第2話 第五王子レナード・ローウェルの恋煩い
ある夏の晴れた昼下がり、王城の青々とした芝生の上を、楽し気に談笑しながら散歩する新婚夫婦の姿があった。
夫の方は、白銀の髪に淡い青の瞳の第六王子――俺の腹違いの義弟だ。そして彼に寄り添う妻は、銀色の髪に南の海の青を思わせる可憐な淑女、セレスティア嬢だ。
いや、もう彼女はエルドレッドと結婚したのだから、セレスティア嬢と呼ぶのは相応しくないのかもしれない。だが、心の中ではどうしてもセレスティア嬢と呼んでしまうのだ。
ちょっと散歩をするだけのつもりなのだろう。セレスティア嬢は帽子を被っておらず、その見事な銀髪を惜しげもなく夏の日差しに晒していた。きらきらと銀が反射して、眩しいくらいだ。
いや、実際二人の姿はとても眩しい。王子たちの中でも最も端整な顔立ちのエルドレッドと、お伽噺から飛び出してきた姫君のように可憐なセレスティア嬢は、本当によくお似合いだった。あの二人だけ、世界が違うようだ。
現に、使用人たちや庭師も二人の姿に目を奪われている。つい最近正式に夫婦となったばかりの二人は、それくらいに光輝いて見えた。
孤独に生きてきた義弟がようやく幸せを掴んだのだ。それは、何より嬉しいことだった。
それなのに、彼がセレスティアをエスコートする姿を見ると、まだ心のどこかがもやもやとしてしまう気がする。
セレスティア嬢への想いを自覚したのはいつだったか。はっきりと意識してしまったのは、一年前の建国祭の夜会の際に、彼女に対して「可愛い」と口走ってしまったときだが、もしかすると随分前から俺は彼女に惹かれていたのかもしれない。
いつかの雨の日に、頑なにセレスティア嬢に会わせないエルドレッドに反感を覚えて、セレスティア嬢の私室のバルコニーに侵入したのだって、本当に正義感だけだったのかと問われると、今となっては答えに窮する。
もっともらしいことを散々述べた気がするが、本当はあのときの俺は、まだ自分でも気づいていない恋心のために、彼女をあの城から連れ出したかっただけなのかもしれない。
はあ、と小さく溜息をつきながらエルドレッドとセレスティア嬢の姿をもう一度眺める。二人して、甘くとろけるように幸せな笑みを浮かべていた。
俺は、彼女の笑顔が好きだった。中でも、エルドレッドに笑いかけられて、幸せそうに微笑むあの顔が好きだった。エルドレッドがいかに素晴らしいかを語る、彼女の生き生きとした瞳が好きだった。
セレスティア嬢がエルドレッドのことを心から愛しているのは誰の目にも明らかで、気づいていないのはエルドレッド本人くらいのものだった。
その時点で俺に勝ち目などないのは明白だったが、それでも心は思い通りにはならないもので、いつの間にか彼女を目で追うようになってしまったのだ。
義弟の婚約者に懸想するなんて、我ながら最低だ。今までずっと紳士的だ、誠実だなどと言われ、自分でもそれだけが取り柄だと思っていたのに、聞いて呆れてしまう。
なお悪いことに、俺はセレスティア嬢に告白まがいのことまでしているのだ。幸か不幸か、色恋沙汰に鈍いらしいセレスティア嬢は曖昧な俺の告白に気づかなかったらしく、「応援いたしますわ、エルドレッド殿下とともに」という、抗うことも躊躇われるほどのばっさりとした答えを返してくれた。
……いや、もしかしたら彼女は敢えて気づかない振りをしてくれただけなのかもしれないな。
俺とエルドレッドの関係が悪くならないように、瞬時に気を遣った結果という可能性も十分にある。それだけの聡明さも持ち合わせているのが、セレスティア嬢なのだ。そういうところも、好きだった。
そんな苦い告白から数か月が過ぎ、セレスティア嬢は無事に愛するエルドレッドと結ばれたというのに、未だ燻っているこの想いにはうんざりしてしまう。
我ながら往生際が悪いな、と自嘲気味な笑みが零れるのも仕方がないだろう。いい加減、この想いにも区切りをつけないと、俺は前に進めない。
今日だって、俺の婚約者候補となるご令嬢たちが、わざわざ王城までやってきてくれているというのに。
ローウェル王国の名家から、近隣諸国の王女や公女まで、同世代の美しい姫君たちが勢ぞろいだ。近頃の世論は俺を次代の王に望む声が多いらしく、今のうちに俺と繋がりを作っておきたいと目論む家は数えきれない。
王位になんて興味はなかったが、いつの間にかそうも言っていられない立場になってしまった。エルドレッドの掌の上で踊らされていると思うと癪だが、ここまで来たらとことんやってやるのも一興かもしれない。
大国の主となり、民が心穏やかに暮らす世をこの手で作り上げるのもそう悪くないだろう。
セレスティア嬢への想いを忘れられる日がいつになるのかは分からないが、今はただ、前へ前へ進むのだ。
中庭で談笑する美しい弟夫婦を見て、ひとり心に決める。
俺はきっと、セレスティア嬢とエルドレッドの期待を裏切らない、誠実な為政者になってやる。近年稀に見るような平和な世を築くのだ。もう二度と、兄弟同士で殺し合うような、悲しい事件を繰り返してなるものか。
「そのためには、こき使わせてもらうぞ……エルドレッド」
あいつのことだから頑なに表舞台には出ようとしないだろうが、狡猾ささえ窺えるようなその頭は貸してもらわなければ困るのだ。
一人笑みを深めてエルドレッドの後姿を眺めれば、何かを感じ取ったらしいエルドレッドが軽く身震いするのが分かった。
少しだけ、いい気味かもな、などと考えるあたり俺はまだセレスティア嬢のことを引きずっているのだと自覚させられる。でもそれでもいい。お前は祝福の中で初恋の人を手に入れたのだから、それくらいの意地悪を思うくらいは許してくれ。
「レナード殿下、姫君たちがお待ちです」
どこからともなく現れた侍従に、小さく頷き返し、俺は城の中へと足を進める。
くよくよしてもいられない。俺の隣で険しい道を一緒に歩いてくれるような、芯の強い姫君を見つけ出さなければ。
もう一度だけセレスティア嬢の姿を視界に収めたい気持ちを堪えて、俺は振り向くことなく中庭を後にしたのだった。