三章 真実
目が覚めたのは、陽射しのやわらかな午後だった。
知っている天井なのに、知らないどこかにいる違和感があって、ここはどこだろうと思う。
もぞもぞと体を動かして、寝返りを打つ。
……大丈夫。ちゃんと知っているところ。
もう、東京のマンションのあの部屋は、私の帰れる場所じゃない。
明確にならない思考の中で、ぼんやりと再確認する。
いつもは、寝ている間に夢を見るのも普通なのに、目が覚めても夢の断片すら記憶にないなんて、奇妙な感じだ。
……意識が揺れている。
ぐっすりと眠ったわりには、肢体が石になったみたいに、重い。
「なつめ?」
呼ばれて、なぜ私の部屋に? と思いながら、声のほうへ目を向けた。
「……冬馬、さん……」
「よく眠ってたね」
陽光の中に、彼の微笑む顔がある。
レースのカーテン越しからの太陽が、シャンパンブロンドの髪を繊細に照らす。
「気分は?」
「だいじょうぶ、です、けど……。私……?」
冬馬は、ベッド脇に置いた椅子から立ち上がると、壁掛けの電話を取った。
内線ボタンを押し、間があった後で、「飲み物持ってきて。うん、気づいたから」と、話す声。
受話器を置いて戻ってきた彼に、私は、慌てて言う。
「あの、私、起きれますから」
上半身を起そうとした私の上に、冬馬の制止する腕。
「急に起き上がっちゃダメだ。心と体の感覚のバランスがまだ不安定だから、無理に動くと生命エネルギーを消耗する」
……感覚の、バランス?
生命、エネルギー?
耳慣れない言葉に、ゆっくりと瞬きを繰り返してみる。
何が言いたいのだろう?
「意識を失う前のことを、覚えてる?」
椅子に座り直した冬馬が、私を見つめる。
平静さをよそに、慎重に切り出した話であるのが、緊張を含んだ面持ちから伝わってくる。
影と、光の柱と。どちらのことを意図してるのか、迷いながら。答えた。
「……なんとなく」
「はっきりとは、覚えていない?」
暗闇を切り、天へと立ち上がった光……。
……白い、影…………
「……光の柱を、見ました」
言葉を切って、彼を見つめる。
彼の、瞳、髪、頬、体、指先を。
目で、追う。
「あなたから、あなたたちから、眩しい光が放たれて……生きもののように、立ち昇っていくのが、見えたの………」
踏み入ってはいけない領域が、私の前に道を開いている。
その道を歩いてはいけないと、思うのに。
引き返す道がどこにも見えない。
「現実だと、思ってる?」
冬馬の言葉に、不安から我に返る。
私の思考をなぞらえたかのように訊き返され、根拠のない希望を見出そうとする。
「現実じゃないんですか?」
やっぱり、幻覚だったの?
と、思うことに期待をこめて問い返しても、彼の真剣な眼差が、それを否定させた。
「特別なことでは、ないんだ」
半信半疑に揺れながらも、幻覚ではなかったと納得することに脅える。
私の心を察するように、冬馬はそう言った。
「何にでも向き、不向きがあるように、ただ、僕たちは、そういう方面の能力が顕著にあるっていうだけで。ただ、それは、人為的に研究されて、能力があるように、第三者が管理して、仕向けてきたことではあるんだけどね」
「そういう方面の能力って?」
「つまり……サイキック。超能力と呼ばれる分野のこと」
「超能力?」
おうむ返しに、口にする。
現実離れした、それこそ、幻想のようなもの。
超能力。
私には、ピンとこない。
三時のおやつの時間に、遊んでるついでに空に浮かぶ雲をつかんで、綿飴にして食べたりしている。そんな想像と、変わらない。
私は、不思議な気分で、冬馬を見る。
「冬馬さんも、他の二人も、超能力……を、持ってるの?」
自分の唇に人差し指を当てて、ドアのほうへチラリと視線を走らせる冬馬。
「トーマ、ね。リョーマが聞いたら、またうるさいから」
そう言い終えるのと同時に、荒っぽいノックの音。涼馬が来たのだとすぐにわかる。
返事を待たずにドアが開けられると、
「ウワサをすればなんとやらだな」
冬馬が私に目配せする。
「やっと起きたんかよ、オマエ。三日も寝コケやがって」
「三日!?」
驚いて半身を起こし、冬馬をふり返った。
「ショックと、体験したことのないエネルギーをダイレクトに受容したせいで、体と精神のバランスが混乱してたんだ」
冬馬がまた、さっきも耳にした、エネルギーとバランスということを、言う。
「おかげでこっちは学校も休んでつきっきりで、ヒーリングエネルギー使ってオマエの調整して、大変だったぜ」
涼馬まで、耳慣れないことを、当り前のように口にする。
ヒーリングエネルギーって、なんだろ?
ヒーリングの意味って、癒し……よね?
「学校、休ませちゃったの?」
冬馬が、ベッド脇のテーブルのナイトランプを避けると、空いたスペースに涼馬が、カップを乗せたトレイを置く。
「しょーがねーだろ、四人でやってもギリギリだったぜ。どこまでぶっ飛んでたんだよ」
ぶっ飛んで、と、言われても。
記憶がまったくない。
夢を見ていた感覚もないのだ。頭の芯がもやもやしていて、何も覚えがない。
「四人って?」
「氷馬が帰ってきたんだ。あの夜、君も会っただろ?」
冬馬に言われて、私は、眉を寄せる。
あの夜?
白い影の、幻覚のように見えた人のことは、覚えてる。
光の柱のことといい、あの、ゾッとした印象は、忘れられない。
「お化けじゃなかったの? あれ」
呟いた私のひと言に、二人は大爆笑。
「やっぱり人間に見えねーよな、アレは。オレも十二で初めて会ったとき、度肝ぬかれたぜ。お化け、まったく同感!」
「四人で暮らして三年になるけど、今だに得体がしれないヤツなんだよな」
「男版雪の魔王ってカンジだな、マジで」
笑いあってる様子は、仲のいい兄弟そのものに見える。
「リョウ、なんでティーポットとカップが二つあるんだ? まさか、お前が気を利かせて、僕の分まで入れてきてくれたのか?」
「それこそまさかだろ。コイツに選ばせようってことになったんだ。
オレは、目覚めのボケたアタマをすっきりさせるのに、カフェインは欠かせないだろってことで、胃に負担のからからないミルクティーを入れようと用意してたんだ。
そしたらソーマのヤツが、三日も何も食べてない上に、体力も精神力も消耗して疲労してる状態だから、カフェインの入った刺激物はダメだって口出ししてきやがって」
デパートで見たことのある、品の良いリモージュの、白の薄手の磁器のカップが二つ。ティーポットも二つ。
しかもポットの乗っている下には、それぞれ、『ミルクティー』『ローズマリーティー』と、書かれた紙切れが敷いてある。
「好きなほう飲めよ」
そう言いながら、涼馬の目ははっきりと、「ミルクティーを飲め!」と、訴えている。
「…………」
困ってしまった。
ここは取り敢えず、涼馬の顔を立てといたほうが無難なんだけど。
私が飲みたいのは、さっぱりした、ローズマリーティーのほう。
なんだけど、せっかく涼馬が入れてくれたことだし、ミルクティーを飲んでもいいかな?
と、思い、ミルクティーと書かれたポットへと手を伸ばしたら。中途半端に開いていたドアから、蒼馬が入ってきた。
「具合、どう?」
声をかけられながら、ミルクティーへ伸ばした手が、宙で固まる。
涼馬の目は、ポットを真剣に注視したままでいる。他のことは微塵も頭に入っていない様子。
ムキになってるところを見ると、ほんとにまだ少年ぽさがあって、カワイイ。
よっぽど、年の近い蒼馬には、負けたくないらしい。
勝ち負けの問題でもないんだけれど、涼馬にとっては、大問題なのだろう。
恐らく相当言い合ったのだろう、涼馬と蒼馬、ミルクティーとローズマリーティーを前に、究極の選択っていうのも大げさだけど、難しい選択を迫られていた。
早い話が、自分の飲みたいほうを飲めばいいことでも、ローズマリーティーを選んだら、絶対、涼馬が黙っているとは思えない……。
「僕も喉乾いた。ミルクティーもらっていい?」
冬馬がミルクティーのポットの取っ手をつかむと、
「オレは、コイツに入れたんだ!」
「コイツって?」
「なつめだよっ」
「でも、僕も、ローズマリーティーのほうが、彼女の状態には合ってると思うよ」
「オマエはどっちが飲みたいんだっ!」
涼馬が噛みつかんばかりに、私へと向き直る。
「そんな脅さなくても、得意の読心術を使えばわかるんじゃない?」
蒼馬が、弟を茶化すことを楽しむように言う。
「リーディングが出来るときと出来ないときとあるんだっ。サイキックは万能なもんじゃない、オマエだってよくわかってることだろうが!」
私を見ながら、眉を吊り上げて文句を言う涼馬。
イヤ、だから、私に文句を言われても。
ドクシンジュツも、リーディングも、サイキックも。
何のことやらチンプンカンプンなわけで。
めいっぱい困惑しながら、私は、涼馬の真剣な思いに答えることにする。
「ローズマリーティーが、飲みたい」
私の言葉を聞いて、涼馬は憤然として部屋を出て行こうとするので、慌てて涼馬に言った。
「お茶、ありがとう」
涼馬は、鼻を鳴らしてこっちを振り返り、
「もうオマエにはゼッッタイ、オレ様の入れたお茶は飲ませないっ!!」
言い捨てると、ドアをバタンッ。
盛大に吹き出す、冬馬と蒼馬。
「まあ、涼馬が人のためにお茶を入れたこと自体、奇跡みたいなもんだよな」
「俺も飲んだことない。お茶を入れてるところも半年ぶりに見た」
「しかも、手間のかかるロイヤルミルクティーときたぞ」
「自分でも、メンドクセーとか言って入れないくせに」
「かなり、君を気に入ってるみたいだ」
口々に言い合い、冬馬がおかしそうに肩を揺らせたまま、意味ありげな眼差で私のほうを見る。
気に入ってる?
全然、そんなふうに見えないんだけど?
冬馬たちの冗談に、カラ笑いすら返すゆとりもなく、蒼馬が入れてくれたお茶をひとくち飲んで、息をつく。
清々しくすっきりしたハーブの香りと風味が、私の内側の澱んだものを、洗い清めてくれる心地になる。
「四人ともそれぞれ、持っている光の色やエネルギーに特徴があってね。パーソナル・カラーとも言われてるんだけど。
ヒョウは、銀と白、黒。ソウは、銀とアクアブルーとライトグリーン、オレンジ。
リョウは、全体が赤で、青と黄が何割か。僕は、紫と白が多くて、それから青、エメラルドグリーンが少し。
なつめのパーソナル・カラーは……金と銀、黄色、ラベンダー、ライトグリーン、ライトピンク、だね」
「パーソナル・カラー?」
「誰でも持ってる。一般的にはオーラとも言い表されていて、状態によって変化することもある。魂の色と、言う人間もいる。でも、そこまでは断言できないな。
魂は原子エネルギーだとも言われてるけど、僕は見たことがない。残念ながら」
「エネルギーカラーって言うほうが、俺は感覚が近い」
冬馬の説明に付け加えて、話す蒼馬に、
「いい味してる」
と、言いながら、冬馬がミルクティーのカップを渡す。
それを飲みながら蒼馬も頷いて、
「ちゃんと合わせて入れたんだな」
目配せしあって、微笑する。
「君に合わせて入れてある。ひとくち飲んでみる?」
冬馬にカップを勧められて、よく分からないままそれを受け取る私。
「合わせてある?」
「飲む人の体の状態や、味覚に合う、と、思いながら、念を込めながら、入れるんだ。ゆっくりとスプーンを回してね。飲む相手の状態によっては、スパイシーになったり、このお茶みたいに、とてもまろやかで優しい風味になったりする。
コーヒーで味比べしたりして、この方法は一般的にもよく知られてるね。人の念じる想いの力が、どんなふうに顕れるかって」
二人が口をつけたところを、ドキドキしながら避けて、ちょっと飲んでみても。
私には「とってもおいしいミルクティー」としか、判断できない。
「それも、超能力の一種、なの?」
「大まかに言えばね。“想いの力”を現実に顕わせる能力のことを、超能力と言うんだ。それは、誰でも持っているもので、特別な力ではない。
誰もが持っている能力、その超意識エネルギーを使う回路がどこまで開いているか、それを使いこなせるかは、個人差はあるけれどね。
訓練してエネルギーを操るようにもできるけど、僕たちみたいに先天的に、超意識エネルギー、超能力を使える能力に長けて生まれてきた人間もいる。
そういう能力を研究開発する研究所、《地下組織》が、第二次世界大戦で、軍事力として使う目的で、密かに造られ始めた。最初は旧ソビエト連邦に。
現在は競合する研究所が世界中に複数あって、僕たちが属している、米国にある《組織》が最も大きく、影響力があると言われている。
僕たちは、そこで、その研究所で生まれたんだ」
冬馬が、言葉を切る。
椅子に座った冬馬から少し離れたところで、蒼馬が、右足の膝を立てるようにして、床に腰を下ろしている。
「超能力を使える人間を世界中から集めて、遺伝的な能力の作用を効果的にするために、その能力の強い者同士を組み合わせて、子供を産ませたりもしている。
湘馬と、僕たち四人の母親の関係も、そうだった。混血ばかりが集まってるのは、そのせいだよ」
冬馬の話す一言一言を、噛み砕くように聞いていた私は、その説明に息をのんだ。
ベッドの背もたれから身を起して、冬馬と蒼馬を、交互に見つめる。
「不本意だけれど、僕たち四人は、《組織》から、過大な期待を背負わされたチームでもある。
湘馬も、四人の母親も、その研究所に管理されるくらい、自在に超能力を使う者として認められていた。
僕たち四人が生まれたのは、夫婦関係も、恋愛感情も、まったくない、作為的なものだった。特に、湘馬は、他をしのぐ力の使い手として、研究所から最も期待されていたから」
「…………」
……それで、異母兄弟……?
だとすると、私からのお父さんへの疑惑というか、なかば貼りかけていたレッテルを、はがしていいってことで。
『とっかえひっかえ女好きだったのね、しかも守備範囲が地球規模』ってやつを。
お父さんに着せてしまった汚名は、晴れるけど。
でも、そのためには、新たに呑み込まなければならない、奇想天外な…………冬馬の話。
「お父さんが、超能力者だったっていうの?」
「そう……。言っただろ、僕たちは、君の知らない湘馬を知ってるって」
「私は、お父さんから聞いてないわ、そんなこと。私に何も、言わなかったもの」
現実感のない話の中心に、自分の父親がいることを、すぐには呑み込めない。
呑み込んでいいのか戸惑いながら、私の気持ちは受け入れきれなくて、吐き出そうとする。
「そんなふうには、見えたことなかった。一度だって」
「見せなかったし、聞かせなかった。でも、常に意識で結界を作って、君と自分を守っていたんだよ。
《組織》に支配され続けることに嫌気がさして、反抗して飛び出したけれど、無言の軋轢は始終、彼を取り巻いていたからね。
君が、研究所で生まれて二年後に、君と君の母親を連れて日本に帰国したものの――『死』という念のエネルギーが送られつづけてきたことが現実となって、君の母親は間もなく、交通事故で亡くなってしまった」
「私が、アメリカで生まれてる?」
まったくの初耳だった。
お父さんだって、そんな大事なことを言わないでいたなんて、おかしい。
私を丸め込もうとしているんじゃないか、と、冬馬の瞳をじっと見据えると、彼がゆっくりと首をふる。
「自分の戸籍謄本、見たことない? 出生地が記載されてないかな。両親が日本人であっても、アメリカで生まれたら、向こうの国籍を持てるんだ。君もそのはずだよ」
「知らないわ」
「確認してみるといい。僕の話が偽りじゃないって、わかるから」
「待って! さっきの話――」
耳慣れないことや、感情や、理解できない言葉で、頭の中がばらばらに散乱している。それを懸命にまとめようとしているせいか、額のあたりに強い圧迫を感じて、手のひらで抑えた。
ズキンズキンと、鈍痛のような不快感が強さを増して。
眉間に、意識のすべてが集約するような。心臓がそこに移動してきて、存在を激しく主張しているような。
抑えても抑えても、眉間の奥にある爆弾を思わせる何かを、落ち着かせることができない。
訴えてくるような脈動が、私の考えようとする力を締めつけて、またバラバラにする。
疑問を言葉にすることすら、ままならない。
「誰が、『死』という念のエネルギーを、何の為に、送ってきたの? そうだとするならば」
わけのわからない圧迫感から、解放されたくて。
何にでもいいからすがりたい思いでいっぱいになりながら、問いかけた私に、目を伏せる冬馬。
固い表情は、彼が強い緊張を強いられていることを、表わしているのだと思った。
「《組織》の支配を拒絶することは、“裏切り”でしかない。内情を深く知りすぎてもいたから。競合する《他の組織》に獲得されて、こちらの敵にならないように、《組織》の中枢の指示で、他の能力者たちによって、そうされた」
「…………私のお母さんは、殺された、の……?」
「法で裁ける意味での殺人かと問うなら、答えはノーだ」
「具現化する、一点集中したエネルギーレベルまでにはならなくても、想うくらい、どこの誰でもやってるから。街中を歩いていると、いろんな雑念の声が聞こえる」
蒼馬が、独り言のように言った。
「仲良さそうに歩いてる二人でも、片方が憎悪を向けていたり。よくあるよ」
記憶のない母に、私の想いは、そんなに向けられたことはなかった。
お母さんが居てくれたら、と思うことはあったけど、写真もない母の姿を、想像してみるのは、いつも難しかった。
想像は、想像でしかなくて。
目の前で、時折、母のことを話しては、懐かしそうに笑う父と過ごすひとときが、私には嬉しかった。
お父さんにそんな顔をさせる人が、うらやましくも、憧れでもあって。
念の、殺人。
殺された、なんて…………
ほんとうなの?
こんなこと、信じていいの?
きつく、歯を食い縛る。
噛み締めたところから、血の味が滲んでくる。
「…………お母さんも、お父さんと、同じ、だったの?」
「超能力者として扱われていたのか、ということ?」
訊き返した冬馬に、私が答えずにいると、
「そういうことで言うなら、同じだったよ。古くからの巫女の家系の出自で、神秘的な人だったと聞いてる。湘馬が初めて、恋に落ちた女性らしいよ」
私をいたわるような声が、言葉の最後のほうは囁きにかわる。
――――巫女の家系の、出自…………
知らなかった…………そんなことも。
お父さんは、何も。話してくれなかったから。
「湘馬同様、彼女も期待されていた人だったって」
少しの間を置いた後、冬馬が再び口を開いた。
「生まれた君も、注目されてきたんだ。親の背信は見逃してやるから、子供をよこせって、再三言われても、湘馬は君を、手放さなかった」
「――――私!?」
目をむいて、冬馬と蒼馬を、交互に見つめる。
奇想天外に思える話の中に、自分が卓上に出されたことに、得体の知れないものに対する困惑と、強い抵抗が沸き上がる。
「そう」
「私は、何もないわよ。そんなわけのわからない能力なんて」
「そうかな?」
「そうよ!」
「自覚がないだけじゃなくて?」
「まったくないわ」
「天気が読めるって、ヒョウの調査書にはあったようだけど?」
「…………」
それが、超能力?
だって、それは。
私にとっては、ごく自然なことで。
朝起きて、今日は天気がいいな、とか。雨降りだな、とか。
何気なく感じる習慣みたいなもので、特別なものじゃない。
調査書なんて。
いったい、なぜ?
私が知らないうちに、私のことを調べていたの?
白い肌、白い髪、紅い唇の。
冷たい眼をしていた、あの人が。
私の動揺を見てとった冬馬が、はっきりと言う。
「自覚はあるだろう?」
「でも、特別なことじゃ、ないもの。ただ、なんとなく分かるだけよ」
「そう。特別じゃない」
私の気持ちと相反して、冬馬が頷く。
「特別じゃない。ごく当り前にある潜在する力の一端を使って、自然に察しているだけだ」
「……だったら」
私は、夢中で首をふる。
「特別じゃないなら。どうして、そんな、人を操るような研究をする人たちがいるの? どうして、そんな《組織》があるのよ? もし、超能力が使えたとしたら、何なの? それで私に、どうしろっていうのよ? あなたたちがどう関わってるか、知らないけど」
「これは、僕たちの運命であり、仕事なんだ」
一気に捲くし立てて言い放った私の、責めの感情を避けるように、冬馬は傍の椅子からそっと立ち上がった。
「研究所があることや、その《組織》が、湘馬や僕たちのような人間を管理して操っていることを、アメリカを始め世界中の国家は黙認しているし、財界でも密かに知られている。
公にされていない《組織》の名は決して口に出されず、《K》の暗号で呼ばれている。
僕たちも、《組織》の名称について《K》としか表せない。世界を操る地下組織が、看板を掲げる真似はできないからね」
言いながら、テレビの電源を入れる。
ワイドショーが流れている時間なのか、リポーターの甲高い声が響いている。
「それで、様々な“依頼”が来る。難病を煩う財界の大物が病気を治してくれとか、もう少し長生きさせてくれとか、国益上の邪魔になる人物を始末してくれとか。
あっちを生かせてこっちを消せ、外交や政治の足の引っ張り合い、一般人の内輪揉めもある。いろいろとね。
要請を受けた研究所がそれらを振り分けて、いくつかの依頼を遂行するよう、僕たちに指示が出される。僕たちは、住所や生年月日などのプロフィールや写真や情報を元に、依頼内容を、超能力を使って遠隔操作する。
競合する《他の組織》から、阻まれることもある。仲間内では、“想念戦争”とも揶揄される対立があってね。成果があれば、依頼主からは多額の報酬を受け取る」
…………想念、戦争……
冬馬の指が、リモコンを操作して音量を上げ、画面を示した。
「飛行機事故のニュースがやってる。タイムリーだな」
その顔は、私が「怖い」と感じた、あの表情。
寒気を覚える、あの能面のような無情感に覆われていた。
なんの感情も、見えない。
蒼馬の顔も、同様だった。
体温を感じさせない磁器の人形のように、人間の匂いを発しない無表情を漂わせて。
黙って、テレビの方を見つめている。
タイムリー…………?
「三日前に、エンジントラブルで黒海に墜落、か。――何を目的としたかは、契約上、教えられないけど」
契約、って。
冬馬が、心を映さない薄紫色の瞳で、私を捕らえた。
「君が、三日前に見た光の柱は、この飛行機を墜落させるための超意識エネルギーだったんだ。簡潔に言うとね」
ちっぽけな、人間らしい動揺に、自分を委ねない心を見せてくる、冷静な眼差。
神の静心にも似た、この世のものとは思えない。美しい、トワイライト・ヴァイオレットの瞳…………
「この仕事については、整備の段階からミスを誘発させる遠隔や、関わる人間たちの状況を調えて、本人たちに行動を起こさせる心理戦が求められた。四週間ほど根回しが必要だった」
何が聞こえているのか、わからなくなった。
誰かの話を、聞いているのに。
聞こえない。頭のなかに、届かない。
原型を留めない、何かの残骸が散らばる、油膜で変色した海上。
物体のごく一部が、船からクレーンで持ち上げられ、画面いっぱいに映っている。
行方不明者はニ百名を超え……
有名人も数名……
過激な平和主義運動で世界的に知られる活動家も搭乗し……
日本人の名前は現在……
ボイスレコーダーは未だ見つからず……
墜落の数分前まで交信していた、管制官の説明では、人為的なエンジントラブルも……
航空専門家は――――現地リポーターの緊迫した声。
飛行機を、墜落させるための、エネルギー。
体を襲う、戦慄。
「まさか。……どうして……こんな…………」
愕然と、ただただ、目を見張るだけ。
まばたきもできずに。
何も、言葉にできない。
できるはずがない。
信じられない。
信じたくない。
ぼうぜんと願いながら。
二人を、見上げる。
「ほんとう、なの?」
自分の声が、激しく震えている。
吐き出された音が、自分の声だと思えない。
私は、だれに、なにを聞こうとしているのか。
それよりも。
私は、だれから、なにを聞いたのか。
あたりが、ゆれはじめる。
私の知っている世界が、ゆれはじめる。
私が“知っていた”と思う、優しかった生活のすべてが。
現実が。
ゆれはじめる。
二人の顔からは、僅かな感情も、なにも、知ることはできない。
「俺たちは、指示された通りのことを、するだけだから」
しばらくして、蒼馬が、いつものように、感情の温度の滲まない声で、言った。
私とは、目をあわさずに。
「国益が絡んでいる依頼だから、これで百五十憶。五十パーセントが俺たちの取り分になる」
画面から流れる惨状に、関心も示さない。
興味のない、つまらないだけのコマーシャルを眺めているみたいな顔つきで、蒼馬は、微かな吐息に紛らわせそう言った。
冬馬は、黙ったまま、窓の傍に立っていた。
カーテン越しに、明るい陽の光を見つめている。
「なぜ、なんて考えてたら、キリがない。世の中にはいろんな仕事があるし、これもその内のものだと思えば、そう考えられなくもない。
研究所の連中に支配されているのは事実だけど、最初から支配と管理の中で生まれてきた命だから。自分の自由になるとは、思っちゃいない。持って生まれた力を使って、仕事をする。自分から切り離せない、義務みたいなものだと思ってる。俺はね」
言って、蒼馬は、冬馬を見やる。
「他の連中が、どう考えてるかは知らないけど」
「……義務以外に、ないだろう」
蒼馬の振り掛けた言葉に、冬馬が呟き返すのが、聞こえる。
「いったい、どんな業があって、こんな生になったのか。
考えても、考えても、答えは出ない。どこにも見つからない……。
わかっているのは、一生ついてまわる、自分の血肉に染み込んだ現実、それだけだ。この肉の体が生きている限り、僕たちは、この現実以外を生きることはできない」
そして、茫然としたままの私を、見つめながら。
冬馬は、言う。
「なつめ。君にとってもね」
太陽を背にふり返り、陽の当たらない顔を見せて佇む彼は。
下界に迷いこんだ、天の貴族を思わせる美しさを、放っていた。
夢現のように、私は彼を見つめ。
ぼんやりと……そんなことを、思っていた。