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愛する幼い許嫁武田の松姫との生涯の愛を全うする中で葛藤した織田信忠の生涯!

生まれながらに天武の才を備えた奇妙丸(後の信忠)は、英傑な父織田信長に従い伏龍のごとく育っていく。その後元服して織田家の継承を済ませ甲斐武田攻略の総司令官として快進撃する。

父信長より武田氏滅亡の中で、師匠快川国師に対し焼き討ちの指示を下される。信長の命令を拒み親子の対立が深まるが、側近の迅速な行動で親子対立は収拾し事無きを終え、岐阜へ帰還した。

伏龍が天に上る瞬間はまじかに迫っていた。


「天武慈愛の武将」~織田信忠の生涯~

                            執筆 可世木宏

1.本能寺の変前夜

信長は本能寺の静けさの中で

「我ら親子も道三と義竜親子や信玄・信虎親子のように親子の確執の中で争わなければならないのか・・・」と昔の親子を懐かしむ中でこれから起こる事態を予想し困惑を隠せなかった。

沈黙は長くは続かなかった。部屋の外に控えていた蘭丸に

「お蘭、入れ」と呼ぶ。部屋の外で待つ蘭丸は、先ほどまでの親子の激しい言い争いを聴いて、自分自身のこれからのあるべき行動をどうするか、悲痛な思いの中で決めねばならない状況に追い込まれていた。    

 親子の激しい口論を終え部屋を出た信忠からの目線は、子龍が老龍を追い散らすような姿と「そちのあるべき行動と姿は判っていような!」との織田家当主としての威圧感が感じられ森蘭丸の姿は、一瞬氷となったように固まった。信忠の一瞬の威圧した瞬間であったが蘭丸の思考時間は、空想と恐れの中で長い時を過ごしたような感覚にしばらく信長の部屋の外で控えていた。「蘭丸そこに居ないのか?」の激しい声が茫然自失の蘭丸を現実に戻した。

「はは」慌てて部屋を遮るふすまを慌てて開き「上様」と普段の落ち着いた声でなく緊張の中で甲高い声となった。慌てて入って来た蘭丸を見て信長は蘭丸の心を察してしまった。

幼いころから自分を自己防衛するためか人の素振り・態度・面相によって人のありようを深く察する能力が信長の尋常にない能力だった。

「こいつはすでに迷っているな」信長は事の事態をどう進めるか一瞬混迷した。

ここで安易にこの者に(安土から兵を呼べ)と指示し早馬を走らせれば蘭丸は織田家当主である信忠に反逆することになる。いかに我が側近で小姓と言えど今は信忠が織田家の当主だ。

蘭丸を見ながら一瞬で考えを発した言葉が「いま光秀はどのあたりじゃ」意外な言葉に蘭丸は「丹波を出て沓掛あたりかと」蘭丸は信長を見つめ不安そうに答えた。

「急ではあるが中国攻めに行く前に御所前でわが目で視察するから京都に凱旋せよと早馬で伝えい」発せられた言葉に蘭丸は驚き一瞬返事に窮した。

蘭丸の中で不安が益々混迷を深め思考は停止し、信長は今までの思考と同じ選択を取らず忠臣と信ずる光秀の軍勢を招く決断をしてしまった。

蘭丸は苦悩しながら「差しで待った事を申しますが、光秀殿の軍勢を京に招きますると・・・?」信長は蘭丸をきつい下目線でそれ以上言えばと制すると威圧する。

信長の思考は「いま安土に早馬を出せは二条城に籠る信忠の千五百の兵で囲まれ、強制的に身柄は拘束され隠居幽閉のみとなる」「他人を信用したことはないが、ここは光秀を招き信忠を制するしかない」他人を信用せず実の弟を権力争いの中で誅殺した信長がこの事態において唯一他人である日向守明智光秀をすがるような思いで信じるしかなかった。

あまりの威圧と迫力を感じた蘭丸はかしこまって「はは、直ちに沓掛に早馬をはしらせます」と言うが早いか慌てて部屋を小走りに走って出て行った。

しかしその一瞬の間でも蘭丸の思考は停止しなかった。「主君である信忠様への忠義を守るべきかこれまで仕えた事実上の当主信長の意向に従うべきか」蘭丸は思考しながら行動した。

早馬を光秀に使者伝送を妙覚寺に帰った信忠に走らせた。

いち早く妙覚寺に入った蘭丸の使いは、寺門を警備する武将に信忠への蘭丸からの言上を伝えた。

蘭丸からの状況報告を受けた京都所司代村井貞勝と、織田家当主織田中将信忠は密室に籠り配下への支持と事態に対処する行動計画をまとめた。

本能寺を囲む武将に対し急ぎ信長を拘束し二条御所に幽閉する指示を出した。

(抵抗する場合は自刃を迫る)

村井貞勝は、明智日向守光秀謀反の早馬を中国攻めの羽柴秀吉陣へ飛ばす。

信忠は身代わりの武者を定め出奔し、村井貞勝と二条御所にて明智勢と戦い奮戦する。

(この時貞勝は隠居申し出済みで家督は、すでに子息に移譲している)

そもそも信長隠居を仕掛けた張本人は、今後の織田家渦中の後継者争いの内紛で信長による容赦ない残虐行為と朝廷に対する姿勢を憂いての事であった。

信長の身柄は二条御所に移した後に状況によっては、海外逃亡させるか自刃を迫る。いずれにしても表部隊からは身を引き恐怖政治の継続はさせない。

斎藤利光のみには信長からの切腹命の取り消しを伝え、明智軍の統率をさせ京都の治安を維持を任す。その後は秀吉と光秀が和解し、東国の家康と連携して足利義明を京とに迎え幕府を再興する。

秀吉・光秀・家康の三名には、岐阜織田家は松姫から生まれる子に継承させるよう遺言として残した。信長・信忠(影武者)親子が本能寺で戦死した事で事態の収拾を図り国を治める。


25歳にして政治権力に愛想をつかし、愛妻松姫(出家して信松尼20歳)との余生を選択した信忠にさすがの村井秀勝も自身の身の振り方を覚悟しなければならなかった。またこんな主君に仕えた老練な武将も身震いの中に感動を得て死にゆく運命を誇らしく思った。

二条御所で奮戦する我らは忠義の志神となるが攻め寄せる明智勢の事を想うと妙に心は晴れなかった。(信長の残虐性に満ちた執政を終わらせるための役目と自信に言い聞かせた)


この時点での信忠の思慮は正しかった。

足利幕府再興で日本国が幕藩体制によって再構築されていれば、幕藩体制はこの後も五百年の継続を成し戦の無い平和な時代が再構築されていた。しかし、信長の台頭で時代にそぐわない幕藩体制は蔑ろにされ強者が弱者を力で屈服・統治する形が醸成された。秩序の再構築が強権者の破壊統一になってしまった。

まだ許嫁の松姫が武田家から織田家に嫁ぐ時に、松姫を加護するように大通智勝快川国師が付き添い信忠に「人を愛した時、人は強くなり善人になる」「哀れみ慈しめば争いは無くなり国は平和になり民は豊かになり繁栄する」とのさりげない国師のお言葉に、今まで疑問に思わなかった父信長のこれまでの所業に対し「やはりどこか残虐で冷徹過ぎ受け入れ難い」との疑念が肯定され自身の中で新たな拠り所と安心感を得たのだった。

その心の師匠である国師快川和尚を信長は、恵林寺において天正10年足利義昭の家臣大和淡路守引渡しを断った事を理由に激高し、恵林寺に火を放ち僧侶もろとも焼討ちした。

国師の時世は、「心頭滅却すれば火もまた涼し」後世の人々に信じることで救われる悟りを伝え火中に消えた。まさに現代の経営者にも通じる権力を行使し、畏怖で民衆および社員を強制する統治型の信長vs慈悲を根底にまず協議で民衆や社員を闊達に議論させ心の一致点を探り行政を行う信忠との施政の親子対立が決定的になった出来事であった。


明智光秀は五月十二日に安土城より、坂本城へ帰城の馬上で琵琶湖を眺めながら「なんと湖面は穏やかでわが心とは全く違うことよ・・・」光秀の浮かぬ顔に「殿今更ですが北近江返上し伯耆・雲州は切取り次第の上様下知には恐れいりましたなあ・・・」と呆れ顔の腹心斎藤利三(お福の父)が呟く。その会話を聞いた明智秀満が「利三殿どこに上様の間者が潜んでいるか判らぬ迂闊な事を申すな、その方は今稲葉一鉄殿から上様に上訴され謹慎沙汰待ちの状態であるぞ」

利三が「如何に元主家とはいえ同族縁者の身でよくも我が身を訴えたものじゃわい」聴いていた光秀が「昨日上様に呼ばれ、利三を一鉄に渡すか切腹させよと激高され何とか毛利との戦終了まで猶予を得たばかりじゃ」「切腹ですと!!」利三は呆れ怒りは天に上る勢いで馬に蹴りを入れ一騎で駆け出してしまった。明智光忠が「利三の無念は判りますなあ!どうしたものか?」光秀も先が視透すことができない不安な状況であった。

 光秀の織田家での状況は先行き不透明な状況を迎えていた。光秀が「斎藤利三の縁で長曾我部元親との同盟が締結されていたが、元親による四国統一の勢いが凄まじく上様は、元親を脅威に感じたのか三好長慶に淡路・讃岐を与え、元親への牽制をする始末。これに憤慨した利三に対し、稲葉一鉄上告を持出し利三への切腹命令。それに拍車をかけるような北近江の事実上の没収で、毛利支配下の雲州・伯耆切取り勝手放題。如何に殿が明智軍法で上様大事と唱え配下に通達したとしても、手塩にかけた北近江坂本の地に根差した我ら家臣は納得できますまい」と独り言のように呟いた。今にも発火しそうな状況に、拍車をかける羽柴秀吉傘下での中国攻めの軍令に光秀主従は、荒木村重謀反で村重嫡子(荒木村次)に嫁いだ光秀の長女(後に明智秀満と再婚)の無念に涙した。北近江坂本城から丹波亀山城に移って、中国出陣の体制を整え数日愛宕さん参詣を済ませた光秀は、一族の明智光忠・秀満と家老の斎藤利三を亀山城の一室に集め中国征伐に出向かず足利義昭を毛利より招き足利幕府再興を行う事を告げる。集まった三人は主君光秀の英明さに感涙し「殿よくぞ決心なされた。憎い信長を誅殺致しましょう」とお互い手を取り合った。

 しかし光秀が想定する事態をはるかに超えた事態が、京の二条新御所にて誠仁親王・織田信忠・斎藤利治・前田玄以・織田長益・村井貞勝によって「信長引退幽閉」の実行がなされていた。

 六月一日未明、信長は、斎藤利治の伴った兵に囲まれ、本能寺おいて強制引退幽閉を迫られ「ここに極まれし我が身かな」と言って寝所に籠り敦盛を舞い自刃した。「人間五十年下天のふちをくらぶれば夢幻のごとくなり」五十年の波乱万丈に満ちた人生であった。

信長の引退後見によって、足利幕府再興と誠仁親王の即位で日本統一を想定し準備していた六名の面々は想定外の事態に困惑したが、信忠は即座に反応し「拙者は、親父殿の遺体と一緒に岐阜へ今から出奔し表舞台から去る。親殺しの汚名で天下布武はできぬ」と言って後の事は、斎藤利治・村井貞勝に任せ急ぎ養母の濃姫と松姫・三法師を伴い前田玄以に差配させ二条新御所を出立した。残された斎藤利治と村井貞勝は、誠仁親王と影武者信忠を守る布陣を整え、早朝に凱旋する明智軍との戦いに備えた。利治が「貞勝どの、ここが死に場所とは勤王で名誉なものよのう」貞勝が「信長様の残虐恐怖政治終結を狙った我らが行為は、後世の人から称賛されるだろう」

利治が「おいおい、今回の事変は明智殿の謀反で終える事で、我らが称賛されるのは逃げずに戦った忠臣だけの事よ」二人の会話を聴いていた、誠仁親王が「父より譲位を受け信忠主従の忠臣には報いる。安心され最後の一戦として戦ってくだされい」

 

信忠主従と誠仁親王には、信長時代の恐怖虐殺畏怖政治が終焉したことの安堵感と、今後は天皇を仰ぎ尊王幕府施政で九州・四国・関東・東北を統治する時代の到来にどこか心が安らいだ。


2.本能寺の変

 沓掛山の老ノ坂峠で陣を張って休息していた光秀の元へ、森蘭丸からの急使が到着し信長からの中国攻め軍勢による京の凱旋指示が伝えられた。この朗報を得た光秀主従には「如何にして一万もの軍勢を謀反の疑いをかけず入京するののか?の最大の課題が払拭した瞬間であった」側近の利三が「殿、まさに時が我らを後押ししてますなあ!!」と言って秀満と光忠を見つめる。

光忠が「まさに時は今天が下しる五月ですな!!」と光秀が句会で詠んだ歌を想いかえした。

この時、利三は密かに元主筋の斎藤利治から伝えられた「その方の上様からの切腹の沙汰は織田家当主の信忠様が取消された。安心して京に入京せよ」と使えて自害した使者が気になった。

一刻の休息を終えた明智軍は、信長の命を受けて京に凱旋するため先鋒を斎藤利三の三千が桂川を目指し進み、明智光忠は二千の兵で王子村の唐植越元の峰を越え、松尾山の山田村から京へ入る。明智秀満は兵三千を率いて本道を経て大江山の坂から桂の里へ侵入した。

最後に光秀本隊五千は利三の後方を固めつつ保津から山中に入り水尾陵をよそに尾根伝いに嵯峨野に出て布陣して先陣の利三の一報を待った。

 早朝の余韻に浸る京の町に入った利三の兵は夜は閉じられている京の町の木戸を静かに開け放ち配下の三千の兵を本能寺に向かわせた。利三は、配下の諸将に桂川を渡る手前で「この度は足利将軍家および公家の密勅による信長追討の戦いである謀反にあらず!」と訓示し将兵を鼓舞し火縄銃の火縄に着火させた。突然の信長討伐宣言に戸惑った将兵は多かったが、溝尾勝兵衛の「残虐非道な信長に天誅を与えよ!」を発した言葉に兵は鼓舞され、一気に桂川を渡った。兵の一人一人には信長憎しでなく、生かして逃したら家族・縁者まで悉く抹殺される恐怖が先に立ち悲壮な中での必死の戦いであった。

先鋒の本城総衛門の兵百が本能寺に攻めかかったが反抗も無く、門は開け放たれ人気なく殺気も無い。攻め寄せた兵が事の事態に驚き「我らは罠に嵌ったのでは」とたじろぎ戸惑う。

その情勢に総衛門は「火を放ち炙り出せ」と言って本能寺に火を放つ。しばらくして本能寺に籠っていた数名の信長家臣、が明智勢を目掛け鉄砲を放ち交戦状態となった。総衛門が「信長を逃がすな。首を討って手柄にせよ」と叫び猛進する。後方に控えていた利三の主力が本能寺を目掛け総攻撃をかける。火炎に飲み込まれるように明智勢の猛攻撃は凄まじく数名の信長家臣は魔抹殺される。次第に夜が明け京の異変に民衆が気づきはじめ、京は逃げ惑う人と木戸を閉め家屋に籠って事態の推移を見守る状況となった。秀満の兵と光忠の兵は、妙覚寺と二条新御所に籠る織田信忠を囲んだ。本能寺の焼け跡前に布陣した光秀は、信長の遺体と首が見つからない事に苛立っていた。利三は、斎藤利治より密かに伝えられていた「信忠様の切腹命令廃止通達」の意味を想いかえし、利治の籠る二条新御所に急いだ。利三には「すでに織田家当主信忠様が、信長様の意向の切腹命令を取消されたのには何かあったな?」と疑問が確信に変わり複雑な心境であった。「図られた!しかしなぜ反撃しない?」すでに二条新御所は明智勢一万の兵で囲まれ蟻の一匹漏らさぬ体制であった。

 二条新御所を囲んで数刻し光秀が城内へ降伏勧告の使者として斎藤利三を入らせる。城門が開き主筋であった斎藤利治が利三を向かい入れる。数刻の和解協議で利三は利治・誠久親王・村井貞勝より事の真相と前夜の信長自刃の事実を知る。信長の遺体はすでに前田玄以と加治田衆によって夜半に出立し、今頃は関ケ原を越え岐阜に入る頃と知る。利治より「信忠様からは後事は光秀に任せる。足利将軍家再興で幕府を整え天皇家に尽くしてほしい」とのご遺言である。

利三は「信忠様も自刃されたのですか?」利治は、頷くだけで深くは語らなかった。

「事ここに至っては、誠仁親王様には皇居へ避難頂き我らは最後の決戦に臨む」「利三よ我が身を主筋と思わず思いっきり戦いの花と散って参ろうぞ」と言って和解降伏は決裂した。

 誠久親王主従が二条新御所を離れ両軍は、激突した。戦いは、熾烈を極め三度押し返し二条新御所は灰塵と化し城兵は潔く散った。利三から全てを聞き終えた光秀は「信忠様は勤王の武将であったな。親子の情を越えた英断に信長様も観念したのだろうな」と言って若き信忠に敬意を示し、天を仰いだ。緊張感と安堵感に加え、今後の執政に対する重圧感で気は晴れなかった。



京都の妙覚寺へ数日早く入京した信忠は、離縁し京都の尼寺に出家していた武田家から嫁いだ元妻(松姫)と密会し今後の行く末を語りお互いの契りを再確認した。

父子で本能寺での謁見を終えて、信忠は信長を訪ね織田家の今後の行く末と信長隠居を突然伝えた。

奥まった部屋で信長が激高し信忠を罵り足蹴りするが、信忠は冷静沈着に信長を諫め沈静化する事態を冷静に待つ。すでに本能寺の周囲には信忠の手勢五百で固められ情勢を悟った信長は静かに寝所へ下がった。まさに本能寺の変前夜が重くのしかかり奇想天外な明智光秀謀反への状況が刻一刻と迫っていた。


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