「はいはい」
遥人が樹にお礼を言って、それを樹が適当に受け流しているのを聞いていると、悠佑が俺の肩をトントンと叩いた。
「悠佑…」
「詩、自分の気持ち、正直に遥人に伝えなね。また何かあったら、いつでも来ていいから」
悠佑がほほ笑んだのを見て、まるで天使が舞い降りたかのように見えた。樹が絶対嫉妬するだろうから口には出さなかったけれど。高校の時から、二人には本当にお世話になっている。こんなに気の許せる友達が近くにいてくれることを、改めて嬉しく感じた。
「詩、帰ろう」
樹と話していた遥人が、俺の方に向き直って手を差し出し、真っ直ぐ言った。
「うん」
俺はその手を静かに握り返して、樹と悠佑にもう一度お礼を言った。そして二人に見送られながら、俺たちは自分の家に帰った。帰り道、遥人は何も話さなかったけど、俺を握る手は強くて、絶対に離さないという意思を感じた。
「遥人…ご」
「ごめん」
家に着いて早々、謝ろうとした俺の声を、遥人の謝罪の言葉が遮った。
「何で…」
「俺、いつも詩を困らせること言って。それと、今日具合悪いの気づけなかったし」
「違う!」
「?」
「具合なんて悪くないし俺、遥人に言われて困ったこととかない、よ。でもそれは遥人のことちゃんと理解できてなかったから。遥人の気持ち……軽く考えてたから。……俺も初めてこの感情を知って、こんなに苦しいんだって分かった。ごめん、ごめん遥人」
「詩…。えっと、つまりどういうこと?」
「っっ!やっやきもち!焼いたんだよ‼」
こういう時だけ鈍感な遥人に対して、つい声を荒げてしまう。俺の言葉に遥人はびっくりして固まった。そしてしばらく思考が停止したように動かなくなった。
「や、やきもち…?…詩が?」
かろうじて出た声で遥人は言った。いつも淡々としていて、俺のこと大好きなくせに、俺が普段言わない珍しいことを言うと、急にIQが下がる。
「そうだよ。遥人が大学で、俺以外と話してるの初めて見た。しかも距離近かったし笑ってたし。それで……やきもち、焼いた」
俺が上目遣いで遥人を見ると、彼は自分の手で顔を覆って、明後日の方向を見ていた。
「は、遥人?ちょっと聞いてんの?」
「聞いてる、聞いてるから…」
俺は遥人の隠れていない耳が真っ赤に染まっているのを見てしまった。
「え、かわいい…」
今までの人生で一度も見たことがなかった、遥人の顔が真っ赤になるところを。
「は?ちょっ詩、来ないで」
ちゃんと遥人の顔を見たかった俺は彼に近づくと、精一杯の力で覆っていた手を離した。
「遥人、かわいい」
真っ赤にした顔で横を向いている遥人が見えた。離れた彼の手の代わりに、俺の手で遥人の頬を包み込む。俺の心臓が再びギュッと掴まれた。でもそれはやきもちを焼いたときの嫌な感じじゃない。この感情は知っている。遥人が相手だから思えること、愛しいって気持ち。
「詩、見ないでよ。…しょうがないじゃん、嬉しいんだから…」
遥人は相変わらず横を向いていて、俺と意地でも目を合わせようとしない。でも今はそれでいい。
何年も一緒にいたはずなのに、今日は初めての感情と、初めての遥人の表情を見れた。きっと恋人にならないと分からなかった。遥人が俺を知らない世界に連れて行ってくれたんだ。
正反対な俺達だからこそぶつかり合うこともあるけれど、お互いがお互いを理解し合って生きていきたいと改めて思った一日だった。
《鈍感な二人(遥人と詩)》
「そういえば、大学で話してた人達は誰だったの?」
「ああ、同じ講義とってる人達。俺みたいなやつに、懲りもなく話しかけてくれる。三人とも、他の人にもあんな感じで距離近いから特別な意味はないよ」
「……別に、何とも思ってないし」
「…やきもち、焼いてたくせに」
「‼そっそれを知って、顔を真っ赤にして喜んでたのはどこの誰ですかね~」
「っ……」
「て、ていうかその人達すごいな!遥人にしつこく何回も話しかけるなんてさ」
「まあ…そうだね。でも俺に興味あるというより、俺と詩のことをよく聞いてくるよ」
「ふーん、何でだろうな」
「さあ…」
《遥人と樹(電話の内容)》
『あ、樹?あの、詩ってそっちに行ってる?ど、どうしよう俺詩を怒らせたかもしれなくて、家を出て行っちゃって。具合悪そうだったし、すぐに追いかけたかったんだけど、詩に追いかけてきたら嫌いになるって言われて…』
「遥人、落ち着け。とりあえず詩は俺たちの家にいるから大丈夫」
『よ、よかった……』
「あのさ、何があったか知らないけど、あんまり大きな喧嘩はするなよ」
『うん、心配かけてごめん…』
「違ぇよ。喧嘩するたびに俺たちの家に来られたら困るって言ってんの。せっかく悠佑と一緒に住めてるのに…」
『……樹って悠佑のことになると、本当に器が小さくなるよね』
「遥人には言われたくないね」
『ありがとう、樹のおかげで少し落ち着いたかも』
『そうかよ。じゃあ早く迎えに来いよ』
「え?」
『いや、え?じゃなくて』
「だ、だって追いかけたら俺……詩に嫌われる」
『知らねえよ。………はぁ。悠佑が今詩と話してるから、すぐに詩も落ち着くだろうし大丈夫だろ』
『樹………優しい』
「キモ」
俺は彼の返事を聞かずに、通話終了のボタンを押した。遥人にはこれくらいの接し方でいい。悠佑は、多分怒るけど。