第百四十九話 一時の帰還
『車輪』と戦った部屋の奥、開放された通路を進む――ここに来るまでとは違い、一つの骸も見当たらない。
ここまで辿り着けた者が一人しかいない。そんな迷宮を、誰が何のために作ったのか。探索者を殺戮するためだけに存在していると思いたくはない。
先行していたエリーティアが、部屋の入り口で立ち止まる。円形の部屋の中央に、ここに来たときと同じような転移床がある。
「ここから転移すると帰れるんですよね……?」
「おそらくそうだが、一旦アリアドネのところに行く。この転移床の行き先を、アリアドネの所に変えられるそうだ」
「『パーツ』があるだけあって、秘神と何か関係がある場所なのね」
「気になるところは調べたけど、まだ何か秘密があったりするのかしら……」
「迷っている霊については『お祓い』をさせてもらいました。せめて、お鎮めさせていただきたくて……」
スズナは後ろを見やる。俺には何も見えないが、スズナには見えているのだろう――『車輪』と戦って命を落とした人たちの霊体が。
俺は後ろを振り返り、目を閉じる。そして、せめてもの祈りを捧げた。
これは迷宮国において珍しいことじゃないと分かっている。それでも、もっと早く辿り着けていたなら、生きているうちに会うことができた人もいたかもしれない。
『……そう思うことこそが、迷う魂を幾ばくか安らげる。その祈りは無意味なものではない』
誰が言い出すわけでもなく、全員が祈っていた。そして足元の床が輝きを放ち、俺達は転移していく――あの聖域へと。
◆◇◆
――目を開けると、俺たちはアリアドネの『聖櫃』が置かれた部屋にいた。
以前は部屋全体を見て回ることはしなかったが、この部屋には転移するための陣が設けられていたのだ。
しかしアリアドネは俺たちに手をかざすだけでも、迷宮の一層に転移させられた。この陣を用いる転移は、それとは違う特殊なものだと考えられる。
「……私は、『帰還』の魔法を行使することができる。『帰還の巻物』と同質のものであり、ここからでは『曙の野原』の入り口に転移させることしかできない」
頭に響いてくる声ではない。
聖櫃に横たわっていたアリアドネが、身体を起こしている。しかし上半身だけを動かすことしかできないようで、聖櫃の端に手を突くが、立ち上がることはできずにいた。
「っ……アリアドネさん!」
五十嵐さんがアリアドネに駆け寄る。段差を登り、聖櫃の中にいるアリアドネに手を差し出す――しかし、アリアドネはその手を取らなかった。
「……『パーツ』が二つ揃ったことで、稼働範囲が増えた。今は試行をしたのみ……まだ、自律歩行を行うには至らない」
アリアドネは『パーツ』が揃うと、外でも一定時間は活動できるようになると言っていた。『車輪』を手に入れたことで、上半身だけは動くようになったということだ。
「この部屋は……それに、この少女は……」
俺はセラフィナさんとメリッサにアリアドネのことを話す。『ガードアーム』が、アリアドネの力を借りて召喚されているということ――そして、俺たちがここで契約を結び、秘神であるアリアドネの加護を得ていることを。
「……アトベ殿の刀……ムラクモと戦ったときから、感じていました。あなた方は、ギルドでも把握しきれていない、迷宮国の秘められた部分に触れているのですね」
「今まで、詳しく話すことができなくてすみません。セラフィナさんには、二度もアリアドネの『パーツ』との戦いに参加してもらっています。それ以外にも数えきれないほど恩がある……だからこそ、伝えておきたいと思いました」
セラフィナさんはすぐには答えなかった。ただ俺たちを見て、目を閉じ――深く息をつく。
「……このような大事なことを知らせていただき、身が引き締まる思いです。私はあくまで、貴方がたを補助する立場であれば十分だと思っていました。しかし今は、私も……貴方たちのパーティの一員であると、思ってもいいのでしょうか」
「私も……教えてもらえて良かった。マドカにも、教えてあげなきゃ」
「ああ、いずれは連れて来る。なかなか八番区に戻るのは難しいと思ってたが……アリアドネ、今はそうじゃなくなったんだな」
アリアドネが言っていた――供物を捧げることで聖域の力を補充できたら、聖域に通じる転移床を外に設置することができると。
「……伝える機会が遅れた。供物とは、物質のみではない……『信仰』そのものであることを。『信仰値』が上昇した今、私が外部に干渉できる範囲は広がっている。外部の転移陣などに働きかけ、行き先を『聖域』に変更することが可能となった」
「それって、いつでもここに来られるってことですか? お兄ちゃん、秘密基地みたいでドキドキしません?」
「転移先の変更を行う際に『信仰値』を干渉力に変換するため、みだりに使うことはできない。私のもとに来るのは、必要な機会のみであれば良い」
アリアドネが何を力にして技能を使っているか――それが『信仰値』ということだろう。そういうことなら、可能な限り上げておかなくてはいけない。
スズナの『霊媒』でも信仰値を上げられるなら、彼女の力を借りてもいいと思うが、直接『アシストチャージ』をしても『信仰値』は上がるのだろうか。上半身を起こせるようになった今なら、試すことはできる――と考えたところで、俺は今さらに気がついた。
「あ……ア、アリヒトさん、あまり見ちゃだめです、アリアドネさんは……っ」
「っ……そ、そうね、神様って言っても、やっぱり服は着たほうが……」
「……服もまた、『パーツ』を補うことで生成可能となる。今の私には、必要がない」
そうは言っても、長い髪で胸が隠れているだけという状態ではどうなのか――と思っているうちに、アリアドネは再び聖櫃の中に横たわる。
「『銀の車輪』は、少しの間自己修復を行う。機能が再生次第、アリヒトに伝える」
「銀の車輪……アリアドネ、あの車輪は……」
銀色ではなかったはずだ。そう言う前に、アリアドネは目を閉じる――身体を動かすことにまだ慣れていないからということだろうか。
「……転移させる……七番区……ギルドに……」
「ああ……分かった。アリアドネ、一度会いに来られて良かった。ゆっくり休んでくれ」
「…………」
アリアドネは答えない。ただ、唇だけが動いた――同時に、再び転移が始まる。
再び目を開くと、俺たちは見覚えのある場所にいた。七番区の『緑の館』近くにある転移所だ。
扉を開けて外に出る。時刻は昼間なので、一度緑の館に立ち寄り、ルイーザさんに挨拶をしていこうかと考える。
「アトベ殿……見てください。やはりあの宝物宮では、早く日数が経過していたようです」
日数という言い方は、数時間ではなく、日単位で時間が経過していることを示唆している。セラフィナさんが近くで売っていた簡易版の新聞のようなものを買ってきて、その日付を見せてくれる。
――俺たちが『車輪』のいた迷宮に転移してから、すでに数日が経過している。
「――アトベ様っ……良かった、戻られたのですね……!」
緑の館からルイーザさんが出てきて、こちらに走ってくる。俺たちが数日戻らなかったこともそうだが、その慌て方は尋常ではないように見えた。
「はぁっ、はぁっ……申し訳ありません、ギルドの事務室から姿が見えたので、急いで出てきたもので……」
「心配をかけてすみません、俺たちも少し予想外のことがあって……マドカ達にも心配をかけたと思います。彼女たちは……」
「大丈夫です。セレスさんたちが戻られましたし、私もマドカ様と同室で休んでいましたので、きっと予定が遅れているだけで戻ってきていただけると、みんなで話していましたので」
迷宮に入る時は、その日のうちに戻るつもりでも、予定以上に日数が経つことがある――そのことは、肝に銘じておく必要がある。マドカたちには後で謝っておかないといけない。
「それよりも、お戻りいただいたばかりで恐縮なのですが……一つ、ご相談したいことがございます」
「俺たちが迷宮で体感した時間は半日もないので、問題ありません。何かあったんですか?」
「それが……昨日から、『フォーシーズンズ』の皆さんが迷宮から出てきていないと、同僚から相談を受けたんです。彼女たちは無理をしない方針で活動していて、事前に予定していない限り、迷宮内で一泊するということは無かったとのことで……」
――俺にとってはたった数時間前のことに思える記憶が、脳裏を過ぎる。
『フォーシーズンズ』の四人が、迷宮に向かうところを見た――俺たちも『トラップキューブ』で転移するために移動していたため、彼女たちには声をかけなかった。
「ルイーザさん、四人が行っていた迷宮は『原色の台地』でしょうか」
「は、はい……そのように伺っております。少しずつ攻略を進めて、昨日は二層に入れる見込みだとおっしゃっていたそうです。一層がとても広大で、二層の入り口を見つけるまでにも時間がかかったそうなのですが、ようやく入れると……」
彼女たちは順調に攻略を進めていた。しかし、二層で予期せぬ出来事が起きた――もしくは何らかの事情で、二層で野営をしているか。
事前に予定を伝えていたということから、野営の予定があったとは考えにくい。しかしそうでなければ、彼女たちに何かが起きたということになる。
「戻る予定が遅れているだけかもしれないけど……アリヒト、念のために『フォーシーズンズ』のみんなを探しましょう」
「申し訳ありません、ギルドセイバーの方々は、明確に救援が必要な状況が確認できない限りは出動できないとのことで……アデリーヌさんが今は五十三部隊の隊長代行として、『落陽の浜辺』の事後調査に入っています」
「お伝えいただき、ありがとうございます。部下たちには、私が不在の間に司令部から指令があれば任務を遂行するようにと伝えてあります。アデリーヌならば『落陽の浜辺』での件について把握していますし、問題ないでしょう」
セラフィナさんも部隊のことが気がかりだと思うが、俺たちに同行してくれると言っている――『フォーシーズンズ』が戻らない状況に、万一の可能性を考えているのだ。
「みんな、済まないが……続けて『原色の台地』に向かおうと思う。かなり広い迷宮みたいだから、疲労のあるメンバーは無理せず休んでくれ」
「――バウッ!」
「シオンちゃん、マドカちゃんも……!」
マドカがシオンに乗ってこちらにやってくる――ルイーザさんを見やると、彼女はライセンスを取り出して微笑んだ。俺達の姿が見えたところで連絡してくれていたということだ。
「お兄さんっ、皆さんっ……良かった……!」
「マドカ、済まない……心配をかけたな」
「いえ、いいんです。私は、お兄さんたちが無事でいてくれたら、それだけで……」
マドカは持っていたハンカチで涙を拭う。皆がマドカとシオンの周りに集まって喜び合う――だが、長くそうしているわけにもいかない。
「今回は、移動を速くする技能があるメンバーで行きたいと思う。できるだけ早く戻ってくるためにも」
「わ、分かりました。私が全力で走っても、エリーさんとテレジアさんのスーパーダッシュには全然追いつかないですからね」
「私は……『群狼の構え』があるから、シオンちゃんがいれば早く走れるわね」
「私も必要に応じて盾を構えても速度は落ちません。ぜひ、ご同行させていただければ」
このメンバーの中では、俺の速度が最も低いかもしれない――だが要所で『八艘飛び』を使うことで、障害物などは苦にならないはずだ。
◆現在のパーティ◆
1:アリヒト ×★○※ レベル6
2:テレジア ローグ レベル6
3:キョウカ ヴァルキリー レベル5
4:エリーティア カースブレード レベル10
5:シオン ガードハウンド レベル5
6:メリッサ 解体屋 レベル6
7:セラフィナ 機動歩兵 レベル11
待機メンバー1:ミサキ ギャンブラー レベル5
待機メンバー2:スズナ 巫女 レベル5
待機メンバー3:マドカ 商人 レベル4
待機メンバー4:ルイーザ ギルド職員 レベル4
「お兄さん、お気をつけて……次に、帰ってきたときは、みんなで……っ」
「お兄ちゃんと一緒にお風呂に入りますからね! あと、一階で寝るのも禁止です!」
「ミ、ミサキちゃん……今はそういうことを言うのは、時と場合が……」
「『フォーシーズンズ』の皆様方のこと……よろしくお願いいたします」
「はい、必ず全員無事で戻ります。みんな、行こう!」
俺たちは走り出す――『原色の台地』に続く、迷宮の入り口へと。
◆◇◆
『原色の台地』――そこは、赤茶けた荒野の中にところどころ大きな水たまりができていて、まばらに緑の葉をつけた樹木が生えているという迷宮だった。
◆遭遇した魔物◆
マッドクロウラーA:レベル5 警戒 ドロップ:???
マッドクロウラーB:レベル5 警戒 ドロップ:???
ブラフフロッグ:レベル5 警戒 ドロップ:???
「「ピギィィィィ!!」」
猛然と進む俺たちを見て、芋虫が糸を吐きかけてくる――だが攻撃範囲に入らず、俺たちはひたすら走り続ける。
「何体か魔物を倒した痕跡がある……でも、これは『フォーシーズンズ』の皆が倒したのかはわからないわね……っ!」
「二層の入り口まで行ってみましょう……この迷宮、なんて広いの……っ!」
「……っ!!」
「事前に情報を得られたのですが、この方向で間違いはありません。急げばきっと、彼女たちを見つけられるはずです……!」
「……アリヒト、背負っていく? 私もそれなりには力がある」
「大丈夫だ……俺にも、こういう技能があるからな……っ」
◆現在の状況◆
・『アリヒト』が『八艘飛び』を発動
一度跳躍するごとに、船から船へと渡る――自分の身体能力ではおよそ不可能な動きだが、『般若の脛当て』を装着している限りは違和感なく動けている。
(それでも……この迷宮は広い。あまり探索者の姿がないのはそのせいだろう……見かける魔物の素材は気にはなるが、こんなにまばらにしか見当たらないようだと、貢献度を稼ぐことは難しい)
『同盟』の独占がなくとも、本来は常に、狩りの対象が重ならないように迷宮を選ばなくてはならない。だからこそ『フォーシーズンズ』はこの迷宮を選んだ。
探索者の競合が少なければ、『名前つき』と出会う可能性も増える。まだこの迷宮二層の『名前つき』が狩られていなければ、遭遇することはありうる――だが、一般的に考えれば『ありうる』というくらいなのだろう。
彼女たちは勇敢な探索者だ。同時に可能な限り慎重な探索を信条としているとも思った――その彼女たちが、移動するだけで体力を奪われる迷宮の二層にまで、狩りの足を伸ばしたのはなぜなのか。
「……急いでいた……そういうことなのでしょう。彼女たちには、進まなければならない理由があったのです。それは決して、咎められるべきものではない」
「ええ……分かってます。俺たちがしてることは、お節介と言われてもおかしくないのかもしれない。過保護だなんて、そんな驕ったことは考えるべきですらない」
「いいのよ……っ、だって、心配なんだから……遠慮していたらきっと後悔するから……っ!」
「ワォォーーーンッ!!」
俺の拙い言葉よりも、シオンの方が雄弁に語ってくれた――その勇ましい鳴き声で。
魔力が尽きかけたところで、俺はマナポーションを口にする。過剰に飲まないようにしてきたつもりが、もう一瓶を使いきっていた。
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