最終話
◆◆◆
夜。
都内の古いアパートの二階。築四十年は経っているだろう木造の建物で階段を上るたびに板が軋む音がする。廊下の蛍光灯は半分切れかかっていて、明滅を繰り返している。
園田美月は自室でパソコンに向かっていた。
六畳一間の狭い部屋だ。古着が山のように積まれ、本棚には漫画や小説がぎっしりと詰め込まれている。壁には好きなアニメのポスターが貼ってあり、机の上には描きかけのイラストが散らばっている。
画面には新聞社のウェブ記事が表示されていた。
「都内マンションで女性転落死 自殺か」
短い記事だった。都内のマンションで二十代の女性が転落死したこと。警察は自殺の可能性が高いとみて調べていること。身元は明らかにされていないこと。
美月は記事を眺めていた。
表情は読み取れない
やがて美月はマウスを動かし、ブラウザのタブを切り替えた。
SNSのログイン画面が表示されると、美月はアカウント名を入力した。
「購入者A」
ログインして、設定画面を開く。
「アカウントを削除」
確認のダイアログが表示された。
「この操作は取り消せません。よろしいですか?」
美月は「はい」をクリックした。
アカウントが消えた。
美月は別のタブを開いた。別のSNSにログインした。今度は「購入者B」だ。
同じ操作を繰り返す。削除。
「購入者C」──削除。
「購入者D」──削除。
淡々と、機械的に。
「購入者E」──削除。
「購入者F」──削除。
「購入者G」──削除。
何十ものアカウントが次々と消えていく。
「購入者H」──削除。
「購入者I」──削除。
「購入者J」──削除。
美月の指は止まらない。キーボードを叩き、マウスをクリックし、一つまた一つとアカウントを消していく。
「依頼者K」──削除。
「依頼者L」──削除。
「依頼者M」──削除。
「依頼者N」──削除。
「依頼者O」──削除。
「P」──削除。
すべてのアカウントを削除し終えるまでに二十分ほどかかった。
美月はブラウザを閉じて、椅子の背もたれに体を預けた。
ややあってスマホを手に取り、LINEを開く。
三島彩乃とのトーク画面。
最後のメッセージは彩乃から送られたものだった。
『美月、ありがとうね。いつも』
美月はしばらくその画面を見つめていた。
指が画面の上で止まる。
親指がゆっくりと動いて、画面の右上をタップした。
メニューが開く。
「ブロック」
そして──
「トーク削除」
トーク画面が消えた。彩乃との会話の履歴がすべて消えた。
美月は椅子から立ち上がった。
部屋の隅に向かう。本棚の横に段ボール箱が置いてある。古い箱だ。十年近く前からそこにある。
箱を開けた。
中に薄い冊子が入っていた。
手作りの同人誌だった。表紙のイラストは色褪せている。ページは何枚か欠けていて、残ったページも端が破れている。
破れたページの断面を指でなぞる。表情からは何の感情も窺えない。
そして美月は同人誌を箱に戻し、蓋を閉じた。
部屋の中は薄暗い。机の上のパソコンの画面だけがぼんやりと光っている。
美月は椅子に座り直した。
画面を見つめる。
何もない画面をしばらく見つめ、見つめ、見つめ、そして。
唇の端がわずかに持ち上がり──美月は「うふ」と声に出して笑った。
(了)




