第四話
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購入者Gのメッセージを読んでから、三日が経っていた。
あの男の言葉が頭から離れない。「俺たちがあいつを鍛えてやった」。いじめた相手を呪いたいと言いながら、自分は被害者だと信じている。相手が成功したことを恨んでいる。自分の罪を認識していない。
私はあの男を軽蔑した。心の底から軽蔑した。
でも、軽蔑しながら、胸の奥が冷たくなっていた。
私とあの男は何が違うのだろう。
ベッドに横たわって、天井を見つめていた。エアコンの駆動音が静かに響いている。窓の外では十二月の風が街路樹を揺らしている。
目を閉じると、高校時代の記憶が浮かんでくる。
教室。笑い声。誰かがうつむいている。私はその輪の中にいて、笑っている。
十年近く前のことだ。でも、昨日のことのように思い出せる。
思い出したくないのに、思い出せてしまう。
◆
高校二年の秋だった。
私は当時、いわゆる「一軍」だった。クラスの中心にいて、いつも取り巻きがいて、発言には影響力があった。容姿には自信があったし、コミュニケーション能力も高い方だと思っていた。先生からも「明るくてしっかりした子」と評価されていた。
園田美月はその対極にいた。
目立たない生徒だった。髪はいつも後ろで一つに結んでいて、服装も地味だった。休み時間はいつも一人で本を読んでいた。漫画やアニメが好きらしく、自分でイラストを描いているという噂もあった。
空気が読めない子だった。それが最初の印象だった。
グループで話しているとき、急に話題に割り込んでくることがあった。誰も興味のない漫画の話を延々としたり、聞いてもいないのにアニメの解説を始めたり。周囲が困惑しているのに気づかない様子だった。
ある日の昼休み、私は友達と文化祭の出し物について話していた。クラスでカフェをやることになっていて、その準備の話だった。
そこに園田美月が近づいてきた。
「あの、私も参加してもいい?」
彼女は無表情で言った。無表情というより、どういう顔をすればいいかわからないという感じだった。
私は友達と目を見合わせた。別に断る理由はない。でも、なんとなく嫌だった。
「えーと、もう人数決まってるんだよね」
私はそう答えた。嘘だった。人数なんて決まっていなかった。
「そうなんだ」
美月はそれだけ言って、自分の席に戻っていった。
私と友達は顔を見合わせて、くすくすと笑った。
「なんかさ、あの子、ちょっと無理じゃない?」
私が言った。
「わかる。空気読めないよね」
「話し方もなんか変だし」
「目が怖いよね。何考えてるかわかんない」
取り巻きたちが口々に言った。
それが始まりだった。
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最初は軽い無視だった。
美月が話しかけてきても、聞こえないふりをする。挨拶されても、返さない。目を合わせない。
私は直接無視したわけではなかった。ただ、美月に話しかけられたとき、たまたま友達に話しかけていただけだ。挨拶を返さなかったのはたまたま聞こえなかっただけだ。少なくとも、私の中ではそういうことになっていた。
でも、周りは空気を読んだ。
私が美月を避けているのを見て、みんなが同じように避け始めた。誰も美月に話しかけなくなった。グループワークでは美月だけが余るようになった。席替えでは美月の隣に座りたがる人がいなくなった。
美月は何も言わなかった。黙って、一人で過ごしていた。本を読んでいた。イラストを描いていた。
それが私たちを苛立たせた。
「なんであの子、何も言わないわけ?」
友達の一人が言った。
「無視されてるのわかってんでしょ。普通、泣くとか怒るとかするじゃん」
「プライド高いんじゃない?」
「ウケる。何のプライドだよ」
私たちは笑った。
美月が反応しないから、もっとやりたくなった。反応させたかった。泣かせたかった。怒らせたかった。何でもいいから、美月が感情を見せるところを見たかった。
今思えば、それは完全に間違っていた。でも、当時の私はそんなことを考えもしなかった。
◆
無視がエスカレートするのに、時間はかからなかった。
持ち物を隠すようになった。美月の筆箱がゴミ箱に捨てられていることがあった。教科書が見つからないことがあった。靴が下駄箱からなくなることがあった。
私は直接やらなかった。でも、誰かがやっているのは知っていた。止めなかった。
「また園田の靴なくなってたらしいよ」
友達がそう言ったとき、私は笑った。
「まじで? 誰がやったの?」
「さあ? でもウケるよね」
「かわいそ〜」
口では「かわいそう」と言いながら、笑っていた。本当にかわいそうだと思っていたら、笑えるはずがない。
美月は何も言わなかった。靴がなくなっても、黙って上履きのまま帰っていた。筆箱がなくなっても、黙って友達に鉛筆を借りていた。友達といっても、美月に話しかける人はもういなかったから、多分先生に借りていたのだと思う。
机が廊下に出されていることもあった。朝、教室に来ると、美月の机と椅子が廊下に置かれている。美月は黙ってそれを教室に戻していた。誰も手伝わなかった。私も手伝わなかった。
「園田、今日も机出されてたね」
「誰がやってんだろね」
「さあ」
白々しい会話を交わしながら、私たちは笑っていた。
◆
SNSの裏アカウントが作られたのは二年生の冬だった。
誰が最初に作ったのかは覚えていない。気づいたら、クラスのほとんどが参加しているグループがあった。園田美月の悪口を書くための場所だった。
美月の写真が投稿されていた。盗撮された写真だった。廊下を歩いている姿。教室で本を読んでいる姿。一人で弁当を食べている姿。
「今日の園田の服やばくない?」
「ダサすぎて逆にウケる」
「存在がキモい」
「消えればいいのに」
コメントが次々と書き込まれていた。
私も書いた。何を書いたか、正確には覚えていない。多分、他の人と同じようなことを書いた。「キモい」とか「無理」とか、そういう言葉を。
美月がその裏アカウントの存在に気づいていたかどうかはわからない。でも、気づいていたとしても、美月は何も言わなかっただろう。何も言わないのがあの子のやり方だった。
今になって思う。何も言わなかったのは言えなかったからだ。言ったところで誰も聞いてくれない。言ったところで状況は変わらない。だから黙っていた。黙って耐えていた。
でも当時の私はそんなことを考えもしなかった。




