第十二話 必需品
退院の手続きを済ませたあと、俺は五十嵐さんを宿まで案内する途中で、彼女の希望で服屋に立ち寄った。
服の並んだ棚を見ながら、五十嵐さんは適当に見繕ってカゴに入れていく。俺も自分の買い物をしようかと思ったが、その前に彼女が話しかけてきた。
「着替えは希望すれば支給されるっていうけど、ちょっと現代人には厳しいわよね、あのラインナップ」
ギルドで初級探索者に配布しているのは綿か麻のTシャツ、パンツ、ズボン的なもの。靴は自分で稼いで揃えるしかなく、支給されない。
そして稼げないと、女性探索者でもブラの類が手に入らないことに――ちょっと厳しくはないだろうか。ワタダマ一匹を換金するとだいたい銅貨五枚が相場だというので、五匹狩れば着替え一式は揃えられるのだが。
「あのワタダマってやつのふわふわした毛が、服を作るのに大量に必要になるわけね。魔物として襲ってくるやつの素材でできてると思うと気になるけど、まあ慣れるしかないわよね」
「それでワタダマの需要が常にあるんですね。常に一定額で換金できるらしくて、不思議だったんですが」
探索者と、その支援者だけで成立している国。彼らの消費するものはどうやって生産されているのかというと、迷宮の魔物素材がその一つというわけだ。
食料が魔物の肉だけしかないというわけでもないらしい。町を行く人の中にはパンらしきものを食べている人もいる。
「それにしても、何から何までお世話になって悪いわね。お金まで貸してもらっちゃって」
「必需品ですからね。俺こそ失念しててすみません、明日も同じ服じゃ、女性は気になりますよね」
「いざとなったらそんなことも言ってられないけどね。まだこっちに来て半日くらいしか経ってないけど……」
何か気になったのか、五十嵐さんは俺をちら、と見る。
「あ、いや、汗臭いとかはないですよ。心配ないです」
「っ……あ、あのね。そういう時は、察しても口に出さないでよ」
「す、すみません。俺、女の人と接するのに慣れてなくて……」
言ってみて思うが、一応毎日上司の五十嵐さんとは顔を合わせていたわけで、それで慣れてないというのも言い訳にならなさそうだ。
しかし彼女は気分を害したというわけでもなく、ふぅ、と息をつくだけだった。
「じゃあ、これからパーティ組むんだから少しは慣れなさいよね。そんな思春期の中学生みたいなこと、いつまでも言ってないで」
「ははは……すみません」
「そのすぐ謝るのも、しなくていいから。別に怒ってないし。怒ってたら言うから」
ルイーザさんにも、特に意識してなくても腰が低いと言われたし、そこは気をつけるべきなのかもしれない。
だが五十嵐さんは説教というよりは、ただ思ったことを言ってくれているだけで、表情は柔らかかった。
「転生でもしなかったら、こんなこと言う機会なかったでしょうね」
「はは……確かに。というか、五十嵐さんと仕事のこと以外で話すこと自体が無かったですから」
「会社でうかつに私語してるとすぐ噂が立つしね。後部くんと一回だけ、残って仕事したことがあったでしょう。あの時なんて、何故か上から注意されたしね」
そんなことがあったのか。いや、俺はその件に関わる、ある『噂』を知ってはいたが――。
五十嵐さんがスピード出世したのは、彼女の言う『上』、つまり社長から個人的に気に入られているからだという噂があった。
俺はそれを信じてもいないし、絶対に無いとも思っていなかったが、本当はどうなのだろう。気になるが、聞いたらそれこそ蛇蝎のごとく嫌われると思っていた。
「……後部くんも知ってるかもしれないけど、私が昇進したのは社長が推したからよ」
「あ……そ、そうなんですか……」
「あ、やっぱり勘違いされてたわけね……言っておくけど親密な関係とか、そういうわけじゃないわよ。勝手に向こうから目を付けてきて、私を便利な駒にしようとしてただけ。昇進した後からずっと言われてたわ、君のことを見出したのは私だみたいなことをね」
「……五十嵐さんは美人だから、目をつけられちゃったんですね。うちの社長、若い頃から女性関係で何度も揉めてたって話でしたけど」
立場のある人間が、妻帯者であっても他の女性に目移りする。社会に出ればそういう場面を見ることも珍しくはなかった。
少し五十嵐さんについて勘違いをしていたな、と反省する。この場の話だけで全て信じるというのも甘いのかもしれないが。
「……私のこと、そんなふうに思ってたの?」
「い、いや、社長と五十嵐さんのことは、俺も良く知らなかったので……」
「そ、そうじゃなくて……ま、まあいいけど。とにかくそれは誤解だから。私もそういう理由で昇進したのは不本意だったし、社長のメールもしつこかったから、どうにもならなくなったら辞めてたかもしれないわ」
「……それでイライラして、俺への当たりがキツかったとか?」
思い切って核心に切り込んでみる。五十嵐さんはきっ、と俺を睨もうとするが――すぐにその眼力が弱まって、申し訳ないという顔になる。
「……恥ずかしい話なんだけど、うちは門限があってね。会社に入ってそんなこと言うなって話なんだけど、定時に帰るしかなかったのよ。親の怒りかたが尋常じゃないから」
「そ、そうだったんですか。五十嵐さんって、もしかしてお嬢様……?」
「そうやってすぐ言われるけど、田舎で土地持ちっていうだけ。近所では名士なんて言われてるけどね」
田舎の実家から、都心まで毎日出社するのがどれほど大変か。マイホームを買ったはいいが通勤距離が遠すぎ、それでも文句一つ言わない同僚を横目に、俺は会社から自転車で十五分の距離にマンションを借りて住んでいた。通勤が短い分だけ、仕事をしている時間が長くては意味がなかったが。
「……かといって、あの残業地獄は酷いですよ」
「ごめんなさい……私は家に帰って仕事をするしかなかったから」
色々と得心はいったし、彼女に対する色々な恨みつらみみたいなものは、事情を知れば半分くらいは軽減した。
「あと、罵倒がすごかったですよ。何度も心が折れかけました」
「……ごめんなさい、それは言い訳のしようもなく、私の性格の問題よ。もっとできると思うと、口が悪くなって……弟にもよく言われたわ、お姉ちゃんは性格がきつすぎるって」
その弟にはもっと言ってやってほしかったが――転生した今となっては思うところがあるのか、五十嵐さんは家族のことを思い出すように遠い目をする。
「……後部くんの家族は、どんなふうだった?」
「小さい頃に、親が両方亡くなってまして。家族というと、まず施設の先生たちと、仲間が浮かびますね」
こういう話をすると同情されることが多く、なるべく話さないようにしてきた。しかし転生した今となっては、隠しても仕方がないことだ。
「……本当にごめんなさい、そんなに頑張ってうちの会社に入ったのに、昇進試験を受ける時間を作ってあげられなくて」
「まあ、それで辛いと思ったこともありましたが、もう忘れますよ。何しろ五十嵐さんには、俺のパーティメンバーとして、色々言うことを聞いてもらいますからね」
「っ……そ、それは……パーティとしての命令に限るけど。ちゃんと指示には従うわよ」
あれほど恨んだのに、それを忘れる。それは案外難しいことではなかった。
謝ってもらえば、俺はそれで良かったのだと思う。それでも許さないというほどは、彼女を憎んではいなかった。
「さて……買い物、もういいですか? カゴがいっぱいになってきてますけど」
「あ……ご、ごめんなさい。お金、足りるかな……」
なるほど、買いすぎて迷っていたというわけか。それなら、助け舟を出さないこともない。
「もし足りなかったら銀行に行って下ろしてきますよ」
「えっ……ま、まだ持ってるの? 私に五十枚も貸してくれたのに」
「まだ余裕ありますよ。返すのはいつでもいいですから、百枚貸しておきますか?」
「……さ、三十枚でいいわ。返すとき大変だから」
パーティで探索に出て稼いでいくとしたら、財産は共有ということでもいいのだが。パーティ資金に五割、残りは貢献度に応じて配分とすれば、個人の買い物もしやすくて良いかもしれない。
俺は必要なものを追加して精算しに行く五十嵐さんを見送ったあと、自分の服を買ってないことに気づいた――探索用の防具とは別に、寝る時のものを揃えなくては。