第百三十六話 服屋と質屋/白の暗躍
工房を出てブティック・コルレオーネに向かう――今日も店は繁盛しているようだ。少年の店員が会計をしており、女性の店員がもう一人いて、ちょうど接客を終えたところだった。
「すみません、店主のルカさんはいらっしゃいますか?」
「あっ、お話は伺っております、オーダースーツをご注文のアトベ様ですね。店主は近くの工房でスーツの製作にかかりきりですので、お言伝でしたらこちらでお受けいたしますが」
そういうことなら、無理に連れ出すのは難しいか――しかし、夕食を一緒にということなら考えてもらえるかもしれない。
「あら、奇遇ねアリヒト。店の様子を見に来て良かったわ、ここで会えるなんて」
「ああ、ルカさん……丁度良かった。すみません、迷宮から帰ってすぐにスーツの製作に戻ってもらっていたんですね」
「いいのよ、こうやって忘れ物を取りに来てるわけだしね。アタシの技能を使うための裁縫用具、それを忘れちゃ始まらないわよね。ラウロ、ちょっと取ってきてくれる?」
「はい、ルカ兄さん!」
よく見ると、ルカさんに面立ちが良く似ている少年だ――ルカさんは自分の頬を撫で、少し気恥ずかしそうにする。
「アタシの弟よ。あのコが大きくなるとアタシみたいになっちゃうんだから、成長って残酷よね」
「そんなことはないですよ、ラウロ君がルカさんを慕っているのは、見ただけで伝わってきました」
「そう? まあ、転生した時のことを考えると、元気に大きくなってくれて良かったけどね……なんて、日の高いうちから昔話っていうのもね」
ルカさんたちがどれくらい昔に転生したのか、どんな事情で兄弟揃って転生したのか――それをいつか聞くこともあるのだろうか。
「スザンナ、留守にして悪いわね。新しく出した服は売れてる?」
「はい、チュニックがすぐに出たので、お店が上がったら追加で作りたいんですが……」
「あんまり無理しないようにね、アンタは働きすぎるから。いい服が作れてるときこそ、夜はよく寝なさい」
「ありがとうございます、店長」
話しているうちにラウロ君が戻ってきて、ルカさんに道具を渡す。ルカさんはそれを受け取ると、歳の離れた弟の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「それで、アリヒト。スーツが仕上がるまではまだ時間がかかるけど、どうしたの? さっきのお礼っていうことなら、アタシも楽しかったから気にしないでいいわよ」
「今日の夕食を一緒にどうかと思ったんですが。家族団欒ということなら、水を差すわけにはいかないですね」
「兄さん、僕なら大丈夫だよ。みんなと留守番してるから、行っておいでよ」
ルカさんたちは兄弟だけでなく、店の人たちとも一緒に住んでいるらしい――コルレオーネ一家というと、ますますあの海外の映画が想起されてしまう。
「じゃあ、お言葉に甘えようかしらね。集合は何時?」
「ええと、夜七時くらいで考えてます。ルカさん、行きたい店ってありますか?」
「そうねえ……アリヒトのことだから、パーティメンバー以外にも結構人を呼びそうだし。この近くにベルギー料理の店があるんだけど、そこは行った?」
「いえ、まだ行ってないですね」
「女の子たちも好きそうなメニューがあるから、そこにしましょうか。アタシの行きつけだから、工房に戻る前に予約しておいてあげる。二十人部屋くらいでいい? 十人以上だとその部屋しかないから」
「はい、是非お願いします」
やはり七番区で暮らしている人は、店も良く知っている――俺のライセンスを操作して七番区の地図を表示し、ルカさんに場所を教えてもらって書き込んだ。時間については少し前後するかもしれないが、夜七時台ということで約束を取り付け、俺は店を後にした。
◆◇◆
ブティック・コルレオーネを出て裏路地に入り、俺は『七夢庵』を訪ねた。
「こんにちは……アトベ様、来てくださったのね。皆さんは元気にしている?」
「はい、お陰様で……シオリさんも、タクマさんも、『落陽の浜辺』ではお世話になりました」
「私はほとんど何もできなかったけれど、タクマはお役に立てていたようで良かったわ。帰ってきてからは、相変わらずだけれど……初めてよ、あんなふうにタクマが自分の意志を示したのは」
俺たちの危機を察したのか――それは亜人特有の勘なのだろうか。分からないが、タクマさんが蟷螂を倒すうえで活躍してくれたことは確かだ。
「…………」
「タクマも歓迎しているみたい。アトベ様が指輪を見つけてくれたことをちゃんと覚えているのね」
「見つけられて良かったです。めぐり合わせってものはあるんですかね」
シオリさんは扇子で口元を隠して笑う。そして何かに気づいたように、袖に手を入れてもう一つの扇子を取り出した。
「アトベ様たちがいずれ六番区に上がるとき、大したものではないけど、餞別を送りたいと思っていたの。あなたたちのパーティに、『巫女』の女の子がいるでしょう」
「この扇子を、スズナに……?」
「ええ。『巫女』は踊りの技能を覚えると思うから、そのときに扇子があると、踊りの効果を高めてくれるわ。良かったら受け取ってくれる?」
「分かりました、スズナに渡しておきます。ありがとうございます、シオリさん」
窮地に来てもらっただけではなく、餞別のことまで考えていてくれるとは――そのうえ、シオリさんはスズナの技能のことまで考えてくれていた。
「質屋を営んでいると、質草をそのまま店で引き取って欲しいっていうお客様も多いのよ。『黒い箱』に入っているような宝物はそうそう持ち込まれないけど、アトベ様のお役に立てるような品物もあるかもしれないわ」
「それは気になりますね……そうだ、うちのパーティのマドカは『商人』なので、シオリさんが商人組合に加盟しているなら、連絡が取れると思うんですが」
「いいものが入ったら、マドカちゃんに知らせればいいのね。分かったわ。組合を介せば別の区にも品物は送れるし……『特約』を結んでまで、品物の入荷を知らせに行くのはお手数をかけるものね……」
「あ……そうだ、その手がありましたね。シオリさんのお店とも『特約』を結ばせてもらえるなら、凄く助かります」
このままだと世話になったお店の全てに『特約』を申し込みかねないが、特に問題があるわけでもない。枠が空いていなければ申し込めないので、専属契約を結びたい店に出会ってもできない場合もあるだろうが、その時はその時だ。
「……アトベ様ったら、初めは初心な人に見えたのに、相当な人たらしね」
「い、いや……お世話になったお店さんとも、違う区に行ったらそれきりというのは寂しいと思っていたので。『特約』のことを教えてもらって、嬉しかったんです」
「ふふっ……ごめんなさい、私も喜んでいるのに、意地悪を言ったりして。こんなだから、弟にも独り身を心配されているわ。何も言わないけど、何となく分かるのよ」
「…………」
タクマは彫像のように立っている――シオリさんは苦笑し、着物の襟を直して、改めて俺を見た。
「……アトベ様はおいくつだったかしら? 私、自分の方が年上だと思っていたのだけど」
「俺は二十九ですね。ミサキあたりには、おじさんと呼ばれてもおかしくない歳です」
「ふふっ……おじさんっていうのは、アトベ様にはまだ早いと思うわ」
そう言ってもらえると多少安心もするが、どのみち色々と落ち着きを求められる歳だとは思う。おじさんと呼ばれなくとも、一人前の大人として見られたいものだ。
「それにしても、私よりお兄さんだったのね……ファルマお姐様ったら、自分の方が年上だと思いこんで……後で教えてあげないと」
ファルマさんは俺を弟のように見ているので、背中を流してもいいというような発想だったが――年齢的に俺の方が上だとわかると、彼女の中でどう変化するのだろう。
俺たちの宿舎にファルマさんが泊まることはそうそう無いと思うので、また然るべき状況になった時には、しっかり説明することにしよう。それがいいのか悪いのか、現状俺にも良く分かっていないのだが。
◆◇◆
シオリさんたちも来てくれることになったので、店の場所と時間を伝え、外に出てきた。
「や。アリヒトって言ったっけ? エリーのパーティのリーダーくん」
裏通りから表に出ようとしたところで、声をかけられる――建物の壁に背を預けていたのは、白いマントを身に着けた女性だった。
「君は……確か、シロネさんだったか。こんなところで何を?」
「エリーの顔を見るだけで帰るのも、つまらないと思って。ちょっと話さない?」
改めて見ると、ミサキやスズナよりは年上に見えるが、大人という雰囲気でもない。
まだ悪戯好きが抜けない子供のような目をしている――フードの下には肩にかかる長さの白い髪と、金色の瞳。しかしその目の奥にあるものは、不気味なほど底が知れない。
「急に話したいと言われてもな。俺も寄り道をするわけにはいかない」
「まだ怒ってる? そうだよね、さっきのはちょっと印象悪いよね。でもしょうがないよ、夢見がちなエリーに現実を教えてあげなきゃ、あの子いつか死んじゃうから」
謝るつもりでもあるのかと思いきや、やはりその言葉には悪意しかない。それを無邪気に笑って言うのだから、やはりエリーティアには簡単に会わせられないと思う。
「俺たちは、エリーティアを決して死なせたりしない。それに彼女の目標は、俺たちの目標でもある」
「アリヒトのおかげで、エリーは随分明るくなったみたい。『旅団』にいた頃は、歳の近いメンバーの中でも浮いてたから。レベルが低いのに団長から『封印武器』を与えてもらって、使いこなせなくって、ついたあだ名が『死の剣』だもんね」
「その、団長っていうのは……エリーティアの家族なんじゃないのか?」
「そう、エリーティアのお兄さん。お父さんもいるけど、転生してからは実力主義ってことで、お兄さんの方針に従ってる。そうやって迷宮国に来てから歪むこともあるんだよね、家族で転生したりなんてすると」
心底楽しそうに『歪む』という言葉を口にする――シロネはエリーティアにだけ悪意があるわけじゃない。
そう分かると、挑発に乗ることは軽率だと感じた。俺が怒ることすらも、シロネはただ面白がるだけなのだろうから。
「いつか『旅団』のいる区まで行ったときも、俺たちは何も考えずに目的を果たす。今言えることはそれだけだ」
「くすっ……誘いに乗ったら負けだと思ってる? 私はそういうプライドのある人が好き。団長もそうだと思う」
「……そうやって人の心が見えたつもりになるのは、あまり趣味がいいとは言えないな」
「ごめんごめん。そこで怒らないようなら、見込みナシと勝手に思ってただけ。合格だよ、アリヒト」
何が合格なのか――俺を『白夜旅団』に勧誘しているということか。
「アリヒトみたいな人は、なかなか他のパーティには移れないよね。でもあたしたちは、そういう人たちも引き抜いてきたから。最大で三十人、今はエリーと二人が抜けて二十七人。だから三人欲しいんだよね……前衛が二人、後衛が一人。あと二人いると言うことはないんだけど、アリヒトならすぐレギュラーで……」
「あいにくだが、俺はパーティを移ることはない。他を当たってくれ」
シロネはその答えを予想していたというように、肩を揺らして笑う――そして。
彼女は俺に近づき、そしてすれ違いざまに、小さな声で囁きかける。
「次に会う時までに、考えておいてね。心変わりしたら、いつでも私に会いに来て」
全く諦めていない――なぜそこまで、と疑問に思うほど、シロネは俺に拘泥している。
振り返ると、すでにシロネの姿はどこにも見えなくなっていた。そしていつの間にか、俺の手の中には紙切れが握らされている。
(いつの間に……一体、何をした……?)
紙切れにはシロネが使っていると思しき宿舎の住所と、建物の名前が記されている。いつ握らされたのか、全く分からなかった――技能を使った形跡も、ライセンスを見ても表示されていない。
グレイと同じような隠蔽技能を用いたとしたら。それとも、レベル差による能力の差で気づくことができなかったのか。
「あ……アリヒト兄さん! リョーコ姉、アリヒト兄さん来てる!」
「先生……っ、先生もいらしてたんですね。さっき迷宮で会った時にお話を聞いて、あたしたちも『七夢庵』さんに来てみたんです」
カエデとイブキがシロネが立ち去った方向からこちらにやってくる。リョーコさんとアンナもその後ろから姿を見せた。
「みんな、奇遇だな……さっきはありがとう、助かったよ」
「えー、うちら全部終わったあとに到着してしまって、ちょっと残念やったんやけど」
「グレイは捕まっちゃったんですよね? 良かった……街を歩いててもグレイの仲間みたいな人が声をかけてきて、ちょっと大変だったんです。リョーコ姉はおっとりしてるから、目を放すと心配だし」
「そ、そんなことないわよ……私だって大人なんだから、少し強引にされたくらいでついていったりしません」
「……アリヒト、どうしましたか? 少し顔色がすぐれないみたいですが……」
アンナが俺を見上げるようにして言う――彼女は熱を測るように手を伸ばしてきて、ぴた、とひんやりした手が額に触れた。
「あ、ああいや……みんな、白いマントの女性とすれ違わなかったか」
「うん、そこのところで……なんや笑ってるみたいやったけど、アリヒト兄さんの知り合いやった? 挨拶せんで良かったかな」
「いや、それは大丈夫だ。知り合いってほどでもない……正直言って、友好的な関係じゃないんだ」
『フォーシーズンズ』の四人がシロネに近づかないように警告しておくことはできる――だが、まだシロネが何もしていない段階で気をつけろと言っても、彼女たちを不安にさせるだけだ。
――しかし全く何も言わないでおくのはもっと危険だ。そう思い直し、俺は慎重に言葉を選んで話しておくことにした。
「あの白いマントの女性は、エリーティアと昔同じグループで探索してたんだ。だけど、あまり関係が良くなくて……俺としては、今はあまりエリーティアに近づけたくはないと思ってる」
エリーティアと再会するなり、挑発して傷を抉るようなことを言う相手に、少なからず憤っている。しかし険悪だから避けるというだけでは、問題を先送りにしているだけだ。いずれは解決しなくてはいけないが、どうすればいいのかは慎重に考えなくてはいけない。
「アリヒト兄さんがそう言うなら、うちらも気をつけんとあかんね」
「喧嘩してるのなら、すぐに仲直りっていうのは難しいよね……」
「……きっかけがあれば、関係が変わることもあるのでしょうか。合わない人とあえて顔を合わせることをしないというのも、正しい身の振り方ですが」
まだエリーティアと旅団の関係については、俺にも見えていない部分が多い。干渉しようとするのではなく、エリーティアが話そうと思う時に聞くのが一番いいだろう。
しかしシロネのことに関しては、ただ受け身で待つというわけにもいかない。向こうが何かをしようとしているのは、態度を見れば明らかだからだ――彼女は理由があって、まだこの区に留まっているのだろうから。
「すまない、心配をかけてしまって……話は変わりますが、リョーコさん、夜は何か予定は入っていますか?」
「っ……よ、予定ですか? この子たちと一緒に、買い出しをして自炊をしようと思ってますが、アリヒトさんがどうしてもって言ってくださるなら……」
「リョーコ姉、ちゃうんやないかな。兄さんが誘うとしたらうちら全員やないの?」
「そ、そうだよね。良かった、リョーコ姉だけデートに行っちゃうのかと思った」
「……アリヒト、リョーコは免疫がないので、その辺りを考慮していただけると助かります」
「い、いや、そうじゃなくて……」
俺はセレスさんたちも呼んで食事をすることを伝え、四人も来てくれるか改めて尋ねてみる――すると彼女たちは二つ返事で参加を了承してくれた。