第九話
◆
仕事の後スマホを確認すると、また新しいDMが届いていた。
今度は一件だけだったが内容は特に重かった。
Pさん。五十代の女性。
『息子がいじめで自殺しました。三年前のことです』
自殺した。
その言葉が目に飛び込んできて、呼吸が止まった。
『中学二年のときでした。遺書はありませんでした。でもいじめがあったことは後からわかりました。学校は認めませんでした。「いじめの証拠がない」と。加害者は特定できませんでした。誰も責任を取りませんでした』
画面の文字を追う手が震えていた。
『三年経った今も息子のことを忘れられません。毎日、息子のことを考えます。なぜ気づけなかったのか。なぜ助けられなかったのか。自分を責め続けています』
自分を責め続ける。
私もそうだ。美月のことで自分を責め続けている。
『息子を殺した人間を呪いたい。誰かはわかりません。でも呪いたい。息子のために、何かしたい。藁にもすがりたい気持ちです』
息子を殺した人間。
美月が屋上から落ちていたら、私は人殺しになっていた。
この人の息子を殺した人間と、私は同じ種類の人間だ。
『どうか、お願いします。呪いグッズを売ってください。息子のために、何かしたいんです』
私は──
何も返せなかった。
何を返せばいいのかわからなかった。
スマホを置いて、天井を見上げた。
涙が出てきた。
◆
水曜日、Pさんに返信を打った。
『メッセージ、読みました。息子さんのこと、本当にお辛いですね』
『読んでいただけたのですね。ありがとうございます』
『三年前のことでも傷は癒えませんよね』
『はい。毎日、息子のことを考えます。息子が死んだ日の朝、最後に言った言葉を覚えています。「行ってきます」。それが最後でした』
読んでいて、胸が痛かった。
『息子を殺した人間を知りたい。でもわからない。学校は何も教えてくれない。警察も動かない。誰も教えてくれない』
誰も教えてくれない。
加害者は野放しのまま、普通に生きている。
私もそのうちの一人だ。
『だから呪いでも。息子のために、何かしたい。それだけです』
私は呪符を送ることにした。
無料で。お金なんて受け取れなかった。
◆
木曜日の夜、美月からLINEが来た。
『彩乃、大丈夫? 連絡くれないから心配してる』
『ごめん。ちょっと色々あって』
『週末、会おうよ。顔見たい』
『うん。会いたい』
『土曜日、空いてる?』
『空いてるよ』
『じゃあ、いつものカフェで。また二時くらいで』
『了解』
美月に会えば、少しは気が楽になるかもしれない。
でも同時に、会うのが怖かった。
Pさんの話を聞いてから、高校時代の記憶がより鮮明に蘇るようになった。美月にしたこと。屋上に立つ美月。空洞のような目。
あの空洞が、穴みたいな目が頭から消えてくれない。
◆
金曜日、仕事を終えて帰宅した。
Pさんに呪符を発送した事を伝える。
『ありがとうございます。お金を受け取ってもらえないのは心苦しいですが感謝しています』
『いえ、たいしたものではありませんから』
『息子のことを聞いてもらえて、嬉しかったです。誰も聞いてくれない。夫は息子のことを話すのを避ける。友人にも話せない。だからあなたに聞いてもらえて、救われました』
救われた。
私が誰かを救った?
違う。私は何もしていない。ただ話を聞いただけだ。呪符を送っただけだ。何の力もない紙切れを。
『息子を殺した人間を一生許しません。でもこの呪符があれば、少しだけ気持ちが楽になる気がします。何かをしているという実感があるだけで』
何かをしているという実感。
それがこの人を支えているのだろう。
そうか、実感──
何か実感を伴う事をすればいいんだ。
でも何をすればいいのだろう。何をすれば、許されるのだろう。
◆
土曜日、美月と会った。
カフェで向かい合って座る。美月は私の顔を見て、また眉をひそめた。
「彩乃、顔色……前より悪くなってない?」
「……そう?」
「そうだよ。目の下のくま、ひどくなってる。ちゃんと寝てる?」
「あんまり」
美月はため息をついた。
「呪いグッズの依頼、まだ受けてるの?」
「うん」
「何件くらい?」
「わからない。数えてない」
「数えてない、って……」
美月は何か言いかけて、やめた。
しばらく沈黙が続いた。カフェのBGMが流れている。クリスマスソングから、年末の曲に変わっていた。
「彩乃」
美月が口を開いた。
「前にも言ったけど、私、彩乃が壊れるの見たくないよ」
「わかってる」
「わかってるのに、なんで止められないの?」
その質問に、私は答えられなかった。
「加害者として、被害者の声を聞かなきゃいけないって、思ってるんでしょ?」
「……うん」
「それ、おかしいと思わない?」
「おかしい、のかな」
「おかしいよ。自分を壊してまでやることじゃない」
美月の声には苛立ちと心配が混じっていた。
「彩乃は高校のこと、まだ気にしてるんでしょ? 私を傷つけたこと」
「うん」
「だから購入者の話を聞くと、自分の罪を思い出す。それで断れなくなる」
「……そう、かも」
美月は私の手を取った。
「彩乃、聞いて。私は許してる。本当に、もう気にしてない。高校のことは過去のこと。今の彩乃は私の大切な友達なんだよ」
「でも──」
「でもじゃない。許してるの。私が。だから彩乃も自分を許していいんだよ」
許していい。
その言葉が胸に響いた。
「自分を責め続けて、壊れるまで購入者の話を聞き続けて、それで何が変わるの? 何も変わらないでしょ」
「変わらない、かもしれない」
「変わらないよ。ただ、彩乃が壊れるだけ。私はそれが嫌なの」
美月は私の手を握りしめた。
「お願い。無理しないで。自分を大切にして。私のためにも」
私のためにも。
その言葉が涙を誘った。
「……ごめん」
「謝らないで。ただ、約束して。少し休むって」
「約束──」
「して。お願い」
美月の目が真っすぐに私を見ていた。
「……わかった。約束する」
そう言うしかなかった。
◆
眠れない。もうずっとずっと眠れない。
購入者たちの告白が頭の中でぐるぐると回っていた。
みんな、苦しんでいる。みんな、加害者を許していない。
美月は許してくれた。
でもそれは例外なのだ。
時計を見ると、午前三時を過ぎていた。
窓の外は暗い。街灯の明かりだけがぼんやりと見える。
私はどこまでいっても加害者だ。
謝っても許されても償おうとしても。
その事実は変わらない。
美月が「壊れるの見たくない」と言っていた。
でももう止められない気がしていた。
購入者たちの声が私を少しずつ、少しずつ、壊していく。
それでいいと私は思う。
私は罪人だ。私の罪ごと、私なんて壊れてしまえばいい。




