夢10
さて、ゴミも片付けたし、次は自分のしでかしたことの後片付けをしないとな。
そこで気絶している4人組とあっけにとられている彼女、それと……
「おい、そこで見てたんだろ、ヘボ探偵。いいかげん出てこい」
物陰でこのやり取りをずっと見ていたヘボ探偵は恐る恐る顔を出した。
「これで今の一部始終を見ていたやつは揃ったな」
「こ、これからわたしたちに何をするんですか?」
ヘボ探偵は震える声で訊ねた。
別に俺はヘボ探偵を個人的に憎んでいるだけで、殺しはしないんだが?
「さっき言った通りだよ。ここであった全てのことの記憶を消す。それだけだよ。ただ、記憶を消すとしばらく気を失うから家ぐらいには送り届けるし、怪我も治療するよ」
「本当に記憶を消すだけなんですか?」
なんだお前。
疑り深いな。
「あのな。死神ってのは地獄送りにする人間以外に手を出したり、関係ない人間を巻き込んだ場合もちゃんと対応をとらないと除籍されるしな」
死神で言う除籍は、存在の消滅を意味する。
さすがに俺はこんなザコを処理するのにそこまでのリスクを負いたくはない。
「じゃあ、あの『高層ビル連続放火事件』とは何も関係ないんですか?」
「まあ、そういうことだ。俺は一切その事件に関わってない」
「じゃあ、犯人は鈴木さんとこの4人組だったってことですか?」
「まあ、そうなんじゃないかな。俺はただのお巡りだしな」
まあ、死神だって何でも知ってるわけじゃないからな。
「そうですか……じゃあ、この事件は……」
「鈴木の父親が証拠を揉み消したし、犯人の1人である鈴木は行方不明、探偵は口封じのために賄賂を貰って事件は迷宮入りってことだな」
するとヘボ探偵は観念したようにため息をついた。
「やっぱり、分かっていたんですね。16年前の事件のときも……」
「ああ、知ってたよ。樫尾さんもな」
「何だ……樫尾さんも知っていたんですか……」
「樫尾さんは鈴木達が犯人だってことも、鈴木の父親が証拠を揉み消したことも、お前が口封じのために賄賂を受け取っていたことも全てお見通しだったってことだよ」
「さすが、樫尾さんですね……わたしじゃあ到底及ばない訳ですよ」
「じゃあ、とっとと向いてない探偵をやめたらどうだ? 事務所が燃えたのも探偵をやめろってことだろ?」
「そうかもしれませんね……元々向いてなかった探偵ですし、思いきって実家の家業を継ぎますよ。今さら継ぐなんて言ってもまともに取り合ってもらえないでしょうけどね」
あのぉ、覚悟決めてるところ悪いんですけど、ここの部分もばっちり記憶から消しちゃうんですが……
まあ、いいか。
消すのはほんの一部にしといてやるか。
こいつだけだからな。
あの電話に真面目に正直に答えたのはな。
◆
さて、最後に俺はもういくつかやらなきゃいけないことがある。
そこで俺は改めて彼女に向き合った。
「み、見ないでください……っ!」
彼女は自らの体を彼女の大きな手で覆った。
「それは無理だ」
「どうして……ですか……?」
「それは俺が君と向き合わなければならないからだ。君と向き合って、俺が本当に言いたかったことを言わせてほしいからだ!」
「言いたかったこと……?」
彼女は指の隙間から俺を真っ直ぐに見た。
「俺は死神になる以前の記憶が一切ない。それは死神となる代償として記憶を失うからだと言われている。本来、死神となった者には生前の記憶について教えることはないらしいが、俺は特例である2つのことを知った。1つは生前、共に暮らしていた義理の妹の名前。もう1つはその妹の必死の願いについてだった。妹の願いは『お兄ちゃんを生き返らせてほしい』。もちろん、神であろうとそんな願いを叶えることはできないが、ある運命の女神が俺にチャンスをくださったらしい。それが死神として生きることだった。そして、その妹の名前はヘレン・ファタリテート。運命の女神と同じ名前の少女だった」
「それが、君だったんだね……ヘレン……」
そう言った瞬間、彼女の目には涙が浮かんでいた。
「でも、ごめん。記憶が戻った訳じゃないんだ。俺はただ、死神の能力を使って君の記憶を勝手に覗き見ただけなんだ。俺がルノワール・ファタリテートだった頃の記憶を」
「ううん……いいの……私……あの優しいお兄ちゃんにもう一度会えただけで十分だから……私のためにご飯を作ってくれるお兄ちゃん、私のことを心配してくれるお兄ちゃん……たとえ記憶がなくても嬉しかったよ」
彼女は必死に涙をこらえて、多分俺が見たなかで一番の笑顔を見せてくれた。
「じゃあ、私……もう、帰らなきゃ……会うだけって、約束だったから……」
そう言って彼女が立ち去ろうとしたとき、俺は彼女の手をぎゅっと握りしめ、引き留めた。
「俺の言いたかったことはまだある!」
そうだ。
俺には彼女に伝えたいことがある。
何よりもまず、謝らなければならない。
俺は彼女に当たったり、酷い言葉を投げつけた。
何よりも、16年間分も待たせてしまったのだ。
謝っても謝りきれない。
それから感謝しなければならない。
彼女の想いが運命の女神に伝わり、死んだはずだった俺が死神として再び生きることができたのだから。
感謝しても感謝しきれない。
「それに……」
多分、この気持ちは生前も今も変わらないだろう。
彼女はどんな返事をしてくれるか分からない。
拒絶されるかもしれない。信じてくれないかもしれない。
でも、俺は覚悟を決めたはずだ。
そのために、ここへ来たといっても過言ではない。
「俺はヘレンと過ごした記憶もないし、本当の『お兄ちゃん』になることは不可能だってことも分かっている。でも、この言葉を伝えないと俺は絶対に後悔する。生前の俺が、伝えられなかった言葉だから……」
俺はルノワール・ファタリテートにはなれない。
彼女の記憶の中にいる俺を演じても、それは絶対にルノワール・ファタリテートでも、ヘレン・ファタリテートの「お兄ちゃん」でもない。
ただ、生前に後悔したことをもう二度と後悔したくはない!
「俺は……ヘレンのことが……」
きっと今も昔も変わらない……
「大好きだ」




