第十一話
◆
週明け、月曜日。
朝、目が覚めなかった。
正確に言えば目は開いた。天井が見えた。薄暗い。カーテンを閉め切ったままだから朝なのか昼なのかもわからない。
体が動かなかったのだ。
起き上がろうと腕に力を入れた。でも腕が動かない。足も動かない。まるで誰かに押さえつけられているみたいだ。誰もいないのに体が鉛のように重い。
時計を見ようとしたが、首を動かすことすらできない。
どのくらいそうしていたのだろう。一時間か。二時間か。もっと長かったかもしれない。
ようやく腕が動いた。スマホを手に取った。画面を見る。九時四十三分。
会社に遅刻する時間だった。というより、もう遅刻していた。
連絡しなければ──そう思った。でも指が動かない。画面を見つめたまま何もできない。
私はスマホを握りしめたまま、また目を閉じた。
◆
次に目が覚めたとき、部屋は暗かった。
夜になっていた。カーテンの隙間から、街灯の明かりがぼんやりと差し込んでいる。
スマホを見た。二十三時十八分。
通知が大量に溜まっていた。会社からの不在着信が七件。上司の木村からのLINEが三件。同僚からのメッセージが二件。美月からのLINEが四件。
読む気力がなかった。
体を起こそうとした。頭がぐらぐらする。最後に何か食べたのはいつだろう。昨日の夜? 一昨日?
覚えていない。
喉が渇いていた。
ベッドから降りて、台所に向かう。足元がふらついた。冷蔵庫を開けて、ペットボトルの水を取り出した。蓋を開けて、直接口をつけて飲んだ。冷たい水が喉を通り過ぎていく。
そしてペットボトルを持ったまま、リビングのソファに座った。座ったというより、崩れ落ちたという方が近い。
部屋は暗闘のままだった。電気をつける気力がない。テレビをつける気力もない。
スマホの画面が光った。また通知だ。見ない。見たくない。
ソファに横になった。天井を見上げた。暗くて何も見えない。
頭の中で声がする。
──死にたかった。
──人間じゃないと思った。
──自分が汚いと思った。
購入者たちの告白だ。頭の中に住み着いてしまった声たちだ。
目を閉じても声は止まらない。
購入者たちの声が頭の中で響き続けている。
「死にたかった」
「人間じゃないと思った」
「自分が汚いと思った」
「今も苦しい」
「一生許さない」
美月もこう思っていたのだろうか。そうだ、思っていたに違いない。
美月は許してくれたと言った。もう気にしていないと言ったけれど──本当に許せるものだろうか。
いいや、自分を殺しかけた相手を許せるはずがない。
私だったら、許せない。一生許せない。一生恨む。
購入者たちがそうであるように。「一生許さない」と言っているように。
なら、するべきことは一つだった。
◆
意を決すると体が動いた。
ベッドから起き上がると、足元がふらつく。何日もまともに食べていないから当然だ。
壁に手をついてバランスを取った。
暗い部屋の中をふらふらと歩いた。リビングを抜けて玄関に向かう。
靴を履き、ドアを開けてマンションの廊下に出た。
廊下は暗かった。非常灯の緑色の光だけがぼんやりと点いている。深夜だから他の住人の気配はない。
階段を上った。
五階から、六階へ。六階から、七階へ。
このマンションは八階建てだ。屋上への階段がある。
鍵がかかっているかもしれない。そう思った。でも足は止まらなかった。
八階の廊下を抜けて、屋上への階段に着いた。
扉があった。
手をかけた。押した。
開いた。
◆
屋上は風が強かった。十二月の夜風が薄着の体に容赦なく吹きつけてくる。寒い。でも寒さはどうでもよい。
空を見上げた。曇り空だった。星は見えない。街の明かりが雲を下からぼんやりと照らしている。
屋上の端に向かって歩いた。
柵があった。私の腰くらいの高さの、金属製の柵。
柵の向こうはまっくらだった。八階の高さ。下を見ると駐車場のアスファルトがぼんやりと見える。
高校時代──あのとき、美月はこの景色を見ていたのだろうか。この風を感じていたのだろうか。この絶望を感じていたのだろうか。
柵に手をかけ、乗り越える。
美月、ごめんね。
私はあなたを傷つけた。
あなたの大切なものを壊した。あなたを汚物扱いした。あなたを閉じ込めた。あなたをここに立たせた。
あなたは許してくれた。友達になってくれた。どん底の私を助けてくれた。
あなたは本当に優しい人だ。
でも私は自分を許せない。
私のような人間があなたの隣にいていいはずがない。
私のような人間が普通に生きていていいはずがない。
美月、ありがとう。
私の親友でいてくれて、ありがとう。
ごめんね。
そうして私は、屋上から飛び降りた。




