第二百五話 解錠
翌朝の朝食は、マリアさんがフォレストダイナーに頼んで手配してくれた。
そのマリアさんはというと、ルイーザさんたちと夜のうちに少し話していたそうで、今日は寝室から一番に起きてきて支度をしていた。出勤時の服装ではなく私服だが、すでにエプロンをつけた姿で居間に入ってくる。
「おはようございます、アトベ様。朝食はパンになさいますか? ライスもご用意しておりますが」
「じゃあ、ライスで……あっ、ええと、すみません。マリアさんもまだ起きたばかりなのに、頼んでしまって」
「……こちらこそ、泊まっていくことになるとは思っていませんでしたが、快く許可をくださって嬉しかったです」
「それは良かった。みんなはまだ寝てますか?」
「イガラシ様とルイーザさんは起きていらしていますね。スズナ様も洗面所でお見かけしました」
大人組は朝の支度のために早めに起きているようだ――まだ少し寝ぼけている俺からすると、見習わなければならない。
「…………」
テレジアもすでに起きており、毛布が畳んでソファに置かれている。彼女はトテトテとこちらにやってきて、俺の毛布も畳んでくれた。
「ありがとう。昨日は良く寝られたかな」
「…………」
テレジアはこくりと頷く。過剰に心配してはいけないと思うし、顔色も良いようなので、ひとまずは安心していいだろう。
別室をもうひとつ借りられたので、メリッサと両親はそちらの部屋に泊まっている。後で一緒に朝食を摂るかどうか聞きに行くことにして、俺はいつものスーツに着替え始めた。
◆◇◆
フェリスさんは一度所属しているパーティの拠点に戻っていったが、当面五番区に滞在する予定ということで、俺たちに協力すると約束してくれた――といっても、フェリスさんの意志を理解できるメリッサがそう言ってくれたのだが。
今は出かける前に、メリッサの話を聞いている。メンバーは準備を終えて外にいるので、後から行くと伝えてある。
「お母さんは私の倍くらい強いから、頼りになる。職業はレンジャー」
「レンジャー……というと、中衛から後衛っていうイメージがあるな」
「そうだと思う。この国に来る前に、保護官……? をしてたって言ってた」
俺のような内勤のサラリーマンと比べると、日頃から身体は動かしていただろう。それでもフェリスさんは、一度死線を経験している。亜人になるというのはそういうことだ。
テレジアを人間に戻したいという俺の目的と、フェリスさんの目的は同じだ。しかし『猿侯』との戦いに協力してもらうのは、フェリスさんにそれだけ時間を使わせることになる。
「お母さんは……考えてること全部は分からなくて、少しだけだけど。私が行くのなら、一緒に戦ってくれるって……そう言ってくれてるみたいだった」
「……そうか。必ず、お礼をしないとな」
「それはいいって言うと思う。お母さんはお父さんをいつも引っ張っていくような人で、さっぱりしてたから」
メリッサは懐かしそうに目を細める。だが、やはり寂しさは否めなかった。
「昨夜はお父さんが、ずっとアリヒトの話をしてた。彼は凄いんだって」
「そ、そうか……」
どんな話をされていたのかと思うと照れるものはあるが、それくらいに信頼してくれていると分かると安堵するものもある。ライカートンさんは、一家で俺たちに力を貸してくれているのだから。
「お母さんも頷いて聞いてて……でも途中からは、お邪魔になりそうだったから、スズナとミサキに来てもらって、三人で外に行ってた」
「そうだったのか、外に……ま、まあその、何というか……」
何気なく聞いていたが、つまりメリッサは娘として気を利かせたと、そういうことだろうか。両親思いなメリッサに感心しつつも、とてもデリケートな話だ。
「……帰ったら、二人とももう寝てた。お母さんが、お父さんを寝かしつけてたみたいだった」
そこまで話してくれるのは、何故だろう――どんな形でも、パーティを少し離れたときのことを話すべきだと思ってくれているなら、それはとても嬉しいことだ。
「メリッサも一緒に寝たのか?」
「……お母さんが良いって言ったから」
「そうか……それは良かった。嬉しいよな、そういうのは」
俺には親はいないが、昼寝の時間に施設の先生が疲れて皆と一緒に寝たりしていると、不思議なほど落ち着いたものだった。
メリッサは大人びていて、戦闘では強くても、年齢相応の部分が残っている。これからも大人として、見守っていかなくてはと思う――そんなときにできることがこれというのは、みんな同じでいいのだろうかと思いはするが。
「っ……」
メリッサの頭を撫でると、彼女は初めだけ驚いたようだったが、そのまま少し下を向いたままでいる。
「……子供じゃない……けど……」
そう怒られるかもしれない、とも思っていた。しかし手を引く前に、メリッサは小さな声で言う。
「……アリヒトなら、嫌じゃない……かも……」
「そ、そうか……」
怒られなかったことに安心しつつも、メリッサの反応がいつもとは違っていて、本当に撫で続けていいものかと思ってしまう。
「……スズナも撫でてもらったって言ってた。ミサキも、見ててドキドキしたって」
やはりそういう話は即共有されるのか。そして、みんなの頭を撫でている俺はどんな評判になるのだろう――ちょっと想像するのが恐くもある
「でも……二人とも、それだけじゃなくて……」
「ん……な、何だ?」
「……何でもない。アリヒトには、そのままでいてほしいから」
「え……?」
「先に行ってる」
メリッサは短く言い置いて行ってしまう。とりあえず、頭を撫でること自体は駄目なことではないらしい。ことあるごとにそうしているわけにもいかないが。
(何か言おうとしてたみたいだけど……『アシストチャージ』をしてほしいとか、そういうことかな。魔力は寝れば回復するみたいだけど、気分的な問題もあるとかか)
「…………」
考えているうちに玄関のドアが開き、テレジアがこちらを見てくる。外で律儀に待ってくれていたようだ――俺は忘れ物がないか確認し、急いで廊下に出た。
◆◇◆
昨日に引き続き、ファルマさんに黒い箱の解錠を頼む。続けて『パーツ』との戦闘になる可能性は否めないし、トラップキューブが出てきたりするかもしれないので、全員が戦闘の準備を終えた状態だ。
解錠用の部屋に転移し、ファルマさんが黒い箱に手をかざす。半分透けた巨大な立体迷路が展開し、ファルマさんはそこに魔力を通していく。
「そう……今回は易しめなのね……でも分かってるわ。いつも引っ掛けがあるんだから……ふふっ、やっぱりそうだった。私を嵌めようとしても駄目よ……何でもお見通しなんだから……っ、こっちじゃなくて、そこっ……!」
いつもはこちらも手に汗握るような熱戦なのだが、黒い箱の迷路を解き慣れてきたということもあるのか、今回はそれほど時間はかからなかった。
「皆さん、開きますっ……!」
黒い箱の表面に刻まれた線が青く発光する――そして光が広がり、眼前が白で埋め尽くされる。
◆箱の開封◆
黒い箱:『?宝物宮』で取得
・?お守り
・?魔道具
・?錆びた武器
・?プレートメイル
・?外套
・ミストリウムのメダリオン
・金貨×832枚
・銀貨×158枚
・銅貨×153枚
・王国古白貨×18枚
リストアップされたもの以外にも装備品は出ているが、どれも店で手に入るものだったり、損傷しているものなので、使えるかどうかの検討からは外すことにする。
「いつも通り、硬貨がたくさん……それも凄いんですけど、これは一体……?」
「ミサキ、まだ触れない方がいいわよ」
エリーティアに制され、ミサキは照れ笑いをする。『曙の野原』で隠し階層に行くときなど、ミサキは何度か転移で肝が冷える思いをしている――俺たちも。
「これは……魔法の道具、でしょうか? 『鑑定術2』で調べられそうです」
「よし……マドカ、くれぐれも慎重にな」
「はい、頑張ります!」
マドカは金属でできた器具らしいものを、直接触れずにルーペで観察する。一体それは何なのか――見ているだけでは想像がつかない。どこか、傘の骨のように見えなくもないが。
「……分かり……ましたっ……!」
◆★魔法の幌◆
・使用すると魔力で形成された幌を展開する。幌の耐久力はパーティのレベルに依存する。
・幌の内部は通常の空間より容量が増える。
・破壊されて元の容量に戻った場合、余剰分は周囲に配置される。
・幌を破壊されてから再展開を行うまで、180秒を必要とする。
「幌……っていうと、幌馬車とかのあれか?」
「ということは、どこでもテントみたいなものを作れるってことかしら」
五十嵐さんの言うような使い方もできそうだが、セラフィナさんもさらに何かを思いついたという様子だ。
「他にも用途は考えられます。荷車に搭載して、幌を展開すれば……」
「荷車の容量が増える……それに、幌自体にも耐久力がある……!」
うまく使えば、荷車に搭乗する必要があるメンバーにとって助けになる。耐久力にさえ気をつければ、迷宮内での野営に利用することもできそうだ。
「これは後で荷車に積むことにしよう。ファルマさん、ありがとうございます。また有用そうなものが出てきました」
「いえいえ。余った武具を買い取らせていただくだけで、八番区の人たちにはすごく好評なので……広く行き渡るように、販売は組合にお願いしていますが」
独占販売となると、ファルマさんの店が評判になりすぎるというリスクがある。俺たちがもう使わない武具でも、八番区で初期に手に入るよりは強力なものばかりだからだ。
「錆びた武器と、プレートメイルは……すみません、上級鑑定の巻物が必要みたいです。もしくは、私の『鑑定術』を3に上げないと」
「上級が出てきたか……この錆びた武器は、磨けば分かるってことでもないのかな」
「では、このお守りと外套……マントのようなものですね」
スズナの言う二つを、マドカは続けて鑑定していく。お守り――おそらくこの形は『アンク』という種類だが、持っているだけで有効なので、どれだけ見つかっても良いものだ。
◆★守護天使のアンク◆
・『物理防御』が少し強化される。
・『魔法防御』が少し強化される。
・一部の状態異常を一定確率で無効化する。
・敵の属性ブレスの威力を軽減する。
・敵の攻撃で受けた被害の分、周囲にいるメンバーの体力を回復させることがある。
◆★ダンピールのマント◆
・『物理防御』が強化される。
・『全属性耐性1』が身につく。
・『魅了耐性2』が身につく。
・敵に攻撃したとき『衝動』状態を付与することがある。
・女性が装備したまま体力が低下すると『渇望』状態が付与される。
・秘められた力がある。
『守護天使のアンク』は前衛、それも守備役を担当するセラフィナさんか、シオンが持つべきだろう。
『ダンピールのマント』はその名前からきているのか、黒いマントだ。すでに『熱情』の状態異常の影響が大きいことは分かっているが、『渇望』となるとさらにリスクが大きく思える――男性ならリスクがないというのは何故だろう。
「ダンピール……というと、吸血鬼と人間のハーフのことですかね。吸血鬼という種族が、迷宮国にもいるということになりますが……」
「ということは……この渇望って、血を吸いたくなっちゃうってことかしら」
「どちらにせよ、良い効果ではないでしょうね。資料館で調べてみてもいいけど、リスクのないアリヒトが装備してみてもいいんじゃないかしら」
「お兄ちゃん、マントとかめっちゃ似合いそうですよね。最初はちょっと陰のあるお兄さんって感じでしたし」
それは単に疲れたサラリーマンに見えただけではないかと思いつつも、マントを羽織ってみることにする。
秘められた力というのが危険そうなら、すぐに脱ごうと思ったのだが、特に何も起こらない。それどころか、意外にしっくりくる――重さを感じないし、見た目よりも通気性がある。
「……ちょっとここまで似合うと、何を言っていいのかわからないわね」
「吸血鬼とのハーフっていうか、むしろ魔物を狩る男! って感じになっちゃってませんか?」
「アリヒトさん、よくお似合いです」
「ま、まあそれはいいとして……このアンクは、防御の機会が多いセラフィナさんか、シオンに使ってもらおうと思う」
みんなの賛成を得て、敵の大技を受けなければならない時があるセラフィナさんに『守護天使のアンク』を使ってもらうことになった。
「そして最後の……これって、ディラン司令官にもらったやつと似てませんか?」
「ミストリウムのメダリオン……マギスタイトのメダリオンよりも、上級のものです」
それほどの功績を上げた探索者がアルフェッカに敗れてしまったのか――どんな経緯でこの黒い箱に収められたかはわからないが、これは持つべき人に返すか、それができなくても無下には扱えないものだ。
箱の開封は終わり、次は『ホーリーストーン』を求めての迷宮探索に向かう。ファルマさんとマドカが箱から出てきたものを整理してくれることになった。
「それでは今日はメリッサさんと入れ替わりで、私が街に残ります。お兄さん、皆さん、どうかご無事で……」
「ああ、必ず戻ってくる。ファルマさん、本当にありがとうございました」
「こちらこそ。今夜もぜひ、探索のお話を聞かせてください」
箱を開けるための空間を出る――入る前は薄曇りだったが、今は雲の切れ目ができて、眩しい太陽が姿を見せていた。




