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静かな湖畔の森のおくで、引きこもったヲタクの話  作者: 櫻木サヱ


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1/2

静かな湖畔は、引きこもりに向いている(はずだった)

湖は、音がなさすぎた。

 風が吹いていないわけじゃない。森の木々は、たしかに揺れている。でも、水面だけが、何かを拒否しているみたいに動かない。


 写真で見たときは、もっと「自然〜!」って感じだった。

 加工してないのに加工済み、みたいな。

 でも実物は、背景素材というより、読み込みに失敗したマップだ。


「……セーブポイント、ここで合ってる?」


 誰もいないのをいいことに、口から変な独り言が出る。

 私はこういうとき、すぐ世界をゲームかアニメに例えたがる。現実をそのまま受け止めるのが苦手だからだ。


 ここは、親戚が持っている別荘だった。

 森の奥、湖畔のすみ。人里からも遠くて、コンビニは車で三十分。

 療養にちょうどいい、と言われた。


 療養。

 一回、社会に出ようとして、速攻で折れた人間に貼られる、あの便利なラベル。


 私は23歳、女、ヲタク。

 ジャンルは雑食だけど、基本は二次元に魂を置いてきているタイプだ。

 推しがいなかったら、たぶん高校で詰んでた。

 推しがいたから大学まではなんとか生き延びて、

 推しがいたから「社会に出てもいけるかも」って勘違いした。


 結果は、まあ、察してほしい。


 別荘のドアを開けると、少しカビっぽい匂いがした。

 でも、不思議と嫌じゃない。

 人の匂いがしない。生活音の残骸がない。


 私は荷物を最低限だけ運び込んで、真っ先にノートパソコンを取り出した。

 ベッド? あと。

 冷蔵庫? 後回し。

 回線確認が最優先。これは譲れない。


 Wi-Fi、接続。

 速度、遅い。

 でも、動画は再生できる。配信も低画質なら耐える。


「勝ったな」


 思わず小さくガッツポーズをした。

 森だろうが湖だろうが幽霊だろうが、ネットが繋がれば人権は守られる。少なくとも、私の中では。


 窓の外で、湖がこちらを見ている気がした。

 見ている、というより、見られている気がした。


 私はあえて視線を外して、イヤホンをつけた。

 推しの声を流す。

 一話。二話。もう一話。


 推しの声は、裏切らない。

 再生すれば必ず同じテンポで、同じ感情で、同じ距離感でそこにいてくれる。


 会社にいた頃、これが一番しんどかった。

 距離感。

 声のトーン。

 雑談という名の地雷原。


 「大丈夫?」って聞かれて、「大丈夫です」って答えたら、「じゃあこれお願い」って仕事が増えて、

 本当は全然大丈夫じゃなかったけど、今さら言えなくて、

 気づいたら、朝起きるだけで吐き気がしていた。


 推しは、そんなことしない。

 こちらが無言でも、勝手に解釈して詰めてこない。


 夜になって、別荘の中が暗くなる。

 湖は、昼よりもさらに動かなくなっていた。


 水面が黒い。

 星も映らない。

 まるで、底がないみたいだ。


 イヤホン越しに、何か、別の音が混ざった気がした。

 ぽちゃん。

 水を叩く、妙に近い音。


 私は一瞬、再生を止めた。

 耳を澄ます。


 森は静かだ。

 虫の声も、鳥の声も、ほとんどしない。


 もう一度、ぽちゃん、と音がした。

 今度は、湖の真ん中じゃない。

 もっと、岸に近い。


「……鹿?」


 自分に言い聞かせるみたいに呟く。

 野生動物。そういうの。普通。


 でも、湖の表面は相変わらず、何もなかった。

 波紋が、残らない。


 私は、慌てて音量を上げた。

 推しの声で、全部を塗りつぶす。


 ここは、引きこもるための場所だ。

 回復するための場所だ。

 現実に戻る準備をするための、安全地帯のはずだ。


 そう思いながら、画面を見つめ続ける。

 窓の外の湖から、目を逸らしたまま。


 静かすぎる湖が、

 まるで「ずっとここにいればいい」とでも言っているみたいで、

 その考えが一番、怖かった。

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