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猫のニィヤ

ニィヤの えりざべす・からぁ

作者: 茅野 遼

ちょっとした時間潰しに、お気楽にどうぞ。

                1


 高杉家の愛猫あいびょう 『ニィヤ』 は、シャムネコと日本猫の雑種で、雌猫だ。 この冬一月を超えて、漸く一歳八ヶ月になった。

 ニィヤの全身は、茶色がかったクリーム色で、四肢の肘・膝関節から下と、顔の中心と耳、長い尻尾は濃い茶色。 左右の眉は一本ずつ、先っぽがカールしている。 びっくり顔で、瞳の色はブルー……。

 性格は、甘えん坊の気分屋。 少々、人間臭い所がある。

 身体能力の特徴として、瞬発力と跳躍力は素晴らしいが、反射神経がやや鈍い。


 さて、このニィヤには、ある特技があった。


 高杉家の面々が、食卓に着く瞬間。 例えどんな所で何をしてい様とも、必ず家族の揃った食卓の脇に、姿を現す。

 食欲に関してのアンテナの冴えは、かなりの物らしい。

 今日も呼んでもいないのに、ニィヤの首輪についた鈴の音をチリチリと響かせながら、玄関から飛び込んで来た。


 玄関と、居間 兼 客間となっている六畳間を仕切る古いガラス戸を、ニィヤが爪で、カリカリと音をさせながら引っかいている。


「あ、ニィヤだ。 おいで!」

 高杉家の長女、菖蒲あやめが、炬燵に足を突っ込んだまま、上半身を捻って腕を伸ばして、戸を開ける。

『ミニャァーァ』 とでも表現するのが丁度良い様な甘えた鳴声をあげて、ニィヤが六畳間へと侵入する。

(今日は、何のご飯、食べているの?) と、言いたそうだ。 小首を傾げている。


「ニィヤ、本当にご飯の時間だけは、正確に判っているみたいだよね」

 菖蒲は少し呆れたように、両眉を上げている。

「食い意地は、お父さん譲りかしらねぇ?」

と、母、政枝も半分呆れ、半分は感心顔だ。

 ニィヤは、『ニャァ』と、もう一声、甘えた声を上げた。

「ハイハイ、鰹節、持ってくるから」

政枝が立ち上がり、台所へ向かった。


「お、ニィヤも来たか。 そーか、そーか」

 トイレから出て来た じぃじ が、ニィヤを持ち上げ、自分の胡坐を掻いた足の上に、押さえ込みつつ、一番テレビが見やすい、定位置へと座った。

(ちょっと、ご飯、貰いに来たんだけど?) と、ニィヤは一気に不機嫌顔になってしまう。

 じぃじは、お構いなしだ。


 ニィヤは身体を仰け反らせる様にして、前足を頭の上へとクロスさせながら、思い切り伸ばす。

(ちょっと、アヤメ、助けてよ?) と、訴えているようだ。


「お父さん、ニィヤは鰹節、食べに来たんだから。嫌がってるでしょうに」

 政枝が台所から、ニィヤ用の餌皿と鰹節の袋を持って戻って来た。

 菖蒲がニィヤのヘルプに応えて、じぃじの膝からニィヤを持ち上げる。

「はい、ニィヤの好物」

そう言って、政枝から鰹節の載った餌皿を受け取って、新聞紙を広げた上に置く。

「それは、今日の新聞か?」

「そうだよ。 どうせ、もうテレビ欄しか見ないでしょ?」

じぃじに言って、菖蒲はニィヤの食いっぷりを眺める。


 ニィヤは食欲旺盛なのに、食べるのが大層、下手だ。 何時も皿から鰹節を、盛大に撒き散らしてしまう。 それで、新聞紙が必要なのだ。


 家族三人揃って食事が始まる。 菖蒲は自分の食事に手を付けながら、ニィヤの様子を眺める。


 ……と、こんな光景が、高杉家のいつもの食事風景だ。




                 2


 ある時、菖蒲がニィヤの左大腿部に、異変を発見した。

 初めて異変を発見した時からは、少々時間が経っていた。 その時は、大した事は無いだろうと思っていたので以来、数ヶ月間放置してしまっていた。


「お母さん! ニィヤの後ろ足、毛が抜けちゃう!」

 菖蒲の言葉に、政枝が洗濯機から洗い終わった衣類を籠に移しながら、声だけを返した。

「生え変わりの季節かしらねぇ?」

「違う! 一箇所だけ、なんか硬くなった皮膚がくっついてて、一緒に毛が抜けるの!」

 菖蒲の良く判らない説明に、政枝も作業を止めて、居間へと顔を出す。


「どれ?」

 そう言いながら、菖蒲に抱っこされたニィヤの左大腿部に手を伸ばす。

『フニャー……』 と鳴いて、ニィヤが猫パンチを放とうとして、バタバタと動く。

「ちょっと、大人しくして! あら、本当! ちょっと心配ね。 菖蒲、今から車出してくれるんなら、病院に連れて行こうか?」

「いいよ。 お母さん、キャリーバッグ」

菖蒲に言われて、政枝がキャリーバッグを用意する。

 ジタバタとしているニィヤを、二人掛かりで無理矢理キャリーバッグへ押し込んだ。




 ニィヤが連れて行かれた動物病院には、白い服を来た人間がいる。 ニィヤの天敵だ。 その天敵はニィヤの左大腿部の毛を、小さなマッチ箱くらいの範囲分だけ、綺麗に剃り上げてしまった。


瘡蓋かさぶたになっていますが、随分前に作った傷みたいですね。 原因は、この状態では判断がつきませんが……。 少し炎症を起こしかけているようですから、傷跡を綺麗にしましょう」

 そう言って、固まっていた皮膚を剥がして、消毒をした。


『ウゥゥゥゥゥ……ニャギャ! フゥー……』 ニィヤが唸っている。

 菖蒲に押さえられ、自由になる場所は少ないながら、ジタバタと身体を動かしている。


「いやぁ、痛そう……頑張れ、ニィヤ。 イイ子、イイ子」

「本当に、何時どこで、こさえて来たのかしらねぇ……」

と、政枝は首を捻る。


(あやめ! 放してよぉ! ちょっと、そこの白いヤツ、なぁにすんのぉ?!) と、ニィヤは猫語で言っているのかも知れない。

『フニャ! ニャゥゥゥゥゥ……』 としか、人間の耳には聞こえない。


「がんばれ、後ちょっと! 大人しくして!」

 と、声を掛けながら頑張る菖蒲に、政枝も加勢をする。 獣医はニィヤの首筋から、注射針を引き抜いた。

 薬を用意し、政枝と菖蒲に説明をしながら処置を続ける。

「処置の方法を、見ていてくださいね。 一日二回、朝・晩に、こうやって傷口を洗い、膏薬を塗って、この白い粉を掛けて下さい。 ゴメンね、痛いね……」

 最後の言葉は、ニィヤを宥める猫撫で声だ。 その言葉通り、ニィヤはその粉を掛ける処置の時、本日中で一番の唸り声をあげる。


(いっっったぁーい! やめてぇぇぇぇ!) と、叫んでいるようだ。

『フゥゥゥゥ、ニャァァァァァァァァ!』 と、三人の耳には聞こえている。


 菖蒲と政枝の眉が、思い切り可笑しな角度に縮まり、眉間が狭まって額に皺が寄る。

「痛そう……」 つい、菖蒲が小さな声を出す。

「この粉が、一番沁みるかな? 傷口を乾かす作用があるんです。 可哀想だけど」

獣医も気の毒そうに、軽く眉を潜めている。

「傷口を舐めないように、エリザベスカラーをして置いてくださいね」

言いながら素早く、ニィヤの首にエリザベスカラーを巻きつけた。


『……ゥゥゥゥゥ』 今度は痛みではなく、急に狭まった視界と首から上の違和感に、ニィヤがエリザベスカラーを治療台の上に擦り付けるような仕草をしながら、後退りをする。


 ヨチ、ヨチ、ヨチ、ヨチ……。  そんな効果音が最も適している様な、見事な後退り!


「……可哀想だけど……、プ!」

 菖蒲は、つい吹き出してしまった。

「可愛い……」

クスクスと、……いや、クククク、と、声を潜めて笑ってしまう。 政枝も釣られて、ちょっとだけ吹き出してしまった。



 高杉家へ帰宅して、ニィヤの出で立ちを見たじぃじは、目を丸くした。

「頭に、囲いをつけられたのか」

そう言って、背中を向けて縮こまっている、頭の部分のシルエットが逆三角形になってしまったニィヤを、観察していた。




                 3


  今日のニィヤは、元気が無い……いや、元気はある。 何とか首筋にくっ付いた、妙な形の邪魔な物体を外してしまおうと、家中あちらこちらの突起部分に、その妙な物体を擦りつけながらヨチヨチと歩き回っている。


(いやぁぁ! 周りが良く見えないぃぃ! いらない、いらない、こんなのいらない!)

『ゥゥゥゥゥゥゥゥゥ……』  ズズズズズ、カタカタカタ、タタタタタタタタタ……!


 ニィヤの唸り声と、エリザベスカラーがあちらこちらへ擦り付けられる微妙な物音の、協奏曲が聞こえて来る……。


「ニィヤ、暫らく外へは出して上げられないから、お父さんも気をつけてね?」

 菖蒲がニィヤの様子を見ながら、じぃじに言っている。

「外、出したら駄目なのか?」

「車道に出ちゃったら、視界が狭い分、車が来るのも分からないでしょう?」

「事故、起こさないように、可哀想だけど外には出せないよ」

政枝と菖蒲に言われて、じぃじも「ふぅーん」 と言って、頷いていた。



 夕食時間となり、ニィヤはやっぱり高杉家の食卓周りに現れる。

「ごはん、どうやって食べるんだろ?」 菖蒲がふと、疑問を口にする。

「上げてみれば、分かる」 じぃじが言って、自ら台所へと行き、鰹節と餌皿を持って来た。 じぃじだって興味津々だ。

「ほれ、ニィヤの好きな鰹節だぞぉ」

言いながら、エリザベスカラーに囲われた、ニィヤの頭の前に、鰹節の載った餌皿を押しやってみた。


(あ! 美味しいのが、目の前に!) ピクリ、と反応するニィヤ。 直ぐにエリザベスカラーの中で首を伸ばして、舌を伸ばす。

 ハグ、ハグ…… (……う、届かない……) きっと、この邪魔なモノの所為だ。

 畳に邪魔なモノの縁を押し当てる。 邪魔なモノの首側の縁が、ニィヤの首を押さえつけて、ゲェ、となる。


「やっぱり、ご飯食べてる時ぐらいは外して上げようか?」 菖蒲が言って、ニィヤの首から、カラーを取り外してやった。


(ごはん、食べられるぅぅぅぅぅぅ!) と、思ったかもしれない。

 ニィヤが鰹節を貪る様に、舌を忙しなく動かし始める。 勢いが付き過ぎて、餌皿がドンドン前へとずれて行く。

(ちょっとぉ! 待ってよぉ!) と、益々、力強く舌を動かす。 また、餌皿が逃げて行く……。


「ニィヤ、タダでさえご飯食べるの下手なのに……」 と、菖蒲が気の毒そうに呟いた。

「食えないなぁ、中々。 焦り過ぎてんだな」 と、じぃじは半分、笑っている。


 歩くのにも邪魔、首は重い、ご飯もゆっくり食べられない。 その上、普段は余りしないけれど、猫としての身嗜み・毛繕いをする事も出来ない。

 ニィヤの中で、ストレスと言う名の怪物が、ムズムズと動き出してきた。


 翌日からニィヤは、便秘になってしまった。

「猫も便秘になるんだねぇ……」 と、政枝はちょっとだけ感心していた。



 菖蒲は、余りにニィヤが可哀想なので、エリザベスカラーを外す時間を、少しだけ作ってやることにした。

「外している間は、傷口舐めないように気をつけて上げないとね」

そう言って、傷口に手で軽く蓋をして、猫の安心するツボがある眉間の辺りを、指で撫でてあげた。

 ニィヤは子猫の頃から、そうしてやるとグッスリと眠ってしまう癖がある。

(……ふぅ。 いい気持ち……) 『フニャァ……』 スー、スー、スー……と、寝息が聞こえだす。

 本の少しの間だけ、ニィヤに平和が訪れた。



 可哀想ではあるが、仕方が無い。 目が覚めれば、またニィヤの首にはエリザベスカラーが取り付けられてしまうのだった。




                  4



 更に数日が過ぎ、漸くニィヤの傷口も回復をして来た。 ここまでには、ニィヤを動物病院へ何度か連れて行っている。

 エリザベスカラーにも、少しだけ慣れて来た様だ。


 けれど、邪魔な事は変わらない。 あれから、ニィヤは一つの技を身に着けてしまった。 家中のあちらこちらへとカラーを擦り付けて、上手くすると、弱くなって来てしまったカラーの結合部分のマジックテープが、ペリペリと音を立てて剥がれてしまう。

 高杉家の面々は、それを見つける度に、慌ててニィヤを追いかける。


「猫の舌はザラザラとしていますが、あのザラザラで餌の肉を削って食べるんです。 なので傷口が痒くて舐めてしまうと、折角、治りかけた処をまた、削ってしまうので」

 と、ニィヤの天敵、掛かり付けの獣医さんに言われていたので、慌てるのだ。



 今日は、じぃじの畑から更に、近所の庭へと出て行ってしまったようだ。

「全く、どこに行ったのかしら?」

政枝は朝からニィヤを探して、家事の合間も休憩が出来ないでいる。

「もう傷口も大分、塞がってきていたから、平気じゃないか?」

じぃじも協力してニィヤを探していたのだが、昼食時間に言い出した。 ニィヤを探すのが、面倒くさくなってしまったのだ。

「それはそうだけど……」

政枝が小さな溜息をついた時、ニィヤの首輪の鈴音が聞こえてきた。

「飯の時間には、必ず帰ってくるなぁ、ニィヤは」

鈴音を耳に入れたじぃじが、少し感心したように言った。


 じぃじが感心した一言を言い終えた時、ニィヤが何事もなかったような顔をして、高杉家の食卓周りへ姿を現した。

(ご飯、ご飯!) 等と思っているのかも知れない。 『ミニャァーァ』 と、甘えた泣き声を上げる。


「お前は、散々、探させておいて、呑気な猫だわねぇ。 ハイハイ、鰹節、持って来てあげるから」

 政枝はホッとした顔で言って、台所へと立つ。

「もう、傷も平気そうだな、エリザベスカラー、取っておいても良いんじゃないか」

じぃじはそう言って、のんびりと昼飯を取り始めた。 政枝が台所から戻って来て、ニィヤの顔の前へ鰹節の載った餌皿を置いた。

「そうだねぇ、もう、外しておこうか?」

言いながら、テレビの横に置いてあったカラーを眺めやる。



 数分後、食事を終えてエリザベスカラーを手に持った政枝の姿を目に入れたニィヤは、早速奥の部屋へと逃げ出した。

「もう、つけないから良いのに……」

分別のゴミ袋へカラーを入れてしまいながら、政枝が少し呆れた顔をしていた。


 家族が誰も、カラーを片手に追いかけてこない。 ニィヤはベッドの下で、埃塗れになりながら、目を丸くしている。

(あのヘンなの、もうつけなくても良いのかな……?) と、思っているのだろうか?

 暫らくしてから、おずおずとベッドの下から這い出してきた。



 長女・菖蒲が帰宅して、ゴミ袋の中に捨てられた、ニィヤのエリザベスカラーを発見した。

「お母さん、もう、カラー着けなくて良いの?」

娘に聞かれて、政枝が答える。

「もう大丈夫そうだから、外してしまう事にしたよ。 ニィヤがソレを外していなくなる度に、探しているのも大変だから」

「ふーん。 ま、その方が、イイかもね」


 答えながら菖蒲は、初めてニィヤがエリザベスカラーを取り付けられた時の事を思い出した。

「でも、あの後退りは、面白かったな……」 そう呟いて、ゴミ袋からそっとカラーを拾い上げた。

『その内、またつけて遊んでみようっと!』 そう、思っている。



 久し振りに厄介な物から開放され、呑気にベッドの上で丸くなって熟睡していたニィヤは、何かを感じて目を覚ました。


(何か、ヤな予感がする……) と、感じたのかも知れない。


 キョロキョロと周りを見回して、自分の周りに怪しげな気配の無い事を確認してから、ニィヤは再び安堵を取り戻して、夢の中へと旅に出る。



 菖蒲の含み笑いは、夢の中のニィヤには届かなかった。




                 ( お わ り )




ありがとうございました。 これからも、最低一月に一話くらいは、短編を上げられるように頑張ってみようかと思いますので、よろしくお願いします。

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