たくみくんと夏15
そして、そんな穏やかな時間も終わりを迎える。駅前で、車は停車した。駅前には、登山の団体客が出て来たところのようで、いつもより賑わいを見せていた。
「ありがとう、送ってくれて」
「いえ、中まで荷物持ちます」
「え、いいよ、ここで。車もそんなに停めておけないでしょ?新幹線も、もう来るだろうし」
「…そうですか。あ、荷物取ります」
「…ごめんね、ありがとう」
俯いた匠海の様子が少し気になったが、貴子は礼を言って、先に車を降りた。匠海は、車から貴子の荷物を持って降りてくる。
「…色々、ごめんね。ありがとう」
「いえ、こっちこそ…気をつけて下さい」
「うん」
匠海が気を遣いながら荷物を手渡してくれる。もうお別れだが、匠海と目が合う事はない。伏せられた視線は、何を思っているのだろう。貴子はその様子を見上げつつ、笑顔で荷物を受け取った。正直、胸の中は、ざわざわと靄が広がりつつあって落ち着かないけれど、これで暫く会えないのなら、最後くらいは笑顔で別れたい。
「腕が治ったら連絡して?また食べに来るから」
「…はい」
「迷惑かけちゃうけど、おばあちゃんの事よろしくお願いします」
「それは、俺の方こそ、です」
「はは、そんな事ないよ。おばあちゃんが出会ったのが、匠海くんで良かったって思ってるんだから」
すると、匠海が顔を上げて、ぽかんとするものだから、貴子は何だか恥ずかしくなって、そそくさと身を翻した。それから、「またね」と、駅に向かえば、匠海から「あの」と声を掛けられた。
「…腕が治る前でも、連絡して良いですか」
赤くなった頬を俯ける匠海に、貴子は擽ったさが胸に溢れて、思わず笑みを零した。
「勿論、いつでも連絡して!私からも連絡するから」
「は、はい!」
嬉しそうにパッと顔を上げた匠海に、貴子まで嬉しくなる。別れは笑顔で手を振れた。
この気持ちの行き着く先は果たしてどこだろう。
新たな家族が出来たみたいで嬉しいのか、はたまた別の感情が芽生え始めているのだろうか。
「…いやいや、何を考えてるんだか」
貴子は行き着く思考に自分で呆れ、それに、と続けて思い至った考えに、小さく息を吐いた。
「…そっか」
もう、暫くこの場所に来る事はないんだな。
駅のアナウンスが聞こえてくるホームは、観光客で賑わいを見せているのに、どうしてかそれを唐突に思い知ってしまうと、ひとりぼっちのような寂しさに体全体を覆われたような気がしてしまう。
気持ちを切り替えようと、来た時よりも重くなった荷物を抱え直した。増えた袋の中には、お土産が詰まっている。匠海のお蕎麦の他に、一輝達からも、あれやこれやとご当地の食品をいただいてしまった。それは、毎度の事ながら手当たり次第といった具合で、全国どこのスーパーでも買えるようなお菓子も入っていたりしたが、あれやこれやと押し切られ、有り難く頂戴する事にした。
そこで、ふと、覚えのない包みが目に入った。
「…こんなの、貰ったっけ?」
薄い紫色が綺麗な包みは、お弁当箱の包みみたいだ。結び目の所には、二つに折られたメモ用紙が挟んである。貴子はそれを手に取ると、目を瞬いた。
そこには、匠海からのメッセージが書かれていた。
『試食段階です。感想聞かせて下さい』
「え、試食?」
お蕎麦のだろうか、なんでまた急にと、貴子はそわそわとしながら、その包みを開いてみた。中にはタッパーがあり、蓋を開けてみると、そこにはいなり寿司が入っていた。
「わ…おいなりさんだ」
思わず頬が綻んで、呟いてしまう。いつものいなり寿司と違い、揚げの中身が見えるようになっていて、一つは五目いなり、一つは黒糖のお揚げだろうか、もう一つは柚のようだ。それらが二つずつ入っている。
早速食べてみたいけれど、もうすぐ新幹線も来るだろうし、今は泣く泣くそれを大事にしまった。それから貴子は、匠海のメッセージに目を通す。そこには、いなり寿司の説明もなく、意外と綺麗な文字が、用件だけを伝えている。なのに、どうしてこんなにも温かな気持ちになってしまうのだろう。今の今まで、寂しいなんて思っていたのに、今は、胸が擽ったさに覆われていくようで。寂しさで覆われていたのが嘘みたいに、心がふくふくとした温かさに包まれている。
匠海は、自分がいなり寿司が好きだと知っていたのだろうか、そもそも、この試食に、そんなに大きな意味はないのかもしれないけれど。
不意に、別れ際の匠海の姿を思い出す。こちらは大分寂しいと感じてしまっていたのだけれど、それでも今は、匠海が絆を繋げてくれたような気がして、心が少し軽くなる。
「…さっき別れたばかりなのにな」
早速、新幹線の中でいただいて感想を伝えようか、いや、でも、こんなに早く連絡したら、鬱陶しがられるだろうか。
貴子は、ちらりといなり寿司の入った包みを見た。色々考えてみても、このいなり寿司の誘惑に勝てるかは自信がない。
ホームには、間もなく新幹線の到着を伝えるアナウンスが聞こえてくる。貴子はそれを聞いて顔を上げた。
今度は、冬、それとも、少し早めに秋だろうか。
まだ分からないけれど、何でもないようなことも
、その先にある二人までをも繋いでくれたみたいだ。
どこか浮き足立つ思いを抱えながら、ホームの向こうに広がる空を見上げる。新しい日常が始まる予感、降り注ぐ青空に空気を目いっぱい吸い込んで、かけがえのない夏が過ぎていく。
了




