第二百二十三話 歓待の宴
医療所の待合室に向かうと、やはり疲労が出たのかミサキはスズナの膝を枕にして眠っており、そのスズナは隣にいる五十嵐さんの肩に頭を預けていた。
「アリヒト殿、お疲れ様です」
声の音量を抑えて言うのは、五十嵐さんにさらに寄りかかられているセラフィナさんだ。彼女はこちらを見ると目を見開き、顔を赤らめる。
「……テレジア殿が負傷されているので、ということですね」
「は、はい。まあそういうことで……セラフィナさん、大変でしたね」
「いえ、これくらいは何でもありません。鍛えていますから」
「アリヒト、テレジア、エリーティア。おかえり」
メリッサも眠っていたようだが、むにゃむにゃと目を擦りながら声をかけてくれる。彼女の膝枕で眠っているのはマドカだ――あれだけの戦いを終えたばかりなので、みんなゆっくり休まなければいけない。
その時、小さく「くるる」というような音が聞こえた。
「…………」
テレジアがこちらを見ている。これはお腹が空いたということか――いつものテレジアに戻ったという感じがして、真っ赤になる蜥蜴のマスクを見つつも嬉しくなってしまう。
「そろそろ夕食の時間だものね。アリヒト、今日はどうする?」
「ファルマ殿がお店の予約をすると言ってくれていました。そろそろ向かわなければいけませんね」
「ん……ふぁぁ。おはよう、有人さん……いいわね、テレジアさんったら、そんなに素直に甘えちゃって……」
「そうですね……羨ましいです……」
「……お兄ちゃん……浮気は絶許……」
五十嵐さんはまだ寝起きでぼんやりしているようで、スズナも同じようだ。ミサキは何か凄いことを言っているが、どんな夢を見ているのだろうか。
「……キョウカ、今……」
「え、ええと……ほら、みんなしっかり目を覚まして。夕食を食べに行くわよ」
エリーティアが眠っているメンバーを起こしていく。そして、最後にセラフィナさんを見やって言った。
「一度宿舎に戻って、装備を外してからにしましょう」
「ええ、そうですね。このままでは物々しさはありますし」
「皆さん、お疲れ様です……あら、起きていらしたんですね。先ほどはゆっくりお休みで……」
席を外していたルイーザさんが戻ってくる。彼女もこちらを見て目を止める――やはりテレジアを担いだままでは気になるだろうか。
「……アトベ様、『後衛』をされているのに逞しいんですね」
ルイーザさんがテレジアを支える俺の腕にそっと触れてくる――その部位は確か上腕三頭筋だっただろうか。
「ま、まあ……俺もそれなりに鍛えられてるというかですね……」
「ルイーザさん、だんだん思ったことをそのまま言うようになってきてない……?」
「キョウカも……ううん、何でもない」
メリッサが何を言おうとしたのかは想像がつくが、頭に疑問符を浮かべている五十嵐さんを見ていると、言わぬが華というやつだろうか。
◆◇◆
『フォレストダイナー』では前に白夜旅団に会ったということもあり、ファルマさんは別の店を選んでくれていた。
アデリーヌさんも部隊に顔を出したあと、夕食を俺たちと一緒に摂ることになった。どうやら今日一日は食事なしで手配されていたようで、朝まで食事抜きにならずに済んだと喜んでくれている。
中位ギルドの建物からは離れた場所にある、一軒家のような見た目のレストラン。個人で経営しているという料理店『異邦人』――どんな料理を出してくれるのだろうかと楽しみにしつつ入店すると、そこで待ってくれている人がいた。
「マリアさん、来てくれていたんですね」
料理人のマリアさん――俺たちをこの街で待つと言ってくれていたが、今日のうちに会えるとは思っていなかった。
「こちらの店で修行をさせてもらったことがありまして、ぜひ紹介したいと思い、ファルマ様に推薦させていただきました」
「勝手に気を利かせてしまったみたいだけど良かったかしら……?」
「はい、ありがとうございますファルマさん」
ファルマさんは安心したように胸を撫でおろす――それだけの仕草でも目が行ってしまう豊かな胸だが、鋼鉄の意志で視線を止めたりはしない。
「ふふっ……良かった。私がお料理を作る方向でも考えていたんだけど、区によって手に入る素材も全然違うのよね」
「以前スタンピードで出現した『デスストーカー』なども出回っていますが、蠍肉は少し癖がありますので、今回は魔物を材料には使っておりません」
「イビルエイプも貯蔵庫に入ってるけど、二足で歩く魔物は食べない人が多い」
それを聞いて皆安心している――そういった魔物を食べる文化も迷宮国にはあるのかもしれないが、なかなか踏み切れないものはある。
「では、こちらの席においでください。シオン様はこちらへ……」
「バウッ」
護衛犬のための食事スペースも用意されており、シオンは尻尾を振ってマリアさんについていく。大きめのテーブル二つに分かれて座ると、マリアさんの手を尽くしたコース料理が始まった――最初の一皿は、透明でシンプルなスープだ。
陶器の匙ですくい、一口含む。マリアさんが俺の反応をじっと見ていてちょっと落ち着かないが――。
「っ……う、旨い……!」
思わず声に出してしまう。料理を持ってきてくれた壮年の男性と女性が嬉しそうに微笑む――マリアさんに料理を教えた、この店の店主夫婦だ。
他の皆も恍惚としているというか、この味には言葉が出ないようだ。ミサキは隣にいるスズナに何かを訴えかけているが、そのスズナも珍しく目に見えて感激している。
「こちらはこの区で手に入る七大材料のうち五つを使ったスープです。もう二つも揃うとさらに美味しいのですが。寿命が七日伸びるという逸話もあります」
店主夫婦の奥さんが説明してくれる。奥さんが何というか瑞々しく見えるのは、日頃食べているものの影響だろうか。
「七大材料、そんなものが……」
「七つの迷宮でそれぞれ採れるので、入荷がまちまちなんです。マリアちゃんがあちこち走り回って五つも揃えてくれて……」
「そうだったんですか……」
みんな感激しきりだ――いつも食べるペースが早いテレジアも、ゆっくり味わっている。そして『ちゃん』付けで呼ばれたマリアさんは、心なしか照れているように見えた。
◆現在の状況◆
・『山水五宝のスープ』の効果:パーティの回復力上昇、その他 が発生
(その他……その他も気になるんだが、聞いていいものなのか……?)
「ふぅ……美味しかった。つい夢中になっちゃったわね……」
「はぁーん、こんなスープどうやって作るんですか? もうこれだけで幸せなんですけど」
「これが一品目だったら、次のメニューはどうなっちゃうんでしょうか」
五十嵐さんとミサキもかなり感動しているようだ――そしてスズナの言う通り、マリアさんの出してくれるコースはあと三品もある。
次に出てきたのは魚料理だ。マリアさんによるとポワレという料理で、これも五番区迷宮で捕れる白身魚を調理したものだという。
「口の中でホロリとほどける……こんな料理が食べられるなんて、私、隊長についてきて良かったです……!」
「確かにマリア殿の腕は大したものだが……もう隊長ではないのだがな」
もう一つのテーブルでアデリーヌさんが隣の席のセラフィナさんに抱きついている。これほどの料理をこの人数分用意してくれているのだから、マリアさんはやはり只者ではない。
「こちらは『震える山麓』で獲れました『翻弄のヘラジカ』のグリルでございます」
「ええっ……私鹿肉って食べたことないんですけど、それもヘラジカですか?」
鹿肉はジビエが好きな同僚に連れられて食べたことがあるが、多少癖があるという印象だ。
ミサキ以外にも食べたことがないメンバーがいるようだが、見た目は美味しそうなステーキだ――赤身だが程良くジューシーに焼かれている。
「『翻弄のヘラジカ』は狩猟適正レベル12の魔物で、とても引き締まった肉質です。そのままでは噛み切れないほどですが、当店独自の処理により柔らかく仕上げております」
マリアさんが料理の説明をしてくれる。鉄板の上で音を立てる肉にナイフを入れると、スッと抵抗なく通る――そして口に運ぶと。
「……ニャニャッ……!」
フェリスさんが思わずといった様子で声を上げている。奥さんの向かいに座ったライカートンさんは照れて顔を赤くしており、メリッサはその横で黙々と食べている。
これまでも美味いものを口にする機会はあったが、こと肉料理に関しては、このヘラジカを食べると認識が変わってしまう。
「……ふふっ……美味しくて笑顔になるって、こういうことなのね」
「そうですよね……頬が緩んじゃいますよね、こんなに美味しいと」
エリーティアとスズナが顔を見合わせて笑っている。俺も全く同じ感想だ。
◆現在の状況◆
・『アリヒト』が『翻弄のヘラジカ・ステーキ』を摂取 →敏捷性が上昇 『血気』が発動
敏捷性が上がる――そういった能力はどれだけ上がってくれても助かるが、おまけのようについてきた効果が気になる。
「あの、このステーキの『血気』って効果は……」
「はぁーん、見たこと無いけど、ヘラジカさんに迷宮で出会ったら思わず礼をしちゃいますよ。食べてると身体がポカポカしてきますし」
「『翻弄のヘラジカ』の肉は滋養が多いと言われています。私も試食しておりますが、能力の上昇とともに回復に良い効果が生じます」
「今夜のコースで、疲れなんて一気に吹き飛んじゃいそうね……」
「……キョウカさん、今日は飲まれます?」
ルイーザさんが五十嵐さんに控えめに尋ねる。五十嵐さんは俺を見る――今日は初手で酒を頼んでいないので、飲んでいいものか遠慮していたようだ。
「ええ、もちろん。俺も少しもらいます」
「そうでなくてはな。わしもシュタイナーと飲みに行くと酒を出してもらえんことがある。翡翠の民の性質も難儀なものじゃな」
「それじゃアタシももらうわね。ここのお店、お酒は何が置いてあるの?」
「ワイン、ウィスキー、エールと取り揃えております。翌朝にお酒が残りにくいような肴もございますし、それにこのようなものも……」
マリアさんが持ってきたのは瓢箪――そこには漢字で『迷宮ノ月』と書かれている。
「これって、日本酒……ですか? 作るのはかなり大変なんじゃ……」
「いや、聞いたことがあるぞ。『杜氏』という職を選んだ者がいて、迷宮国で故郷の酒を再現しようとしていると」
「え、ええ、私も噂で……まさかこんなところでお目にかかれるとは」
ライカートンさんが眼鏡の位置を直しながら言う。彼も結構お酒には目がないようだ――と、フェリスさんが何かに気づいたように店の奥を見ている。
「……お母さんが、何か奥に隠してるって」
「ご明察です。マタタビ酒が一本ございますが、お召し上がりになりますか?」
「……ゴロゴロゴロ。ニャ」
フェリスさんが喉を鳴らしている――マタタビ酒なんて飲んだら彼女はどうなってしまうのだろう。前も飲んだことはあるが、今日の夕食はなんというか、身体が熱くなるようなものばかりで相乗効果が出ている。
「……ファルマ、ヴァンダムは4番区にいると聞いたが」
「はい、良い仲間の皆さんに恵まれて……この五番区でアシュタルテと別れたのは、彼なりの考えがあってのことだと思います」
ヴァンダムさんというのはファルマさんの旦那さんの名前のようだ。アシュタルテのレベルは13だったので、4番区に連れていくこと自体は可能だったと考えられる。
「俺たちが四番区に進んで、その時にまたファルマさんを呼べたら……」
「い、いえ……私のことはお気遣いは必要ありません、連絡は取れていますし。アトベ様方が思う通りになさってください」
「そうは言うが、欲求不満が顔に出ているのでな……と、虐めてはならんな」
「それは……そうですが。でも、大人ですから」
ファルマさんの言う『大人ですから』には、多くの意味が込められているように感じる――というか、オーダーした酒が出てきてから皆の頬が紅潮して、艶っぽく見えてしまう。
(というか……欲求不満って、セレスさんも何気なく爆弾を落としてるような)
「……お気になさらないでくださいね? 私にとってアトベ様は弟のようなものだと、一方的ですが思わせていただいていますので」
「それは……ええと、俺もきょうだいとかはいなかったので、とても光栄というか……」
「後衛だけに光栄ですね! てへぺろー!」
「っ……ミサキちゃん、私たちの飲み物はジュースだけど、こっちを飲んでしまってない……?」
「えー、ちょっと言ってることよくわかんない。スズちゃんも遠慮なく飲みなよ、今日は無礼講なので。無礼講ってどういう意味ですか、お兄ちゃん」
迷宮国では酒を飲める年齢に制限がないとはいえ、パーティの大人として責任を感じてしまう。
「アリヒト、あなたもまだシラフでしょ? 今日はもう少し飲みなさい、祝うべき日なんだから」
「あ、ありがとうございます……コルレオーネさん」
コルレオーネさんに促されて、今日はワインを飲んでみる――昔飲んだワインは酸味が強く感じたが、今日のものはまろやかで飲みやすい。だが、喉越しからして度数は高めのようだ。
「あら、いける口じゃない。色々飲むよりエール一本で通すみたいな主義の人もいるのよね。それはそれでアリだけど」
「コルレオーネさん、それってテキーラじゃ……平気でいきますね」
「昔はお酒で火吹き芸なんかもしてたのよ。アンタはそんな無茶しちゃだめよ?」
あっさりと凄いことを言っているコルレオーネさん――どう見ても迷宮国に来る前は武闘派だっただろう彼と、こうして笑って酒を酌み交わしているのが不思議だ。
「ご歓談のあと、頃合いになりましたらアントルメ……デザートをお持ちいたします。ご希望の方は三つのメニューからお申し付けください」
マリアさんが一礼して厨房に入っていく。ミサキは今度は上機嫌でマドカに絡んでいる――デザートをどうするか相談しているようだ。
「せんぱーい、私もギルドセイバーでもうちょっと偉くなりますからね、見ててくださいねえ~」
「分かっている、期待しているからな。あまり寄りすぎるな、暑くなってくる」
「そんなこと言わないでくださいよ~」
セラフィナさんにアデリーヌさんはこれほど懐いているのか、と微笑ましくなる。後輩に慕われすぎて少々困ってしまったのか、セラフィナさんはこちらを見て照れ笑いをしていた。
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