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アクシデント

入ったのは12畳ほどの和室。机や電球や家具など、見渡すかぎり普通の民家のようだ。不思議な居心地の良さが二人を包む。


「…はぁー…」


香西はカバンを置いて辺りを見渡す。内村は座布団に座ってそんな香西を見上げた。


「普通の家か旅館みたいね」


「ホントだな」


香西も内村の向かいにすとん、と座った。落ち着きなくきょろきょろしている香西の様子に内村は思わず笑ってしまう。





結局内村にほぼ無理矢理連れて来られたラブホテル。こんなところに来たことのない香西は訳もわからず内村の後ろを歩き、おそるおそる部屋へと入った。しかし部屋は香西が想像していたものとは違い、いたって普通だった。



とはいえ要は『そういうコト』をするためのホテルだ。初めて来るのもあって、香西は終始きょろきょろしている。




香西はいつものようにむぅ、と言って、机から身を乗り出して自分を見て笑った内村に不満を申し立てた。


「何で笑うのー」


「だってずっときょろきょろしてんだもん」


「だってこんなとこ初めて来たんだもん」


内村はぐるっと部屋を見渡して香西の方を向いた。


「まぁでも俺も和室は初めてだよ」



内村が何気なく言ったこの一言が香西の勘に触った。つまりは自分以外の女性と来たことがあるということだ。過去は気にしていないはずの香西も、本人の口からそう言われてしまえば良い気はしない。


「あ、そう」


「何、怒ってんの?」


「別に。怒ってないし」


からかうつもりで内村は話し掛けたが、香西の口調は明らかに不機嫌なときのものだ。心当たりがない内村は少し焦る。


「怒ってるじゃん…え、何?俺何かした?」


「べっつに」


香西の心境としては、怒りというより悲しみだった。自分は生涯内村しか知らないのに、内村は自分以外の女性を知っている。



結婚を約束したというのに、こんなにも余裕がない。過去の女に嫉妬するなんて…。こんなことを思いながら香西は黙り込んだ。




内村は立ち上がって香西の横へと行き、座って後ろから抱き寄せた。いつもより強く抱き締められて香西は驚くが、その力強さと心地好さに声が出ない。


内村は香西の首もとに顔を埋めた。香西の両手が内村の両腕に重なる。


「…いい匂いがする」


内村の胸の鼓動が背中越しに伝わってくる。自身の胸の高鳴りを感じた香西は、内村の腕に顔を埋めた。


「もしかして…不安にさせた?」


内村の問いに香西は黙って頷いた。その時香西を抱き締める腕にさらに力が入り、香西はますます声が出なくなってきた。


「…ごめんな」


内村はそっと香西の頭を撫でた。


内村が香西のことを心から愛しているのは、誰よりも香西が一番わかっている。いつもこんなに愛情をくれるのに、突然不安で堪らなくなる。



それは内村だって同じこと。お互い不器用なため遠回りしてしまうことが多い。だからこそ、愛情が伝わり合うときは計り知れない幸せを感じる。





香西がゆっくり振り返り、内村と口付けを交わす。内村は一度香西の唇から離れ、再び啄むように唇を寄せた。


「…俺には…お前しかいないよ」


香西が内村の名前を呼ぼうとした時、体が宙に浮いた。内村が香西を抱え上げたのだ。


「ひゃ…!」


内村はやさしく微笑んで、高さの低いダブルベッドに香西を横たえた。



香西は少し顔を反らしたが、内村はそんな香西の顎に手を添えてぐいっと自分の方を向かせた。香西の少し潤んできた瞳を見て、その様子にうっとりとする。


少し見つめ合って、そしてまた唇が近づく。タバコ一本分もない距離になったその時だった。




香西がぐっと内村の肩を押し返した。いつもと違う剣幕に内村はびっくりし、いつものように押さえ込むことはなかった。


そして顔を少し青くした香西が浴室へと駆け込んだのだ。



内村は香西が走り去ったあとを振り返り、あわててその後を追い掛けた。香西は脱衣所にある洗面台の前でうずくまっていた。


「…か、おる…?」



香西の背面にある洗面台には、とめどなく水が流れ続けていた。


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