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5ショートストーリーズ9

額の印

自分には当たり前の事が非常識だったら…

 自分は人と違う、初めてそう感じたのは、男が小学3年生の時だ。


 学校の図画工作の時間に人物画を描くことになった。二人一組

で、お互いに相手の顔を描き合う。


 男は隣の席の浩子ちゃんを描くことになった。

 元々男は絵が得意でもあったし、浩子ちゃんも好きな女子の一人

だったから一生懸命に描いた。バックを黄色にして微笑む浩子ちゃ

んを描いた。


「~クン、うま~い! 浩子ちゃんのカワイさが出てるよ」

「うん、うん」

「へ~、才能あるね」


 男の周りに友達らが集まり、口々に褒めてくれた。浩子ちゃんも

嬉しそうだ。男は内心得意だった。そこでつい調子に乗った。


「よし、じゃ、最後の仕上げだ! 見ててね」


 男は絵の中の浩子ちゃんの額の所に【い】と描いてみんなを見回

した。

 うん、我ながら上手く出来た。額の印も完璧だ。でも…空気感が

一瞬にして変わったのが男にも分った。


「え? 何ふざけてるの? ちょっとやめなよ」

「お前、調子に乗ってんじゃないぞ」

「ひどい…」


 友達は口々に男を非難した。浩子ちゃんもべそをかいている。


「みんな、ちょっと、どうしたんだよ?」


 男はこの反応に面食らった。自分では当たり前の事をしただけな

のに。一体俺の何がいけなかったんだろう?


 男は放課後、教室に残されて先生に叱られた。


「おまえ、浩子ちゃんに意地悪したんだって? ダメだぞ女の子を

いじめたら」


 男には何がなにやら分らなかった。俺が浩子ちゃんをいじめた?


 黙っている男に、先生が訳知り顔で続けた。


「まぁ、先生にも経験があるけれども。気になる女の子はついいじ

めたくなっちゃうんだよなぁ。分るぞ。だけどな…」

「ちょっと待ってください!」

 男は予想外の展開につい声を荒げた。


「先生、僕は浩子ちゃんをいじめたりなんかしていません。本当で

す!」


 先生はそんな男を微笑みながら見ていたが


「先生、お前の事が分るって言ってるだろ? 今更そんな嘘を言わ

なくてもいいさ。お前が浩子ちゃんの絵の額の所に【い】っていた

ずら書きしたコト、みんなも見てるし、ほら、コレ」


 そう言って男の描いた絵を差し出した。


 いたずら書き? 男には覚えが無かった。ただ、自分の見えてい

る通りに描いただけなのに…


「もういいから、この絵は直しておくようにな。女の子に意地悪は

もうダメだぞ」


「はい…」


 男はもう何を言ってもダメな事が雰囲気で分った。だからそう答

えた。先生は

「分ればよろしい」


 そう言ってうなずいたが、その先生の額にも、ひらがなの【ろ】

の字がハッキリと浮かんでいるのが男には見えていた。


 男は家に変える道々、考えた。どうやら、俺には見える額の印が、

他のみんなには見えていないようだ。そう考えればすべて辻褄が合

う。


 でも、なぜなんだろう?ここで男は見える【印】について考えを

巡らせた。


 印はひらがなの【い】から【ほ】までの5種類がある。例えば、

俺には【い】の文字が浮かんでいるし、浩子ちゃんも俺と同じ

【い】だ。同じだから浩子ちゃんには好意を持っていた。先生は

【ろ】の文字。お父さんは【は】だし、お母さんは【に】だ。


 しかしすべての人間にこの印がある訳ではなかった。彼の知る処

によると、町に住む大人達にはほとんどこの印があったが、学校の

生徒達の約半数には印が無かった。無い人は本当にただの額で、印

が浮かんではいないのだ。


 男にとってはそれが普通だったので、今まで特に気にすることも

無い訳だったが、この出来事からそれがなぜなんだろうかと考える

ようになった。


 しかし誰かに聞くこともはばかれた。またおかしな事を言う、そ

んな風に思われるのもイヤだった。だから自分の心の中にしまって

鍵をかけてしまおう、そう考えるに至った。


 男はそんな風にして育っていった。やがて中学も卒業し、高校生

になった。高校は三つ先の町まで通うようになった。


 男には相変わらず額の【印】が見えてはいたが、高校生になって

からは、同じ高校では印を持つ人の数が随分と減っていることに気

づいた。


 男性は五分の一位、女性に至ってはほぼ十分の一程にしか【印】

を持つ者はいなかった。


 さすがにこの頃になると、男はこの額に浮かぶ【印】の意味を知

りたくなったが、いくら考えてみてもその決まり事には推測すら出

来なかった。第一、なぜひらがな。なぜ【い】から【ほ】の5種類。

そして印のある人と無い人の違い。


 どんなに考えても分らない。勿論図書館で調べても分るわけがな

い。


 そんなある日、祖父が亡くなった。何年か前から認知症を発症し

て近くの施設に入っていたのだが、突発性の肺炎を患っての突然の

死だった。


 葬式は盛大に行われる事になった。元、町の役所勤めをしていた

祖父の関係もあり、多くの人が葬儀には連なってくれるようだった。


 男も初めて経験する葬儀だったので、そのすべてが興味深かった。

祖父が亡くなったのは悲しかったが、それ以上に若い彼にはまだ見

ぬ儀式の方が意味を持ったのだ。


 遺体が家に帰ってからの納棺。御通夜。そして葬儀。葬儀は近隣

で唯一の火葬場に併設されている葬儀会館で行われる。


 お棺に入って白い着物を着せられた祖父の額には【ろ】の文字が

ハッキリと浮かんでいた。最後にお棺に花を奉げ、遺体を荼毘に付

することになった。


 火葬場の職員が親族を中心にその旨を案内してくれた。いよいよ

火が点され火葬されるのだ。


「ここには5基の釜があります。それぞれ…」


 男はその時、すべてを悟った!


 その釜には【い】から【ほ】までの5種類の記号が振られていた。

祖父はその端から二番目の【ろ】の記号の釜で火葬されるのだ。祖

父の額の印は【ろ】と符合している。


「この火葬場では近隣の二市二町村の人達を請け負っています。そ

れでは火葬が終わるまで二時間ほどかかりますのであちらの待合室

にて…」


 ああ、そういうことか! ここで荼毘に付されるものだけが額に

【印】を持つんだ。だから町を出て行く者には【印】がないんだ。


 というコトは…俺もよその町に出たとしてもやがてはこの町に戻

ってここで暮らして、そうして…


 男は自分の額にある【い】の文字を想像し、釜の【い】の文字を

凝視すると、将来はあの釜で…と想像したが、まだ若い彼にはその

実感というものは持つ事が出来なかった。


 そして火葬が終わり、釜の前に集まって骨あげをしている時、男

は父と母の額の【印】、【は】と【に】を初めて身近に感じた。と、

急に涙が込み上げてきて、やがて激しい嗚咽と共に二人を抱きしめ

た。


 両親は笑いながら、男の背中を優しく撫でた。


 男はいつまでも泣きじゃくった。まるで小さな子供のように。


 その日を境に、男は額の【印】を見ることが無くなった。それは

【身近な死に対する覚悟】をする為の、なにかだったのだろう、今

の彼にはそう思えてならないのだ。


 


 




 

 




 

うちの地区の火葬場の釜には「いろはにほと」の6種類の記号がついています。「へ」が無いのが、日本人らしいところでしょうね。

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