第百三十話 二つ名
俺たちは『落陽の浜辺』を出て、医療所に急いだ――ロランドさんの魂が閉じ込められた『魂牢石』があれば、きっと彼は意識を取り戻すはずだ。
受付にロランドさんとの面会を申し入れると、受付嬢は思ったよりスムーズに許可を出してくれた。
医師の診察の結果、ロランドさんが『致死昏睡』であること、原因が魂を喪失したことであることは病院側も把握しており、ロランドさんの魂を取り戻すことを俺たちに依頼したことも、ダニエラさんは病院に伝えていたのだ。
俺たちは階段を上がり、ロランドさんがいる治療室に急ぐ。案内してくれている看護師さんは、まだ現実味がないという様子でいた。
「『魂の喪失』が起きてしまったとき、原因となった魔物を時間内に倒すことができず、魂を取り戻すことができないことも多いんです。そのときは、通常迷宮の中で倒されてしまったときよりも、亜人に変化する可能性が高いと言われていて……」
「そうだったんですか。それで、この部屋に……」
ロランドさんが亜人に変わる可能性があった――そのためなのか、医療所の中でも厳重な扉で閉ざされた治療室に彼は収容されていた。
「お待ちしていました、アトベさん。ダニエラさんから話は伺っています」
医師の男性は俺より少し年上と言ったところだろうか、そんな相手に初対面で恐縮されるのは、少々落ち着かないものがある――と、そんなことを考えている場合ではない。
「しかし、まさかその日のうちに魂を取り戻してくるとは……あなた方の献身に、七番区第一医療所を代表して敬意を表します」
医師の男性と看護師さんが揃って頭を下げる――その気持ちは無下にできないが、まだ礼を言われるような状況じゃない。ロランドさんが蘇生しなければ意味がないのだから。
「先生、ロランドさんの容態は……」
「『致死昏睡』の状態のまま、変わってはいません。私も『魂喪失』から回復する患者を見たことは、十年間で三名きりです。経験が少なく、申し訳ありません」
「いえ、三度でも経験があるのならとても頼もしいです。この石を、どう使えばいいんでしょうか」
魂牢石を取り出すと、医師が目を見開く――そして手を伸ばしかけて、途中で引いた。
「やはり……このままでは、魔物による魂の拘束が解けていません。神聖属性での浄化が必要になりますので、すぐに手配をします」
「神聖属性……先生、少し待ってください。スズナ、『手水』でこの石を浄化できそうか?」
スズナがやってきて、魂牢石を手に取る――黒く濁ったような模様が表面に浮き出ていて、ロランドさんの魂が拘束されているように見える。
看護師さんに頼んで瓶に水を汲んできてもらい、スズナが『手水』を発動させる――すると、ガラス瓶の全体がごくわずかに光を帯びた。
◆現在の状況◆
・『スズナ』が『手水』を発動
・『魂牢石』の『穢れ』を解除 →『魂魄石』に変化
スズナが水を手に取って、俺が持っている『魂牢石』に滴らせると、石の濁りが消えていく――これが本来の姿ということか、透き通るような光を放つ石に姿を変えた。
治療室の扉を開けてもらい、治療台に寝かされているロランドさんに近づく。全く胸が上下しておらず、呼吸をしていないようにも見える――しかし、それでも彼は生きている。
「……ロランドさん。ダニエラさんと、生まれてくる子供があなたを待ってる」
仲間たちは何も言わずに見守っている。光る石をロランドさんに近づけると、呼応するかのように、彼の身体もまた淡く輝き始める――そして。
◆現在の状況◆
・『アリヒト』が『魂魄石』を使用 →対象:『ロランド』
・『ロランド』の『致死昏睡』状態が回復
魂魄石が俺の手を離れ、輝きを増す――物質として触れることができたはずの石は、触れることのできない光そのものに変化して、彼の身体に吸い込まれていく。
「……トーマス……後を頼む……ダニエラに、すまないと……」
死を覚悟して『無慈悲なる断頭台』に挑んだ時、ロランドさんは仲間たちに何かを言っていた。
彼の時間は、そこで止まっていた――しかし、もう一度動き始めたのだ。
やがて目が薄く開いて、ロランドさんがこちらを向く。
「……アリヒト……アトベ……お前が、俺を……?」
「俺たちはダニエラさんの依頼を受けて、あの魔物を討伐しました。ただそれだけですよ」
「またそんな言い方して……後部くんって、そんなに硬派な人だった?」
「助けたつもりはない、なんてツンデレっぽいですよねー。私はもう言っちゃいますよ、ロランドさん、あなたを助けたのはお兄ちゃんと愉快な仲間たちです!」
ミサキが出てきて言う――ロランドさんに、今のミサキのテンションは場違いすぎるだろうと思ったのだが。
彼は、口の端を少し吊り上げて笑う。そして目を閉じ、長く息をついた。
「完敗だ、ルーキー。いや、おまえたちにはそんな常識は通用しないんだろう。七番区に来て一週間も経たず、頂点に立つなど……っ、ゴホッ、ゴホッ……」
ロランドさんが咳き込み、医師たちが駆け寄る。まだ意識を取り戻したばかりで、少し話すだけでも負担がかかってしまったようだ。
「ロランドさん……回復されて本当に良かった。しかし『致死昏睡』から回復しても、リハビリは必要です。私たちも支援をしていきますので、復帰まで一緒に頑張りましょう」
彼にとっては、二度目になる――一度は病で、そして今は、もう少しで六番区に上がれるというところで足踏みをしてしまった。
ダニエラさんも言っていた、かつて病に冒されて仲間たちに置いていかれたあと、ロランドさんは悪夢を見たこともあったと。それほどの傷を負って、なお立ち上がるというのが、どれだけ苦しいことかは想像が及ばない。
しかしロランドさんの目は、まだ力を失ってはいない。その表情から、諦めは欠片も感じられなかった。
「……今回のことは教訓になった。『同盟』の足を引っ張るわけにはいかんから、俺はまた何もないところからやり直すことになる。それでも、どうやら俺は俺が思った以上に、諦めが悪いようだ」
「ロランドさん、何もないなんて……それは、贅沢な話じゃないですか?」
俺が言ったところで、ダニエラさんが治療室に入ってくる――彼女はロランドさんが目を覚ましていると気づくと、目を見開いて立ち止まる。
「……ダニエラ」
「……ロランド……ッ!」
ロランドさんが名前を呼ぶと、ダニエラさんは彼に縋りつく――仲間たちはみんな貰い泣きをしていて、俺は思わず空を仰ぎたくなる。
「…………」
「……な、なんだ、テレジア。心配してくれてるのか?
肯定の頷きはないが、テレジアは俺の服の袖をつまんだままでいる。急に上を見たりしてるから心配されたのだろうか。
「良かった……本当に……あなたが死んでしまったら、私、私……っ」
「……俺も死んだとばかり思ってたが。どうやらスーツを着た彼は死神じゃなく、その逆だったみたいだな」
スーツ姿の死神――そんな海外の映画があった。俺を見て、そういう連想をする人も中にはいるのだろうか。ロランドさんのジョークであって、深読みするところでもないか。
まだテレジアが心配しているようなので、俺は彼女にだけ聞こえるように、近づいて小さな声で言った。
「大人になると、人前で泣くのはちょっとな」
「…………」
ちゃんと伝わっただろうか――と考えていると、テレジアのマスクから見えている口がはっとするように動いて、一歩後ずさる。
(ん……テ、テレジア……?)
マスクではなく、その下にあるテレジアの顔が赤くなっている。俺が不用意に耳元で話しかけるようなことをしたからか――いや、それくらいでこの反応は繊細すぎるような気もする。
「……アリヒト、今は夫婦水入らずにしてあげましょう」
「あ、エリーさんも目が真っ赤じゃないですかー。私も貰い泣きで決壊してますけどね、こう見えて人情に溢れてますからねー」
「ミサキちゃん、私のハンカチを使って。そのまま外に出たら心配されちゃうから」
「……スズナも泣いてる。私はなかなか泣けないから、少し羨ましい」
「本当に良かった……良かったです……あっ、お、お兄さん、私は何もしてないので、そんなふうにしてもらうようなことは……っ」
「マドカがセレスさんたちを連れてきてくれて、凄く助かったからな。これくらいはさせてくれるか」
女の子の頭を撫でるのはよほどの場合でないとしてはいけないと思うが、マドカの場合は最年少だし、ターバンの上からなので大目に見てもらいたい。
「あ、ありがとうございます、お兄さん……」
「……私ももう少し小さかったら……ううん、何でもない」
「…………」
「後部くん、パーティの子たちで差をつけると不公平になっちゃうわよ。リーダーとしてはバランスを考えるのがいいと思うわ」
「そんなこと言って、キョウカお姉さんも……あっ、騒がしいですね、一旦退場しまーす」
みんなが治療室を出ていく――自分たちのことを見て貰い泣きしていたのだと分かると、ヴォルン夫妻は揃って気恥ずかしそうにしていた。
「アトベさん、本当にありがとうございます。依頼のお礼は、ギルドを通じて必ずさせていただきます」
「いえ、それはあまり気にしないでもらって……」
「ん……そうか、もしかして知らないのか? 他のパーティからの依頼を受けた場合、達成した際にギルドから報奨が出ることがある。俺を助けたことにどれくらいの価値があるかは知らんが、何かしらは貰えるかもしれんぞ。勿論、俺たちからも礼はしたいが」
そういう制度なら、どんな報奨が出るのか興味はある――ルイーザさんに探索の報告をしたときに受け取ることになるのだろうか。
「じゃあ、有り難く受け取らせてもらいます。二人とも、どうか元気で。ロランドさん、大変かもしれませんが……」
「ああ、大丈夫だ。妻もそうだし……新しい家族のためにも、情けない親父ではいられんからな」
ロランドさんはダニエラさんと笑い合う。この夫婦なら、心配することは何もないだろうと思える、そんな笑顔だ。
「アトベさん、もし医者の力がご入り用でしたら、いつでも当診療所にご連絡ください」
「分かりました。たまには健康診断でも受けたいですね、パーティ全員で」
俺は挨拶をして、外にいた仲間たちと一緒に診療所を後にする――すると、ロビーのところに見覚えのある一団がいた。『自由を目指す同盟』のメンバーだ。
「……話は聞いた。俺たちのリーダーを助けてもらって、本当に何て礼を言っていいか」
トーマスさんも感極まって目を潤ませている。ロランドさんとは付き合いが長いのだろう、心から感謝を述べてくれているのだと分かる。
「すぐに来られたということは、いつでもここに集まれるようにしていたんですね」
「ああ……誰も、リーダーが……ロランドがああなったと分かっていて、普通ではいられなかった。同盟を抜けるパーティも出るかと思ったが、今のところはグレイがギルドセイバーに身柄を確保された以外は、誰も辞めずに残ってくれてる。『トリケラトプス』の三人からも事情を聞いて、同盟には戻らないことにはなったが、連携してやっていくと決めたよ」
「それは良かった。『同盟』の皆さんが残ってくれていることは、ロランドさんにとって励みになると思います」
まだ話したことのないメンバーも、俺たちに頭を下げる。
紆余曲折あって『同盟』とはぶつかる形になったが、対立するように仕向けていたグレイは今はいない。腹を割って話す時間があればとも思うが、俺たちにも進む先があり、彼らにもこれからするべきことがある。
「またどこかで会いましょう。『同盟』の皆さんも、どうか無事で」
挨拶をして、診療所の外に出る――その寸前に、後ろから声がした。
「ありがとう! スーツのあんた、最高に格好良かったぜ!」
「私たちのリーダーを助けてくれてありがとう! 愛してる!」
「アトベさん! 俺もあんたみたいな探索者になりてえよ!」
無骨な男性から、若い女性のメンバーまでが、熱烈な言葉をかけてくる――恥ずかしくはあるが、そう言ってもらうのは悪い気はしない。
「……どんどん、後部くんが大きくなっていっちゃう気がするわね」
「このままだと、二つ名がついちゃうかもね。私よりはいい名前だと良いんだけど」
「ふ、二つ名か……『スーツの男』とはもう呼ばれてるみたいだけどな」
五十嵐さんもエリーティアも嬉しそうだ。あれほどの強敵と戦い、死線をくぐった後でもこうして笑っていられることがどれだけ恵まれているかと思う。
診療所を出て少し歩いたところに、セラフィナさんの姿を見つける。どうやら、クーゼルカ三等竜尉のところに案内するために、俺たちを迎えに来てくれたようだ――いつもの鎧ではなく、ギルドセイバーの制服だろうか、軍服のようなものを着ている。
「アトベ殿、ロランド殿は……」
「ええ、お陰様で意識を取り戻しました。もう大丈夫だと思います」
「それは何よりです。アトベ殿たちがいなければ、どうなっていたか……私たちギルドセイバーも、いっそうの鍛錬を続けなければと思います」
ギルドセイバーでも対処しきれないような魔物――階級の高い隊員なら対処できるのだろうが、そういった人員は上位の区に常駐しているというのも想像はつく。
しかし俺たちは、そんな魔物を倒すことができた。それがギルド本部、ギルドセイバーにどう評価されたのか。クーゼルカ三等竜尉の話は、そこに密接に関係していると考えていいだろう。
「では……これより、クーゼルカ三等竜尉のもとに案内します。アトベ殿、パーティの代表として同行していただけますか」
「分かりました。みんな、終わったらすぐに戻るから、ここからは自由行動にしよう」
「いったん宿舎に帰って休むことにするわね。お昼は少し遅くなるけど、後部くんが戻ってきてからにしましょう。みんな、それでいい?」
五十嵐さんが他のメンバーを引率して、宿舎に帰っていく――こうして見ていると、まるで先生と生徒たちのようで微笑ましくはある。
「…………」
そしてテレジアはぺたぺたとこちらに歩いてきてしまった。それは仕方がないということで、五十嵐さんたちも苦笑している。
「すみません、テレジアは最初に会った頃から、俺の護衛みたいにしてくれていて……」
「ふふっ……了解しました、そういうことであれば」
セラフィナさんが笑った――と、そこまで驚くことでもないのだが、厳格な軍人としての彼女を見てきたのでギャップを感じる。
「……アトベ殿の護衛……テレジア殿は、そこに居場所を見つけているのですね」
「え……?」
「いえ。アトベ殿、迷宮探索のあと、立て続けに動かれて疲れてはいませんか。そうであれば、私が背負って運ばせていただきますが」
「い、いえ、そこまで疲れてはないですから、お気遣いなく」
「そうですか……アデリーヌなどは、私の背中は安定していて乗り心地が良いなどと言ったりもするのですが」
軍隊では大きな荷物を背負って長距離移動をするような訓練もあるというが、同じ感覚で俺を運んでくれるのだろうか――さすがに『後衛』といえど、バックパックの代わりになるというのも何なので、ここは丁重に辞退しておこう。




