第百十六話 砂浜の死線
砂浜にはもう一つ、『蟹』の出てくる巣穴があったようだが、彼らはロランドさんたちのパーティが壊滅するのを遠くで見て、それから全く動けなくなっていた。
「貴方がたは逃げてください! 無理に加勢する必要はありません!」
セラフィナさんが声を張ると、左後方にいたパーティがようやく動き、巻物を使って転移する。これで、砂浜にいるのは俺のパーティ、そして浅瀬に倒れたままのロランドさんと、トーマスさんのみとなった。
巨大蟹はエリーティアに攻撃を避けられながらも、絶えず眼を動かし、他の標的にも注意を向けている――トーマスという人は近接系の職業ではあるようだが、防具から見てとても巨大蟹の攻撃を受けられそうにない。
「キョウカ、テレジア、巻き込まれないように距離を取って!」
「大丈夫……っ、これだけ一回の攻撃が大きいと……かわすだけなら……っ」
「……!!」
巨大蟹の鋏の振り降ろし、薙ぎ払い――恐ろしく範囲の広い攻撃を、エリーティアは目を疑うほど距離を詰めて回避し、五十嵐さんとテレジアは間合いギリギリのところで回避している。『ブリンクステップ』『アクセルレイド』を要所で使っているが、そういった技能がなければとても避けられる攻撃ではない。
俺たちはどうするべきか――近づきすぎてはいけないが、前衛のメンバーが離脱しやすくするために、まだ距離を詰める必要がある。
「ミサキ、スズナ、セラフィナさんの指示に従って後ろにつくんだ。『バブルレーザー』って攻撃だけは絶対に受けちゃいけない。シオンも前に出すぎるな」
「は、はぃぃっ……全力で気をつけます!」
「今のうちから『皆中』をかけておきます。必ず当てられるように……」
「バウッ……ガルルッ……!」
スズナは携えた矢に祈りを込める。ミサキの『ラッキーセブン』を使うにはまだ距離が遠いので、彼女はサイコロを取り出しつつも握ったままで走っていた。シオンは忠実に返事をしてくれるが、前衛が攻撃を回避するところを見て唸り声を上げている。
(ただでさえ、砂に足を取られる。加速や回避の技能がないと、まともに近づくことはできない……本当に厄介な相手だ……!)
「こっちに向いていなさい……!」
エリーティアの動きを見て、俺はどの支援が最適かを判断する――攻撃して敵の注意を引きつけるなら、ノーダメージでは意味がない。
「――エリーティア、『支援する』!」
◆現在の状況◆
・『アリヒト』が『支援攻撃1』を発動
・『★無慈悲なる断頭台』の攻撃 →『エリーティア』が回避
・『エリーティア』が『切り返し』を発動 →『★無慈悲なる断頭台』に命中 ノーダメージ 支援ダメージ12
・『エリーティア』の追加攻撃が発動 →『★無慈悲なる断頭台』に命中 ノーダメージ 支援ダメージ12
敵の攻撃を避けたところですかさず反撃できる『切り返し』。その一撃が蟹の鋏に繰り出されると、エリーティアの剣の刃は手応え無くすり抜けたかに見えたが、『支援攻撃1』で生じた不可視の刃は鋏に斬撃の跡を残した。
「通った……やっぱり、アリヒトがいてくれれば……!」
打撃さえ通れば倒すことができる――少しずつでも削り続けることができれば。
だがそれは、敵がこのまま攻撃を受け続け、こちらが回避し続けることが可能であるならばの話だった。
「テレジアさん、『それ』から離れてっ!」
「……!!」
「――テレジアッ!」
◆現在の状況◆
・『アリヒト』が『支援防御1』を発動 →対象:『テレジア』『キョウカ』
・『★無慈悲なる断頭台』が『ネクロブレイク』を発動
・『ゴーストシザーズF』が爆発 →『テレジア』『キョウカ』に命中 『★無慈悲なる断頭台』が体力吸収
「くっ……!」
「……っ」
心臓が跳ねる――『支援防御1』の10ダメージ軽減を越えてしまうことはほとんどない。しかしテレジアが盾を構えて後ろに飛び、五十嵐さんも防御態勢を取っていたのに、『ゴーストシザーズ』の一体が起こした爆発を防ぎきることはできなかった。
「三人とも、危険です! 他の『ゴーストシザーズ』の遺骸に近づいてはいけません!」
「近づくつもりはなくても、この数じゃ……!」
『同盟』がしたことが、こんな事態を招くとは――この『名前つき』はやはり、倒された『蟹』の怨念を体現したような存在だ。
死体爆破で被害を与えるだけではなく、体力が回復している。鋏に付いた傷が消えるのを見たエリーティアは、怒りを露わにして叫んだ。
「よくも二人を……っ!」
エリーティアは迷いなく反撃に出る――しかしそれを止めたのは、傷を負いながらも一歩も引かない五十嵐さんだった。
「やってくれたわね……今度はこっちの番よ!」
◆現在の状況◆
・『キョウカ』が『サンダーボルト』を発動 →『★無慈悲なる断頭台』に命中 弱点攻撃 感電
五十嵐さんの突き出した槍から放たれた雷撃は、中距離の間合いを一瞬で駆け抜け、半分透けた状態の巨大蟹に命中する。打撃はわずかではあるが、魔法攻撃は確かに通じている――帯電してバチバチと火花を放つ蟹は、一瞬動きを止めたように見えた。
もう少しで俺たちも戦列に加われる。魔法攻撃を折り込んだ連携攻撃を浴びせれば、少なからず打撃を与えられる――エリーティアもそう判断していた。
「アリヒト、連携を……っ」
だが、気が付かないわけにはいかなかった。感電しているはずの『蟹』の目が、前衛の三人ではなく『俺たち』に向けられていることに。
「――みんな、散開するぞ! セラフィナさんも『今の位置』から離れてください!」
「アトベ殿っ……!?」
『バブルレーザー』が来る――そう思っていた俺は、巨大蟹の足が砂地に力強く押し込まれるところを見て、その予測が外れていたことを悟る。
(なんだあれは……何かが光って……)
光っているものが何か気がついたとき。巨大蟹の身体が輝き、実体化する――同時に、その巨体が予想だにもしない動きをした。
◆現在の状況◆
・『★無慈悲なる断頭台』が実体化 →魔法無効 状態異常解除
・『★無慈悲なる断頭台』が『ロランド』の技能を使用
・『★無慈悲なる断頭台』が『スカイハイ』を発動
「ふざ……けるなっ……それは、それはっ、リーダーのだろうがぁぁぁぁっ……!」
なぜロランドさんの魂を刈り、捕らえたのか。その答えは――あの巨大蟹が、魂を捕らえた探索者の技能を使うことができるからだった。
トーマスの叫びが聞こえる。蟹はロランドさんよりは低く、だがその巨体から想像しがたい高さにまで飛び上がる。
誰かが狙われれば、あの質量をどうすることもできない。『ヴェイパーダイブ』を発動されてしまえば、もう――。
「――これ以上、誰も傷つけさせない……!」
◆現在の状況◆
・『セラフィナ』が『プロヴォーク』を発動 →『★無慈悲なる断頭台』の『セラフィナ』への敵対度が上昇
・『セラフィナ』が『防御態勢』を発動
・『セラフィナ』が『オーラシールド』を発動
分かっていたはずだ――彼女なら、そういう方法を選ぶと。
しかし、『支援防御1』を容易に貫通されたあとで、セラフィナさんの防御力に頼り、支援したとしても彼女が無事でいられるとは想像できなかった。
ならば、俺が選ぶのは。誰も攻撃を受けずに済むための、唯一思いつく方法は――。
◆現在の状況◆
・『アリヒト』が『バックスタンド』を発動 →対象:『★無慈悲なる断頭台』
連続した意識が一瞬だけ欠落する――次の瞬間、俺は空中に飛び上がった蟹のさらに背後に回っていた。
落下感で血の気が引く思いを味わいながら、俺は黒いスリングを力の限りに弾き、弾を撃ち出す――通じるかは分からない、それでも賭けるしかなかった。
「――行けぇぇぇっ!」
◆現在の状況◆
・『アリヒト』が『ヒュプノスシュート』を発動 →『★無慈悲なる断頭台』に命中 混乱
(入った……このまま、ロランドさんの魂も……!)
◆現在の状況◆
・『★無慈悲なる断頭台』が『ヴェイパーダイブ』を発動 → 対象:不明
混乱状態で使用された技能は、標的を地上にいる誰にも定めず、波打ち際に向かって急降下していく。一気に距離を離され、ロランドさんの魂を奪い返すことはできなかった。
空中に残された俺は――このままでは、砂浜に叩きつけられることになる。
(バックスタンドは……この位置では使えない……考えろ、どうすれば……っ)
「――ワォォォーーーンッ!」
「シオンッ……!」
駆け込んできたシオンがジャンプし、俺を受け止めてくれる――だがこのまま着地すれば、二人分の重さをシオンが支えきれるかは分からない。
だが、予想していたような衝撃は訪れなかった。
「うぉぉぉっ……!?」
砂地とは思えないほどの弾力に受け止められ、俺は大きくバウンドして、そのまま砂の上に転がった。シオンは器用に空中で一回転して着地する。
「だ、大丈夫かっ……!?」
ロランドさんが飛ぶとき使っていた、弾力のある床を生み出す技能――トーマスは、それを俺たちのために使ってくれたのだ。
『ヴェイパーダイブ』によって加速し、鋏を突き出しながら波打ち際に突っ込んだ巨大蟹は、ロランドさんと違ってその重量から無傷とはいかず、まだ混乱が続いている――だが。
(また透けて……耐性が変わる……!)
◆現在の状況◆
・『★無慈悲なる断頭台』が落下によるダメージ
・『★無慈悲なる断頭台』が『ファントムドリフト』を発動 →耐性変化:物理無効 速度上昇 混乱解除
目まぐるしく耐性が変わり、同時に状態異常を回復する――今の俺たちのパーティでは、このままでは決定的な打撃を加えるチャンスが掴めない。
「二人とも、私の後ろにっ……!」
セラフィナさんはスズナとミサキを守ろうとする。名前の如く、巨大蟹は躊躇なく、防御力の低いメンバーを直接狙い、鎌を構える――今の巨大蟹の速さでは、狙われたメンバーは回避しきれない。
少しでも時間を稼げれば、ロランドさんをシオンが運び、唯一の通り道を目指して逃げることはできるかもしれない。だが、俺は一撃たりとも受けるべきではないと思っていた。
ロランドさんの魂を奪った鎌。あれは、確かにロランドさんの身体を通り抜けていた――傷つけることなく。
物理的な攻撃を防ぐだけの盾では、おそらく透過される。セラフィナさんは対策となる技能を持っているかもしれないが、もしそうでなければ犠牲が増えることになる。
(考えろ……奴が動く前に……何かあるはずだ、必ず……!)
巨大蟹が動き出す――あの悪夢のような光景が、もう一度繰り返されようとしている。
「くっ……!」
巨大蟹はセラフィナさんを狙わない――彼女たちの側面に回るどころではなく、蟹は目にも留まらぬ速度で、背後にまで回り込もうとする。
ロランドさんに起きたことが、俺の仲間に起きようとしている。そんなことは到底受け入れられない、認められない。
なんでもいい、どんな方法でも構わない。彼女たちを救えるのなら――そんな思いに応じるように、胸の底から懐かしい気配が湧き上がってくる。
(これは……そうだ、俺たちにはまだ……!)
――リヒト……アリヒト。契約者よ、我が力が必要か。
「――アリアドネッ!」
◆現在の状況◆
・『機神アリアドネ』が『ガードアーム』を発動
・『★無慈悲なる断頭台』が『魂を攫う鎌』を発動
「きゃぁぁっ……!」
「ミサキちゃんっ……!」
パーティの危機を感じ取り、アリアドネが呼びかけてくれた――それで『ガードアーム』を発動することができた。
アリアドネの力によって出現した『ガードアーム』は、巨大蟹の振るう鎌の軌道を変えてくれた。鎌はミサキたちの頭上を通り過ぎ、ほんの一瞬の、しかし決定的な猶予が生まれる。
「――ミサキ! 『あの技能』を使ってくれ!」
「っ……ああもうっ、どうにでもしてっ……!」
取らずに温存していた技能。ミサキが言っていた『隠された力』がもたらす結果を信じて、俺は叫ぶ――この窮地を乗り越えるには、それしか可能性が残っていないのだから。