第百七十五話 共闘再び
エリーティアの後を追って『炎天の紅楼』に入る際に、俺たちはクーゼルカさんとホスロウさんに相談した。
俺たちは『奨励探索者』として支援要請を受け、五番区に来た。ここまで同行してくれたギルドセイバーの二人には、重要な判断をするときに相談したかったということもある――彼女たちはスタンピード後の町の見回りを終えたあとで、もう遅い時間だというのに俺たちの呼び出しに快く応じてくれた。
「目撃されていた通り、エリーティア殿が見つかったのですね。無事で何よりです」
「ありがとうございます。しかし、やはりこの迷宮を攻略するには、可能な限りの準備が必要だと分かりました」
ホスロウさんは腕を組んで、俺の話を聞いている――その表情はいつになく厳しい。
「この五番区でレベル12の名前つきを倒してみせた。アトベ君、お前さんたちの強さはここで通用する域に達している。しかし『猿侯』は長く生きている魔物で、極めて危険だ……狡猾さがあるからな。何より厄介なのは、『猿侯』が部下を統率して組織的な動きをするということだ」
この迷宮国での活動歴が俺たちよりずっと長い彼なら、あるいはと思っていた。
ホスロウさんは『炎天の紅楼』、そして『猿侯』について知っている。しかしそう期待した俺の目を見て、彼は苦笑いをして首を振った。
「あいにくだが、今の情報はここに来てから調べたことだ。この区には旧知の人間もいるもんでな」
「ディラン司令官から『メダリオン』を受け取るとき、お二人とは知り合いと言っていらっしゃいましたが……」
「ああ、その通りだ。俺はあいつがまだ若かった頃の教官でな。おっと、繰り返し言うが、俺も言うほどおじさんってわけじゃないんだぜ。見た目はむさ苦しいかもしれんが……」
ホスロウさんはいつも髭を生やしているが、それを剃れば確かに印象が変わるだろう。しかし三十前で俺より年下というのも考えにくいので、もしかしたら同い年くらいなのかもしれない。
「私とディラン三等竜佐は、ホスロウを指導教官として下についていた時期があるのです」
「まあ、色々あってここに至るというわけだ。アトベ君、俺たちもお前さんたちがこの区にいる間は留まっていられる。何か協力して欲しいことはあるか?」
「い、いえ。ギルドセイバーのお二人に、パーティの私的なことで協力してもらうのは……」
「限られた期間で成し遂げたいことがあるなら、利用できるものはなんでも利用すべきだ。そして、ギルドセイバーは休日も常に上からの指示を待っているわけじゃない。現役の探索者とは違うといえば違うが、根本的な部分は変わっちゃいないんだ。目的があって迷宮に挑む連中に、力を貸したい……いや、今回のでかい借りを返したい」
俺たちがスタンピード鎮圧に参加したことを、恩義に感じている――ホスロウさんはそう言ってくれていた。クーゼルカさんも静かに頷き、言葉を引き継ぐ。
「私やホスロウがどのように戦うかは、アトベ殿も見て理解されたと思います。そして私たちも、アトベ殿の技能と指揮を目の当たりにして、同じレベル帯の探索者の中でも突出した実力をお持ちであると、実感をもって理解しました」
「だからこそ、お前さんたちが立ち止まるようなことにはならないことを期待してる。俺たちや迷宮国に暮らす人々は、強い探索者にいつでも希望を託している。お前さんたちが先に進むために何かができるなら、そいつは願ってもない話なんだ」
「……クーゼルカさん、ホスロウさん」
二人は俺たちよりも遥かに実力が高く、迷宮国で暮らした時間も長い。
いつか追いつければと思っていた、遠い存在。その二人のほうから、俺たちに手を差し出してくれている。
「何より俺は、もう一度アトベ君と一緒に戦ってみたい。探索者を従えて魔王を気取っている奴に、俺たちで一泡吹かせてやろう」
「魔物は本能に従って生きているだけです。しかし、探索者に悪意を向けてくるものも確かにいる……『赫灼たる猿侯』を倒すことであなたたちが先に進めるのなら、私はそれを助けたい。ギルドセイバーとしてではなく、一人の個人として」
「……ま、まあお嬢一人じゃなくて、俺も一緒に……うぉっ!」
クーゼルカさんの『個人』という言い方が気になったのか、ホスロウさんが口を挟む――だが目にも留まらぬ早さで、クーゼルカさんの手刀がホスロウさんに向けられていた。
「……馴れ合いは判断力を鈍らせると言ったのはあなたですよ、ホスロウ。それに、気を抜いて失言をするのもあなたの悪いくせです」
「あ、改めて肝に銘じさせていただきます……」
クーゼルカさんが手刀を引いても、ホスロウさんは固まったままでいる――ここまで方なしということは、昔は指導教官と教え子の立場であったというが、やはり今はすっかり逆転しているようだ。
「……今聞いたことは無かったことにしてもらいたい。あとの話は頼みます、クーゼルカ三等竜尉殿」
「私たちはこれから、遊撃部隊としてギルドセイバーの平常任務につきます。七番区に戻る期日までは自由に動けますので、何かあったら招集をかけてください。私の方では、もし『炎天の紅楼』における作戦に複数パーティが必要になったときのために、人員の確保をしておきます」
「っ……あ、ありがとうございます。俺も、自分たちのパーティだけでは状況的に難しいと考えていて……この五番区で協力してくれるパーティを探せるとしたら、どうすればいいかを考えていました」
「ここまで来ると、それぞれのパーティが一手動くにも慎重になるからな。他のパーティの目的に付き合うなんてことも、なかなか難しくなってくる……思惑が一致していれば、共闘体制を築くこともできるだろうが」
もう一度『猿侯』の砦の同じ場所に行ったとして、そこに『猿侯』がいるかは分からない。
『猿侯』の部下である名前つきが少なくとも一体いるが、それで終わりとは限らない。『猿侯』と『魔猿』、そして眷属にされた探索者たちをできるだけ分断して戦わなければ、敵の連携が大きな脅威になり、従属の解除を試みることは難しくなるだろう。
『旅団』のアニエスさんから貰った地図を元にして、作戦を組み立てる。必要であれば、砦の最新の状態を把握してから、複数のパーティで分かれて砦を攻める――改めて考えると通常の魔物討伐とは違い、攻城戦に近いものがある。
「まず、『猿侯』に操られている探索者を解放する方法、あるいは交戦せずに済む方法を考えます」
「そうですね……捕らえられた探索者の命を奪うことは、したくはありません」
「だが、向こうはお構いなしで来るぞ。参加するパーティ全員に操られた探索者の命を取らんよう指示するにしても、こちらが危うければ甘いことは言っていられん……相手の動きを止めるか無力化する方法を、極力多く揃えるべきだな」
「はい。俺も幾つか手段を持っていますが、より有効な方法がないか、時間いっぱいまで精査します」
現状、二人と相談するべきことは一通り話した。まだ日数は残っているので、必要があればまた会って話をすればいい。
クーゼルカさんとホスロウさんと別れ、彼らの姿を見送ったあとで、セラフィナさんが話しかけてきた。
「アトベ殿、お二人の信頼を得られて何よりです。アデリーヌはレベルの問題で、同行は難しいかもしれませんが……」
「戦闘ではなく、前準備の段階でアデリーヌさんに頼みたいことがあるので、一度『炎天の紅楼』二階層の入り口まで同行してもらえるようにお願いできますか」
「了解しました。彼女たちもすぐ七番区に戻ることはありませんので、こちらからの連絡を待つように伝えておきます」
アデリーヌさんの『使い魔の矢』なら、砦に近づかなくても上空から偵察できる。肝心の時に地形が変わっていたりすると致命的になるので、作戦決行の前日に最後の事前確認を行っておきたい。
「…………」
「ん? あれは……」
テレジアに袖を引かれ、俺は『炎天の紅楼』の入り口広場にいる二人に気づく。
一人は十代後半のようで、いかにもお嬢様らしい服を着ており、耳元まで隠れるようなつばの広い帽子を被っている。俺たちが迷宮にいる間に雨が降ったということもないようだが、彼女は手に黒い傘を持っていた。
そして彼女より少し年上らしい、メイド服姿の女性が傍に控えている。少女はメイド服の女性に目配せをしてから、こちらにしずしずと歩いてきた。
「……もし、そちらの方。少しお話をさせていただいてもよろしくて?」
「はい……どうしました?」
その言葉遣いも俺のイメージする『令嬢』そのもので少し驚いたが、なるべくそれは表に出さないようにする。
エリーティアにも時折見せる仕草の上品さがあるが、それとはまた別の系統の、表情ひとつにすら徹底された気品がある。地球からの転生者ではないことは、地毛らしい薄青色の髪が示していた。
「初めまして、私はイヴリルと言います。彼女はヴァイオラ……探索者として、二人で活動していますの」
この五番区で、二人だけで迷宮に入ることができる――それは個々の持つ力がかなり高いということだ。
ヴァイオラという女性はイヴリルの後ろに控えたままで微動だにしない。あまり髪などに頓着しないのか、前髪で目が隠れてしまって見えていないが、こちらに注意を向けているのは様子を見ればわかる。
「俺はアリヒト=アトベと言います。彼女たちとパーティを組んで活動しています」
名乗ったところで、イヴリルはつけていた手袋を外してヴァイオラに預けた。そして右手を差し出してくる――俺も手を差し出して握手をすると、イヴリルはあどけない微笑みを見せる。
「ありがとうございます。時折断られてしまうこともあるんですのよ、何を企んでいるのかとおっしゃる方もいて」
「それは……色々な人がいますからね。それぞれの考えを否定はできないと思います」
「……アリヒト様は多様性を尊重される方ですのね。私もそうありたいと思っていますわ」
握手をして何かの技能を使われる――シロネのことを踏まえればそれを警戒するのは当然だが、何もかもを疑いたくないという思いもある。
「本当なら、お手土産の一つもご用意してからお話するべきことなのですけれど……何分、私たちもここであなた方をお見かけしたのは偶然でしたので」
「俺たちがこの迷宮から出てきたところを見ていた……ということですか?」
「正直に言うと、迷宮に入るところから見ていましたわ。ギルドセイバーの方と話されて、仲間が迷宮に入ったので臨時の潜入許可を申請すると……」
現時点で、俺のパーティではエリーティアだけが『炎天の紅楼』に入ることができる。5つ星迷宮に入る資格を持っているのが彼女だけだからだ。
臨時の潜入許可は降りても、エリーティアを救出したら即時脱出しなければならない。もう一度全員で入るためには、改めて資格を得る必要があるということだ。
イヴリルは、今は一人でしっかりと立っているエリーティアに目を向ける。五十嵐さんとセラフィナさんが付き添ってくれているが、まだエリーティアが少し沈んでいることは彼女にも伝わったようだった。