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1 親分と刺客

     1 親分と刺客

 俺はその、いかにも掃除の行き届いていない木戸を三度叩いた。その重厚さが齎す、煙のようなくぐもりを帯びた返事が聞こえてくる。

「誰だい?」

 ボスの、立場や顔つきには似合わない、少し高すぎる声に俺が応じて曰く、

「ケインです。」

「おお、来たか。入りな。」


 魔晶燈の明かりがぼんやりと照らす、狭い室内、

「よしよし、ちゃんと一人で来たようだな。」

 ここ十数年、専ら指示を出すのみで自ら動かない筈であるのに、未だ妙にガタイの良いボスは、いつも通り、そのあまりに大仰な机の向こうから、わざわざこっちにやって来て俺を迎えてくれる。

「まあ、そこにかけろや。」

 俺はその、昆虫魔獣の卵のように大きな翠玉を背負うぶっとい指に誘われて、申し訳程度に設えられた、向かい合う応接チェアの片割れに座り込んだ。腕置きの辺りを漫ろに撫で回してみると、煙草の焦げ跡と思しき穴ぼこに指が引っかかる。この月も浮かばぬ深夜に呼び出された俺の不安を、そのざらざらした感触がより搔き立てるようであった。

 年の功と言うかなんと言うか、とにかく流石のこととして、もう一つのチェアに、つまり俺の真正面に座り込んだ、その銀髪の生える量と面積を損ないつつあるボスは、すぐに我が不穏を察したようで、

「ああ、別にお前が何か仕出かしたとかそういう話では無いさ。力を抜きな。」

 俺はそう言われて、この間取っ捕まりそうになった挙げ句に、うっかり手荒な真似で()()()の小役人を吹き飛ばしてしまったことがボスに知られていないらしいことに安心し、前のめりになっていた身をどっかりチェアに沈めた。

「では、何の御用で? つまらないことで、こんな時間に呼び出されても困るのですけどね。俺の表の仕事は、朝が早いもので。」

 これくらいの生意気口で苛立つような狭小さを持ち合わせていない筈であったボスは、案の定、寧ろ嬉しげに、

「おうおう、相変わらず元気だな。まあ、そう怒るな。お前を叱り飛ばす話では無いが、しかし、つまらない話では決してないのだからな。」

 俺は顔と姿勢を少し引き締めてから、

「何事ですか?」

 呼応するように、少し真剣そうになったボスが語るに、

「まず、訊きたいが、お前、あの国のことは大嫌いだよな。」

 俺はすぐに答えた。

「当然でしょう。そうでなければ、誰がこんな、いつ牢屋にぶち込まれるか分からない仕事に携わるものでしょうか。」

「それはまあ、その筈なのだがな。しかしな――最近の新入り連中に多いんだが――大した真剣さもなしに、つまり我々の思想への同調や没入なしに参加している、全く嘆かわしい同志が多くてな」

 俺が我慢出来ずに(さしはさ)む。

「ボス、俺は十六の時分から、もう七年あなたの許についているのです。最近のそういった事情は良く知りませんが、しかし、そんな馬鹿達と一緒にされるのは心外です。」

 ボスは、その指輪の緑色をぶんぶんさせながら、すなわち頻りに手を振りつつ、

「いやいや、勿論、お前のことは信用しているさ。ただ、念の為に今一度確認しておきたいのだ。何せ、只ならぬ仕事をお前に頼みたいだからな。」

 これ以上の無駄な問答を嫌った俺は、なるべく真剣そうな声音を選び、言った。

「ボス、俺は、()()()、すなわちあの名も持たぬおかしな国に打撃を与えられるのであれば、命も惜しく有りません。明日の平和の為であれば、この身くらいいつでも抛ちます。ですので、そろそろ本題を話してもらえますか。」

 ボスは一拍置いてから、しかし満足そうに、

「おうおう、頼もしいな。では、言うぞ。

 ケイン、()()()の軍のナンバー2、ミネルヴァ・ララヴァマイズを暗殺しろ。」


 俺は目を剝いて固まってしまった。

 そんな俺を見兼ねてか、

「おや、あれだけ啖呵を切っておいて、怖じ気づいたのか。」

 少しむっとした俺が、それを窺わせるような声で、

「ボス、馬鹿なことを言わないで下さい。繰り返しになりますが、俺の命と交換で大いなる成果が得られる、例えば、あの〝氷刃〟の異名を持つ魔術師の命が奪えるのであれば、今夜中にでも俺はそうします。しかし、現実問題として、あの〝氷刃〟を、ミネルヴァの奴を暗殺することなど、誰が出来ましょうか? 奴に近づくことも能わず、凍り付けにされるに決まっています。そうでなければ、あるいは氷に貫かれるか、とにかく死に方が多少変わるだけです。」

「お前は相当魔術と武芸に秀でている筈なのだがな。」

「確かに常人の中では大した方だと、自分でも思いますよ。しかしですね、蟻の勇者がドラゴンを殺せますか? 町で一番の泳ぎ達者である若者が、海棲魔獣(マーマン)に追われて逃げ延びられるでしょうか? 我々とあの化け物、〝沈黙の魔術師〟達、それも極上のそれとの間には、それくらいの絶対的差があります。」

 ボスは、煙草入れと思しき小箱を懐から引きだしつつ、

「まあ、俺も同感だよ。まともに挑み掛かっては敵う訳がない。しかしな、何事もやりかた次第さ。」

 ボスがその芋虫の様な筒、細かく刻んだ茶色い葉をもう少し若そうな大きい葉で巻いた、舶来品の煙草を差し向けてきたので、俺はやる気無さそうに人さし指をそっちに向け、もごもごと詠唱を始めた。自分でも意味の分からぬ古代語からなる定型句を幾らか口から吐き出した後、その人さし指の先端に熱のような何かが集まってくるのを感じ取った瞬間、俺はまともに聞こえるような声で、一言、

「 "エンザ" 。」

 その瞬間に、指先から小さな火球が迸り、ボスの煙草の先端を焦がして赤々とさせた。

 ボスは、嬉しそうに反対側の端を銜え、思う存分に一息吸ってから、

「やはりそうやって点火してもらえると、余計な風味が付かなくていいな。油や頭薬の臭いが混じると、どうもいまいちでよ、」

「では、ボスも魔術を身に付けてはどうです? 自分で火球呪文による点火が出来ますよ。」

「そこまでするほどでもないな。」

「まあ、そう言うとは思っていましたが、それよりも、本題を話してもらえますか。その、氷刃に俺が敵うかもしれないという、とんでもない成果を齎す、〝やりかた〟とやらについて。」

「ああ、それなんだがな。まずお前、ミネルヴァの階級は知っているか?」

「軍務次官、とかいうよく分からないヤツでしたかね。」

「それだ。で、よく分からないにせよ、軍務次官というのは一応あの軍においてナンバー2だからな、補佐官というか、秘書官みたいなのが当然存在する。」

「それで?」

「でだ、その、今現職の補佐官がもう年でな。そろそろ引退なんだと。」

 俺は、火球を迸らせたばかりの指を眉に当てて、感心を表しつつ、

「成る程。人外の寿命をもったアイツらも、自分の肉体ではない、補佐する人間までは保てない、と。」

「そういうこったな。」

「で、その数十年ぶりの()()による混乱か何かに乗じて、事を起こすわけですか。」

 しかし、ボスはまた手を振りつつ言った。

「いや、それは違うな。そもそも、大した混乱が起こるとも思えん。」

 得心を裏切られた俺は、やや情けない声音で、

「では、どうするんです?」

「もっと直接的に、ドカンと喰らわしてやるんだよ。ケイン、お前が、ミネルヴァに付く次の補佐官になるんだ。」

 あまりに予想だにしない話に打ちのめされた俺は、たっぷりと沈黙してから、ようやく返した。

「そんなことが、可能で?」

「ああ、可能なんだ。我々の永い活動による結実の一つとして――たまたまだが――ミネルヴァに近しい人間に、俺達の同志を存在させることが出来ている。ソイツが、ミネルヴァに、見どころのある若者が居るから是非推挙したい、との約束を取り付けているんだ。」

「あの超実力主義の軍、それの上層部に我々の仲間が喰い込めたのですか? 信じ難いですが、」

「いや、お前の言う通り、あの軍に入って最上級幹部の連中と語らうレヴェルに昇進するのは、それこそ化け物じみた実力がないと不可能に近い。しかもある一定以上の階級になるには、身辺調査もあるらしいでな。故に、未だそういう潜入は達成出来ていない。」

「では、誰がそんな推挙をなせるというのです。」

 ボスは、顔の皺を更に増やしながら、にやりとしつつ、

「いや、これが面白い話なんだがな。あの女が、ミネルヴァが、本を幾らか書いているというのは知っているか?」

「ええ。」

「そこの出版業者の、編輯者だ。」

 俺は呆れの様な感情によって、つい、勢い良く背を反らしつつ、

「成る程。だから、ボス、あなたは特にミネルヴァを標的として指定したのですか。」

「ああ。その編輯者はな、もともと我々の同志で、表の仕事を転々としている間に今の職に就いたんだと。特に、我々の活動に役立てようともせずに、だ。しかし、意外とそっちの方で腕が立ったらしくてな、その実力が認められて、みるみる出世し、ついには超人気作家でもあるミネルヴァ・ララヴァマイズのお付き編輯者になったわけだ。んで、その数年後、つまりすっかり信用を得た今になって、氷刃ことミネルヴァの補佐官の引退話と来た。」

「凄まじい、奇遇ですね。」

「そうとも。これは活かすしかあるまい。そこでケイン、お前がまんまとミネルヴァの補佐官になってだな、あの女を仕留めるんだ。流石にべったり付いていれば、氷刃もいつか隙を見せるだろう。そのうち信用もされるだろうしな。」

 俺は渋った。

「お言葉ですが、しかし、難しいかもしれませんよ。それくらいのアドヴァンテージで、あの化け物のような女を本当に殺せるかどうか。」

「すぐに殺せなくとも、ミネルヴァの強みや弱みを知ることは出来るだろう。そうすれば、いつかは仕留められる筈だ。焦らなくともいい、何年越しであろうとも、これは偉大な仕事になる。何せ、放っておいたらあと何百年生きるか分からないあの女に、墓標を打ち立ててやることになるのだからな。」

 このボスの不穏な表現によって、俺の脳裡に、〝氷刃〟の二つ名を持つ魔術師、ミネルヴァ・ララヴァマイズの姿が浮かんだ。杖を携えた細身の女。何かの本の挿し絵でちらと見たのみで、その像は甚だ朧げだが、しかし、俺の裡に油然たる戦意と殺意を起こさせるには充分であった。あの女を、ミネルヴァを殺せる。事情を聞くまでは霞のように惚けていたその可能性が、いま、力強い質量を伴う刃となって、俺の手中に握られている。俺は、それをあの女の胸許に突き刺す様を想像するだけで、一種の法悦を覚えた。

「ああ、当然、もしも上手くいったら、その瞬間にお前はふん縛られて、すぐに、……つまり、やはり相応の覚悟が必要で、もしもお前が、」

 俺はそのボスの言葉、虚しい心配を遮った。

「やらせて下さい。俺は、きっとこの仕事をなす為に生まれてきたんです。休むことも知らず悪を振りまき続ける魔術師に、永遠の安らぎを与えてやる為に。」

 これ以上もなく嬉しそうな反応をするボスが一瞬見えた後、ふっ、と部屋の中が暗くなった。天井の魔晶燈が切れたらしい。悪態をつくボスの為に明かりを工面してやる前に、俺はチラと窓の外を見た。月の無い澄んだ夜空に、強く輝くガーゴイル座――俺の誕生星座だ――が厳めしい姿を伸び伸び晒していて、まるで、この突然の消燈に乗じて、俺のことを鼓吹しているように思えた。

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