第二百三話 スカウト
デザートの余韻もそこそこに、俺たちは『フォレストダイナー』を後にした――しかし、俺はルイーザさん、五十嵐さん、そしてテレジアと一緒に少しだけ一階の席で待つことになった。
「ルイーザさん、その、何というか……随分大胆な提案でしたね」
「申し訳ありません、思いつきのように行動してしまって」
ルイーザさんはマリアさんを呼び止めて、今日の仕事が引けたあと、俺たちの宿舎に来ないかと誘った。
それも俺からしてみれば寝耳に水だったのだが、マリアさんはルイーザさんをしばらく無言で見つめたあと、淡々とした調子でこう答えた。
――退勤の支度がありますので、それからでも良いでしょうか。
「五番区に来てから、マリアさんにはお世話になっているしね。せっかくだから、親睦を深めるのもいいんじゃないかしら」
五十嵐さんは鎧を脱いで食事に来ているが、上着を脱いでインナー一枚になっている。迷宮国に来たときと同じような、縦編みのニット――なぜこのタイプの服は、ボディラインをこれほど強調するのだろう。
「アトベ様、彼女の料理の技術についてどう思われましたか?」
「……なるほど、そういうことですか」
「え? 後部くん、もしかしてマリアさんにも専属になってもらいたいっていうこと?」
俺の言わんとすることを完全に理解している五十嵐さん――あまりに的確に当てられて、ただ頷くほかはない。
「美味しいお料理を作っていただけるということもそうですが、探索で手に入った貴重な食材を最大限に活かすためにも、専属の方がいらっしゃると良いのではないかと……」
「ええ、確かに。ルイーザさん、ご配慮をありがとうございます」
「い、いえ。私は受付嬢の立場で、本来このようなことを申し上げてはいけないのですが……」
「私達はルイーザさんもパーティの一員だと思ってるんだから、そういうことはどんどん言ってくれていいのよ。マリアさんの考え次第ではあるけれどね」
「キョウカさん……」
年齢が近いということもあってか、二人はパーティの大人組としてとても親しくなっている――ような気がする。セラフィナさんもだが、彼女はトレーニングがあるので今日は先に帰っていった。
フォレストダイナーの閉店まではあと二時間ほどあるが、閉店時間を過ぎても日が変わるまでいる客などもいるらしい。マリアさんの勤務時間は担当するテーブル次第で、今日は夜八時半までということだった。
「お待たせしました」
マリアさんが私服に着替え、荷物の入ったザックを持ってやってくる。革のジャケットにパンツを合わせ、そして帽子を被っていて、見るからにラフな格好だ。
「わぁ……マリアさん、料理をされているときとは随分イメージが違いますね。こんな格好いい服が売ってるんですか?」
「はい。六番区に派遣されたとき、立ち寄ったお店で買いました」
「六番区にも良いお店があるんですね。そのお話、もっと聞いてみたいです」
「……ではせっかくお時間をいただきましたので、後ほどお話しましょう」
ルイーザさんと五十嵐さんが嬉しそうに顔を見合わせる。マリアさんを専属にしたいというのはあるが、それはまず抜きにして、彼女たちが仲良くなれると良い。
◆◇◆
秘神の『パーツ』との戦闘は、俺達にとって重大な経験となっているのは間違いないが、
ライセンス上はレベルが上がらない。『討伐』と表示はされるが、魔物を討伐した時とは違う判定になるのだろう。
(経験値の玉表示は増えている……か。『名前つき』の方が経験値が多いのは、迷宮国の法則なんだろうな)
あと一度探索に出て魔物と戦えば、何人かのレベルが上がりそうだ。『ホーリーストーン』を取りに『震える山麓』に行ったときにも戦闘はあるだろうが、戦いを避けて目的のものを持って帰ることを優先するかは考えどころだ。
「……私は、元は探索者として活動していて……しかし七番区で行き詰まってしまい、パーティは解散することになりました。私と同じように、支援者向きの職業が多いパーティだったということもありますが」
「そうなんですねー、でも私も『ギャンブラー』ですけど、なんとか一緒に戦わせてもらってますよ。お兄ちゃんのおかげですけど」
「それは……とても素晴らしいと思います。迷宮国ではどんな職業でも探索者として活動を始めますが、戦闘において力を引き出しきれるかは、適性だけではなくセンスも必要となりますから」
マリアさんは仕事が終わると、いつも同僚と帰りに飲んだりするそうだが、寮に帰って一人で飲むことも多いそうだった。
そしてお酒が入ると、仕事をしている間のイメージとは違い、饒舌に話してくれる。今は革のジャケットと帽子を脱いで、居間のソファでリラックスした様子で話してくれていた。聞き役のミサキも楽しそうだ。
「……アトベ様、ミサキ様が『お兄ちゃん』とおっしゃいましたが、ご兄妹ですか?」
「いえ、単に俺が年上なのでそう呼ばれてますが……」
「お兄ちゃんはみんなのお兄ちゃんなんですよ。まあスズちゃんとエリーさんは、それだけでもないみたいなんですけど」
「ミサキちゃん、みんなのいないところで好き勝手言うのは駄目よ。友情ってちょっとしたことでヒビが入っちゃうんだから」
「あ、あははー……今のなかったことにしといてください、オフレコで」
「ん……? オフレコって?」
「はーい、後部くんはそろそろ大事な話があるから、ミサキちゃんはお風呂に入りましょうか」
「今ならメリッサさんたちもいますよね。フェリスさん、お風呂嫌いだったりしないんですかねー」
猫は水に濡れるのが苦手というイメージがあるが、どうなのだろう。少なくともメリッサに関しては泳ぎは得意だったので、フェリスさんも大丈夫なのかもしれない。
五十嵐さんがミサキと連れ立って居間を出ていく。テレジアは一緒には行かず待機している――今は、五十嵐さんたちと一緒に入った方がいいと言うのは気が引ける。
「……ああ、そうだ。マリアさんは、お風呂どうされますか? 家で入られますか」
「ルイーザさんが寝室で酔い醒ましをしているので、後で一緒に入らせていただければと思います。宿舎に来る途中、お誘いを受けましたので」
「分かりました。その、ルイーザさんから聞いているかもしれませんが……」
「アトベ様方のパーティと、専属契約をするというお話ですね。承っております」
「本当ですか? 俺たちは元々七番区にいて、飛び級でここに来てるんですが」
本来なら、この区で正式に活動できるようになってから交渉するべきだろう。しかしマリアさんは小さく首を振った。
「あなた方は、すでに五番区で目覚ましい活躍をされています。それに私も、本来は七番区から上がることはできないところを、料理の腕を見込まれてこちらに転勤してきたのです」
「転勤……ギルドに所属していると、そういうこともあるんですね」
「はい。支援者も技能次第で、有用と判断されれば特例を受けられるということです。レベル維持のための訓練探索も組まれますし……七番区での私のレベルは5でしたが、今は五番区適正レベルの一つ下、9まで上がっています」
レベル9の料理人――現時点で俺よりレベルが一つ高い。五番区にいる人々は、その辺りですれ違う人でさえ高レベルだったりするのだろうか。
「街には戦うこどのできない年齢の方もいますし、支援者でもわけあってレベルが下がっている方もいます。スタンピードで出現した魔物から、アトベ様たちは人々を守るために戦った。そう聞いたときから、私も何か力になれたらと考えていました。テーブルを担当できただけでも光栄だったのですが、デザートのオーダーを頂いたときには、本当に感激していました」
「そうだったんですか……いや、こちらこそ光栄です。俺たちは目的があって五番区に少しでも早く来る必要があった。スタンピード鎮圧に参加した件は、特例の許可をもらうために付随する、ギルドからの依頼だったんです」
「……その、目的というのは?」
「仲間を救うことです。俺たちの仲間の、親友……つまりそれは、俺たちにとっても仲間ですから」
端的な話ではあるが、エリーティアがいないところで詳しく話すのは控えたかった。
しかし、これで信用を得られるのか。マリアさんはしばらく何かを考えているようだったが、やがて彼女は正面に座っている俺に目を向けた。
――そして、俺は今更になって気がつく。マリアさんの瞳はこちらに向けられているが、俺の姿を捉えていない。
「……私が探索者を引退した理由は、『名前つき』に視力のほとんどを奪われたことです。仲間は視力を取り戻す方法を探してくれると言っていましたが、私はそれを断りました。その『名前つき』を追うために、仲間たちを束縛したくなかったためです」
「失った視力を、別のもので補っている……ということですか」
「はい。料理人としての嗅覚、そして聴覚です。聴覚については、この腕輪が『聴覚強化2』の技能を与えてくれています」
マリアさんは両腕につけている腕輪――紐で編まれ、宝石を組み込まれたようなもの――を片方外し、俺に差し出す。
「マリアさん、これは……」
「一つ、持っていていただけますか。私は戦闘に参加することができません。ですが、あなたがたをこの街で待たせていただきたいのです」
「……分かりました。この腕輪は、必ずマリアさんに返します。その時まで、預からせてください」
「はい。五番区での探索は、常に危険が伴うでしょう……それでも、私はあなた方に無事に戻ってほしい。私の作った料理を、もう一度……いえ、何度でも召し上がってほしい」
「……マリアさん」
「……専属として料理人を勧誘するとは、そういうことです。お分かりですか?」
仕事として、彼女に料理を頼む。そのためには何が必要か、給料はどれくらい支払うべきか。俺は、専属交渉としてそういった内容を考えていた。
それはあまりにも事務的で、無機的な考えだ。
いつだって、俺と仲間たちはそんなものじゃなく、書面のやりとりもなく、言葉で繋がりを持ち、感情に基づいて一緒にやってきた。
「……探索で手に入った貴重な食材を、あなたに調理してもらいたい。でも時には、マリアさんも一緒に食卓に着いて、そんなふうにやっていきませんか。俺たちが、支援者の皆とそうしているように」
「料理人は、厨房に立たせておけば良いのです。でも、それはとても楽しそうですね」
マリアさんが右手を差し出す。俺が握り返すと、次にマリアさんは席を立って、テレジアにも握手を求めた。
「…………」
「いつもアトベ様のお傍についていらっしゃるのですね。沢山食べてくださって、とても嬉しく思っていました。今後ともよろしくお願いします」
マリアさんの言葉に答えることはできないながら、テレジアの尻尾がふよふよと動いている。何となくの推測だが、こちらもよろしくと言っているように見えた。
◆◇◆
部屋の浴室は使用中なので、俺は宿舎のすぐ近くにある浴場に向かった。
銀貨五枚で貸し切りの小さな浴室をひとつ借りられる。深夜まで営業しているそうで、受付の女性は少し眠そうにしつつ対応してくれた。
「では、お一人……いえ、そちらの方も含めて、二人分の料金ですね」
「は、はい……」
男女で入ることは禁止事項ではないのだが、それでも多少気が咎めるものがある。
「…………」
テレジアはぺたぺたと俺についてくる。脱衣所にも入ってきて、扉を閉めると、いきなりスーツを留めているボタンに手をかけた。
「ま、待った。俺の前では脱いじゃだめだ」
「…………」
ちゃんと言うことを聞いてくれたようで、テレジアは動きを止めている。かといって俺も脱ぎにくいのだが、怖気づいている場合でもない。
一気に服を脱いで、戸を開けて浴室に入る。すぐ後ろでバチン、とスーツの留め具を外す音が聞こえてきた。
――アリヒトお兄さん、今日はテレジアさんと二人で入るんですか? 行ってらっしゃい。
――アリヒトよ、わしも一緒に入ってやりたかったが、今日はフェリスやファルマと一緒だったのでのう。支援者のお姉さん会というものじゃ。
――アトベ様、行ってらっしゃいませ。テレジアさんの背中を流してあげてくださいね。
マドカやセレスさん、そしてファルマさんにも快く送り出されたが、やはり三人以上で入るときと違い、二人きりとなると久しぶりで、最初の頃のことを思い出してしまう。
あの時は、いきなり脱いでしまったテレジアの裸を見てしまい、その後でぽんぽんと肩を叩かれた――年下のテレジアに慰められたのか、なんだったのか。
だが、あの頃とは違っている。出会ったばかりの、他人だった頃とは。
湯気の立ち込める中で、浴室の戸が開く。テレジアが入ってくる――もうスーツは脱いでいて、外せないマスクは被ったままだ。
「テレジア、今日は俺が先に背中を流すよ」
「…………」
「ん? ……俺が先にやってもらった方がいいか?」
テレジアはこくりと頷く。彼女がそれでいいならばと、俺は風呂椅子に座って、テレジアに背中を向けた。
「…………」
「……テレジア?」
簡単に後ろを向くわけにもいかない。しかしテレジアが動こうとしていないようなので、
俺は心配になって後ろを見ようとした。
「……っ」
「っ……わ、悪い。ごめん、振り返ったりして」
振り向こうとするところで止められ、再び前を向く。すると、テレジアがタオルを泡立て始めた。
何かが、いつものテレジアとは違う。それがいつからなのか、分かりすぎるほどに分かっている。
呪詛に侵されたことで、何かが変化しているのか。『イビルドミネイト』が進むほどに、彼女の中に何か変化があるのか、それとも進行度が100になるまでは何も起こらないのか。
「……もうすぐだ。もうすぐだからな、テレジア」
テレジアが背中を洗い始める。その手つきは、胸が痛くなるほど優しいものだった。




