第二十話 魔石と黒箱
エリーティアの体力は七割ほど減っている。彼女が自身でポーションが貴重だと言っていたが、その言葉通りに彼女も所持していないのか、それとも使う気力がないのか、ずっと剣を突いて立ち尽くしたままでいる。
「エリーティア、大丈……」
「っ……」
後ろまで来て声をかけようとした瞬間、彼女は糸が切れたようにバランスを崩す。なりふり構っていられず、後ろから飛びつくようにして何とか支えた。
「……ありがとう……情けないけど、身体に力が入らなくて」
その声は穏やかさを取り戻している。先程までの、言い方は悪いが周囲に撒き散らされるような殺意は、ベルセルクの解除と共に消えたようだった。
「……レベル8の実力、見せてもらったよ。ちょっと剣士とは、相性が悪かったみたいだけどな」
「『名前つき』は、時々、耐性を持っている個体がいて……でも、この迷宮で出現する個体には、耐性はつかないと言われていたんだけど……検証が足りていなかったみたい」
オークの『名前つき』をあえて出現させる探索者などいない。その理由が、この迷宮の難度に見合っていないからだというのは、今の戦いで理解できた。
もう一度『支援回復』が発動して、支えているエリーティアの身体に、わずかに力が戻った。
「さっきも感じたけど……アリヒトが後衛についてから、痛みが薄れていってる……」
謎の力で癒やされているというのも不安を与えるかもしれないので、ここはある程度説明しておくべきだろう。
「後衛につくと前衛の体力を回復できるっていう技能があるんだ。ここで休憩すれば、すぐに回復すると思う。ポーションは、やっぱり貴重なんだよな」
「……上の区での使用量が多すぎて、供給が足りないの。ポーション作成ができる人も、ここで買うよりも、商人組合を介して上の区で売った方が高いから……」
そんな状況だと、職業選択で『薬師』的なものを選んだ転生者は、材料さえ集められれば左うちわの生活を送れているだろう。
だが、どの職にも需要があり、役割があると俺は思う。適性がなければ希望する職にはなれないというのも、皆が多彩な職を選択している状況を作っていて、今のところそれに問題は感じない。
「……そうだ、ミサキは……良かった、無事だったな」
「……あの子、悪運は強いみたい。私も、守りきれるか自信はなかったから……良かった……」
エリーティアは無謀なことをしたミサキを責めることもなく、助けられたことを心から喜んでいるようだった――その潤んだ目を見ればわかる。
「ミサキちゃん、待っててね、すぐ解いてあげる……」
「テレジアさん、ショートソードで縄に切れ目を入れてあげて」
「…………」
五十嵐さんの指示を受け、テレジアが縄にショートソードの刃を当てる。ミサキは至近距離でジャガーノートの姿を見たからか、気を失ってしまっていた。手と足の縄を切ると、痛々しくも赤く締め付けられた後が残ってしまっている。
「あんなふうに他の探索者を拘束したら、カルマが上がるんじゃないのか? 犯罪者になってでもジャガーノートの収穫を得ようとしたのか、あいつらは」
「ライセンスのカルマ検知には、抜け道があるの。ミサキは脅迫されるか、大事なものを取られるかして、彼らの言うことを聞かされたのよ。幾つか方法はあるけど、一番わかりやすいのは、わざとミサキに攻撃させること。その報復として拘束したということなら、カルマは相殺されるの」
(そういうことか……まるで当たり屋だな)
「だけどそれはライセンスの見た目上の話だから、彼らのしたことをギルドに報告すれば、審判が下されるわ」
「……ミサキに証言してもらって、あいつらを裁いてもらう。それが良さそうか。俺たちが戦闘したのは問題ないか?」
「あちらが先に撃ってきたようだから問題ないわ。探索者同士が争うことももちろん禁じられているけど、彼らはジャガーノートの収穫に目がくらんで、馬鹿なことをしたのよ」
レッドフェイスの素材も、賞金も、八番区の冒険者にとっては莫大な価値がある。ジャガーノートの素材に価値があり、そして賞金もかけられているなら、どれくらいの額になるか想像もつかない。
しかしこれほどの巨体を持つジャガーノートの素材を、どうやって持ち帰ればいいんだろうか。
「こういう巨大な魔物は、どうやって処理されてるんだ?」
「『運び屋』と言われる人たちがいるわ。大型の魔物を運ぶ専門で、色んな区を行き来して仕事をしているの。だけど、彼らに運んで貰うまえに価値のある魔石の類は採取してしまったほうがいいわ。体内にある『石袋』を開けられると一番いいけど、違う臓器を切ってしまうと危険なことがあるから……爪と、牙と、角を確認してみて」
「俺は目利きができないから、すまないが一緒に来てくれ。歩けるか?」
エリーティアの体力は徐々に回復しているが、まだ足元がふらついている。体力回復による身体の損傷は、酷いところから治っていくらしい――小手が砕け、腫れ上がっていた腕や、鎧が破損して腫れていた肋骨の部分が回復してきている。
「……肩を貸してもらっていい?」
「ああ、わかった。これだけの大きさだと、確認も一苦労だな……」
潰されているファングオークについても、運び屋が運んでくれるなら、手数料を取られても頼んでしまうべきだろう。数十体もいるので素材量も凄まじいことになりそうだ。
「……ん? こ、こいつが宝箱ってやつか……?」
ジャガーノートの巨体の脇腹のあたりに、黒い箱が落ちている。想像していたよりも小さく、鞄のスペースを開ければ入れられるほどの大きさだ。
「名前つきは滅多に現れないけど、宝箱を落とす確率は高いと言われてる。でも、私も名前つきの黒箱を見るのは初めて……探索者にとっては、垂涎の宝なのよ。不用意に開けないで、罠の解除ができる人に頼んだ方がいいわ。町の店でもやっているけど、できればギルドで紹介してもらって」
「ああ、そうさせてもらうよ」
「後部くん、私たちに手伝えることはある?」
「じゃあ、左手の爪を調べてみてもらえますか。魔石があるかもしれないそうなので」
五十嵐さんとテレジアがやってきたので、彼女たちにも調査を頼む。ふと倒した男たちが気になったが、のびたままで動く気配はなかった。
(リヴァルさんに頼んで、ギルドに連行してもらうか……思いがけず大仕事になったな)
「んっ……」
「ど、どうした?」
肩を貸して歩いている途中で、エリーティアが小さな声を出す。やけに艶っぽく聞こえて、思わず動揺してしまった。
彼女は俺を見る。その頬が、少し赤らんでいる――そろそろ、密着して歩いているのが恥ずかしくなってきたのだろうか。ならば離れるのはやぶさかではない。
「……何でもない」
「そ、そうか……おっ、あの額のでっぱりが角だな……ファングオークと違って、角が生えてるんだな」
「オーク系の魔物で角がある個体は、切り取って割ってみると、たまに魔石が入っているの。角自体は強度がそれほど高くなくて素材としての価値がないから、木の実の殻みたいなものね」
ワタダマの『風瑪瑙』も額にくっついていたが、ジャガーノートのドロップ品は角に含まれているということか。これは知っていないと損をしていたので、エリーティアには感謝しなければ。
◆◇◆
ジャガーノートの額の角は何本も生えており、その十本のうち二本から、『破軍晶』『生命石』のふたつが見つかった。
生命石はどの名前つきも落とすことがあるらしく、アクセサリーに加工すると体力の最大値が上がるらしい。『破軍晶』はエリーティアも見たことがないらしく、詳細は分からないとのことだった。
「本当に貰っていいのか? エリーティア」
「最初に言ったとおり、収穫はあなたにあげる。もし私しか使えないようなものに加工するしかないようだったら、その時は買い取らせて」
「そうか。じゃあ、そうさせてもらうよ」
破軍晶は燃焼石のように、武器に組み込むのだろうか。それとも防具か、アクセサリーか――ライカートン氏に見せて、何に使えるか教えてもらえるといいのだが。
「あとは、外に出てから運び屋を依頼して。迷宮前の広場に連絡係の人がいるわ」
「このまま外に出ると、他の探索者に持っていかれないか?」
「誰が倒したかはライセンスに記録されるから、他の人は魔物本体には手を出せないわ。でも、ドロップ品や宝箱までは記録されないのよ。だから、今のうちに取っておけば大丈夫なの」
(なるほど……色々と勉強になるな)
ベルゲンという男たちは、奪っても犯罪にならないドロップ品、宝箱を狙っていたわけだ。ライセンスのカルマ判定について、今回は色々と分かってよかった。
ルールを知っていれば、その穴を突こうとする悪人にも対策ができる。町でも十分に気をつけて行動すべきだろう、『報復』によるカルマ相殺を利用して、悪意を持った人間が仕掛けてくる可能性はある。
「いや、生き馬の目を抜くような世界だな。改めて、パーティメンバーを守らないといけないと実感したよ」
「簡単に誘拐なんてされないと言いたいけど、気をつけないとね。ミサキさんも、これに懲りて慎重になってくれるといいんだけど」
ミサキはまだ気絶しているので、俺が背負っている。支援回復だけでなく、気絶からも起こせる支援治療的なものはないのだろうか――あったら便利すぎるか。
「……むにゃ……お、犯されるぅ……オークはいやっ……」
「い、痛っ! つけ爪で爪を立てるのはさすがに……っ」
ひどい夢を見てるらしく、ミサキが肩に爪を立ててくる。スズナが気遣ってミサキの肩を撫でると、少し落ち着いたようだった。
「……すぅ……すぅ……」
巫女はパーティの精神状態を改善する『お清め』という技能を持っている。エリーティアの事情を考えると相性はいいと思うが、『呪いの剣』という職のエリーティアが暴走すると、それだけでは抑え込めない。
彼女の職についても、できるなら事情を聞きたい。そんな職の名前を自分で書くわけがない――つまり、後から転職したということだ。
ひとまず、運び屋に収穫を運んでもらわなくては。今回の戦いの貢献度がどれほどなのかというのも気になっている。
――通算で、ワタダマが15体、ドクヤリバチ8体、ファングオークが23体。そしてジャガーノート。レベルアップ、信頼度上昇なども計算に入れると、昨日とは比較にならないほどの数値が叩き出されることは、まず間違いなかった。