悪夢
悪夢
それから半年。
口付けがゆっくりと首筋から耳たぶに移動する。
「ん……」
耳にかかる吐息がくすぐったくて、思わず声が漏れた。
婚姻の儀をあげて、そして村で一緒に暮らして、ずっとずっと愛し合う。
いつの間にか、そんな未来を夢に描くようになっていた。
私を抱きしめていた手が浴衣の隙間から忍び込んでくる。
ちょ、ちょっと待って!
口と右手と左手で同時に3ヶ所せめるのは反則……!
お父様やイヨが来たらどうするの!?
刺激が波のように襲ってきて、私は口元を強く手でおさえた。
***
昼下がり。
森の奥の洞窟まで馬を走らせる。
洞窟の中の祠に祀られる『未来を見せる鏡』のことを教えてもらってからは、定期的に鏡に祈りを捧げにいっている。
お父様からの言いつけという訳ではない。
自主的というわけでもなく、ただなんとなく、鏡に呼ばれているような気がするのだ。
洞窟に着くと、馬がどこかに行ってしまわないように近くの木にたずなを結んで、中に入る。
中は鍾乳石を造る水が滴っている。
何度も訪れているため、どこが滑りやすいかもう分かる。
祠につくと火を灯して、鏡の前で手を合わせて目を閉じ祈りを捧げる。
こうやって目を閉じて鏡と向き合っていると、その鏡の声が聞こえてくるようだった。
初めはなんともなかったのだ。
でも最近では、その声が何か意味のある言葉のように聞こえていた。
それでも空耳だと思っていた。
今日もその声が聞こえる。
何かのお告げ……?
「…………ミ…………ロ…………」
「え、なに……?」
「ミ……ロ……」
いつも違って、はっきりと聞こえる。
「ミロ!」
「ひっ」
思わず目を開けた。
目に飛び込んできたのは、
鏡に映る自分の死に顔!
「いやああああああああああああ」
必死でその場から逃げ出した。
恐怖のままに馬を駆る。
暗い森の中、些細な音にも、背筋がぞくぞくと反応する。
その日から一週間、毎夜自分の死に方を夢で見た。
死に方はいつも同じ。
真っ暗な中を地面に落とした松明の炎がゆらゆら照らす。
背後から迫る複数人の足音がする。
振り返ると男が手に持った鎗を振り上げている。
すでに手傷を負っていた男の動きは緩慢だ。
地面に放り投げられた刀を取れば、十分に対処できるのに、夢の中の私はすでに死ぬことを受け入れている。
胸に抱く何かにぎゅっと力を込める。
私の背中に鎗が深々と突き刺さる。
死を受け入れたくせに、私の体は痛みに耐えれなくて、ひどく顔を歪めて泣きじゃくりながら息絶えるまで、地面に転がったモノを強く抱きしめていた。
「もう、いや……!」
汗だくで目が覚める。
まただ……。
首筋を流れる汗を浴衣の袖で拭う。
肌着が汗で湿っている。
気が狂わずにいれたのはリセイさんの言っていた通り、剣術の鍛錬の成果かもしれない。
身を守る刀は、同時に私の心も守ってくれている。
それでももうぎりぎりだ。
リセイさんと距離を置くことにした。
理由なんて簡単だ。
私が夢の中で抱いてるモノは、彼の骸なのだから。
あんな未来がもしも本当に来るというのなら、そんな未来は何としてでも避けたかった。
***
数日後。
「最近避けてるよね?」
「な、なんのことでしょう?」
「なんだか素っ気ない気がするだよな」
たったの数日なのに、リセイさんにはやっぱり分かってしまうのですね。
でも言えない。
私のことをよくみてくれているということを、嬉しいと思った。
私はリセイさんの体に身を寄せて、甘えるように胸に頭を乗せる。
「ごめんなさい」
頭をやさしく撫でてくれた。
***
その日の夜、私はお父様に呼ばれて部屋を尋ねた。
「コトネ、近頃はどうだね? 例えば、そうだな。リセイ君とは」
「は、はい。どうなのでしょう」
避けていること?
それとも、もしかして婚姻前に契りを交わしてしまったことがバレたとか!?
「ははは、また彼を招いて宴でも開こうかのう。だが、実は今日はそのことで呼んだのではないんだよ」
なんだ。
もう、紛らわしいんだから。
「コトネ、忘れないでくれ」
お父様の表情が真剣になる。
「決して、何があっても余計なことはしないこと。お前は何もしなければ大丈夫だからね」
「…………お父様、それは、どういう……」
何を言っているのか、よく分からなかった。
「ただ見ていなさい。そのとき、大事なことを教える」
もしかして、夢のことと関係あるの?
直感的なものだけれど、術師としてもお父様の方が上なのだ。
夢を覗くことも可能なのではないか。
それから一週間が経った。
この7日間、村の大人たちの様子がおかしかった。
農作業も程々に、剣や弓の鍛錬に精を出している。
いままで見たこともない光景だ。
私はまたお父様に呼ばれた。
障子を開け部屋に入ると、お父様で刀の波面に目を細め、刃こぼれがないか確認していた。
畳の上に正座して、お父様の言葉を待つ。
しばらくした後、お父様は刀を抜いたまま顔をこちらに向ける。
「コトネ、我々、月代の一族は未来を見ることに長けている」
私は黙ってお父様の次の言葉を待った。
「見た未来が、それはそれは悲惨なものだったなら、それが自然による災害ではなく、人が明らかな敵意も持ち、道徳や道理、理屈、言葉に耳を傾けることを放棄し、対話による解決を望まなかったなら」
お父様はまた一拍おく。
「さて、どうするべきか。我々一族の取ってきた手段は実に単純だ。力で、ねじ伏せる」
語気を強め、そして刀を鞘に戻す。
その目の鋭い眼光に、ぞっとした……。
何かが壊れ始めている……。
やっとそのことに気がついた。
夜になるのを待った。
鏡のある洞窟に足を踏み入れる。
正直、来たくもなかった。
祭壇のある祠に火を灯す。
祭壇の上の青銅鏡に向かって叫ぶように言う。
「鏡よ、今、何が起きているのか、教えて! 未来は、どうなるの!」
青銅鏡が一瞬曇って、すぐに晴れた。
そこに何かが映し出された。
屋敷の屋根のような……そうだ、これは帝の宮廷だ。
いったい、何が起こるっていうの……?
場面が変わり、帝の寝殿に移動する。
そこで誰かが帝の髪をわしづかみ、錆びついた刀を振り上げている。
恐怖に引きつった帝の顔。
声は聞こえないけれど、必死に助けを乞うている。
刀が、振り下ろされた!
鏡が真っ赤に染まって、血が流れ落ちるように元に戻っていった。
帝だったものから流れる血だまりに月が映った。
「これは……都の滅び……?」
そうに違いない。
鏡が映し出したのは、都で反乱が起きて、帝が殺される未来だ。
ふと、村の誰かが犯人? と疑ったが、見たことない顔だ。
帝を殺すのは、村の誰かではない。
「鏡よ、回避方法を教えて」
問うても、鏡は私には何も見せてくれなかった。
私の力では予知できないの?
目を閉じる。
いや、もしかすると回避方法はないということ?
さっき映った月の形からすると……あと半月は時間がある。
この未来をお父様は帝に告げたのだろうか。
帝にあなたは命をなくすが、それを避ける手立てはない、と?
伝えられるわけがない。
でもお父様なら……告げるかもしれない……。
たとえ、それがどのような結末を迎えるか容易に予想できるとしても……。
それが私たち一族の職務なのだから。
でも、そうなれば帝は隠すことなく怒りを露にするに違いない。
私たちを異教徒だといい、邪神教だと罵り、村を焼き払いに来るかもしれない。
目を開ける。
鏡が真っ赤になっている。
血の赤ではない。
炎の赤だ。
私の村が燃えている……。
しばらく、私はその光景から目を背けることができずにいた。




