幻術
ここが桃源郷? 麻薬畑はどこにいった?
白色の蝶が飛び回り、どこからか川のせせらぎが聞こえる。
「なあ。ここ、昔、来たことあるか?」
「理靖も? 私もなんだか懐かしい感じがします。どうしてでしょう? どこかに似ています?」
森の緑の香りに混ざって、何か甘い香りが鼻孔をくすぐる。
いやくすぐるなんてものじゃない。
次第に匂いが強くなる。
とっさに袖で口と鼻を塞ぐ。
視界が揺れた。
やばッ。
目の前が二重、三重に揺れると、辺りが白いモヤに包まれていった。
その先に、一点のオレンジ色の火の玉が灯った。
「なんだ?」
周りを見渡してみると、一つ、また一つと小さな火が灯っていく。
いつの間にか白いモヤは消えていた。
辺りは暗闇と点々とする火の玉に包まれていた。
「空間が変わった? 幻覚? 幻術?」
あの火の玉は蝋燭の火か……。
暗闇に月の青白い光が差し込んだ。
教会のような造り。
壁の上の窓から明かりが差し込んでいる。
正面を見上げると、そこに悪魔がいた。
ドクン、と心臓が跳ねる。
違うーー悪魔の像だ。
龍に似た猛獣に乗り、右手には毒蛇が巻き付いている。
ソロモン王の小さな鍵の悪魔、アスタロス。
その下には祭壇。
ここは、そうか……。
思い出した。
何年か前に、紫水晶を奪いにいったカルト教団の屋敷の地下だ。
だがなぜ今、俺はここに?
これは幻覚なのか。
さっきの桃源郷はどこにいった?
隙間風の音が一層、不気味さを強める。
悪い予感しかしない。
「小都音、いるか?」
自分の声が室内の木霊するだけで、すぐにシーンと静まり返る。
現状を整理しよう。
地下施設に潜入したのは夜だ。
その後、奥に進み、扉を開けるといきなり緑に囲まれた森の中だ。
太陽の位置から推測して時間は昼過ぎ。
だが気がつけば、教団の地下。
月明かりから考えて時間は夜。
空気が冷えている。
季節は不明。
空間を侵食するタイプの魔術か、思考に侵食する幻術か……。
ガントレットで何もない空間を思いっきり掴み取る。
ただ空を切っただけだった。
空間を侵食するタイプの魔術なら、空間に漂う魔力か術式かを捉えれるはずだ。
つまり、答えは後者。
頭の中をやられたらしい。
「厄介だな。現実の方じゃ俺は眠っているのか」
現実の方の体は無防備極まりない状況だろう。
できることといえば、俺の隣にいるはずの小都音に祈るくらいだ。
「仕方ない。よし、小都音、任せた。俺は寝て待っているぞ」
ちょうどいい感じに、生贄を置いたりする台座がある。
それに寝そべって瞼を閉じる。
……ち、寝付きにくい。
当たり前といえば当たり前なのだが、寝返りを打つ度に、硬い感触を味わう羽目になる。
何度目かの寝返りを打ったときだった。
「!?」
ふわっとした羽毛の感触。
体が沈み込むような感覚に思わず目を開けた。
なぜか小都音が目の前にいて、そこはベッドの上だった。
小都音はどうしてだか全裸であった。
よくわからないまま、その小都音らしきものに手を伸ばす。
柔らかくきめ細かないつもの小都音の肌だった。
艶のいい柔らかな黒髪が、ベッドに広がっている。
そこで気づいた。
自分の腕にあるはずの袖がない。
つまり、自分も全裸だったのだ。
「さっぱり分からん」
思わずそんな言葉が口から漏れたとき、小都音の手が俺に向かって伸びてきた。
「理靖……」
頭の後ろに手が周り抱き寄せられる。
まったく意味がわからない状況なのだが、なんでかどうでもよくなった。
目を閉じ、ふくよかな白い果汁の中心の桃色にかじりつく、できるだけ優しくだ。
胸が上下に動き、呼気に喘ぎが混ざる。
含んだものを舌で転がし十分に堪能したあと、閉じていた瞼をゆっくり開ける。
「あ”」
思わず、そんな声が漏れた。
目の前には、しわがれた老人の顔があった。
気持ち悪ッ!!
杖を構え、空いた手を俺の顎に添えている。
その手は、水分が抜けきった枯れ枝のようだ。
「そこの娘、木の陰から出てこい。
今、この男は花粉の幻覚作用で我々を飼い主と思い込んでおる。
心を無くし感情を無くし、数刻もすれば奴隷となろう。
痛みも感じぬ奴隷の出来上がりというわけじゃ。
お前もそうして欲しいじゃろ」
恍惚とした表情で、何か言っている。
その老人の足元には、ヌンチャクを振り回していた男の首にいた蛇と同じようなのがうじゃうじゃといた。
この年寄りも蛇もどちらも極めて気色悪い。
どんな悪魔の所業だ!?
さっきから、天国と地獄を行ったり来たりしやがって!
とっさに氷結のルーンを宙に放り、老人の頭上の空気中の水蒸気を氷結させ巨大な氷の塊を作り出す。
「この程度の輩にここまでされるとはのう。部下の教育を考えねばならんわ。平和になりすぎた所為じゃな」
「さっきから意味がわからないんだよ!」
作り上げた巨大な氷の塊の束縛を解き、重力で加速させ老人の上に落とす。
「……へ? ぎゃあああああ」
ぎゃあじゃねえ。
老人は幻覚にしては生々しくビクビクと痙攣して動かなくなった。
足元の蛇も同時に霧散する。
「あら、おはようございます、理靖」
木の陰から小都音が出てくる。
右手には懐刀の短刀。
「ああ、小都音。いや、待てよ。ここは現実か?」
そう思うと途端に不安になる。
「ふふ、お寝坊さん。もちろん現実ですよ。私が幻覚かなにかに見えます?」
言われてみれば先程よりは頭がクリアだが。
「危なかったんですよ。花粉を使った敵の魔術。
かなり強力なもので魂に作用するタイプ。
そのままにしていては一貫の終わりですよ。
だから、この中秋名月で理靖の見ている幻覚を上書きしたんです。
我ながら名案」
微笑み、中秋名月と銘打った短刀を鞘に収める。
「いや、ありがたいが、その前に幻覚を上書きできるなら起こせるよな?」
「えー? 途中からは理靖だって楽しめたでしょう?」
「……」
いや、敵を前にして楽しみたくない。
無防備すぎる。
そもそもベッドシーンからの老骨爺さんの恍惚の顔って悪夢だろ?
小都音の懐刀である中秋名月の効果は相手に幻覚を見せる類のものだ。
直接斬り伏せることを好む小都音はそれを使う頻度は少ない。
幻覚を見せるためには、小都音自身が幻覚の内容を頭で描かなければならない。
こいつは戦いの最中いつもなに考えているんだ……。




