たくみくんと夏4
「貴ちゃんはね、東京に居る長女の娘なの。それでね、今日から貴ちゃんに店を手伝って貰おうと思って」
「え?」
「え!?聞いてないよ!そんな、私、店なんて手伝った事ないし!」
きょとんと立ち尽くす匠海に対し、貴子は予想外の展開に、思わずベッドに身を乗り出したが、部屋には他に患者が居ることを思い出し、慌てて口を閉ざすと、そそくさと椅子に腰を下ろした。だが、それも束の間、貴子は直ぐ様はっとした様に顔を上げた。
「…え、ちょっとまさか、私に電話くれたのって、私が休みに入ったの知ってて?」
それは、母に聞けばすぐに分かる事だ。貴子は一人暮らしをしているが、貴子は母とはしょっちゅう顔を合わせているし、母はキヨエを心配して、よく連絡しているのを知っている。まさかと思い尋ねれば、キヨエは可憐に微笑んでおり、貴子は盛大に溜め息を吐き出した。
「もう、貴ちゃん大丈夫よ、私の代わりだからお料理運ぶだけ。今は、匠ちゃんがおじいちゃんのあとを継いで、お蕎麦を作ってくれてるんだから」
そうなの、と、これまた予想外の展開に、貴子が目を丸くさせて振り返ると、匠海は戸惑いを滲ませながらも、ペコリと頭を下げた。
「という訳で、よろしくね。こっちにいる間は家に泊まるでしょ?匠海君と二人暮らしになるから、家の事は、匠海君に色々聞いて。家の物は、何でも好きに使って良いからね」
ぽん、とキヨエは貴子の肩を叩くと、「じゃあ、お仕事頑張ってね」と、貴子は反論の余地もなく、病室から追い出されてしまった。
「……」
そして、追い出された二人は揃って顔を見合わせる。
「…えっと、よろしくお願いします」
「え?あ、よ、よろしくお願いします…」
「ひとまず家に帰りましょう、面会時間もちょうど終わりみたいだし、重井さん達にも報告しないといけないし」
その匠海の言葉に、貴子は少しほっとして頷いた。お隣りの重井家は、近所でも特にお世話になっているお宅だ。その重井の名前が素直に出てきたことで、匠海が本当にキヨエの生活の中に居るんだという事が分かったからだ。だが、ほっとして匠海の背中を追いかけようとしたのも束の間、貴子はふと何かに気づきその足を止めた。
「…え、二人で暮らす?」
そうだ、キヨエは匠海の事を、住み込みでと紹介していた。
あの、大きな家に二人きり。まさか、匠海と自分の間に問題が起きるとは思わないが、初対面でいきなり同じ屋根の下で二人きりとは、どうなのだろう。
「あ、あの、匠海くん」
キヨエは簡単に言ってのけたが、いくらキヨエに雇われているとはいえ、匠海にだって言い分はある筈だ。匠海だって、いきなりキヨエの親族と暮らすのは気を遣うだろうし、心が休まらないだろう。
とにかく、匠海の意見を聞かなくてはと、貴子が小走りで匠海の隣に並べば、匠海は気づいて足を止めた。
「さっき、おばあちゃんが言っていた、二人で暮らすっていう事だけど、」
「あぁ、俺、住む場所もなかったんで、それならキヨエさんが一緒に暮らそうって言ってくれて、住み込みにしてくれたんです」
「…そ、そうなんだ…」
今、聞きたいのはそれではないのだけれど、ここで貴子は改めて疑問を浮かべ、言葉が途切れてしまう。
一体、キヨエはどこで匠海と知り合ったのだろう、まさか、従業員と同居していたなんて、母達は思いもしないのでは。そう考えると、貴子は不安に瞳を揺らした。キヨエがまっさきに貴子に連絡を寄越したのは、若い青年と共同生活を送っている事を母達に知られたくないからではないか。だとしたら、その秘密を一人知るのは荷が重い、別にやましいことは何もないだろうが、それはそれでどうして黙っていたのかと、今度は自分が母達に責められそうだ。
「…あの、」
「は、はい!」
いつの間にか考え込んでしまい、貴子は匠海に声を掛けられ、びくりとして顔を上げた。そんな貴子の反応を、匠海はどう思ったのか、どこか戸惑うように視線を足元へと向けた。
「…すみません。キヨエさんは、ああ言ってましたけど、キヨエさんが戻るまで、俺はあの家には帰らないので」
「え、でも、住む場所がないってさっき、」
「キヨエさんが雇ってくれたから、その好意に甘えて暮らさせて貰ってたんです。家主がいないのに、その家で過ごすことは出来ませんから。俺は別にどうにでもなるんで」
そう、匠海は何でもないことのように言う。出会ってから殆ど表情が変わらないので、それが本当の事なのかは貴子には分からなかったが、匠海が自分に遠慮しているだろう事は、なんとなく察しがつく。
「そ、それはダメだよ、匠海くんはあの家でいつも通り過ごしてよ。私の方が部外者なんだから」
「貴子さんはキヨエさんの家族です、部外者は俺です」
「でも、私はお客さんとしてしかあの家で過ごした事ないよ。いつからかは知らないけど、ずっとおばあちゃんと暮らしてくれていたのは匠海くんでしょ?ごめんね、色々と、おばあちゃんのこと助けくれてたんでしょ?おばあちゃんだって、きっと匠海くんのこと、他人なんて思ってないよ、だって、今まで匠海くんと生活しているなんて私達知らなかったし、匠海くんとの暮らしが安心出来るものだったから、何も言わなかったんだろうし…」
いつの間にか必死に言い募っている自分に気づき、貴子ははっとした様に顔を俯けた。