第百五話 王手
いったんロビーでみんなと別れ、俺はルイーザさんとともに『緑の館』一階の奥に向かった。
例の黒い扉の前まで案内される。ルイーザさんは俺を部屋の中に招き入れると、一旦退出してからお茶を入れて戻ってきた。
「お待たせいたしました」
「すみません、いつもお手数をおかけしてしまって」
「いえ、ご遠慮なさらず。一息おつきになりますか?」
「あまり皆を待たせてもいけないので、少しだけ……ああ、うまい。前に頂いたお茶とはまた違いますね」
「迷宮で採れる、『アッサムリーフ』という紅茶に似た植物のお茶です。最初は未鑑定だったのですが、紅茶の知識がある方が識別名を登録して、このような名前になったそうです。実際の植物は、紅茶の木とは全く違うそうですが」
色も味もほぼ紅茶で、飲んでいるうちに頭が冴えてくる――これは、と思いライセンスを取り出してみると。
◆現在の状況◆
・『アリヒト』が『アッサムリーフ』の成分を摂取 → 緊張度が低下
「おお……すごい。リラックスするお茶なんですね」
数値で効果は示されないが、肩の力が抜けて気分が楽になる。迷宮から出てきたばかりというのもあるが、眠気すら出てきてしまった。
(ま、まずい……欠伸が……)
「ふふっ……アトベ様、我慢されることはありませんよ。とてもお疲れですよね」
「す、すみません……」
「報告の方はとりあえずお受けしておいて、後でご確認されますか?」
「大丈夫です、やることをやってからゆっくりしたいところですしね……そういうわけで、お願いします」
「はい。本当を言うと、いつも驚いて心臓が飛び出そうになってしまうので、自分が落ち着きたいという意味もあってこのお茶を淹れさせていただいたんです」
ルイーザさんは恥ずかしそうに言うが、それこそ遠慮することなどない。お互いに、リラックスして報告できた方がいいに決まっている。
「では、今回の成果を拝見いたします」
片眼鏡を準備したルイーザさんに、探索の成果を表示したライセンスを見せる。すると、やはり途中の幾つかの項目で、ルイーザさんが声を上げそうになっていた。
◆今回の探索による成果◆
・『牧羊神の寝床』2Fに侵入した 20ポイント
・『エリーティア』のレベルが10になった 100ポイント
・『アリヒト』のレベルが6になった 60ポイント
・『テレジア』のレベルが6になった 60ポイント
・『シオン』のレベルが6になった 60ポイント
・『キョウカ』のレベルが5になった 50ポイント
・『スズナ』のレベルが5になった 50ポイント
・『ミサキ』のレベルが5になった 50ポイント
・『メリッサ』のレベルが4になった 50ポイント
・『マドカ』のレベルが4になった 40ポイント
・『エアロウルフ』を10体討伐した 350ポイント
・『ストレイシープ』を48体討伐した 240ポイント
・『ダークネスブリッツ』を16体討伐した 640ポイント
・『★誘う牧神の使い』を討伐した 2400ポイント
・サブパーティが『エアロウルフ』を2体討伐した 35ポイント
・パーティメンバーの信頼度が上がった 160ポイント
・サブパーティメンバーの信頼度が上がった 180ポイント
・合計13人で合同探索を行った 65ポイント
・『黒い宝箱』を1つ持ち帰った 50ポイント
探索者貢献度 ・・・ 4660ポイント
七番区貢献度ランキング 55
「……七番区に来てから二度目の探索で『王手』をかけてしまうなんて。アトベ様たちは、本当に……本当に凄いわ……」
感嘆するほかない、という様子のルイーザさんを前に、俺は頬を掻くしかない。
「その王手っていうのは、上の区に行くための……ってことですか」
「はい、七番区に来てからの貢献度という意味では、まだ少し足りていませんが……それでも、たった二日で合計7000を超えているなんて、今までの新人の方でも新記録だと思います」
八番区から飛び級で七番区の上位ギルドに入れたからこそ、難しめの迷宮に潜って結果を出すことができている――と言っても、俺達は中位ギルドの管轄下の迷宮に潜っているわけだから、七番区で最も貢献度が稼ぎやすい迷宮というわけでもないと思う。
(これより効率がいいのが『落陽の浜辺』か……一ヶ月でパーティのリーダーが貢献度を二万稼がないといけないわけだから、『同盟』が良い狩場を独占してまで稼ごうとするわけだ)
理解はできるが、無条件で肯定するわけにもいかない。ロランドさんは関知していないと言っていたが、グレイは狩場を独占している状況を悪用している。
「俺たちの累計貢献度は一万を超えて、七番区でも二回迷宮に潜りました。『星3つ』の迷宮に入る資格は、取れたんでしょうか」
「はい、おめでとうございます。これで七番区の全ての迷宮に入ることができますよ」
ルイーザさんが俺のライセンスを操作して、『星3つ』の資格があると表示された画面を見せてくれる。
「次の目標は、一ヶ月以内に累計貢献度二万と、レベル6以上の『名前つき』をあと一体ですね。何とか達成できるように頑張ります」
少しでも早く上の区に上がり、当面の目標である五番区に辿り着く。現状ではほぼ最短の日数で来ているのだから、足踏みはしていられない――しかし。
「アトベ様……この度の探索も、この上なく素晴らしい成果を上げられたと思います。しかしこれまでの探索実績を振り返っても、休養日数が大変少なく、それに対して『名前付き』のような強力な魔物の討伐数が、近頃頭角を現した新人の方々の中でも群を抜いています。アトベ様方でしたら、あまりお急ぎにならずとも、高い水準の成績を維持できると思います」
俺としても自覚はしていたことだった。予期せず強い魔物に遭遇しても、初戦は情報収集にとどめて、何度か挑んで倒すというのも一つの作戦で、パーティメンバーを失いたくないと思うなら、当然取るべき選択だ。毎回遭遇するたびに決死の思いで倒してきたが、ルイーザさんに心配をかけているのはよく分かる。
「ルイーザさんのおっしゃる通りですね……可能な限り、俺達は早く序列を上げて行きたいと思っています。でも、それだけで頭がいっぱいにならないようにもしたいと思います」
「良かった……差し出がましいことを言ってしまい、申し訳ありません。私は探索者の道を早くに諦めてギルド職員に転職したので、本当は皆さんのように有望なパーティの方々に、意見をできるような立場では……」
「それを言ったら、偉い人は何でも言っていいってことになっちゃいますよ。ルイーザさんの意見は参考になりますし、これからもご助言を頂けると助かります」
急がば回れとは言わずとも、大仕事を終えたあとくらいは休む。リーダーになってから良いリーダーとは何かを勉強するというのも何だが、パーティメンバーの自由時間を俺の方針で奪いすぎてはいけない。
「では……これからも、少しだけ思うところがありましたら申し上げさせていただきます。ですが、『休んだ方がいい』というのは助言ではなくて、ただの心配症ですね。ごめんなさい」
「いえ、心配してくれる人がいるっていうのは凄くありがたいことですから」
「私だけでなく、八番区で出会った方々も、アトベ様のことをご心配なさっていると思います。ご活躍をお知らせしたいということであれば、『配達人』を介して手紙を送ることもできます。『特約』の手続きをした支援者の方であれば、ライセンスを介して常に状況を知らせ合うことも可能ですよ」
「特約……というのは? すみません、初めて聞いたので」
「支援者の方々に契約料をお支払いして、他の区に移動したときに出張要請ができるようになるなど、幾つかの特典つきで契約を結ぶことができるんです。ただ、『特約枠』には1つのパーティしか入ることができません。住居と店舗のある区でのお仕事を優先していただきたいというのが、ギルドの方針ですので」
確かに多くのパーティと契約して、あちこちの区を行き来していたりすると大変だろう。腕の良い職人は仕事が増えるほど収入は上がりそうではあるが、店頭で受ける仕事も多いだろうから、特約枠が一つであることの良し悪しは決めつけられない。
「なるほど……ありがとうございます、『特約』については分かりました。話は変わるんですが、ルイーザさん、七番区に黒い箱を開けられる職人の人はいますか?」
「少し前まではいらっしゃったのですが、今は七番区を離れています。昔所属していたパーティの方からのお誘いで、一時探索者として復帰されていまして、今はお弟子さんが店主を引き継いでいます」
黒い箱を安定して開けるには『指先術4』の技能と、罠外しの成功率を上げるアクセサリーが必要だ。特に『指先術4』については、今まで『3』以上の数字がついた技能を持った人を見たことがないので、それを持っていたファルマさんも、今は留守にしているという七番区の職人も、とても貴重な人材ということになる。
シオリさんも黒い箱までは開けられないと言っていたので、やはり現状ではファルマさんにお願いするしかなさそうだ。
「八番区の箱屋さんは優秀な方ですし、もう一度お願いされますか?」
「そうですね、次の探索までは少し準備期間を取ろうと思ってるので、一度八番区まで行ってきます」
「ギルドを介して違う区のお店に連絡を取って、出張していただくという形を取ることも可能です。もちろん、先方のご予定次第となりますが」
マドカなら商人組合に属しているので、同じ組合に入っているのなら、ファルマさんと連絡を取れる可能性はある。だが、ルイーザさんから連絡を取ってもらえるなら、ここでお願いしておいた方がいいだろうか。
ファルマさんもそうだが、もう一度仕事を頼みたかった人たちがいる。ミストラル魔法鍛冶工房のセレスさん――『ルーンメーカー』の彼女に、ルーンを使った加工などをお願いしたい。
「ルイーザさん、お手数をかけますが、複数人に連絡を取ってもらうこともできますか?」
「はい、もちろんです。先方からのお返事まで少し時間がかかると思いますので、出張をお願いしたい方の名前を書いていただければ、家に戻ってから結果をお知らせできると思います……あ、お夕食は今日も外食でされますか?」
ルイーザさんも同じ家なので、夕食を家で取るか外で取るかは合わせた方がいいだろう。その前に、昼をどうするかも考えないといけないが。
「みんなと相談してみます。宿舎に戻ったらゆっくり休みたいでしょうし、その後に起きてから自炊もなかなか大変ですからね」
メリッサの『料理』技能に甘えてしまいがちだが、家事は分担が基本だ――しかし考えてみると、八番区ではメイドさんのいる屋敷が宿舎だったわけで、手伝いを雇って家事をお願いする探索者もいるのだろうか。
俺の探索者としての第一歩は傭兵のテレジアを雇うことからスタートしたので、人を雇うこと自体は問題ない――と、あまり気が大きくなっていてもいけない。パーティ九人で協力すれば、現状では家事に問題はないのだから。
「アトベ様、一戸建ての宿舎ではハウスキーパーの方を個別にお願いすることができるのですが、いかがなさいますか?」
「あ、今ちょうどそのことを考えていて……メンバーで分担できるとは思うんですが、留守の時に清掃をお願いしたりできるとありがたいです」
「『ギルドメイド』の方々に空きが出ていましたら、お願いできるよう手配しておきます。彼女たちは厳格に規律を遵守しますし、留守のおうちを任せても安心ですよ」
ギルドメイド――ギルドセイバーの他にも、色々部門があるのだろうか。まあ急を要することではないのだが。今よりさらに大所帯になるようなら考えるべきことだ。
「確かに、家事の補助をしてもらえるのはありがたいですね」
「ええ、ご遠慮なくどうぞ。お仕事の内容に応じて料金はいただきますが、八割はギルドで補助されます。心おきなく探索に集中していただくための制度ですので」
探索して帰ってくると、宿舎はいつも綺麗に清掃されていて、ベッドメイキングは完璧で――ということになるのだろうか。想像してみるだけで心が豊かになるのは、社畜時代の寝るためだけに帰っていた家とは大違いだからだろう。
◆◇◆
ファルマさんとミストラル工房の人たちに連絡してもらうようルイーザさんに頼んで、俺は外に出てきた。すると、近くで時間を潰して待っていてくれたみんなが戻ってくる。
「お疲れ様、後部くん。やっぱり強い魔物を倒したから、貢献度が凄いわね……私たちの序列もぐーんと上がって、みんなで喜んでたのよ」
「私は五番区の序列になっているから、七番区で貢献度を稼いでもそれほど変動しないんだけど。アリヒトは二桁になったの?」
「ああ、55位って出てるな。やっぱり一度の稼ぎが大きいから、ここ最近の累計貢献度って話になると、かなり上位になるってことかな」
『同盟』の人数は24人だとルイーザさんが教えてくれたので、ロランドさんを含めて『同盟』のかなりの人数、あるいは全員が俺の上にいる可能性がある。それでも、すでに六番区への昇格を意識できる位置に来ることはできた――七番区で稼ぐ貢献度はあと一万三千ほど必要なので、休みすぎて貢献度を下げないようにしつつ、まだ数度は迷宮に潜る必要がある。
しかし予想以上に、六番区を目指して貢献度を稼いでいるパーティが少ないとも思う――ユカリは七番区に来るとき『本当の迷宮国の始まり』と言っていたが、それは八番区と比較にならないほど昇格条件が厳しかったり、魔物が強いということを示唆していたのだろうか。
「…………」
「おっ……テレジア、どう……」
足音もなくテレジアが俺のところにやってきたので、どうした、と聞こうとしたところで。きゅるるる、と結構はっきりと、いかにも空腹という音が聞こえた。
「すまない、待たせすぎたな。そうだよな、時間の流れが外と違うとはいえ、夜通し戦ってたようなものだもんな」
テレジアはじっと俺を見ているが、たぶん肯定ということだろう。ボディースーツのスリットから見えているお腹を、心なしか押さえている。
「お兄ちゃん、早めのお昼にします? 今日はもう、宿舎に帰ったらお風呂に入ってばたんきゅーコースなので、あんまりガッツリごはんもダイエットの大敵かなとは思うんですけど」
「まあ、できるだけしっかり食べた方がいいんじゃないか。運動する機会には事欠かないし、ミサキの歳ならあまり心配することも……」
「そうでもないですよー、女の子は常に体重を100グラムでも減らしたい生き物ですから」
「最近は食べないとすぐ落ちちゃうのよね……エリーさんもそうでしょう」
「私とキョウカは近接職だからでしょうね。テレジアの『アクセルダッシュ』も、技能での加速とはいえ実際に動いているわけだから、かなりのエネルギーを使うと思うわ」
テレジアが常にお腹を空かせている印象がある理由が、今更にわかった――あれだけ戦闘で駆け回っていれば、よくよく考えれば当たり前の話だ。
「アリヒトお兄さん、シオンちゃんも一緒に食事ができるお店は、この近くだとこちらになります」
「バウッ」
マドカがシオンと一緒にやってきて、ライセンスを見せてくれる。緑の館の近くに幾つか店があり、『迷宮国料理』『タイ料理』『軽食』の店となっている。
「タイ料理……色々香草の類を使いそうだが、迷宮国にもあるのかな」
「そのお店は昼過ぎから営業で、どちらかというと夜営業の方がメインみたいね」
「……迷宮国料理。七番区の定番がどんなものか食べてみたい。父さんにも教えてあげられるし」
「ああ、ライカートンさんが来るのなら、いい店を紹介したいところだしな。じゃあ、この店にしてみるか」
俺たちは連れ立って、『緑の館』から南の方角に向かう。地図に表示された場所までやってくると、通りに『七つの香味亭』と書かれた看板が出ていた。




