愛で溺れてしまえ
——花が好きだ。
花の手入れも好きで、そこまで好きならと幼少期、部屋に両親が鉢植えを置いてくれた。土が乾けばすぐに水をやり、傷んだ葉があればすぐに手を入れる。毎日毎日、甲斐甲斐しく世話をした花は、しばらくは瑞々しい花を咲かせていたはずなのに、気付けば根腐れを起こしてダメになってしまった。
水はあげすぎてはいけない。庭師から聞いて、正しい愛で方、適度な構い方というのがあるのを、知った。
正しい愛し方って、なんだろう。
「アエリア様はお優しすぎます」
「そう…かしら…」
「そうです! だからロベルト様がああも付け上がるのです」
学園内のテラス。友人たちが私を囲んでキリキリと眦を釣り上げて鋭い声を上げる。
名前の上がったロベルト様は私の婚約者。侯爵家の次男で、半年後学園を共に卒業したら、その一年後には我が伯爵家に婿入り予定の方だ。お互いに十二歳の頃に婚約して五年、当初はそれなりに良い関係を築けていたはずなのだが——ここ二年ほどは、傍若無人とでも言えばいいのか。婿入り先である我が家を貶すような発言が増え、私との約束も反故にする事も多くなった。
「尽くし過ぎなのよ、そもそも」
「尽くしてなんていないわ。婚約しているのよ? これくらいは普通でしょう」
「普通じゃあないし、明らかに尽くしているし、そういうのには限度があるの」
鋭い声でぴしゃりと怒られ、思わず首を竦める。
「大体ね、婚約してそうやって振る舞うのが当然だって言うのならあちらから返された事があるの?」
「それは……」
ぐうの音も出ないとはこの事。
尽くす——とはいかなくても、寄り添われた記憶、なんてものはない。最初の頃は勿論、それなりに『婚約者らしい』振る舞いや扱いをしてくれていた。けれど、極々表面的なそれで、私との温度差は確かにあったと思う。
「…愛情の比重が崩れた関係は、貴方を幸せにしないと思うわ」
「そうですよ! 愛情って無限じゃないはずじゃないですか」
愛情は無限ではない。それはそうだと思う。だけれど、情は、どうだろうか。
「…愛というより、情だとしたら?」
「質が悪い」
「泥沼待ったなしですね」
「泥沼…」
私としては。長く寄り添う人だから出来うる限り寄り添いたいと思った。出会って五年、恋に落ちるような出来事はなかったから、私たちの間に惚れた腫れたは存在しない。それでも長く一緒にいる以上、お互いに心を砕いて、お互いに心地よく過ごせるように。親愛を築けるように。まだ愛になっていない、だからこれは、情だと、思う。
友人は言う。傍から見れば、私が彼に尽くして、彼をひどく愛しているように見える、と。だから彼が精神的イニシアチブをとっている、と勘違いして開き直ってるんじゃあないかと。愛になっていない情なら、捨ててしまえと。
「…情を、捨てる」
「アエリア様と情の深さが釣り合う人を探すべきだと思うけれど」
そこまで言われるほど、私とロベルト様の関係値は異常ということだ。周囲から指摘されて初めて気づくというのは、居た堪れないというか、なんというか。
爵位は向こうが上といえど、入り婿から舐められるのは、我が家の顔に泥を塗られているようなもの。尽くしてもそれを当たり前のものとして消費されるだけ。
見返りが欲しくて愛そうとしたわけじゃない。けれど対等にならない関係の中で、こちらだけが搾取される必要は、絶対に、ない。そう思うとここらが、確かに潮時なのかもしれない。
私は私なりに愛そうとした。けれどそれは踏みつけられた。ならば——ならばこの婚約はこちらから、踏みつけてしまおうか。
「ロベルト様」
「…ちっ。なんだよ、アエリア」
「今度の週末なんですが…」
「週末? お前に取る時間なんてない。行きたいところがあるならお前一人で行けよ」
「いえ、そうではなく…」
家族に相談したところ、予想外に両親は婚約の白紙化に乗り気だった。相性が悪いのなら白紙にしてしまえば良いと。政略結婚ながらもおしどり夫婦として社交界でも名高い両親は、私が何も言わないから黙っていただけで、最近のロベルト様の様子には腹に据え兼ねるものがあったらしい。
すぐに週末に両家の話し合いが持たれることになって、私は念の為ロベルト様にそれを伝えに行った。ロベルト様の家——アウソニア侯爵家からもロベルト様に話は行くだろうけれど。これが最後の、婚約者としての役目だと思ったから。
「うるさいな。俺は今レアと話してるんだ。見えないのか? お前の目は飾りか?」
「……見えてはいますが。そちらの女性は御学友ですか?」
「違ぇよ。俺の今の恋人。分かんねえ奴だな。とっとと失せろよ」
「……恋人。そうですか」
これは白紙になるのではなく、ロベルト様有責の破棄になるかもしれない。
友人の言っていたように、イニシアチブを取りたいだけなら良かった。単に入婿で、私が女伯爵となるから中継ぎの爵位すら継げない劣等感を拗らせているだけならまだ救いがあった。けれど、入婿のくせに女性を侍らせているなんて、そんな貞操観念の人間は我が家に不要だ。
家に帰り、両親に週末の話をロベルト様は私からでは聞く耳も持たなかったことを伝える。その時点で、両親も完全に彼を見限ったようだった。
「…アエリア嬢、クルサ伯爵家には大変申し訳ないことをした。愚息の有責で破棄としてくれて構わない。賠償金もそちらの言い値でお支払いしよう」
週末の話し合いの場に、やはりロベルト様は来なかった。聞けば侯爵もこの週末だけは絶対に外出しないように言い含めていたらしい。侯爵夫人は真っ青な顔で挨拶だけして、体調がすぐれないと言って退席した。予想だが恐らく、今日の話し合いの内容も知らぬまま、夫人が彼の外出の手引きをしたのだろう。夫人は、末っ子であるロベルト様に甘い節があった。
「アウソニア侯爵が我々と同じ感覚で安心しました。今後もお互いに政策や事業で協力体制を築けるのであれば、こちらとしても特に禍根はございませんよ。なあ、アエリア」
「ええ、お父様。…アウソニア侯爵様、ロベルト様にうまく寄り添えなかった私にも非があります。その点はお詫びを申し上げたく…」
「いいや、アエリア嬢が詫びることは何もない。ああまで寄り添って尽くしてくれた君に、礼を言うことはあっても、それ以外あるものか」
君を義娘と呼びたかったものだ、と侯爵が目を伏せるのを、こちらも目を伏せて返す。
元々白紙にするための話し合いの予定ではあったけれど、この場が持たれると決まった時点で、両家急ぎ調べを入れたのだろう。友人たちを通じて、レア様といった女性について調べた内容を両親には渡しておいたが、それ以上の調査結果を親たちは広げ合って、スムーズに破棄の流れに至った。その調査をするのに、どれだけ侯爵が心を痛めたものかと思うと胸が痛んだ。
「アエリアは次の婚約に希望はあるか?」
「…希望?」
「同年代は正直厳しいだろう。上か、下か…には、なると思うが」
侯爵家からの帰り道。話し合いの前後でぐっと老け込んだように見えるアウソニア侯爵に見送られながら帰る道すがら、馬車の中でお父様に不意に問われた。
同年代で優秀と言われている次男・三男はほとんど婚約がまとまっているし、逆に能力的に難が多少あっても爵位の高い方、というのも正直目ぼしい人物が、いない。それはとても、分かる。
「…であれば、年上の方が良いわ」
「何故?」
「正直なところ…その、ロベルト様とお話していても、話がなかなか合わずで。年上の方であれば、もう少し気兼ねなくお話ができるのかしらと」
「…まあ、アエリアは大人びているからなあ。子守になるか…」
子守、という表現に、申し訳ないながら納得してしまう。
その後幾つかお父様から質問をされ、素直に返せば、多分何人かの候補を思いついたらしい。近日中に候補の方と顔合わせできるようにする、と言われた。
「…というわけで、無事に婚約は破棄できたの」
「おめでとう!」
「今日はお祝いですね!」
週明け、授業終わりの学園内のテラスで、いつもの友人たちに報告する。爵位もバラバラな友人たちだが、意見を出し合えば色々な視点が出て面白い。とはいえ、初めて全員の意見が合致したのが、私の婚約破棄の話だなんて、少し悲しいような恥ずかしいような。
「次の婚約はどうされるのですか?」
「お父様が何人か候補の方を探してくださると。それで顔合わせをして決める予定よ」
「…うちの弟の出来が良ければ紹介できたのだけれど…アレはダメだわ」
侯爵家の跡取り娘である友人が溜め息を吐く。それを宥めつつ、みんなでクッキーをつまむ。
「年上の方が良いと言ってみたの。尽くしすぎないように。もしくは、それを窘めてもらえるように」
「…アエリア様には確かに、年上の方のほうが合ってそうですね」
「それは確かに。どっちにしろ、うちの義妹に来てもらうのは夢のまた夢ね」
「ふふふ。義妹っていうのは心惹かれるけれど、年下の方はちょっとご遠慮したいわ」
頼れる友人の義妹、というのは確かに惹かれるものではあるけれど、それだけでパートナーを決めるなんてできない。うふふあははと笑いあって、和やかなティータイムだった。
それからしばらく、静かな日々が過ぎた。
ロベルト様が一度も私のところに来ないことから、彼は婚約破棄のことを知らないかもしれないと思い当たる。あのプライドの高い彼が、何故だと怒鳴り込んでこないなんて考えにくい。けれどもその辺はあちらの侯爵家内の話。私にはもう関係がないから指摘してやる必要もない。
「アエリア、この中で気になる人物はいるか?」
そうこうしている内、お父様に呼ばれ、執務室で釣書を五冊ほど渡される。パラパラとめくれば、希望を出した通り、年齢は見事にバラバラだが全員年上だった。
その中で一人、気になる人がいた。フレド・ハペリア様。モナキア伯爵当主の弟君で、王城の騎士団所属。参謀としての活躍が認められ、男爵位を与えられた人物、とあった。十五歳年上で、釣書の中では一番歳が離れている。
「…この方はどういったお人柄でしょう?」
「ん? フレド殿だな。彼は騎士団の中では恐らく一番穏やかな人格者だな。先の隣国との小競り合いも彼の活躍があったという。騎士団長も目を掛けられている。歳こそ離れているがこの中では一番有望株だろう」
「素晴らしい方なのね」
我が伯爵家は文官の多い家。騎士団とのコネクションは欲しいところだ。それに爵位を自ら得る程の才覚溢れる人物。むしろ私の方が釣り合わない気がする。気後れしかけたところをお父様は察したらしい。まずはフレド様との顔合わせをまとめると決められ、自室に戻された。
「少しでも…大人っぽいドレスが良いかしら…」
そんなしょうもないことを考えつつ、気付けばあっという間に顔合わせの日がやってきた。お気に入りのドレスの中でも一番大人びて見える、落ち着いたライラックカラーのドレスを着て、フレド様を待つ。
「はじめまして、アエリア嬢」
「……はじめまして、フレド様」
フレド様は煮詰めた蜂蜜のような色の、少し垂れ気味な目元を和らげて微笑んでくれた。目尻に少し笑いジワができる。それに釣られて、私も微笑み返す。緊張を解いてくれるような、親密さのある笑みだった。
「フレド様は男爵になられたのでしょう? であれば、何故わざわざ婿入りをされようと?」
アイスブレイクもそこそこに、不躾な質問だけれども、と前置きして素直に問う。ストロベリーの香りのフレーバーティーに蜂蜜を垂らしながら、フレド様は苦笑いした。
「領地を持たない男爵は、一代限りの騎士爵と実際は大差ないんです。それにこの歳まで独り身ですし、正直、結婚は諦めていたんですよ。ただ…今回、クルサ伯爵から結婚したくないわけではないのならどうか、とお声がけいただいて」
「まあ、お父様からの推薦だったのですね」
「推薦…と取って良いのかは分かりませんが」
お父様が一番の有望株、といっただけある。まさかお父様からお声がけしていたなんて驚きだ。ただ一つ、懸念がある。
「ではフレド様ご自身としては…あまり前向きではいらっしゃらない?」
「いや、そんなことはないですよ。もし私でも良いと思ってくださるなら、それはとても光栄だと思います」
「…相手が、私のような小娘でも?」
「小娘だなんて。まだ少ししかお話できていませんが…アエリア嬢は素敵なレディだと思いますよ」
いやいや、とフレド様は慌てた様子で否定する。素敵なレディだと微笑んで褒めてくれるその柔らかい声音に胸が高鳴った。
──この人が良い。この人を愛して、愛して、そしてできるなら、愛されてみたい。
胸の高鳴りと共に、衝動的な欲が胸の内で湧き上がる。それに内心動揺しながら、平静を装ってそのあともティータイムを続けた。
好きな茶菓子の話、学園の思い出話、フレド様のお仕事の話、職場でのお父様の話…など他愛もない話をする。他愛もない、けれど、どちらかが無理に言葉をつなげようとするのではない会話は、ロベルト様とではなかったもので、とても心地よかった。
「フレド様さえよければ。フレド様と婚約を結びたいです」
「フレド殿は素晴らしい人物だが…まだ一人目だぞ。すぐに決めてしまって良いのか?」
「はい。フレド様が、良いです」
顔合わせが終わって、すぐにお父様に願いに行く。この後の候補者との日程を決めたい…と言われたのを遮って乞えば、目を見開いて驚かれた。それもそうかとは思う、けれど譲りたくないとも思った。
私の意思が固いと見たお父様から形式だけでもいいと促され、あと二人、お父様の推薦の方と会うだけ会った。推薦の方だからと多少は期待していたものの、言葉の端々に傷モノの小娘を相手にしてやっているのだと見下すような色が乗っている方、私が女伯爵になるのではなく自分が中継ぎをしようと宣う方、となかなか癖があった。フレド様と話した時のように胸の高まりがある訳もない。
やっぱりフレド様が良い。改めて再確認だけした私に、お父様は仕方なさそうに笑ってフレド様に話を通してくれた。
「改めて、婚約者として。どうぞよろしくお願いいたします」
婚約の書類にサインをしに我が家にやって来たフレド様に、改めて挨拶をする。フレド様の瞳の色に近い、琥珀をあしらったブローチをちょうど持っていたので意気揚々と胸元に飾っていた私に、フレドは眉を下げて困ったように微笑んだ。
「こんな年上を選んで…後悔しませんか?」
「しません。父に言われ、他の方にもお会いしました。その上で、将来を共にするならフレド様が良いと思ったのです」
キッパリ言い切る私に、やっぱりフレド様は困ったように微笑んで、それでも、これからよろしくと手を握ってくれた。これで私は、この人を愛する権利を得たのだと、天にも登る気持ちだった。
両親の方がたしかにフレド様と歳は近い。けれどももう半年もしない内に、学園も卒業する身だ。早く一人前の次期伯爵となって、彼に少しでも追いつきたいと思う。
それから、穏やかに交流を重ねることになった。国内外がちょうど落ち着いていて小競り合いなども特にないため、騎士団の遠征等も特段なく、休みの日にはフレド様は率先して私のために予定を立ててくれた。顔合わせのお茶会だけに留まらない交流を重ね、そのうちに騎士団全体の合同訓練など、他の方も婚約者が顔を出せる機会には、私も差し入れを持ち込むようにまでなった。
「フレド様! 今日の訓練も頑張ってください」
「アエリア、いつもありがとう」
「前回お好きだと仰っていたサンドウィッチを多めに入れています。あと季節の果物も!」
フレド様の部下からも、婚約者として顔を覚えてもらえた頃には、フレド様も口調を崩してくれるようになった。フレド様は部下の方にも基本的に丁寧に話すから、これは婚約者の特権だと思う。
「ん? これは?」
「それ、は…クッキーを、焼いて、みたので…形は悪いけど味は! 味は大丈夫なので…!」
「手作り? それは何よりもの御馳走だね、ありがとう」
貴族令嬢はあまり料理をしない。まあ当然ではある。ただ、お菓子作りは趣味程度でする方もいる。今まで興味もなかったけれど、どうせ差し入れをするのならばと、使用人たちを巻き込みに巻き込んで練習をして完成したそれは、まだまだ歪だ。
けれど真っ先にバスケットの中からクッキーの包みを手に取って、とろけるような笑みを浮かべてくれるものだから、頬が分かりやすく熱を持つのが分かった。
邪魔にならないように、差し入れだけ渡してすぐに帰る。その背後、フレド様の部下の方々から「お熱いですね」「うらやましい」などと、揶揄うような声が聞こえて、思わず早足になった。それらに、「良いでしょう?」と少し自慢げに返す声が聞こえて、頬の熱が冷めることはなかった。
多分、分かりやすく良好な関係を築けている。元々が面倒見のいい方なのだろう。けれどもフレド様は私に最低限のエスコート以外で触れないし、接していても踏み込ませないラインが明確にある。だから多分、フレド様的には表面的な関係、を前提としているのだろうなと、思う。
「…もしお休みの日でしたら、卒業式に来ていただけませんか?」
「休みの日ではあるけれど…婚約者がこんなにオジサンだと揶揄われるかも」
「そんな心配はいりません! その…できれば友人に、ご紹介させていただきたくて」
「…アエリアが、良いのなら」
我が国の学園の卒業式は式典のみだ。卒業式の二週間ほどあとにシーズン最大の夜会があるので、卒業式自体はそこまで盛大ではない。けれど夜会前に領地に帰る人間も勿論いるので、皆家族だけでなく婚約者も招待するのが慣例となっている。
フレド様が線を引くなら、私はそれを飛び越えていくだけだ。年下が過ぎるから、フレド様から愛されるのはきっと難しいだろうけれど、私の方は最初の顔合わせの日に恋に落ちている。日々愛おしさが募っていく。ロベルト様の時と違って、情ではなく、愛だから。それを友人たちに伝えて、安心させたいのと、私の愛を少しでもフレド様に知ってほしいと思った。年上への憧れとか、そういうものではないのだと、知ってほしい。
「はじめまして、アエリアの婚約者の、フレド・ハペリアです」
にこやかに友人たちに挨拶してくれたフレド様に、友人たちは好き勝手に、私を大事にするようにと言葉を重ねる。勿論ロベルト様のことがあったからではあるのだけれど、あまりの圧にこちらがひやひやしていれば、勿論です、とフレド様はやわらかく微笑んだ。
「アエリアはいい友人に恵まれているんだね」
「…はい、自慢の友人です」
友人を褒められたことが嬉しくて、笑みがこぼれる。その私の表情を見た友人たちは、大事にしてもらっているのね、と安心したように微笑んでくれた。
傍から見てもわかるほど、大事にしてもらえているなんて、それはなんて幸福だろうと思う。例えフレド様に愛がなくしても、多分情くらいは、持ってくださっている、はず。愛でなくてもいい、情でもいい。情でも持ってくれているのなら、そこに私が愛を注ぎ続けるだけだ。根腐れだけ気を付けて、それでも注げる、ありったけを。
また夜会で、と友人たちと別れた後。卒業式に顔を見せてくれていた両親とは別の馬車へ、フレド様にエスコートされる。訳知り顔で微笑む両親に見送られ、フレド様に馬車で連れられたのは王都でも有数のジュエリーショップだった。
「ちょうど今日出来上がると聞いていてね。どうせなら、早く贈りたいと思って」
ジュエリーショップの奥の応接スペースに通されたと思ったら、フレド様はそう言ってはにかんだ。黒服の店員が恭しく差し出したのは、琥珀とシトリンをあしらった耳飾りとネックレスだった。フレド様の瞳は、煮詰めた蜂蜜のような色。宝石にしたら、琥珀とシトリンになるだろう。
色味はシンプルかもしれないけれど、フレド様の髪色に合わせたのか地金はシルバーで、繊細さがある。店員からそれを受け取って、フレド様はそっと私の耳元に耳飾りを添えた。
「思った通り……よく、似合うね」
「フレド様…」
「夜会にはこれを付けてきてくれないかな。ドレスはとっておきを用意するんだと意気込んでただろう? だからせめて、アクセサリーをと思ったんだ」
悩んでギリギリになってしまったよ。なんて微笑んだまま、フレド様は手ずから耳飾りとネックレスを付けてくれる。少しずっしりとした重みのあるそれは、学生であった時には華やかすぎるものだろう。けれど次期伯爵として夜会に出るのならば、むしろしっかりとした華やかさが必要だ。学生から、大人の世界へ。その門出の祝いを、しかもまさかフレド様自身の色で、贈られるなんて思ってもみなかった。
「どうだろう、センスに自信はないけれど…アエリアに似合うものをと、悩んだんだ」
「すごく…すごく嬉しい、です…! こんな素敵なプレゼント、頂けるなんて思ってもみなくて」
「ふふ、喜んでもらえたなら良かった」
「喜ぶに決まってます! フレド様の色…夜会が今から楽しみです」
「そうまで言ってもらえると、贈った甲斐があったね」
これまでフレド様から贈られたのは、季節ごとの花や流行りの菓子、学園内でのヘアアレンジ用のリボン——流行っていると話した後でわざわざ選んでくれたらしい——や、普段使いのブローチや耳飾りなど。ささやかだけれど、どれも思いやりのこもったものたちだった。だからこそ、フレド様の贈り物を私が喜ばないはずがないのに。
一度身に着けたアクセサリーは外して、包んでもらう。それを受け取って改めて馬車で屋敷まで送ってもらった。
「夜会、楽しみにしているよ」
ふわ、と微笑んで手の甲に口付けを落とされる。今まで口付けを落とすふり、は、あってもそれが触れることはなかった。ぶわ、と頬が熱を持つ。フレド様の帰る馬車を見送る間も、頬の熱が引くことはなかった。
それから日は巡って、夜会の当日。
卒業の式典の後から、夜会の警備の調整などで忙しくされているフレド様とは会えていない。けれど迎えに来てもらえる、という約束を胸に、朝から気合を入れて身支度をした。
贈られたアクセサリー。少しでも大人びて見えるように暗めを選んだ、自分の瞳の色を模した赤銅に、フレド様の髪色と同じ銀のオーガンジーを重ねたAラインのドレス。オーガンジーには金糸で随所に刺繍を入れている。髪は後れ毛をあえて残したアップスタイルにして大人っぽく。ハッキリとした赤色のリップは初めて付けたけれど、背伸びをしすぎてはいないだろうか。
朝から掛かった身支度をようやく終えて、自室でソワソワとしていれば、侍女がフレド様の来訪を知らせてくれる。はしたなくない程度に急いで向かった玄関ホールで、思わず立ち止まってしまった。
暗めの赤を基調にした正装に、カフスや小物類は私の髪色に近い、淡めの色味のペリドットでまとめられた格好のフレド様。ラペルピンは、私が先に贈っていた物が飾られている。
「ああ、今日は一段と…綺麗だ」
「ふ、フレド様、も…あの、いつも素敵ですけど、あの、」
「君の色だ。似合う?」
「っ、とても!」
自分の色を纏うフレド様の姿に感動していると、見兼ねて名前を呼ばれる。そろそろと近付けば、眦をゆるめて蕩けるような笑みと共に褒められた。それに胸が高鳴るのを感じながら、どうにか返そうと思ったのに——茶目っ気のある笑みを浮かべて、似合うか、なんて聞かれたら、もうダメだった。完敗だ。フレド様が愛おしくて堪らない。
「良いドレスの色だね。アエリアの目の色と…私の色かな?」
「分かっていて聞かないでください!」
エスコートされ乗り込んだ馬車の中、揶揄うようなフレド様の声音に、ぷいとそっぽを向く。浮かれてドレスを頼んだのが、気合を入れすぎたのが伝わってしまったのだとしたら少し恥ずかしい。そう思ったのだけれど、クスクスと笑いながら拗ねないで、と頬に触れられる。
「すまないね、年甲斐もなく浮かれているんだ」
「浮かれて…?」
「だって、私の色に染まってくれた君を見れて、あまつさえ独占できるんだ。浮かれて当然だろう?」
ぶわ、と頬が熱を持った。ドレスに込めた意味を、的確に言い当てられるなんて、思ってもみなかった。もっとも私としては、フレド様の色に染まりたい、が本来だったのだけれど。でも、今の姿を見て、染まったと見てくれるのが、凄く嬉しい。
「……私だって」
「ん?」
「私だって…私の色のフレド様の隣に立てて、何より、嬉しいです」
素直な感情を吐露するのは、照れくさい。恥じらいから半分泣きそうになりながら、それでもフレド様の瞳を見つめて言えば、フレド様が息を飲むのが分かった。それから、自身のセットされた髪を崩さない程度に前髪をかき上げて俯いてしまう。
「……アエリアは、本当に真っ直ぐだね」
「え…?」
「……愛され慣れていない男を、君は骨抜きにしたんだ。今度は愛される覚悟を持って」
「え、あ……」
「ああ、着いたね。降りようか」
ぎらり、と、見た事のない熱の篭ったフレド様の視線に射抜かれる。驚きに固まってしまった私の頬に素早く唇を落として、私がそれに反応するより先に、フレド様は馬車を降りてしまう。混乱したまま、手を引かれ馬車を降りた。夜風に吹かれて、少しだけ頬の熱が冷まされる気がした。
夜会は過去一番華やかだった。この国ではデビュタントのための夜会以外で、王家主催の夜会に学園卒業前の子女が参加することはない。今日この場にいるのは、成人した男女だけだ。だからこそ学園の卒業式直後の夜会が、一番活気があり参加者も多い。なかなか夜会に参加しない貴族達も今宵は皆予定をつけてくるものだし、次代との顔繋ぎをする場でもある。
フレド様の人脈と、元々父の手伝いで王城にも足を運んでいたことが幸を奏し、卒業したばかりの同窓生以外とも、かなり話が弾んだ。
「ハペリア卿は結婚には興味がないものかと思っていたよ」
「興味がなかった訳では。単にご縁がこれまでなかっただけでして」
「それでこんなに若い婚約者を得るなど…男冥利に尽きますな」
「——若さだけで彼女の魅力は語れませんよ。ただ、得難いご縁に恵まれたと、日々感謝するばかりです」
挨拶をした時点で相当酔われていた、フレド様より年上と見られる子爵がニヤニヤと値踏みするような視線を私に寄こす。その視線を気持ち悪く思いつつ、当たり障りのない笑みを浮かべていたら、ぐっと強く肩を抱かれた。急に抱き寄せられて驚いてフレド様を見上げれば、思っていた以上に少しばかり鋭い視線で、お相手を見据えていて驚いた。
「…それはそれは」
何事かを言おうとして、けれど苦虫を嚙みつぶしたような表情でお相手は撤退していく。それを見送り切ってから、そっとフレド様を見上げる。
「…フレド様?」
「…ああ、すまない。彼は…遠縁の親族でね。何かと突っかかってくるんだ。不快にさせたね」
「いいえ、私は何とも。フレド様が大丈夫なら、それでいいのです」
「…ありがとう」
痛いくらいの力で引き寄せられていたのが、包み込むようなそれに変わって、フレド様の気持ちが少し凪いだのを感じた。
「うちの親族は…嫡子以外はどうでもいい、というのが顕著でね」
挨拶回りだけで夜会は終わらない。このあとも長いからと顔繋ぎには一区切りもついていたことだし、気分転換にと給仕からグラスを受け取り、バルコニーで涼む。思い出したようにぽつり、とフレド様が話し出すのに静かに耳を傾ける。
聞けばフレド様の生家──モナキア家は、嫡子至上主義のようで。次男であったフレド様は、ご長男であるお兄様より少しでも秀でることがあれば嫡子を立てろと折檻されるような幼少期を過ごされたらしい。ご兄弟仲は良かったけれど、だからこそ早くから騎士として身を立てることを目標とされ、男爵位を賜るまでになったと。先程の子爵は再従兄弟にあたる方で幼少期から、家督を継げないくせに無駄な努力を重ねる愚物と罵詈雑言を浴びせられていたのだという。
「そんな……」
「兄が継いでからのモナキア家と禍根はないけれど、両親とは縁を切っている。だから結婚式にも二人を呼ぶ気はないんだ」
兄とは連絡は取っているんだけれどね、と呟くフレド様の表情は、微笑んでいるのに寂し気に見えた。それは婚約を結ぶ前、直後に、少し自信のなさそうに見えた表情や態度に通じるものがあって、ハッとする。
きっとこの人は、親からの愛を諦め──その時に、愛されること自体を、諦めていたのかもしれない。そう思えば、馬車の中で言われた言葉にも、納得がいく。
「…幼かったフレド様も、お可愛らしかったでしょうね」
唐突にも思える私の言葉に、フレド様がきょとんとした顔をする。
「もし過去に遡れるなら。幼かったフレド様も、私が愛するのに」
幼少期の辛い記憶ごと。全部まるめて、貴方を愛する。そんな思いを込めた私の言葉に、フレド様は目を見開いて──それから、くしゃりと泣きそうに顔をゆがめて、でもそれを耐えるような笑みを浮かべてくれた。下手な笑みが愛おしくて、そっと頬に触れる。
「ねえ、フレド様。私、一目惚れなんです。だから、観念してこれからも愛されてくださいね」
「こんなに愛されるなんて初めてで、いっそ怖くすらあるよ」
「ふふふ。愛が重いと言われないように気を付けますね」
「…ああ、いや、それは気にしないで」
「え?」
「重いと思えるくらい、愛されるなら。そんなにも愛されるなんて…幸せだと思うよ」
ふにゃり、ととろけるような笑みは、初めて見る表情だった。過去で一番肩の力の抜けた表情。ああ、やっと私の愛がこの人に届いたのだと思えて嬉しくなる。
頬に添えていた手を取られ、指先に口づけが落とされる。リップノイズに、頬が熱を持った。
「これからは、同じだけ──いや、それ以上に、愛し返すからね。覚悟していて」
「え…」
情だけでも、持ってもらえたら御の字だと思っていた。同じだけ愛してもらえるなんて、なんて幸せな宣言だろう。こんな幸せなことがあって、良いのだろうか。
幸せで夢うつつになりながらも、二人ともバルコニーに持ち込んだグラスが空になったからとフロアに戻る。先日フレド様にも挨拶をした友人たちも丁度挨拶回りがひと段落付いたらしい。フロアの片隅で、それぞれの婚約者とも挨拶をかわし、穏やかに交流をしていた最中だった。
「──ッ、どういうことだよ!」
怒声が響く。あり得ない事態に、フレド様は咄嗟に私含め、友人たちもその背に庇うように身をひるがえす。フレド様の背中越し、声の主を見れば、そこにはロベルト様──もとい、アウソニア侯爵令息が、いた。
「…ご無沙汰しております」
「何でお前…俺の婚約者だっただろ」
「…彼は?」
「以前の婚約者です」
怒りで肩を揺らす元婚約者の視線の先が、私だとすぐにフレド様は気づいたらしい。元婚約者から視線を外さず、ちら、と肩越しに視線を寄越されたので頷く。
「……アウソニア侯爵令息」
「誰だよオッサン」
「フレド・ハペリア。アエリアの婚約者だ」
「ふざけんな! なんでお前みたいなオッサンが!」
ソイツの婚約者は俺だ! そう叫びながらフレド様に無謀にも飛びかかって来たアウソニア侯爵令息は、フレド様が華麗にいなし、瞬間的に床に押し付ける形で取り押さえられた。息も服も何も乱さず、軽々と相手を捉えたフレド様があまりにも格好良くて、ほう…と息が漏れた。
取り押さえられたアウソニア侯爵令息は、そのまますぐに護衛騎士達によってどこかへ連れて行かれた。フレド様は何事かを騎士達に指示だけしてから、寄り添って手を取ってくれる。
「大丈夫?」
「フレド様が一瞬で捕らえてくださいましたから大丈夫です」
「……身の危険は、ね。怖かっただろう?」
「あ…」
襲われるかもしれない、という明確な恐怖心は確かに、あった。けれどフレド様の大きな背中に守られ、きっと襲われかけたというのにあまり危機感はなかった。それなのに守ってくれた本人が一番痛そうな顔をしてこちらを伺うから、自然と笑みがこぼれた。
「フレド様が守ってくれたから、ちっとも怖くありませんでした」
「……それなら良かった」
本心から言っているのが伝わったのか、フレド様はようやく微笑んでくれる。そこに、立ち回りが格好良かったと伝えれば、頬を赤らめ照れてくれるものだから、格好良かったお姿から一転可愛らしくて、笑み崩れてしまう。
ほのぼのとしてしまった私たちと反対に、周囲はかなりざわついていた。有責で婚約破棄されたはずの侯爵家の次男が、元婚約者に襲いかかろうとし、現役騎士——それも騎士団の役持ちに一瞬で制圧される。何があったのかと視線が私たちに集中するのも無理はなかった。
「さっきの、アウソニア侯爵令息よね? アエリア様の元婚約者の」
「ええ。……多分だけれど、婚約破棄されたことを知らなかったんじゃないかしら」
「そんな事有り得るんですか? まあ…そんな感じの物言いでしたけれど」
「両家の話し合いは欠席されていたし、その後も本人からは何も連絡がなかったの。……破棄されたと彼が耳にしたら、学園内で絡まれると覚悟していたのだけれど」
友人たちの疑問に答えれば、皆さもありなん、という表情になる。友人たちの婚約者たちは目を丸くしていたけれどフレド様は苦々しげだった。
「アウソニア侯爵に苦情を入れるべきだ。一歩間違えたら、アエリアが怪我をしていたかもしれない」
「そうよ、アエリア様」
フレド様だけでなく、友人たちもそうだそうだと声をあげる。周囲の視線もフレド様がいたからこそ被害はなかったとはいえ、私に対して同情的だ。
「……この夜会でトラブルを起こしたのだから、彼はきっと罰を受けるでしょう。アウソニア侯爵家は、クルサ伯爵家の良き隣人でありビジネスパートナーよ。侯爵家が彼を無理に庇わない限りは…苦情を入れるのはやりすぎでは無いかしら」
「そんなことないわ。結果論でしょう?」
「そうです! ハペリア様がいたから良かっただけですわ」
「…それはそうだけれど…。まあ、金輪際近づけないで欲しい、と願うくらいなら角も立たないかしら」
はあ、と溜息を吐く私を友人たちが労ってくれる。友人たちとは分かれ、改めてフレド様と腕を組んで歩き出す。
「……元婚約者に、未練は?」
「え? ないですよ、そもそも決められた婚約なのであれば良い関係を築きたいと思っていたくらいですね。あちらも婿入り先が消えて錯乱されただけでしょう」
「…そう、か」
歯切れの悪いフレド様にまさかと思いつつ、嫉妬してくれましたか? と問えば、ふい、と視線を逸らされる。耳の先が少し赤らんでいるのに気がついて、淑女にあるまじき表情だろうけれど、少しにやけてしまった。
その後フレド様とダンスも楽しんだ。力強いリードに安心して身を任せて、幸せな時間だった。ダンスも終えてそろそろ夜会も終盤…というタイミングで、フレド様と共に騎士の方に声を掛けられ、会場から別室へ移動させられる。何故?と思っていたら、どうやら先程のトラブルが原因だったらしい。
「ロベルト・アウソニア様と面会は希望されますか?」
「いいえ。お会いしたところで、既に関係のない方です。フレド様のお陰で怪我もありませんし、できればもう関わりたくもないと言いますか…」
気遣わしげな騎士の方に、申し訳ないけれど断りの言葉を返す。色々と聞き取りをしてくれたらしく、の内容だけは一応教えてもらえた。
聞けば、ロベルト様は私に愛されていると思っていたらしい。愛されているが故に尽くされていたと。愛されていると勘違いしていたからこそ、ようは婿入りするのは囲われるような認識でいたのだという。さらに言えば、私の方が学園の成績も上で、単に婿ではなく中継ぎに——と決定が翻るとも思えなかったことにも、プライドを損ねられたのだとか。愛されているなら何をしても許されるし、どうせ囲われるなら好き勝手したかったのだと、いう。婚約破棄も、親の冗談だろうと思っていたと。
なんとも自分勝手で、しかも前提からして何故そうなったのか意味が分からない主張だった。
「——アウソニア家と我が家の共同事業が持ち上がったために両家当主が年頃も丁度いいからと結んだだけの婚約です。私が彼を愛したことはないですし、婚約者として寄り添いはしましたが、特別尽くしたつもりもなく…」
ほとほと困惑している、という顔をすれば、騎士からは気の毒そうな視線を向けられる。愛していないし、別に私が彼を選んだ訳でもない。確かに周りからは尽くしていると叱られてしまったけれど、フレド様への私の態度を尽くしている、と言うのであって、度合いは雲泥の差だ。
「……侯爵家でどのように罰を下される予定なのか、追って正式にお知らせ下さい。クルサ伯爵家からは特段処罰を求めません。アウソニア侯爵が、侯爵家のための判断をされるべきことです。そして今後もクルサ家の良きビジネスパートナーとしてあってくださることを祈っております」
婚約破棄をまともに子に伝えられていない。問題を起こすでろう子を夜会に放り投げる。どちらも侯爵家の顔に泥を塗る悪手だ。我が家はそこに関わらない。関わり合いにもなりたくない。だから侯爵家らしい判断をしろと匙を投げた。まあここまで他人行儀な意思表示をすれば、間違いなく元婚約者を近づけないように動いてはもらえるはずだ。
だって元婚約者から、抗議するよりも関わりたくない、と言われるなんて、余程だ。
フレド様が私の分の被害届を勝手に書き提出し、その後は両親に先に帰ることを従僕に言伝を頼んで帰ることにした。流石に事情聴取じみた体験までして、夜会に戻る体力と気力はなかった。
「……大丈夫かい?」
「ええ。でも、なんだか疲れてしまいました」
確かに愛そうと努力はしたけれど愛してもいないし、寄り添おうとはしたけれど尽くしてもいない。何故そんな勘違いを元婚約者がしたのかと、頭が痛かった。そんな私に、フレド様が苦く笑う。
「——分かる気がするよ」
「え?」
「アエリアは、愛情深い。それが愛でなく情であっても同じ事なんだろう。だから彼は間違えた」
「私に愛されていると?」
「そう。愛情だと間違えたから——それが不変だと、ずっとあるものだと勘違いして、それに甘えたんだ」
そっと手を取られる。指を絡めて繋がれ、フレド様の手の大きさがよく分かった。剣ダコがあって、ゴツゴツとした大きい手。
「アエリアは、私を愛してると言ってくれたね」
「……はい」
「なら私はそれに安心して溺れよう。そして……アエリアの事も、溺れるくらい、愛そう」
フレド様は真剣な目をしていた。熱の篭った、強い目線だった。
「だから私を、ずっと愛しておくれ」
「——ええ、勿論です」
知っている。フレド様が最初、婚約当初——何度かお父様に、私の気の迷いだろうと、婚約の解消を持ち掛けていたことを。それがいつしかなくなって、結婚式の打ち合わせにも積極的になってくれて。ああ、思えばその頃からフレド様の口調が崩れた気がする。
どうやら、私が水をやった愛は——きちんと芽吹いたらしい。
ずっと愛していて良いと言うなら、惜しみ無く愛そう。だってフレド様は重たくても良いと言ってくれた。溺れるくらい愛で彼を満たそう。いつか、彼の愛に溺れられる日が、来る。
——それはきっと、遠くない未来の話。
溺愛体質が溺愛される話を書く予定だったんです…。
でも歳上が骨抜きにされるのも捨てきれませんでした…。




