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「おーい、友恵ー帰ったぞー」


 玄関から響く夫の声。

 

「あらあなた、お帰りなさい! ほら奈々、お父さん帰ってきたわよ、迎えに行ってあげて」 


「おとーさーん! おかえりなさいー!」


 迎えにいくのは今年で八歳になる娘だ。元気な声をあげて父を迎えにいく姿には、思わず頬も緩んでしまう。


「さーて、今日の夜ご飯はなにかな?」


「今日はあなたの大好きなエビフライよ」


「わーい、えびふーらいー!」


 そんな微笑ましい会話をしながら、家族全員で食卓を囲む。ホクホクの白米に揚げたてのエビフライ、夫があける缶ビールの音が心地よく鳴る。

 どこにでもあるような平凡で、しかし幸せな光景。


 私、飯塚友恵は専業主婦で結婚して10年目。夫は普通のサラリーマン。娘は大きな病気や怪我もなく、すくすく育って小学校二年生。大好きな家族いて、過不足なく生活を営んでいける。そんな中、ふと思うのだ。彼は何をしているのだろう。



 大好き大好きでたまらなかったあの人は、今何をしているのだろうと。





    ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇





 春麗らかな4月。大学の入学式。

 微かな緊張をもって、でもほがらかな顔をして学校への坂道を新入生たちが歩んでいく。その中に友恵の姿はあった。一人で黙々と歩いている。遠方からの入学であった彼女には、まだ新しい友達はいなかった。新たな土地での新たな生活への不安。元来は内気な少女なのだ、不安に思って当然。それで注意散漫になっていたのだろう。一人の男の子にぶつかったのだ。


 「……ってぇな」


 不機嫌そうな、低い声。


 「す、すいませんっ」


 顔を青くして平謝りする友恵。声から察するに相手は、けっこう怒っているようだ。この先を想像して恐怖が胸中に広がる。

 

 「気を付けて歩けや」


 ぶっきら棒に言い捨て、去っていく彼に何も言えないままの友恵はそのまま見送ることしか出来なかった。これが彼――佐々木高志(ささきたかし)との出会いだった。





 その後は、よくある少女漫画のような物語だ。学部が同じな高志。愛想がよくない彼に最初は腰が引けつつも、その裏にある不器用な優しさに気づいていく友恵。絆されないようにしていても、そう意識してる時点で恋心を自覚するまでは時間の問題だった。

 友人に相談して、彼との距離を縮めていく。上手くいかずもどかしさを感じつつ、狭まる心の距離。ドキドキと胸が高鳴ってきゅっと胸が締め付けられつつも、時には不安や嫉妬に苛まれる夜を過ごす。育つ恋慕の情。そしてとうとうその日がやってきた。


 「お前のことが好きだ。俺と、つ……付き合ってくれ」


 柄にもなく顔を赤くして、そう告白してきたのは高志だった。飾り気のない告白は彼らしくて、友恵はその告白に対して――


 「はいっ!こちらこそよろしくお願いします……っ!」


 ――そう満面の笑みで頷いたのだった。


 








 好きで好きでたまらない、そこから数年は順調に幸せだったが、不穏な空気が二人の間に流れ出したのは、友恵が大学院に行き、高志が就職して社会人一年目の時だった。忙しさによる時間と余裕の無さと、新しい環境によるストレスでお互いに優しく出来なくなっていて、日々お互いに愚痴と不満を言い合う。同棲も始めていたからなおさらのこと、亀裂は深まるばかり。


 「ねぇ、なんでお皿洗ってくれてないの!?」


 「はぁ!? もう少し後でやるって! そうやってすぐ急かすなよ! あー、やる気無くすわ」


 「ならいいよ! もう私がやるから!」


 終始このような感じで言い合っている。このような些細なことでさえ口喧嘩が絶えなくなっていた二人に破局が訪れるのは当然の話しだった。もううんざりしていたのだろう、高志が別れを切り出した。

 

 「……俺たち、もう別れよ」


 返事するのも疲れた友恵は頷くだけだった。






      ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇






 

 家の食材が無くなってきたので買い出しに行き、愛する家族の笑顔を想像しながら帰路につく。そうしていると声をかけてくる男がいた。


 「おいっ、いや、違う、あの、すいません」


 乱暴な口調を慌てて取り作った声が、そしてどこか懐かしい声が耳に届いた。私は振り向きたくないと思っていたのに、体は言うことを聞かなかった。


 「…………高志?」


 「友恵、だよな……? えーっと、久しぶり、元気してたか?」


 「うん、私は元気だよ。高志は?」


 「俺もまあまあやってるよ」


 「そっか」


 会話が途切れてしまった。気まずさを感じつつ、立ち去ることも私にはできなかった。道の途中でなんとなしに黙り込む。さすがに耐えかねて、じゃあと声をかけて家に帰ろうとすると、慌てて呼び止めてきたのだ。


 「ちょっと待ってくれ! あ、えと、今度飯でもいかないか? 無理にとは言わないけどよ……」


 「……予定確認してから、連絡するわ」


 「おう」


 そうやり取りすると、連絡先を交換して帰る。本当は会わない方がいいのは分かっていたけれど、心のどこかで気になっていた彼と会わないという選択肢は私の中にはなかった。夫にも相談しようかと思ったけど、それは流石にできなかった。うまく自分の内面を説明できる自信がなかったのだ、浮気を疑われるのは辛すぎる。

 気になっていると行ったが、断じて浮気心ではない。それだけは断言できるが、このモヤモヤをどうにも言えない。むしろ言語化してスッキリするために行くのだ。



 


 


 土曜日の夜、夫にはママさん繋がりの仲の良い人とご飯に行くって誤魔化して、家をでた。

 高志と入ったのは駅から外れたところにある、彼がオススメという一軒のバー。なんでもカクテルの種類が豊富で味もいいらしい。お酒のあまり強くない彼らしいチョイスだ。それだけのことに懐かしさを覚える。

 とりあえず最初の一杯を頼んで、乾杯。


 「この辺りに住んでるのか?」


 会話の切り口はそんな他愛もないものだった。


 「うん、結婚してからは旦那についてきてね、今はこの辺りに住んでる。そっちは?」


 「俺は普通に会社の転勤でだな。お前と付き合っていた時に入ったとこにそのまま務め続けてるんだ。これでも役職についていて、大きなプロジェクトも任されるようになったんだ」


 「へぇ! すごいじゃない! あの非社交的で余裕のなかったアンタがねぇ」


 「うるせぇな! さすがにしょうがねーだろ。まだ社会人一年目のぺーぺーなんだからよ。………まぁ、その、なんだ、あの時は悪かったよ」


 「今更いいわよ、もう気にしてないし。というか私も悪かったし」


 いざ話し始めると、なんとういうことはない、想定していた気まずさなんてまったくなく、拍子抜けするくらい簡単に話しは弾んだ。

 気づけば数杯おかわりして程よく酔いが回っている。会話が途切れ、あたりを沈黙が包む。先ほどのとは

違い心地よい空気だ。


「……お前、結婚したんだっけ?」


 高志がポツリと問いかけた。


 「うん」


 「そうかぁ」


 頷くと、彼は何かに納得したようだった。どことなくスッキリした顔をして宙に視線をやって想いに耽っていたが、しばらくしてから話し始めた。


 「俺はさ、あの時のこと──別れた時のことな? がずっとどっか引っかかってたんだよ。うまくいえねぇけどよ。でも今なんかハッキリしたわ。

 ……当時はホントにお前のことが好きだった。ありがとう。そしてごめん。今の幸せそうな友恵を見てなんだかとても安心したわ」


 そう言われて、どこかが腑に落ちた。


 「私もそうだったのかも、余裕なくて当たり散らして、そのまま何もなく破局。心のどっかでずーっと気にしてた。別に今の結婚になんら不満があるわけでもないけどね。ただ、モヤモヤしてた」


 「とても大好きでした。私は今幸せです。高志、ありがとう」



 彼は、おう、と私が大好きでたまらなかった笑顔で言った。









       ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇








 「ふんふんふーん」


 上機嫌で鼻歌を歌いながら夕食をつくる。疑問に思ったのか夫と娘が問いかけてきた。


 「妙にご機嫌だが、友恵なんかいいことあったのか?」


 「おかーさん、ごきげんー!」


 「んーん、特にないわよ。それよりご飯できたから運ぶの手伝ってちょうだい」


 どうしたんだろうと首を捻っている夫と、はーいと元気に返事して手伝ってくれる娘。ここには私の大切なものがある。


 「じゃあご飯を食べる前に、手を合わせて──」


 


 ──いただきます、と三人分の声が元気良く響いた。





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