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過去

雪がちらつく日だった。


「はい、じゃあ次の交差点を右に」


「はい」


女子生徒が内村の合図に従ってゆっくりと右折した。



古野ドライビングスクール周辺。意外とこの辺りは交通量が少ないが、片道一車線の細い道で、歩行者や自転車が時々車道に出てくる場所だ。


「運転上手くなったよね」


「そうですか?ありがとうございます」


生徒は嬉しそうに声を上げた。




そして同時に思い出す、ある一人の女性。

飾り気がなくて、媚びることもなくて、素直で、真面目で、でも不器用で、まだ若かったのに気品のある、今だに忘れられない女性(ひと)


運転が下手で、いつも横からハンドル操作を手伝ってあげていた。挙げ句の果てには方向オンチで、何度教えてもなかなか道を覚えることが出来なくて、その度によくからかったりもした。


そして、脳裏に蘇る屈託のない笑顔。



内村は思わず黙って眉をひそめてしまった。目を一度閉じ、気持ちを落ち着かせる。


「どうしたんですか?」


「や、なんでもない…大丈夫。ホラ、人の心配してないで次車線変更して左だからね」


「はーい」



そして車が速度を落として左折した時だった。


茶色がかった黒髪。さらさらしているそれは冬の風になびいて美しかった。

すらりとした長身で、なんともパンツスタイルが似合う。

そしてうっすらとした化粧。ナチュラルメイクであるためか、清楚な感じがより際立っている。


「……っ!」


思わず内村は言葉を失ってしまったが、交差点で信号待ちをしている女性を目で追い掛ける。


「え、今度はどうしたんですか?」


女生徒が信号停車したと同時に内村に尋ねた。内村はゆっくりとシートにもたれかかり、数秒黙ったのちに自嘲気味にふっと笑った。


「いや…さっき信号待ちしてた人がさ、昔好きだった人にすごい似てた」


どんなに想ってももう逢えない…いや、逢ってはいけない女性…。





「…ん、新ちゃん…」


香西の声に内村は現実へと引き戻された。ふと声のしたほうに目をやると、香西が呆れたような顔で内村を見つめていた。


「もう、今日休みだからって遅くまで寝すぎ。もう10時だよっ!」


秋めいてきたためか長袖のボーダーシャツを着ている香西が、掛け布団を内村から剥がした。内村はその手を掴み、自分の方へと引き寄せる。


「わ…っ!」


もちろん香西はバランスを崩し、そのまま内村の上に倒れこんだ。内村はそのまま力一杯香西を抱き締める。


「…夢を見てたんだ」


「夢?」


「俺らが昔別れた後の頃の夢」


内村が香西の頭に手を乗せ、そっと撫でる。


「へぇ…どんな?」


「生徒の路上指導中にたまたまお前に会ったっていう夢だった」


「そうなんだ」


内村の腕に包まれている香西がふふ、と笑った。


「冬の時期の夢だったよ」


内村は懐かしむように目を閉じて微笑んだ。その手は相変わらず香西の頭を撫でている。


「雪が降ってたからさ、教習中なのに『薫いま家出たのかなー』とか『薫いま何してんのかなー』とか考えてたんだ」


「そうなんだ…なんか嬉しい」


「そう?」


「だってそうやって別れた後も私のことばっかり考えててくれたんでしょ?」


香西は照れたようにえへへ、と笑う。

確かに夢ではあったが、これは過去に実際内村が遭遇した出来事だった。それに対してこのように言ってもらえるのは、内村としても嬉しいことだ。


「まぁな…でも普通に考えたらただの未練がましい男だよな」


「確かに」


悪戯っぽく香西が笑った。内村の心臓の音を耳に感じながら、少しだけ顔を上げる。


「実はね…私、別れた後も色々事情があって古野ドライビングにちょいちょい顔出してたんだよ」


「え、そうなの?」


内村はびっくりしたように言った。それもそのはず、近くはないが決して遠くないエリアにお互い居ながら、別れてからあの合コンまで鉢合わせしたことがないからだ。


再び香西がふふ、と笑う。あの時を懐かしむように香西はそっと目を閉じた。


「その時の教務部長さんが花村さんでね、かなりお世話になったの。色々お褒めの言葉もいただいたし、通ってた時の話もしたし…あ、新ちゃん褒められてたよ」


「そう?」


「うん。『あの子はホント車が好きだからね、仕事も楽しそうに頑張ってくれてる』って」


「あの子って…30越えたオッサンに言うか?」


内村の口から苦笑が漏れる。香西は楽しそうに笑った。


「まぁいいじゃん。とりあえずその時にさ、教習所内で何回か見かけたんだよ」


「えっ、そうなの?」


「そうそう。全部花村さんのご配慮で乗せていただいたスクールバスの中から」


「声掛けてくれれば…」


「だって、気まずいじゃない?別れた指導員に話し掛けてもさ。しかも自然消滅っていう嫌なパターン」


「う、あれは悪かったって思ってるよ…」


「なーに?別に新ちゃんを責めた訳じゃないよ?だってあれは私も悪かったんだし」


香西はゆっくりと自分の身体を起こした。大きな瞳を愛しそうに細めて、内村を見下ろす。


「まぁ昔の事だし、あんまり気にしなくて良いんじゃない?今こうやって幸せなんだから」


そう言って香西は内村の額にそっと唇を落とした。


「ホラ、朝ご飯の準備できてるよ。ちゃんと食べないとパワー出ないよっ」


香西が笑顔のまま寝室を後にした。その香西と重なる面影の人物を不意に思い出して、がばりと上体を起こした。



『ちゃんと食べてますか?何だか元気ないみたい…ちゃんと食べないとパワー出ないですよ』




「…香織……」


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